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第三十六話「迷いの向こう」

「……」


 離京のその日、無理を言って借りた甲子丸の船長室で、俺は和子様、静子様……いや、和子、静子、アンを前に、何をどう切り出したものかと困り果てていた。


「何か、困り事でもおありなのですか?」

「ああ、うん……」


 三人に声を掛けたのは俺なのだが、どうにも口が重くなる。


 迷っていても仕方ない。

 ここは男らしく……というには迷いも捨て切れていないが、その事も含め、洗いざらいぶちまけてしまうつもりで、彼女達を呼んでいた。


「俺が飛ばされ者……渡り人だってことは、三人とも知ってると思う。

 そのことで、少し話しておきたかった」


 先ほどから、口調も改めた。素の、元の俺だ。

 三人にも、喋りやすいように喋っていいと伝えてあった。


 せめて、嘘はつきたくない。


 三人が顔を見合わせて頷くのを待ってから、続きを口にする。


「俺の暮らしていた国じゃ一夫一妻が法律――国のお触れで決まっていて、三人もお嫁さんを貰うってことが想定されてないんだ。俺もそんなこと考えてなかったし、重婚なんてすると捕まってしまう。

 それに、和子やアンの歳も問題かな。そんな若い子をお嫁さんには出来ないし、例え真実愛し合っていたとしても、周囲から白い目で見られる」

「こちらでは、わたくしよりも幼い時分に嫁ぐ娘もおりますが……」

「うん。俺の暮らしていたところでも、それが普通だった時代もあるし、国によっても違うかな。もちろん、大倭には大倭のお触れや約束事があって、それを守る方がいいのは分かってる。

 でもね……いや、こんな事が言いたいんじゃない。ごめん」


 どうも……上手く、まとまらない。

 いや、俺自身が迷ってるんだろう。


 嫁を貰うとは、夫になるということでもある。


 だが……。


「……俺、ちょっと嬉しかったんだ。

 自分でも馬鹿だなあと思うけど、向こうじゃ運が良ければどうにか知り合いぐらいにはなれても、絶対に付き合って貰えないような美人が、三人も俺のお嫁さんになってもいいよって言ってくれてるわけで、今だって、やっぱり嬉しい。

 でも、三人を相手に、同時に好きだよって言うのは、なんかおかしいんじゃないかって、嘘つきというか浮気者というか……そんな気もしてしまってるんだ。

 で……そんな気持ちのまま結婚するのは、三人にも失礼だよなって、思った」


 状況が後に引けないところまできていることは、俺だって分かってるつもりだ。


 だが、どうにも納得できない部分もある。

 身綺麗でいたいなんて気取るつもりはないが、自分で自分に後ろ指を指したくないし、嘘を抱えたままというのも、心苦しい。


 いや、楽になりたいだけか。


 ……俺が。


「あの、一郎」

「何かな、静子?」


 考え込んでいた静子が、小さく手を挙げた。


 大名になれば俺も『殿』と呼ばれるそうだが、今のところは官職なしの従八位下であり、彼女たちもまだ妻ではない。

 おかげで、プライベートでは『一郎』、誰かがいる場合は中途半端に『旦那様』、あるいは『松浦殿』と呼ばれている。


「その、一郎の気持ちは何となく、想像出来なくもありませんが……大名が正室と側室を持つ意味は、知っていますか?」

「意味……?」


 意味とは、何だろうか。

 家を、血を絶やさないこと……でいいのか?


 そう答えると、小さく首を振って否定された。


「もちろん、その意味もあります。

 しかし、子が生まれなければ、養子縁組などの方法も……希ながら、なくはありません。

 ですが、公家や武家の当主に正室と側室を持つことが許されている真の理由は、力ある者に、より力を与えるためなのですよ」


 静子は難しい表情で、俺の想像とは全く別の理由を口にした。


「一郎の生まれた国には魔妖が居ないと聞きましたが、魔妖の跋扈する大倭では力ある者がそれなりの力を振るえぬと、国が立ち往かなくなります。

 ……武家の本分は武を以て大倭に富貴と安寧をもたらすこと、公家の本分は文を以て大倭に隆盛と平穏をもたらすこと。

 大名ならば、民を増やし、田畑を広げ、殖産を勧め、領国を遍く治める。……その為に、縁戚を増やし、郎党を組むことが奨励されます。

 一郎の気持ちはともかく……大きな力を持つ者には役得であり、同時に義務なのですよ」


 確かに、数は力だ。


 親戚を増やしたいなら、子供を沢山増やせばいい。

 子供が結婚すれば、親戚が増える。

 親戚が増えれば、力も増す。


 家畜と一緒だ、とまでは言いたくないが……理屈は分からなくもない。


 それでも、権力者に都合良すぎないだろうか?


「しかしながら、権力に溺れ、好色に浸り、道理を蔑ろにし、義務を疎かにして身代を潰す者が多いことも事実です」

「それは……何となく分かるかな」

「ですが、それはそれで良いのです」

「え!?」

「相応しくない者は、(ふる)いにかけられて当然でしょう。

 一郎がそうなるとは思えませんし、当面はそんな余裕もないでしょうが」


 静子の言葉は正しいが、恐ろしくドライな感覚だ。

 あからさまに弱肉強食過ぎて、俺は言葉に詰まった。


 だが、盗賊が徒党を組んで横行し、山に入れば魔妖がいて、村人だって槍を――武器を持っているような大倭なのだから、当たり前のような気もしてしまう。


 なるほど、権力者にあからさまな贔屓をして力を与えるのも、権力者に都合がいいからってだけじゃない。

 そうしてまで国を守らないと、世の中が立ち往かないんだ。


 ……自分の身は、自分で守らなくてはならない世界なんだな。


 当然、自分の家族も。国も。


「それに一郎は自分のことばかり気にしている様子ですが、今置かれた状況は少し横に置いて……私も、和子殿も浅沙の君も、松浦一郎和臣にならば添い遂げてもいい、一生を尽くしてもいいと、思ったのですよ」

「断ろうと思えば、断れたのです。でも、わたくしは、一郎を選びました」

「わたしは一郎と一緒がいいよ!」


 ……何を言わせてるんだ、俺は。


 そうだった。

 俺しかいないんだ、彼女たちには。


 詰め寄ってきた三人に、頷いてみせる。


「それに……わたくし達は、貴男の妻になります。

 だから、浮気じゃありませんよ」

「わたしのお婆様は、国王陛下の側室だったの」

「わたくしの母も、女御でした」


 どこにでもいるような大学生だったなら、逃げてもよかっただろう。

 こちらに来てすぐの無宿の一郎でも、許されたと思う。


 だが、松浦一郎和臣は……。


「うん、ありがとう」


 俺は三人の嫁を貰うと、決めた。


 引き替えに……現代日本に帰還できる手段が見つかったとしても、俺は帰れない。


 家族には言い訳さえも届かないが、例え帰れるようになったとしても、女の子三人を見捨てて戻ってきましたなんて……言えるわけあるか!


 うん。

 本気で、帰らないことに、決めた。




 三人には荷室へと戻るよう言い、今度は一人、船の舳先の手前で風に吹かれる。


 廻船の甲子丸に客用の船室などという気の利いた物はなく、瑞龍丸のように合間を部屋に出来る屋根付きの(やぐら)もない。

 荷室を藁筵(わらむしろ)で仕切って男女で分け、樽が積まれた船底の上に渡した板を寝床兼用の居場所にするしかなかった。


 ただ、松浦家専用として借り切っているお陰で、他の同乗者や荷が無く、随分と余裕もあるらしい。


 驚いたことに、この甲子丸の乗組員は船頭を入れてたった五名である。


 二百石積の瑞龍丸は二十人ほどが乗っていたが、双帆だった上、軍船だった。三百五十石積の普通の廻船なら、四、五人が普通だという。


「もうよろしいんで?」

「助かりましたよ、義三郎殿。

 お陰でなんとか、やっていけそうです」


 懐から一朱取り出し、こちらにやってきた船頭の義三郎殿に手渡す。心付け、というやつだ。


「へへ、あれぐらいならいつでも。しっかし、国盗りの前からこの人数、てえへんでやすな」

「ええ、まあ……体を張って、何とかするしかないでしょう」


 気持ちの整理がついたおかげか、やることが見えてきた。


 とにかく、向こうに着いたら海賊を退治して国盗りだ。

 これは四の五の言ってはいられないので、力技で行くしかない。


 もしかすると、この手で海賊を殺すことに……なる。


 いや、なるんだろうなと、思う。


「……」


 殺るか殺られるかで言えば、殺る側に回らなければ、死ぬのは俺だろう。


 葛藤、なんて格好いいもんじゃないが……どんなに嫌でも、俺が体を張らないと和子達が酷い目に遭うし、路頭に迷うどころじゃない。


 今になって……静子の妹、清子様の死に顔が、浮かんだ。


 あのごろつき達五人を倒したように、今度も木刀で……なんて余裕はない気がした。


 左手を、そっと姫護正道に添える。

 ……素直に降伏してくれたなら、その時はこっそりと胸をなで下ろして笑えばいい。


 俺にはそれしか、選べないんだ。


「お頭ァ!」

「なんでい!」


 水主の怒鳴り声に、俺も頭から悩みを追い出し、振り向いた。


「ちょい岸寄り、(いぬ)に変な船が!」

「おぅ?」


 船から見た方角は、干支で現す。

 戌なら十一番目だが、零時が一番目の()なので十時の方角になった。


「ありゃあ……フン、確かに変だ」

「何が変なんです?」


 義三郎殿も水主達も、そちらに目を向けているが……遠くて、俺には見つけられない。


「へい、この辺りじゃ、風はまあ西南から西南西、間切りにしちゃあ、変な方角に舳先が向いてやがります。

 しかも南に舳先を向けるこっちと違って、北に向かう船にゃ、間切りの必要なんざありやせん」


 瑞龍丸に乗っていた時も、波切崎からこちら、ジグザグに進む間切りはなくなったように覚えている。


「さて、どうしやすかねえ……」


 義三郎殿は投げやりな様子で、俺に向かって肩をすくめた。


 話す間に近づいたのか、俺にもようやく帆が見えてくる。


「……海賊、ですか?」

「もっと京から離れりゃそっちでやしょうが、まあ、どっかの水軍の小遣い稼ぎって方がよくあるもんで、へい」


 行き交う廻船を相手に御用改めの表看板を掲げて難癖を付け、積み荷の一部をかっさらっていくらしい。


 義三郎殿によれば、こちらへと近づいてくるのは小さめの関船――中から小型の軍船で、こちらと違い風に左右されず動くための(かい)と戦闘用の(やぐら)を持つ――で、帆と櫂の両方を使われればどうやっても逃げられないという。


「逃げ出そうにも、相手の方が足が速い上、船侍(ふなざむらい)も乗せてやがるんで……」


 そして、積み荷は俺の領分であり、奪われたからと言って義三郎殿が損をするわけではなかった。


 従八位下の大名未満でも、官位で見逃してくれないかなあと、こちらの舳先を押さえるように回り込んでくる関船を見る。


 だが……。


「へ……!?」

「お、おう!?」


 俺と義三郎殿を掠めた矢が、甲子丸の板張りに突き刺さった。


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