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第三十一話「松見院行幸」

 先触れが来る直前に用意が調い、一瞬だけ、松見院が静まり返る。


「Ichiro......」

「うん、大丈夫だよ、アン」


 迎えに出たのは女房殿とその配下で、俺は大広間手前に設けられた控えの間で、アンと二人、呼び出しを待っていた。


 今更気付いたが、正座さえも教えていなかったので……いや、昨日の今日では無理がありすぎる。


 俺のように、少なくとも言葉が通じて文化にも似通った部分があれば、彼女もここまで苦労することはなかったのだろうが、それもこれも、命が助かったからこその悩みか。


「浅沙殿、松浦」

「はい、女房殿。……アン、えんぺらー・こーりんぐ・ゆー」

「Oh yes」


 昨日一昨日は使われていなかった大広間には、入り口に武士が立ち、上座には御簾(みす)が垂れていた。


 女房殿がアンの手を取りつつ静かに進み、俺も畳の枚数を数えて決められた位置であることを確認、そのまま腰を落として座礼する。


 公式の拝謁ではないのでこれでも随分と端折られているらしいが、不敬ながら、面倒くささが先に立ってしまった俺だった。


 まず最初に、内裏の池で見つかったという彼女の杖が返された。


 オーケストラ指揮者の持つタクトのような形状だが若干太く、持ち手が革で巻かれて手首に掛ける革ひもがついている。


 当然、御簾の向こうにおわす方とは、直接話をしない。

 今上からの御下問は、一度お側に控える女官が受け取り、俺を通してアンに伝えられる。返答はその逆だ。


「何か法力が使えるのなら、この場で使ってみよと、仰せです」

「……あの、大丈夫なのですか?」

「はい、そのように伺いました」


 杖のお礼を申し上げると、思わぬ返答である。


 俺は、彼女の杖が魔法の杖だと報せていないが……いや、現代日本と違って、ここも魔法の世界だった。

 杖を見ただけで分かったとしても、むしろ納得できる。


「では……アン、きゃん・ゆー・ゆーず・まじっく・なう?」

「Yes maybe」

「ぷりーず、べりー・りとる・ぱわー、あんど・せーふてぃ」

「All right. I understand」


 彼女は右手に杖を握り、小さく振って確かめてから、軽く頷いた。


「アン……ういっち・ちょいす・あ・まじっく?」

「I chose a shiny magic」

「シャイニー……? ああ、光る魔法を使うと、仰っています」


 了解がとれてから、アンに促す。


「......【lumen parvae】」


 その一言で、杖先が明るく輝いた。


 俺は内心でかなり驚いていたが、女房殿もお付きの女官も、特に騒ぐことなく、それぞれの表情で明かりを見ていた。


 品定めに近いのだろう、魔法のある世界、侮りがたしである。


 もういいの? とでもいう風にアンが俺を見たので、頷き返して魔法を止めて貰う。


「I was surprised! This place is full of very magical power!」

「えー、沢山の魔力……力がこの場所にはあると、仰っています」


 それを伝えると、すぐに若いながら見所ありと、お褒めの言葉が返ってきた。


「加減は如何かと、お尋ねです」

「はい。……えんぺらー・せっど、はう・どぅ・ゆー・どぅ?」

「I'm fine」

「大丈夫だと、仰っています」


 幸い、今上の御下問は……どのような意図があるのか、彼女の身体の心配や松見院での暮らしぶりのことのみで、俺も何とか通訳をこなすことが出来た。


 無論、どうしても『大体あっていると、言えなくもない』程度の意訳になってしまうのは、ご勘弁願いたいところである。


 だが最後に、全く別種の驚きがやってきた。


「松浦も世渡りなるかと、お尋ねです」

「……はい、私も飛ばされて参りました」


 何故、俺のことまで……?


 御簾の向こうへと伝えに戻った女官は帝からの指示を受け、しばらくして、何かを携えて俺の元に戻ってきた。


「通詞の褒美に、これをそなたへと」


 盆に乗せて差し出されたのは、和歌の書かれた扇子である。

 ……但し、歌の頭の『松』の字から先は、流れるような書体でまったく読めなかった。

 橋本のお殿様や静子様に幾らか手ほどきは受けたものの、まだまだ精進が必要な俺だ。


「ありがたく、頂戴いたします」


 女房殿が頷いてくれたので、なるべく丁寧に、両手で受け取った。


 その後、俺とアンは大広間からの退出を許されたが、アンは足がしびれていたようなので手を貸して立たせ、控えの間に逃げ込んで一息つく。


「アン、お疲れさま」

「......I was a little nervous」


 アンを労ってから、やはり気になって、懐に納めていた扇子をもう一度広げてみた。


 作りも良すぎるし、使うためのものじゃないだろうことは、すぐ分かったが……そもそも帝の直筆では、家宝にでもしなければ(ばち)が当たりそうである。


「Ichiro, Do it says what?」

「……そーりー、あい・きゃん・のっと・りーど、でぃす・たいぷ・らんげーじ」


 アンが扇をのぞき込んできたが、女房殿の帰りを待って解説をお願いするしかない。


 その女房殿が戻ってきたのは、随分と経ってからだった。


「松浦、今上より浅沙殿を連れて龍神のお社に参詣せよと、勅を賜りました」

「遠いのですか?」

「東に二日、立野の御山の麓です」


 龍神様に助けられたのだからお礼を言いに行くように、ということらしい。

 日取りは吉日を選ぶので、しばらく待てとのことだった。


「話は変わりますが……」


 読み方が全く分からないのでお願いしますと、俺は扇子を女房殿に渡した。

 こちらの字で読み書きが出来ないことは、アンとの辞書作りでとうに知られていた。


「先ほどの、今上の御製(おおみうた)ですね。




  松によりて 枝のむかふの のとやかな



              きみのわらはの あすや頼もし




 ……今日の行幸を、言祝がれたのでありましょう」


 すみませんがと、ついでに解説をお願いする。


 どうして、和歌だけが古文なんだ……と思ったが、現代日本でも和歌には古い言葉や言い回しを使うことが多いから、こちらでもそんなものなのかもしれない。正しいところは分からないが。


「松浦にも通じるよう、御製を(ほど)けば……そうですね」


 要約すると、松見院に行幸して、庭先の松の枝――視界を塞ぐので御簾に例えてある――の向こうに見えた浅沙のゆるりとした笑顔に安心もしたし、これからも楽しみである……というような意味になるらしい。


 また、最初の『松によりて』は、松見院に行幸した――立ち寄ったことと、入り口に植えられている枝振りのいい松の木とを掛けてあるそうだ。


「ですが、他にもお掛けになられているのでしょうね」

「はあ……」

「私からは……分かっていても、決して言えませぬ。松浦、これは改めて図書頭様に解釈をお願い申し上げなさい」

「ありがとうございます、女房殿」


 女房殿はとても悲しげな様子で、大きな息を吐いた。


 和子様の一件もあるし、信彬様にはすぐにでも会いたいが、今の俺にはアンの通訳の仕事もある。

 左衛門佐様に、間に入って貰えるよう願い出るしかないか……。


 まったく、身体が二つ三つ欲しいところである。


「Ichiro?」


 アンからくいっと袖を引かれたので、俺は引き締めていた表情を緩ませた。


 彼女は……なるべくなら、巻き込みたくはない。

 だが、俺が何か大きく動いた後、そのままここに放置というのも後味が悪かった。


「そーりー。……にょうぼうどの・てぃーち・みー、でぃす・りりくす・みーにんぐ……えんぺらー・ぐらっど・とぅ・しー・あん、あんど……」


 ちょっと迷ってから、上手い訳語が見つからなかったので、適当そうな言葉を選んでおく。


「とぅでい・いず・ぐっど・でい」


 ……まさか、和子様達と一緒にアンをさらってしまうわけにもいかないが、今後のことも考えておいた方がいいだろう。


 


 女房殿に一筆書いて貰ったお陰か、左衛門佐様はすぐに連絡を走らせると頷いて下さり、その言葉通り、信彬様は翌日、松見院に姿を現された。


「吾も雲宮様の一件は聞いておる。おいたわしいことだ」

「はい」


 アンを女房殿に預け、隅の小部屋を借りる。


 随分とお疲れの様子だが……連夜、和子様の生母の実家である清澤家にて、対応が話し合われているのだという。


「今日はその事も一郎に話しておきたいが、今上の御製も気になっておってな。雲宮様の降嫁が表になった直後だけに、何か含ませておいでかもしれぬ」

「どうぞ、お願いいたします」


 早速、和歌をお見せする。

 信彬様は、扇に指を這わせて考え込まれた。


 幾度か戻ったりしていたが、やがてそれも止まった。


「……一郎よ」

「はい、信彬様」


 真剣な目つきになった信彬様が、小さく頷かれる。


「雲宮様の行く末、今上はお主に託されたご様子である。我らも助力致すが、腹を決めよ」


 和子様が父である帝に、俺の名を仰ったのだろう。

 でなければ、俺がわざわざ名指しされるようなことはない。


「分かりました。……信彬様、詳しくお教え下さい」

「よかろう」


 何故、今上が俺に……という違和感は昨日味わったばかりだが、どうやらここに繋がったようである。

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