第二話「魔妖のいる世界」
「ええー!?
やっぱり飛ばされてきたんだ!」
若菜と名乗った少女は幸婆さんの孫で、すぐ近所に住んでいるらしい。
彼女の父親も、俺を運んでくれたうちの一人だそうだ。
「うん。
……自分じゃよくわからないけどね」
「格好もヘンだったから、そうじゃないかって話してたんだよ。
言葉が通じなかったらどうしようって!」
寝間着代わりのTシャツにジャージでは、こちらの和服とは文化的に違いすぎると俺も思う。……まあ、まだ二人しか会ってないわけだが。
「でもよかったね、一郎。
お婆やお父ぐらい山慣れてるなら大丈夫だけど、御山には月山主とか赤綱取りなんかも出るからね。
お侍さんでも勝てないよ」
「月山主?」
「おおきな熊の魔妖だよー。赤綱取りはお相撲さんを丸飲みするぐらいの大蛇……って、知らない?」
「知らないなあ。
俺が居たのは、ほんとに遠いところみたいだし……」
「ふーん。
ここより田舎なんだ」
……どうだろう?
田舎かどうかを比べるのも馬鹿らしいほどで、俺は曖昧に笑った。
まあ、江戸時代なりそれ以前なら、彼女の言う魔妖や妖怪が『居る』とされていても不思議じゃないだろう。
伝説だけなら現在も残っているし、名物やご当地キャラにもなっている。
「あ、お婆、あとでお父も様子見に来るってさ」
「うんむ。
そうじゃ、陸も連れてこ。
一郎の足見て貰わにゃなあ」
「ん、わかった。
またあとでね、一郎!」
入ってきたときと同じく、若菜はばたばたと出ていった。
「騒がしい子じゃろ」
「……元気でいいと思うけど?」
「物は言い様じゃな」
幸婆さんは、またひゃっひゃっひゃと笑って見せた。
夕方になって、俺よりは幾らか年上に見える男女が若菜と共に訪ねてきた。
男性は若菜の父親で二兵衛、女性は同じく母親で睦。二兵衛は猟師、睦は薬師だそうである。
「おう、元気そうじゃねえか。
死んだら寝覚めがよくねえからな、ちっと心配してたんだわ」
「そうそ、足見せて。
膿んでなかったから大丈夫だと思うけど、傷だらけだったんよ」
お世話になりましたと頭を下げ、陸さんに言われるまま足を伸ばして仰向けに寝ころぶ。
「うん、綺麗なもんだわ。もう傷も殆ど塞がってる」
「一郎の足、おっきいねえ」
「そりゃ俺より一尺はでけえからなあ。
四人で担いで道まで降ろすだけでへとへとんなったわ」
「すんません……」
「いいってことよ!
お前が行き倒れ見つけた時、きっちり助けてやりゃいいだけの話だ」
持ちつ持たれつ。
うん、ありがたい。
……一尺って、三十センチぐらいだったか?
まあ、今すぐ確かめなくてもいいか。
「ところでよ……」
カンカンカンカン!!
カンカンカンカン!!
二兵衛さんが何かを言いかけたとき、やかましい鐘の音が聞こえた。
消防車が走るときに鳴らすあれとよく似た音だ。
「ちっ!
また出やがったか」
「あんた!」
「おう、ちょいと行ってくる!
陸と若菜はここに居な!」
「あの、俺は?」
「あー……来てくれりゃ、助かるが……」
二兵衛さんの目は、来てくれと言っている。
助けられたのにこっちは知らんぷりなんて、流石に恥ずかしいだろう。
「行きます!
幸さん、さっきの靴借りていい?」
「うんむ。
……一郎、あれも持ってけ」
「あれ?
……うぉ!?」
幸婆さんが天井を指差した。
……短いが、槍に見える。
「爺さまの槍だでちと短いがの、突いてよし投げてよし……ともかく、上手いこと使うんじゃぞ!」
「……お借りします!」
「一郎、急げ!」
「はい!」
「一郎、頑張って!」
「はいよ!」
俺は急かされるまま、俺の足には少し小さい藁の靴を履き、二兵衛さんの後をついて走り出した。
▽▽▽
幸婆さんの家から出て、とにかく走る。
二兵衛さんも、いつの間にか槍を握っていた。
俺が借りたのと同じくらいの槍で、三十センチほどの長さがある三角断面の穂先も合わせ、全長は一・五メートルぐらいになるだろうか。
「何が、あったん、です?」
「最近、小鬼が、よく、出るんだ」
「小鬼、って?」
「汚ねえ、連中、だ!
何でも、食うし、何でも、壊す」
二兵衛さんの息が切れてきたので、質問をやめる。
「いたぞ!」
「げ!?」
……なんだ、アレ!? アレが、小鬼?
民家の向こうに、それは居た。
人の形はしてるが、茶色の肌に長い耳、ついでに口は大きく割けてて明らかに人じゃない。それが沢山、キイキイ騒いでいるのが見える。額には角が生えていた。……ついでに言えば、フリチンである。
「畜生め!」
その手前、鍬や槍を振り回している村人は、七、八人しか居ない。
大きさは小鬼の方が小さいが、多勢に無勢、ちょっとまずいだろう。
「おーい、善吉!」
「二兵衛、来たか!」
「うおおおおおお!!」
二兵衛さんはそのまま突っ込んで、小鬼の胸をぶっすりと突き刺した。
槍が引き抜かれ、青黒い血が飛び散る。って、赤くない!?
「おい、一郎!?」
「うわ!?」
小鬼が俺の方にも近づいてきていた。
手には棒きれを持っている。
「……!」
迷ってる暇はなかったが、幸い小鬼はのろまだった。
これなら俺でも何とかなりそうだ。
二兵衛さんと同じように、槍を前に突き出す。
妙な……現実感のない感触が手から伝わり、小鬼はキイと気色の悪い声を出して、動かなくなった。
「あ……」
「一郎! 呆けてんな!」
役立たずな俺はともかく、二兵衛さんが参戦したおかげか、村人たちが勢いづく。
「次行け、次!」
「おうよ兄ちゃん!
油断してっと怪我すんぜ!」
見える範囲に、小鬼は三十ほど。
……考えるのは、後だ。
「おりゃあ!」
俺はもう一度、今度は二兵衛さんに並んで槍を突き出した。
▽▽▽
小鬼を退治しきるのに、そう時間は掛からなかった。
「一郎、助かったぞ。
随分と楽が出来た」
「あ、いえ……」
「お前さん、一郎ってのか。
そうだ、今更だが怪我はいいのか?」
「おうおう、昨日の今日だったな。
気分はどうだ?
熱も出てたらしいが、大分ましになったか?」
俺は昨日の礼を言ってから改めて『一郎』――幸婆さんの話を思い出して、名字は省略した方が良さそうだと考えた――と名乗り、握手をしていった。
村人は炭焼き与平だの麦焦がしの善吉だの、大方予想通りの名乗りである。
「一郎」
「はい」
「お前さん、やっぱり侍なのか?」
「いえ、違いますけど……」
侍かと聞かれるのは、幸婆さん、若菜と数えて、これで三度目だ。
何か、特別なのだろうか……?
「でもなあ、半分はお前がやっつけたんだぞ」
「んだ。
槍捌きは見事で全部が心の臓を一突き、動きもはええ」
「俺達よりでかいのにな」
確かに、十数匹は俺がやった。
走り込んで、胸元を突く。それだけを繰り返した。
上手くできたかどうかは、正直言って分からない。
褒めて貰ったが、もちろん喜ぶ気にはなれなかった。
たぶん、俺の方が二兵衛さん達より頭一つ分背が高いし力もあるからだろう、とは思うが……。
「まあ、一郎のことは後回しだ。
とっとと片付けちまおう」
まあそれもそうだとあちこちに散った村人達を手伝い、死んだ小鬼を引きずって集める。
幸い、気付いたのが早かったので村人に被害はなく、壊された家もすぐ修理できるらしい。
しばらくすると、女の人や子供も集まってきた。
挨拶をするたび、足は痛くないか熱は引いたかと尋ねられる。
「一郎、でかいだけあって力も抜群だなあ」
「そうでもないですけど……」
俺が死体を並べていくと、二兵衛さんが額の角だけを丁寧に切り取っていく。
薬の材料になるそうで、貯めておいて行商人が来た時売りに出すらしい。
「おう、お前の取り分もちゃんとあるから、心配すんなって!」
「ま、家の修繕費やら御鎮料やらで大したもんにゃならねえがな」
「はあ、ありがとうございます」
……あまり楽しくはないが、俺は不思議と落ち着いていた。
江戸時代だか室町時代だかなんだかわからないが、現在から過去に飛ばされて、小鬼退治をする……なんて話、現実味がなさ過ぎる。三日前の俺なら呆れるか笑うかしただろう。
だが、昨日感じた足の痛みも、今日感じた小鬼の胸を貫いた感触も、間違いなく本物だった。……もちろん、今運んでいる冷たくなった小鬼も。
もっと慌てたり、暴れたり、茫然自失したり、泣き叫んだりした方がいいのかと、どうでもいいことを考えている自分には少し呆れた。
ついでにもう一つ、わかったことがある。
俺の知っている『日本』じゃ、幾ら昔でも小鬼なんて実在したはずがない。
つまりここは、異世界なのだ。
小鬼[コオニ]
身長4尺(120cm)程度、人よりは低い。棍棒を使う程度の知能はある。
基本は額に角、肌は茶色、緑色、青色など、バリエーション豊か。血はどす黒い。
亜種多数あり。角は霊薬の基剤になる。