第四十話「舵田黒瀬守直正」
門が開ききると、真正面には正座した侍がこちらをじっと見ていた。
年の頃なら三十そこそこか、同じように正座した三十数人の侍や雑兵を従えている。
「お初にお目に掛かる。余は三州東下黒瀬国主、従八位上舵田黒瀬守直正と申す」
「……従八位下、松浦一郎和臣と申す」
黒瀬守は真っ直ぐに俺を見ており、着物こそくたびれ、疲れた顔で地面に座ってはいるが、その目は曇っておらず、理知的ですらあった。
海賊働きをするような大名なら、頭は切れるにしてもさぞ乱暴者だろうと考えていた自分に、一言言ってやりたくなる。
力尽くで城を落とした後か、あるいは都の権力を、武力を恐れての態度なら、まだ想定内だったが……。
「……」
いや、違う。
……ここが、勝負どころだ。
何か考えがあっての態度だろうが、斬って捨てるのは、抵抗されてからでいいだろう。
たとえこの様子が謀略の故で、油断を誘い影から弓で射る為の嘘であったとしても、今の俺ならば何とでもなる。
「失礼する」
俺は片手で朝霧を制してから、数歩進んで黒瀬守の正面にあぐらを掻いて座り込んだ。
「黒瀬守『殿』、どうして海賊などをしたのか、理由を聞きたい」
「ほう?」
一瞬、虚を突かれたという風に、黒瀬守の表情が動く。
「だが……長話になりそうだと思うので、そちらもお楽に」
俺は自分のカンと、矢さえ返せる姫護正道を信じることに決めた。
城門を入ってすぐ、俺は警戒する忍を、黒瀬守は座して居並ぶ侍を、それぞれ背にして向かい合う。
「……最初は、大した要求ではなかったのだ」
ぽつりと、黒瀬守が口を開いた。
要求が何かは分からないが、黙って続きを促す。
「黒瀬は三州の果ての果て、米、野菜、武具、何を手に入れるにも甲泊へと続く細い道か、船を使わねば立ち往かぬ。海の幸や、魔妖の骸から手に入る角、皮、骨など、小物成と引き替えにそれらを買い入れていたのだが……隣国飛崎が、な」
黒瀬守は、フンと大きく息を吐き捨てた。
「こちらを向いた関を設け、魔妖の被害甚大につき万事急用物入り也と、領道修繕の名目で五十両をふっかけてきよった。そのように無茶な話、聞いたことさえなかったが、お困りであろうと無理に用立てたものの……」
やれ『魔物の襲撃で砦が壊れた、これでは街道が守れぬ』『港が台風でやられた、この港を使う者は寄付を出せ』と、要求がエスカレートしていったのだという。
海路にも見張りの船が出され、全てを封じられては要求を呑むしかなかったと、黒瀬守は瞑目した。
「幾度か直談判に訪れたが、門前払いであった。浜通、南香ら近隣の大名にも口添えを頼んだが、飛崎守は耳を貸さなんだ。
しかし……その頃にはもう、手遅れであったのだろうな。飛崎守は、贅沢と色欲の権化に成り下がっておった」
……甲泊以東の国は黒瀬の海賊に襲われていたと聞いたように思うが、どういうことだ?
意趣返しにしては、順序がおかしい気もした。
「諫めようとした家臣を斬った、領民の娘が拐かされたと噂が流れ、甲泊側の浜通どころか、黒瀬にまで民が逃げ込んできた。増長の故か、浜通、南香、甲泊にまであれこれと要求を出しておったという」
黒瀬守の顔に、暗い笑みが浮かぶ。
「気持ちはな、分からぬではない。日々、魔妖の襲来に備え緊張を強いられ続け、あるいは……怯え、心もすり減ろうというものよ。
飛崎守が愚物へと堕ちたのも、妻と娘を病で亡くしたことがきっかけとはなったのだろうが、それだけとも思わぬ」
後ろで何人かが頷いている。
雑兵達の顔色を見れば、作り話とも思えなかった。
乱暴な決めつけかもしれないが、黒瀬守はともかく……三十数人の疲れ果てた男達に、嘘を演じさせるのは無理だろう。
「しかし、飛崎は黒瀬に倍する大きな国だ。並大抵の覚悟では逆らえぬ。
だが……皮肉なことに、飛崎守より珍しく書状が届き、腹も決まったわ。余の娘と婚姻を、などと戯言を書いてきよった。持参金目当てだろうが……余は独り身、娘どころかまだ妻も娶っておらぬというに、の。
隣家の事情さえ忘れるほどに狂うたとなれば、先はなかろう?」
それで、海賊……いや、どうだろうか?
大筋では整合性が取れているものの、ところどころ、おかしな部分も見える。
「まあ、決めてしまえば後は気楽だった。小早で飛崎に乗りつけ、切り捨てて、終いだ」
「……乱行が目に余る大名なら、黒瀬守殿がわざわざ海賊になどならなくても、御成敗の許状が出たのではないか、と思うんだが?」
「田舎大名の争いなど、そのままでは都どころか三州美河まで届くかも怪しかろう。騒ぐなら、派手に火を付ける方がよいのだ。
お陰でほれこの通り、都まで悪行が鳴り響いた故、松浦殿が三州の東下などという辺鄙な田舎くんだりまで足を運ばれたのではないか?」
晴れ晴れとした顔で、黒瀬守は笑って見せた。
……実に、やりにくい。
「ところで、話は変わるが……飛崎守が乱心する前、黒瀬はどうだったんだ?」
「ふむ、そうであるな……贅沢は出来ぬし、魔妖の大群が現れぬよう祈る日々ではあったが、悪くは、なかった」
「やはり、魔妖が……」
「うむ、こちらより攻めてどうこう出来ぬほどの大物も、居場所と癖を知り、近づかねばよいのだ。……黒瀬の先、東に国のない理由でもあるがな」
「なるほど……」
我らが兵や、実に頼もしきことよと、黒瀬守は大きく笑って見せた。
「余に従っただけで、家中の者共に罪はない。……よろしく頼み申す」
「事情は理解した。……一晩考えるが、黒瀬守殿も含め、悪いようにはしないつもりだ」
「かたじけない、恩に着る」
上意に従い大人しく城を明け渡すという黒瀬守に頷き、俺達は一旦、甲子丸へと戻ることにした。
詳細は明日、もう一度話し合う約束だ。
俺も、考える時間が欲しかった。
今のところは、と注釈はつくが、犬槇には戦のバックアップ以外にも噂集めを頼んでいたから、裏付けが取れれば……さて、どうしたものか。
そのまま許すにはこの大騒動の収拾をつけるという意味でまずいし、被害を受けた近隣諸国も納得しないだろう。
だからと言って、四角四面に罪は罪と斬って捨てるのも後味が悪く、ついでに元家臣達からも不満が出そうだ。
黒瀬守の処遇、都への報告、俺の今後。
考えることは、山積みだった。
確かに黒瀬守は、悪行を為した。しかし、その原因は飛崎守であり、同情の余地は十分にあった。
都には顛末をまとめて送らねばならないが、現状に嘘をついてもいいことはない。後から調べられでもすれば、処罰が下る。
俺はと言えば、新しい黒瀬守になれなければ今後の生活が成り立たず、それなりに上手い落としどころを考えつかないと、首が締まるだろう。
坂道を下って城を見上げ、ため息をつく。
黒瀬守が本物の悪党海賊であれば、ここまで悩むこともなかったのだろうが……。
「松浦様、犬槇が戻って参りました」
「え?」
朝霧の言葉に立ち止まれば、犬槇が眼前にすっと現れて跪いた。
……忍者の気配を察知出来なければ、そのうち俺も斬られるんじゃないかと、嫌な想像をしてしまう。
「松浦様、我らも松浦様の御入城より城中を見張っておりましたが、黒瀬の者共に怪しい動きはございませんでした」
「うん、ご苦労様。黒瀬守は大人しく降ってくれたよ。そちらは大丈夫だった?」
「はっ、ご報告もございますが……先に後ろを」
「ん?」
振り返れば、今歩いたばかりの坂道を侍が駆け下りてくる。
「御免! 御免!」
俺は姫護正道に手を添え、忍達も左右に少し距離を開けた。
走ってきた侍が、俺の手前に跪く。
「松浦様! 黒瀬守様より、こちらを、預かって……参りました! くっ……見事な、最期であられ、ました!」
侍が、書状を俺に差し出したまま、泣き出したことで。
俺は……自分の大失敗に気が付いた。