第二十六話「忍者屋敷」
図書寮と薄小路邸との往復で、日々を費やすこと四日。
その日、今日は出仕もないので自由に過ごせと言われた俺は、断りを入れてから、くの一の朝霧の見舞いへと向かうことにした。
まあ、散歩半分、情報交換が半分である。
……忍者屋敷を訪ねるという楽しみも、否定はしない。
久しぶりに姫護正道を腰に差し、薄小路邸を出る。
朝霧のいる場所は、それほど遠くなかった。
家人頭の清行殿に描いて貰った地図を見つつ、途中、両替屋で手数料と引き替えに小判を朱金と銭に変え、財布の重みを楽しみながら西の大市を目指す。
「へえ……」
忙しく見えた港以上の人混みに、俺は驚いた。
「朝採り野菜、よりどりみどりだよ!」
「おう、今日はいい鰤が入ってるぜ!」
「ちょいと通してくんな!」
大市はその通り名の如く、大店が幾つも並んで囲う広場に、手引き屋台や茣蓙一枚の店――フリーマーケットのような露店が溢れていた。
露店の店先に並んでいるのは食料品や日曜小物が殆どだが、中には高価そうな細工物や農具、古着なども商われている。
「らしゃっい!」
「ちょっと数が欲しいんですが、いいですか?」
「へい、大商いなら大歓迎でござい!」
「じゃあ、二十ほど」
「おおう、毎度! ちいと待ってもらいやすぜ!」
「ええ、もちろん」
俺は目に付いた屋台の親父に、餡塗りの草餅を二十個頼んだ。竹皮包みのそれは結構な重さになったが、陣中見舞いを兼ねた手土産である。
どうにもお堅い朝霧を懐柔出来るとまでは思わないが、甘い物は嫌いじゃないようだし、話の繋ぎぐらいにはなるだろう。
……よもぎの入った餅の焦げる匂いが鼻をくすぐり、我慢できずにもう二個を注文、その場で食って行く。
さて、問題の忍者屋敷、備家だが……薄小路家より見て大市より更に南、俺が見舞いに行くと言えば場所を教えて貰える程度には、堂々と立っていた。
数十党はあるという忍者の集団でも、特に大きい数党は御忍のお墨付きを持ち、京に屋敷を与えられているという。
もっと闇に紛れているのかとも思っていたが、窓口も兼ねているので、仕事中の忍者や隠れ里などはともかく、公家や武家の間ではそれなりに知られているし人の出入りも多いそうだ。
……隠れ里はやっぱりあるらしいと、少し嬉しくなった俺である。
しばらく歩いて備邸の前に立てば、門構えの大きさなら先日一泊した矢野見家別邸よりは小さいが、薄小路家よりは余程大きかった。
「御免下さい」
言われたとおり、俺のような小身の者なら普通は裏側の勝手口に伺わないと失礼に当たるところ、正面から挨拶する。
約束事の一つらしいが、裏口を使わせないとは、逆に忍者っぽいなとも思えた。
「如何なる御用にござりますかな?」
正門横の小口が開き、小柄な老人が出てきた。
小さく一礼を交わして名乗る。
「『某』は、ただいま薄小路家でお世話になっております、雲宮様の雇われ家人にて、松浦一郎と申します。本日は、先日三州より同道した朝霧殿の陣中見舞いと、こちらの様子の報告に参りました」
……某とか、使い慣れているはずもないが、初手の挨拶ぐらいは侍らしい方がいいと、静子様からは教えられていた。
「……ありがたきことです。お入り下され」
「お邪魔します」
中に入ってみれば、他の屋敷とは大差ないようで……いや、見かけのままよりは、忍者屋敷だからこそ見かけは変わらないのだと思った方が楽しいか。
ぐるりと母屋を回り込み、庭を掃除する老婆にも小さく頭を下げて奥へ。
隅に近い場所にある小さな庵へと案内される。
「……霧よ、おるか?」
「お爺様?」
霧、と呼ばれて返事をした声は、朝霧だった。
案内の老人が朝霧の祖父殿だと分かり、改めて黙礼する。
祖父殿も、小さく頷き返してくれた。
「入ってもよいか?」
「はい、大丈夫です。今お開けしますので……痛っ」
どたんと大きな音がして木戸が開けば、額をさすりながら朝霧が現れた。
「お待たせいたしました、お爺様。え、松浦殿……!?」
「こんにちは、朝霧」
驚かすつもりはなかったのだが、ひっ、と小さく叫んだ朝霧が飛びすさって逃げる。
祖父殿が、肩をすくめてやれやれとため息をついた。
仕切直して部屋に入れて貰い、餅の包みを差し出すと朝霧にはもう一度驚かれたが、すぐに藁編みの座布団が出される。彼女は茶の用意をして参りますと、一度席を立った。
向かいに座った祖父殿が姿勢を正したので、俺もそれに合わせる。
「手前は備の党首、玄貞と申す」
「!! 御党首様とは気付かず、大変失礼いたしました。改めまして、雲宮様の雇われ家人、松浦一郎です」
今度は俺が驚かされる番だった。
一番偉い人が俺を案内してくれるとは思ってもいなかったので、かなり慌てた。……ということは、孫の朝霧もお嬢様だ。
もう一度、平伏する。
これだけでかい屋敷の主人なら目上の相手だろうし、俺は初対面の老人に乱雑な態度をとれるほど礼儀知らずでもなく、肝も据わっていない。
「貴殿は飛ばされ者であると、霧は申しておりましたが、真のようであられますな」
「……何か、変わったことでも目に付きましたか? もしもご迷惑をおかけしたのなら、とても申し訳ないです」
言い含められていた通り、表の門から声を掛けたし、作法も……いや、まだまだ付け焼き刃だ、何かやらかしたのかもしれない。
だが、玄貞殿は静かに笑みを浮かべた。
「そうではありませぬ。……貴殿は土産を手に、霧をお訪ねになった。常ならば、あり得ぬことです。忍び如きなど身分もあってなきようなもの故、使い捨てて当然、気遣いなど不要ですぞ」
「はあ……」
「ですが……誰かより土産を貰うというのは、嬉しいものですな」
玄貞殿は餅の包みを撫で、ふむと頷いた。
「そう言えば、霧に忍術を見せて欲しいと申されたとか?」
「はい、ちょっと格好いいなと、憧れていたんです。もちろん、秘密だからと断られましたが」
「……忍びが、格好いいと?」
不思議そうにも面白そうにも見える表情の玄貞殿に、小説はともかく、TVや映画、漫画の話をどうこちら風に説明したものか……。
もしかして受けがよければ忍術を見せて貰えるかもと、少し期待しつつ、頭を巡らす。
「飛ばされる前、元いた国では……本物の忍者に会えるわけではありませんでしたが、読み物や劇として、皆に親しまれていました。もちろん、忍術は大人気でしたよ。畳をばんと叩いて返して手裏剣を防ぐとか、水の上を走ったりとか……」
一瞬、玄貞殿の目つきが鋭くなった。
「『畳返し』に『水遁』の一、水走り、でございますな」
「そんなような名前だったと思います。うろ覚えですみません」
「お気にめさるな。遠き地の輩も同じ術を使うのだなと、感じ入ったのです」
ああ、そう言えばと、俺は手を組んで、『あれ』を真似てみた。
「他にも、なんかこう……口に巻物をくわえて、印を組んで呪文を唱えると、煙と共に消える術が――」
「なんと!?」
玄貞殿は、大きく口を開いて……固まってしまった。
有名だと思ったが、何か間違えたらしいと気づき、心配になってくる。
「あの、玄貞殿……!?」
呆けた様子がしばらく続いてから、玄貞殿は、はっと俺を見つめて姿勢を正し、平伏した。
「いや、ああ、うむ……大変なご無礼を」
「いえ、こちらこそ、何か不用意に驚かせてしまったようで……」
「その術、おそらくは……噂ばかりが残り、この世の誰も知らぬ『火遁』の失伝の技、煙遁にございます。なるほど、別の印が必要であったのかと、そう直感いたしました」
「……あの、煙の出る仕掛けで驚かせているうちに、体術を使って視界から消え去る忍術だと思っていましたが、違うのですか?」
口にしてから、いや、そうではないのかと、俺も考え込む羽目になった。
この大倭、少なくとも神主さんが魔法のような術を使う世界でもある。
……本物の忍術があっても、不思議じゃない。
「それもまた、術の一ではありましょうが……」
玄貞殿は口元を隠すようにして両手の指を組み合わせてややこしい印を結び、ごにょごにょと小声で何かを口にした。
俺の対面にいた玄貞殿が3DCGのホログラムのようにすうっと薄くなって消え去り、斜め向かいの藁編み座布団の上に現れる。
「……移し身の術!?」
「左様にございますが……こちらも存じておられたか」
「見るのは、流石に初めてです」
「失伝した煙遁には、この術に使う印と呪の組み合わせか、それに近いものが使われているであろうと、語り継がれておりました」
素速い動きでもないし、距離も短いが、驚きだとしか言いようがなかった。
心より御礼申し上げると再び頭を下げてくれた玄貞殿だが、本物の忍術を見せて貰えたのだ、俺の方が嬉しいに決まっている。
そう伝えると、玄貞殿はいやいやこちらこそと、先ほどとは違う、気のある笑顔で微笑んでくれた。
他もに何かあればお教え願いたいと頭を下げられたので、伊賀に甲賀、忍者屋敷、猿飛佐助や風魔小太郎、服部半蔵など、うろ覚えながら知っていることを話す。
日本ではもちろん極秘情報ってわけではなかったし、和子様の信頼がある朝霧の祖父殿なら大丈夫だろう。
「ほう、半蔵はこちらの界隈でも止め名になっておりますな。忍び以外でならば、よくある名ではありますが」
「あちらでは、半蔵門という地名になって残っていますよ。ああ……取り留めがなくて申し訳ないですが、忍者の里では、土産物も売られていました」
「土産物、とは?」
「玩具の手裏剣は特に人気ですが、忍者の絵を描いたグッズ……じゃなくて、服や絵札や小物とか、日持ちのする堅焼き煎餅、一日分の栄養が一粒に詰まってる兵糧丸なんかもあったと思います」
現代科学の元では兵糧丸も形無しかも知れないが、実際に一粒が一日分の栄養になるかはともかく、疲れた時に食べるとそれなりに効果があるとは聞いたことがある。
「それはまた、随分と……明るき忍びの者達ですな」
「本物の忍者は、いないとされています。でも、いるかどうかが分からない、それこそが忍者の一番すごいところなのかもしれませんね」
「なるほど、それは面白い。真実か否かさえ確かめようのないほどに嘘実を積み上げ、見事隠されているわけですな」
うんうんと頷いて楽しそうな玄貞殿に、あくまでも噂ですからと、俺も微笑んだ。
「失礼いたします。茶を持って参りました」
「うむ」
「ありがとう、朝霧」
「……いえ」
帰ってきた朝霧は、茶と餅を配り終え自分も座ろうとするところで、玄貞殿の位置に気付く。
「……あの、お爺様?」
「構わぬ。儂の方が『動いた』のだ」
「え……!?」
驚く朝霧に玄貞殿が重々しく頷いて、そちらに座りなさいと促した。
単に並べられた座布団ではあっても、席の上下があるので、俺も目上の人と同席する場合には気を付けている。
「先ほど、な」
「はい、お爺様?」
「松浦殿より、煙遁の手がかりを頂戴した」
「……煙遁!? まさか、あの、秘伝書にも名があるのみという……」
まじまじと見つめられたが、そこまで驚かれるようなことかとも思う。
だが俺も、飛ばされてきた当初は大概驚いたのだから、仕方のないことか。
「うむ。……もしかすると、松浦殿はただの飛ばされ者ではなく、世渡りをされたのかな?」
「世渡り……」
もちろん、世渡り上手などと使われる世間の『世』ではなく、異世界の『世』なのだろう。
「……ええ、正直なところ、自分でもよく分からないのですが、そうかもしれません」
「では……ふむ、一度、嶺州の大神宮をお訪ねになるとよいでしょう。大神宮は全ての大社を束ねる本宮にて、各地の神域でも特に神気の強き場所。必ずとは言えませぬが、松浦殿が真に世渡りをされたのならば、何某かが得られるやもしれませぬ」
嶺州は、この都から大川を遡った先、山の方にある三州と変わらぬ大きな国だ。
これまでは、手がかりの一つすらなかったので、実にありがたい。
俺も、玄貞殿が先ほど示してくれたように、平伏した。
「ありがとうございます、玄貞殿。お姫様の一件が片づいたら、訪ねてみようと思います」
「いや、それこそ礼には及びませぬぞ」
茶が冷めますぞと玄貞殿に促され、一旦は話を終えた俺だった。
その後は玄貞殿も交えて、お姫様の事について話し合った。
近隣への密書は届け終わったこと、和子様や静子様のいる内裏とは連絡も取れており今は無事であることを聞かされる。
こちらも信彬様のおかげで官位を得て、図書寮の下働きとして御所に出入りしていると報告した。
「条宮様……月子様も、ここしばらくは大人しくされているようですな」
「ああ、その名は……」
確か、和子様を虐めていたお姫様だったか。
出来ればそのまま、こちらが逃げ切るまで大人しくしていて欲しいものだった。
あれこれと雑談も弾んだ帰り際、俺は再び驚かされた。
「あの、これは……」
「備の一党の者共でございます」
数十人の老若男女が、前庭に膝を着いて俺を待っている。
いつの間にか、呼び集めたらしい。流石、忍者だ。
「……松浦殿」
「はい」
「煙遁の手がかりの礼になるかも怪しいが、困り事あらば、是非とも我らを頼りとしてくだされ」
「いえ、お礼なら先ほど、世渡りというこれ以上ないほどの手がかりを貰ったばかりですよ」
「その程度は忍びでなくとも知る事柄、礼になりませぬ」
「では……和子様と静子様の事、よろしくお願いいたします」
「松浦殿、手前共は正に、朱雀門の向こうにおわす高貴なる御方より、それを命じられておりますが……」
そう言われても困るが、突然に思いつくものでもない。
いや、大事なものがあったか。
「じゃあ、また、遊びに来てもいいですか?」
「ほう?」
「今度は……もっと沢山の草餅を買ってきますよ」
一瞬、きょとんと表情を素に戻した玄貞殿は、では、こちらも上等の茶を用意させておきましょうと、大きく笑ってくれた。