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第三十七話「『普通の俺』と、『強い俺』」

「……義三郎殿!」

「へ、へい!」


 義三郎殿と二人、慌てて船縁に隠れて伏せ、頭だけを小さく出す。


「御用改めって、いきなり矢が飛んでくるんですか?」

「そんなはずはねえ! 海には海の決め事ってやつがありまさあ!」


 御用改めに便乗した小遣い稼ぎの水軍なんていう、ぬるい相手じゃないじゃなさそうだ。

 俺達一行が狙われてるんだろうなと、小さく息を吐く。


「朝霧! 犬槙! 聞こえてるか! 敵だ!」

「はっ!」

「こっちには来なくていい! 皆を集めて守ってくれ!」

「承知! 松浦様は?」

「大丈夫だ!」


 姫護正道の柄をしっかりと握り、波間の向こう、敵船を見据える。


 大体だ、こちらは海賊大名を退治するつもりで旅立ったというのに、京を出たその日の内にこんな面倒事と出くわすなど、予定外も甚だしい。


 何かこう……腹が立ってきた。


 先に矢を射てきたのは、向こうだ。

 遠慮はいらないだろう。


「義三郎殿、あれ、何人ぐらい乗せてると思います?」

「そうでやすな……漕ぎ手が四十に船侍が二十は下らないかと、へい」


 みるみる近づいてきた敵船から、また矢が放たれた。


「あれ!?」


 妙にゆっくりと、それこそ子供が投げたボールのように、矢が迫る。


「ほいっ……と!」


 これなら楽勝だ。

 姫護正道を片手で抜きざま、目の前に来た鉄の(やじり)をちょんと弾く。


 きんと小気味よい音を残し、矢は海に落ちた。

 流石は龍神の御神刀、刀身に傷一つない。


 ……いや、そうじゃない。

 なんで矢が、しっかりと見えるんだ!?


 人間が手に持ってこっちに走ってくるんならともかく、幾らなんでも、飛んでくる矢の速度が遅いわけがない。

 そもそもここは、海の上だ。


「ああ、そっか……」


 流石に俺も、気が付いた。


 ……もしかして、谷端の小鬼や邪鬼も、あの時、和子と静子を襲った侍崩れも、実は鈍くて弱かったんじゃなくて、俺が神気で――不思議な何かで、あり得ないほどに素速く、そして力強くなってただけなんじゃないだろうか?


 普段の俺は、いつも通り『普通の俺』。

 やる気になると、『強い俺』。


 本当のところはわからないが、考え事をしてる場合じゃないし、今は都合よく『強い俺』のようだ。


 矢狭間の開き口が、きらっと照り返すのが見えた。


「よっ!」


 再び飛んできた矢を今度はこつんと上に弾き、姫護正道を逆手に構える。


 俺はくるんと縦に回転した矢の尻――矢筈に姫護正道の切っ先、その裏側を引っかけ、思いっ切り振り抜いた。


「ふんっ!」


 狙い違わず……とは行かなかったが、返した矢が敵船の櫓に突き立つ。


「おおっ!?」


 やはり、自分でも普通じゃないと思うほどの、動きとキレ。

 かなりの無茶も出来そうだ。


 その間にも、敵船はぐんぐんと近づいてきた。

 船首に伏せ、鉤縄(かぎなわ)や渡り板を手にしている相手が見える。


「ど、どうしやしょう!?」

「ちょっと……行って来ます!」

「松浦殿!?」


 これなら行けると踏んだ距離――五メートル弱まで敵船が迫ったその時、俺は船侍の抜刀を見据えつつ、船縁に足をかけて思いっ切り飛んだ。


「うお!?」


 船同士が近すぎたせいか、矢は飛んでこなかった。

 一番手前の船侍の刀に姫護正道を振り下ろし、そのまま着地する。


「ぐはっ!」


 吹っ飛んだ相手は渡り板を持っていた水主(かこ)を巻き込み、櫓にぶち当たってそのまま動かなくなった。


 残りの船侍にも立ち直る隙を与えず、刀を叩き落としてやる。


 呆然とする彼らを省みることなく、俺はジャンプして櫓の縁に手を掛け、片手だけで身体を引き上げた。


 関船の櫓は矢狭間のついた板塀に囲まれているが、船の幅よりも広い。

 板張りのお陰で、細長い剣道場にも見えた。


「俺は従八位下、松浦一郎!」


 名乗りを上げ、長い弓を放りだして刀を抜こうとする船侍の間を駆け抜け、船尾で指揮を執っていた偉そうな侍のところまで一足飛びに走り込む。


 だん!


「どうして……いきなり矢を()ってきたんだ?」

「うっ……」


 相手が刀の柄に手を掛けるより先に、姫護正道の切っ先がぴたりと侍の喉元に当たっていた。


 わずかに滲んだ血が、一筋垂れる。


「う、上役の(めい)であったのだ……」


 侍は俺から視線を外し、力無く両の手をだらんと下ろした。




 他の侍達も弓を捨て刀を納めたので、もう抵抗はないだろうと見た俺は、犬槙と彼の部下のうち、四人を呼び寄せた。

 念のため、船中の刀や弓矢を櫓の中央に集め、見張りを頼む。


「本当に、お一人だけで関船を圧倒されるとは……」

「うん、まあ、なんとかね」


 蓋を開けてみれば、余裕さえあった。


 慢心は禁物だろうが、とにかく、こちらの側に怪我人を出さずに済んで幸いである。


「……某は日羽(ひわ)水軍の正八位下氷田(ひだ)近次郎(きんじろう)、この関船は『鷹羽(たかば)丸』だ」


 開き直ったのか、氷田と名乗った侍は、あぐらを掻いてどっかりと座り込んでいた。


 他の侍達も同じようにしてあぐらを掻き、忍達に見張られているが、表情はそれぞれだ。


「松浦様」

「犬槙?」

「日羽国は豊州(ほうしゅう)の南部、それなりに大きな上国(じょうこく)で、豊州でも有数の水軍を持ちます」

「ありがとう」


 流石は忍者、情報通だ。

 ……俺が物を知らなさすぎるだけかもしれないが、地理はまだまだ勉強中である。


 豊州は三州の西隣、武州派だったなあと頷き、俺も……一度姫護正道に手をやってから、座り込んだ。


「それで……氷田殿。上役の命ってことは、誰の命令なんだ?」

海衛府(かいえいふ)皆渡(みなとの)大尉(だいい)様だ。武州に楯突く輩がおって迷惑しておる故、抜け荷の片棒を担いだとでも由をつけ片付けて参れと、命ぜられた。……皆渡殿も、あまり乗り気ではあられなかったが」


 海衛府は都とその周辺の海を守る帝室直轄の水軍だが、その実体は、各地の水軍から集められた安宅や関船を組織化した寄せ集めでもあるという。

 皆渡海衛大尉も豊州にある別の領国からの出向らしく、同じ武州派でも、温度差は大きいそうだ。


「抜け荷? ……ってことは、俺が狙われた本当の理由、氷田殿は知っているのか?」

「如何にも。雲宮様降嫁の一件に絡むのであろう、とは思っていた。海衛府でも噂になっておったからな」

「そんなに……?」


 内裏からしばらくは出して貰えなかったし、その後はアンにつきっきりであり、市中の噂など俺の耳に入って来るはずもない。


 だが、アンや資子殿に従い、俺と一緒に行くと言い切った女房衆を思い出すまでもなく、和子の降嫁は世間に知られていたはずだ。


 いや、和子を貶めたいのだから、噂を広めたのは武州だろう。

 ……田舎大名に嫁がせるところまでは、押しきったのだから。


 松浦殿を見た後ではおいたわしいとまでは思わぬと、氷田殿は世辞を口に乗せ自嘲気味に笑った。


 まあ、聞きたいことは聞けたし、追っ手にしては弱かった……ではなく、俺が強すぎたのだから、この結果も仕方ないだろう。


「さて、どうしようかな……」

「松浦殿」

「ん?」

「事の次第はどうあれ、我らは帝家に弓引いた大うつけだ。こうなっては言い訳も申さん。だが……某はともかく、船侍と水主は助けてやってくれぬか? 某に従っただけの者達なのだ」


 氷田殿は姿勢を正し、俺に座礼――土下座した。


 命を狙われたのも間違いないが、目の前で切腹などされると、俺の方が困る。


「いや、助けるも何も、手加減が出来そうだなと思っていたからなあ……」


 俺は一旦、氷田殿に命までは取らないからと約束し、船を襲われた義三郎殿も呼んで、手打ちの加減を相談することにした。

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