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第二十七話「金色の髪の美少女」

 平穏なようで、どことなくもやもやとした日々は、半月ほど続いた。


 特に変わったこともなく、一度、夜に朝霧が訪ねてきて、静子様より預かった密書の幾つかのうち、遠方の宛所を訪ねるのでしばらく都を離れると言い残してスッと消えたぐらいしか、こちらも動きがない。


「いえ、聞いたことはないですね」

「ふむ。では、次だ」


 俺は相変わらず、図書寮の下働きとして信彬様から命じられるまま、荷運びや片づけ物の合間にあれこれと質問を受けていた。

 ようやくこの職場と御所にも慣れてきて、場所や作法に戸惑うことも徐々に減っている。


 とは言え、付け焼き刃には違いなく、油断すればすぐにボロが出るのも間違いない。全く気を抜けなかった。


「図書頭様」

「どうした?」

「本省のお使いが参っております」

「ほう?」


 信彬様が頷き、俺は一旦、その場から退出した。

 書務所の入り口で待ち、案内されてきた使者殿にも一礼する。


 だがしばらくすると、信彬様に連れられ、何故か俺も本省とやらに向かうことになった。




 図書寮の上位組織である本省は、中務省(なかつかさのしょう)という。


 八省の一つで、帝の詔勅や事務仕事を預かる組織だ。


「改めて見ると、立派な建物ですね」

「皮肉なことに、ここだけは中身も立派だ」


 朱雀門からもよく見える中務省は流石に造りもよく、人の出入りも多かった。

 平屋だが、朱塗りの屋根はとても高くどこかの寺の本堂にも見える。


 無論、中務省なんて、俺には日本史の副読本で名前を見た覚えがあるようなないような、その程度のあやふやな予備知識しかない。


 まともに機能している数少ない省……と言えば聞こえはいいが、(みかど)の公務、特に書類仕事と京の政務に関わる役所が集中しているので、形骸化できないらしい。


 兵部省や衛府などの軍事関連の部署は特に酷く、帝のお側や京周辺の警備を司る一部以外は、ほぼ全ての部署が有名無実化され、『権威あるありがたき官職』として各地の武家にばらまかれているのが現状だ。任官者の調整や名簿の管理が主な仕事であると、信彬様は肩をすくめられた。


 もっとも、武家には多少ならず意味のある物らしく、席次の決め方や参陣の際の上下関係に影響を及ぼすので、帝家の収入を補うのにはいいそうだ。


 ……官職こそないが、一番下っ端ながら少初位下という官位を権力のごり押しで得た俺も、他人のことを言えた義理ではない。


 その中務省の大きな建物の中、官吏の行き来する廊下の奥、小部屋の前にたどり着く。


「一郎はここで待て」

「はい」


 時々信彬様に連れられてあちこちに出向くが、これが実に退屈だった。


 無駄だなあとは思いながらも、貴人に付き人は欠かせないと教えられているし、現代でだって、大臣や大企業の偉いさんがほいほいと一人で出歩いて仕事する、なんてことはあまり聞いたことがないので、まあそんなものなのだろう。


 無論、御所内の配置を把握する必要はよくよく分かっているので、文句は言えない。


 ただ、暇は暇なので、せめて荷物持ちぐらいはさせて貰いたいところだった。手紙の一つでも預けられると、仕事をしているという気分になれるのだ。




 それにしても。

 この世界は一体どうなって……いや、どう成り立っているんだろうか。


 地理は全く違うものの基本は日本文化、それも歴史の壁を越えて入り交じっているようだが、それ以外の何かも、一緒くたになっているのだろうと思うしかなかった。


 第一、この中務省でさえ、そっくりそのままとは限らない。

 二官八省だかなんだかで聞いたような覚えはあるが……律令制だの何だのが整った頃はまだ武士だって台頭していなかったし、大名なんて言葉が大きな権力者として意味を持ってくるのはもっと後のはずだ。


 加えて先日来、枕草子や孫子の兵法、そして琵琶酒なんてものにも出会っている。

 枕草子はもちろん、平安文学の一つだ。孫子の兵法は大昔から和訳があるにしても大陸由来のはずで、ビールに至っては西欧文化圏の飲み物である。


 誰かに聞いて答えが出るわけでもなし、謎は深まるばかりで、なるようになれとも思いかけている俺だった。




「一郎、入って参れ!」

「はい、ただいま!」


 珍しく中に呼ばれたので、低頭しながら小部屋に入る。


「お呼びでございますか、図書頭様?」

「うむ。……ああ、こちらは中務(なかつかさの)少輔(しょうふ)殿だ、挨拶せよ」

「図書寮の使部(つかいべ)、松浦と申します」


 小部屋では、信彬様の他に、同じく上等の官服を身につけた中年男性が木製の長椅子に腰掛けていた。本省の偉い人のようだと身構えておく。


園乃木(そののぎ)少輔である。……図書頭殿、随分とまた大きい男だな? 飛ばされ者には幾度か会うたが、ここまで大きな者は初めて見たわ。角力か?」

「角力ではないが、力は……相応にあろうな。娘が褒めておった」


 うむと頷き、二人は態度を改めた様子で、俺の方を見た。


「戯れ半分、期待半分というところだが……一郎よ」

「はい」

「お主の国には、金の髪を持つ者は暮らしておったりせぬか?」

「はい? ええ、はい、全員ではないですが、普通におりました。地毛の者も、染めている者も、特に珍しいと言うことはありませんでした」

「ほう!」


 日本に限らなければそれこそ金髪の者など大勢いるし、親父の一言なんて陳腐な理由で染めなかった俺が言えた義理じゃないが、日本の若者には染めている者も多い。


『一郎、うちの家系は毛根が弱い。止めはしないが、腹を括ってから染めろよ……』


 親父は禿げてこそいなかったが確かに頭が薄い部類で、滅多に見せない真顔とその頭には……恐ろしいほどの説得力があった。


 まあ、そのあたりはともかく、今は目の前のお二人のことだ。


「では、その者達はどのように暮らしていたのか?」

「やはり、普通です。何が変わるというわけではありませんでしたので」

「言葉は、どうなのだ?」

「地域で変わります。ただ、国によって言葉には大きな違いがありますので、会話が成り立たなかったり、通訳が必要になります」

「一郎は、それらの言葉も操れるのか?」

「いえ、基礎は学びましたが、数多くあるそのうちのたった一つの外国……異国語でさえ、とても操れるなどとは言えませんでした。挨拶程度がせいぜいです」


 一番身近な外国語の存在は、やはり英語になるだろうか。

 義務教育の英語の授業、テレビや映画、駅名地名の表示、メールアドレスやインターネットのURL、あるいは英会話教室、近所に住む外国人。

 英語は、どこにでも溢れている。


 だが、授業で習っているからと、すぐに英語が日本語のように使えるわけじゃない。単語の意味ぐらいはともかく、相応の努力を重ねて馴れていかないと、日常会話でさえ無理なぐらいにはかけ離れている。


 無論、俺は英語が大の苦手だった。

 受験だけでなく、その後にも必要なものだと分かっていてこの始末だから、尚辛い。


 しかし何故、そのようなことを今この場で聞かれるのかと、少し疑問にも思う。

 それも、余所の偉いさんを交えて……というのが不思議だ。


「少輔殿、如何であろうか?」

「試すより他、あるまい」


 頷いた二人は、ついて参れと俺を促した。




 中務省を出る時に俺以外にも数人の付き人が増え、園乃木少輔様と信彬様を先頭に、また別の建物へと向かった。


 今度は俺が入れないはずの内裏(だいり)、その入り口建令門(けんれいもん)にある詰め所である。


 打刀ではなく、太刀というのだろうか、俺の姫護正道とは明らかに様式の違う刀や弓を装備した武者が、鋭い目つきで警備していた。


 衣装も侍とは全く違う。

 ……あれだ、俺も含めた普段よく見かける侍が戦国や江戸の武士なら、こっちは百人一首の中で弓矢を持つ歌人のような出で立ちだ。


「其の方らは、ここでしばし待て」


 内裏は、帝の在所であり、同時に大倭の中枢でもある。


 ここより先、通ることを許されるのは基本的に従五位下より上の官位を持つ貴人のみ。

 掃除や炊事をする下働きでさえ、家業としてそれを受け継ぐ公家や下級官人の家系で占められているという。

 俺も、ここだけは用もなく近づいてはいけないと、信彬様より再三注意を受けていた。


 焦っても仕方のないことだが、この内側には和子様や静子様がいる。

 だが、ほんの門一つ向こうは、それこそ俺の理解が及ばない空間でもあった。


 しばらくして、信彬様が戻ってこられる。


「一郎、来るがいい」

「はい、図書頭様」


 詰め所へと連れ込まれれば、そこは広い……というか、仕切のない空間で、机や椅子のような家具すらもない。


 中には百人一首の武士が数人おり、鋭い目つきで俺を上から下までじろじろと眺めた。


左衛門佐(さえもんのすけ)殿」

「うむ」


 園乃木少輔様の声に、一番偉いだろう一人が俺の方に向かってくる。


「図書寮使部、少初位下(しょうそいのげ)松浦一郎に相違ないな?」

「はい、間違いありません」

「松浦よ、今より一人の女性(にょしょう)を連れて参る故、知る限りの言葉……異国語で語りかけてみよ」

「はい」


 俺は雰囲気に気圧されて疑問すらも飲み込み、返事だけに留めた。

 挨拶は……求められていないのだから、いいのだろう。


 しばらく待てと言われ、そのまま、時間が止まったように感じてしまった俺だった。

 誰も身動きせず、園乃木少輔様や信彬様も無言のままで、空気が重い。


「参られました!」

「お待たせ致しましたね、左衛門佐殿」

「女房殿、急な話ですまぬな」


 外でばたばたと動きがあった後、中年の女性と、彼女に手を引かれた少女が、静かに入ってきた。


「!?」


 思わず声を出しそうになったが、場所を考えて我慢する。


 少女の見かけは十五、六、着物こそ上等の和装だったが、その髪は、金。

 ヨーロッパ系の白人種だと決めつけてしまうわけにはいかないが、よく整った顔立ちで、肌も白い。


 ああ、先ほどの金の髪を持つ者云々が、この少女に繋がるのかと、俺も思い至った。


 だが彼女は……無表情な上に、生気もなかった。

 笑えば可愛いだろうに、どことなく疲れ切った様子で、可哀想に思ってしまう。


「松浦」

「はい、では……失礼します」


 英語は苦手だし、ドイツ語やフランス語だったらどうしようもないが……。


「はろー?」


 少女は静かに、こちらを向いてくれた。

 少しだけ驚いた様子を見せた彼女に、これはいけるかと、笑顔を作って言葉を重ねる。


「あー……ないす・とぅ・みーちゅう。まい・ねーむ・いず、いちろー・まつうら。わっちゅあ・ねーむ?」


 瞬間、大きく見開かれた少女の瞳から、ぽろっと涙がこぼれた。


「My god!! Oh........

 Help!! Help me please!!!」


 わっと一気に駆け寄ってきた少女は、俺にしがみついて大泣きをはじめ……俺は抱き留めるタイミングに失敗して、両手を上げたまま、困って周囲の貴人を順に眺めた。


「これは、なんと……」

「まさか、本当に通じるとは!?」


 だが、彼らも困惑の表情で、俺と少女を交互に見ている。


 ……たぶん、この子も飛ばされ者なんだろうなあと、心の中でため息をつく。

 今度は俺が、『幸婆さん』になる番なのだろう。


 俺は上げていた手をゆっくりと下ろし、少女の頭をぽんぽんと撫でた。

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