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第三十四話「慌ただしい再会」

 龍神フローラを見送ったまま呆然としていた俺は、袖口を引かれて我に返った。


「イチロー」

「ああ、アン。……えーっと」

「とてもお優しい方だったわね、フローラ様」

「え、アン!?」

「浅沙殿!? お言葉が……!」


 思わず女房殿と、顔を見合わせる。

 くすりと笑ったアンは、明らかに俺に分かる日本語――大倭の言葉で続けた。


「フローラ様が、『妾には言葉を授けるような神通力や魔術などない』からって、心の時を歪めてご自身で教えて下さったのよ。何時間か、何日か何ヶ月か……分からないけれど、とてもとても、長かったわ……」


 一瞬だけ、ふうっと遠い目をしたアンは、表情を引き締めて俺と女房殿に向かい合った。


「改めてご挨拶申し上げます。

 わたしはアナスタシア・クラリス・スチュアート、魔法王国グレートブリテンの王弟アッシュフィールド伯の娘にして、第十二位の王位継承権を持つ王姪です」


 そのまま、ぎゅっと抱きつかれる。


「……イチロー、本当に、ありがとう。あなたがいなければ、わたし、ずっと泣いていたと思うの」

「ん、ああ……」


 いつものように、ぽんぽんと頭を撫でてやるぐらいしかできないが……俺の嫁さんなんだよなあと、少し考えてしまう。


「これからも一緒にいて下さいね、『旦那様』」

「あーっと、その……」

「イチローがお姫様達と結婚するのは教えて貰ったわ。一国の主なら、仕方ないわよね」


 わたしのお婆様も国王陛下の側室だったのよと、アンはにっこりと笑って見せた。


 十二歳でも、流石は『女』の子だ。

 ……龍神との願いを違えると、えらいことになりそうである。


「女房殿、あなたのお陰で、わたしはたくさん救われたと思います。ありがとう」

「なんと……。勿体ないお言葉です」


 続けてアンは女房殿にも抱きついて、やはり笑顔を向けた。


「イチロー、フローラ様が刀を池に浸すようにと仰っていたけど……いいの?」

「そう言えば……。色々と驚きすぎて、忘れてたよ」


 アンに言われて思い出す。


 俺は姫護正道を腰から外し、若干躊躇いながらもそのまま池に沈めた。


「うわっ!?」


 瞬間、池に光が満ちる。


 光は姫護正道に吸い込まれるようにして消え、しばらくして小さな水音をさせて宙に浮かび上がった。


 俺の方にすうっと寄ってきたので、両手で受け取る。


「イチロー、抜いてみて。フローラ様は、魔妖を斬る為の刀だと教えて下さったけれど……」

「ああ、うん。……よろしいですか?」


 神社のど真ん中で刀を抜くのは……流石に許可ぐらい取っておくべきかと、巫女さんに確認する。


「龍神様の御神刀なれば、如何様にも」

「ありがとうございます」


 ……実は、姫護正道を抜くのは二度目だった。


 一度は受け取ってすぐ、手入れの仕方を教えて貰った時で、綺麗な分、手間も掛かるなあとため息をついた覚えがある。


 瑞龍丸に乗っていた間は潮で錆びるのが恐くて抜けず、都に到着してからは、信彬様に預けっぱなしだった。


「……失礼します」


 作法はまだ覚え切れていないが、刃物を抜けば危ないことぐらいは常識なので、皆から少し離れて池の畔に立ち、(つか)に手を掛ける。


 すうっと引き抜けば、刀身に代わり映えは……ない。

 波紋も切っ先の輝きも、三州で拝領した時同様、曇り一つなく、美しいままだ。


 では何が違うんだと、右手のみで軽く振ってみる。


「あれ?」


 微かに刀身がぶれた……ような気がした。


 もう一度振れば、ぶれたのではなく、微かに(もや)が立ち、そして消えたのだと分かった。


「うーん……」


 魔妖を斬るのに適した刀なら、抜くとき以外あまり気にしなくていいのかもしれないが……詳しい説明ぐらいは頼めばよかったと気付いたのは、帰りの道中、もう都の手前まで来てからのことだった。




 御所の入り口、朱雀門の衛門詰め所の前で俺を待ってくれていた薄小路家家人頭の清行殿に姫護正道を預け、夕暮れまでは松見院でアンの旅支度を手伝った。


 作りかけの辞書はともかく、アンの為にと新たに旅装や旅小物が今上より下賜されて、荷物が増えている。


 アン出立の報告や各所への手配は、女房殿が全て行ってくれた。

 もっとも、昨日の内にフローラ様が再び今上の夢枕に立ち、事情の説明とアンの一件の礼を伝えていたそうだ。


 翌早朝、俺は世話になった左衛門佐様に暇乞いをして、松見院へと向かった。


「ではこの行李、頼みましたよ」

「はい」


 女房殿は俺の旅にも、いや、これからもずっとアンについて来るという。


「お社で、今後も浅沙殿を見守りたいと、龍神様に願い出たのです」

「女房殿……」

「魔妖との戦で夫を亡くして早七年、子も居らず、内裏でのお勤めは昨今、苦痛に過ぎて……都の暮らしには疲れ果てました」


 若干重い身の上話を聞きつつ、旅行李(たびごうり)一つに無理矢理収めたという女房殿の荷を担ぐ。

 アンの方は持ち物も一番大事なものはドレス一つであり、女房殿の行李の隅を借りていた。


「今後とも、よろしくお願いします、女房殿」

「ええ、こちらこそ、松浦『殿』。……今後は貴男こそお殿様で、私は浅沙の君を通して貴男に仕える身、私のことは資子(やすこ)と呼び捨てになさい」


 今日限りで女房としての地位も捨てる上、側室のアンに仕えるのだからと、資子様――資子殿は気にした様子もない。


 だが、俺もまだ本物の殿様になったわけでもないので、当面はこのままでいいかと棚上げしておく。


「資子様!」

「浅沙の君!」


 松見院の入り口には、世話になった女房衆が集まってくれていた。


 俺はともかく、資子様やアンには最後の挨拶だろう。


「そなたらにも、世話になりました。皆、ようよう息災に過ごすのですよ」

「ありがとう、皆さん!」

「いえ、あの……資子様、浅沙の君!」

「私達もついて参りとうございます! いえ、ついて参ります!」

「え!?」


 見れば女房達は、それぞれ風呂敷包みや小さな行李を手にしている。

 松見院の片づけ物かと思ったら、個人の荷物らしい。


「浅沙の姫君のお側仕えは、私達も楽しゅうございました!」

「そちらには、静子様もいらっしゃるとか!」

「松浦殿は雲宮様の夫たるお方にて、今度(こたび)、大名の名乗りを許されると聞き及んでおります。是非、是非!」


 都合八人、上は静子様と同い年ぐらいの女性から、下は和子様よりも幼そうな娘まで、お願いしますと横に並んだ彼女たちから頭を下げられる。


 資子様は額を押さえ、大きすぎるため息をついてから俺に向き直った。


 ……表情こそ軟らかいが、目は本気である。


「松浦殿、何とかなりませぬか?」

「あの……もしかして、残していくと酷いことになりますか?」

「……説明が省けて助かります」


 これは、選択の余地がないんじゃないだろうか。


 内裏の内側が武州派に牛耳られていると信彬様から聞かされたばかりでもあり、資子殿が気に掛けておられたのは俺も知っている。


 和子様と静子様、それにアンの安全が確保できていればそれでいいと、割り切れるものではなかった。


 今か今かと待ちかまえる女房達と、目を合わせる。


「まだ行先さえも決まっていませんが、いいのですね?」

「はいっ!」

「ご家族にも、次にいつ会えるか分かりませんよ?」

「今の内裏よりは、安心してくれると思います!」


 この大倭の人々は、割と思い切りがいいのだと、俺はもう知っている。


 橋本のお殿様は飛ばされ者だった俺をすぐに雇ってくれたし、和子様も出会ったばかりの俺を頼りにすると即断された。


 今度は俺の番、なのだろう。


「では……皆で、参りましょうか」

「はいっ!」


 一同で、内裏の御殿に向かって一礼し、朱雀門へと足を向ける。


 いきなり賑やかになった一行の先頭を歩きつつ、信彬様にはどう説明したものかと悩む俺だった。




 朱雀門の前には牛車が用意されており、アンと資子殿には申し訳ないながら、旅行李や女房衆の手荷物も一緒に運んで貰う。


「清行殿、清澤家ではなく、澤野家に直接お伺いする……のですよね?」

「はい、そのように承っております」


 澤野家の家格は薄小路家と同程度らしいが、御所にはより近い立地だった。


 半刻少々で門前に到着し、足を洗う間ももどかしく、まずは当主衆が待ちかまえている奥座敷へと案内……いや、連行される。


「一郎!」

「一……松浦殿! まあ、資子様!?」


 長い廊下の途中。

 迎えに駆けつけてくれたようで、久しぶりに会う和子様、静子様は、疲れた様子もなく、その笑顔にほっとする。

 今は二人とも、『公家の娘』らしく、落ち着いた色合いながら華やかな衣装で、ちょっと……見惚れてしまった。


「お久しぶりでございます、雲宮様。それに静子もよう無事で……。ほら、松浦殿」

「はい?」

「松浦殿には凱旋なのでありましょう? さ、ご挨拶をなされませ」

「……ええ、そうでした」


 身だしなみを確認してから、二人の前に立つ。


「従八位下、松浦一郎和臣、ただ今戻りました!」


 若干、照れくさい。


 ……だが、半ば運任せだったとは言え、命令通りに官位を得て再会できた誇らしさも、なくはない。


 顔を見合わせた二人が、くすりと笑う。


「はい、お帰りなさいまし」

「ご無事で、何よりでした」


 だが、再会を喜べたのも、そこまでだった。


「松浦殿、奥間にて皆様がお待ちです故……」

「……失礼いたしました。よろしくお願いします」


 俺も、事の重大さは分かっているつもりだ。


 アンのことは資子殿に任せる。

 詳しくは聞かなかったが、和子様、静子様と共に、女同士の話し合いがある……らしい。


 そちらも気になるが、今は俺にも、余裕がなかった。


「松浦殿、ご到着にございます」

「通せ」


 案内された小部屋には、信彬様の他に、髭の長い老人と壮年の貴族、そして身分の高そうな武士が座っていた。

 庭に面していないことから、内密な話し合いに使われる部屋だろう。


「皆様、この者が松浦です」

「従八位下、松浦一郎和臣と申します」


 下座に位置していた信彬様が俺を紹介し、三者三様にうむと頷かれる。


「清澤家六十五代、刳門(くれかど)である」

「澤野家四十九代、筥満(はこみつ)

京北(きょうほく)砂川国(すながわのくに)河本(こうもと)都家老(みやこがろう)安池(やすいけ)貞国(さだくに)と申す」


 刳門様が髭をしごき、俺をまっすぐに見据えた。


 この方は和子様の実祖父であり、筥満様が義理の父、信彬様は無論、静子様の実父である。


「吾と筥満、信彬については各々の立場、聞き知っていようが、河本家も一助を申し出てくれた」

「廻船一艘、当地までの往復であれば、何ほどのこともありませぬ」


 俺の目の前に、筆描きの地図が広げられた。


「松浦よ」

「はい」


 ここまでが挨拶というところか。


 地図の横に、数通の書状が取り出される。


「お主が目指すべきは三州の東端、南洋海道(なんようかいどう)の切れた先、黒瀬国(くろせのくに)と決めた」




 挿絵(By みてみん)




 三州の東の外れ、黒瀬国。

 都合良く、草州の外れにもなるのか。


 実際のところは分からないが、位置から言ってきっと田舎に違いない。


 だが、海に面しているのなら刺身ぐらいはいつでも食えそうだと、意識して笑ってみる。




 腹を括って前に進むしかないのであれば。


 楽しみ目当てにやる気を引き出し、苦難も笑い飛ばしてよい結果を導く方が、余程気分もいいのだ。

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