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第二十五話「繋がった世界」

 薄小路家本邸で一泊した翌日。

 俺は信彬様に連れられて御所朱雀門のすぐ手前にある大きな建物を訪問し、そのまま手続きをされた後、お咎めなく御所へ通されていた。


「ここは式部省(しきぶしょう)の出先でな、文官の叙位や任官などのうち、下級人事を担当している下式司(しもしきのつかさ)。……数ばかり多い下位の叙位まで本省が担っておっては立ち往かぬ故、武官のそれを担当する兵部省の出先と対にして、朱雀門の両手前に新設されての」

「なるほど」

「侍のお主にはちと不服もあろうが、こちらであれば、吾の顔が利く」

「いえ、ありがとうございます」


 まあ、信彬様が式部省の偉いさんらしい人と何やら難しいやり取りしている間、言われるままにその場で作られた書状に名を入れ、祝詞を授けられてから、何やら細かく漢文らしきものの書かれた小さな黒塗りの札と、菊紋の入った一通の書状を受け取り、もう一度祝詞を授けられておしまい――この間、約五分――だったので、感慨も何もなかったのだが……。


 大きな朱雀門の門前には幾つかの列があったものの、信彬様は列に並ぶことも立ち止まることなく、付き従う俺にも、門を守る衛士(えじ)は礼こそしたが俺の札を確かめもせず、誰何の一言さえない。


 御所を守る呪法の仕掛けだと後になって聞かされたが、仕組みは陰陽師の秘儀だそうで、俺はとにかく札を常に持ち歩き、内宮にさえ入らなければ問題ないとのことだった。


 但し、姫護正道と木刀は薄小路邸に預けてあり、無手である。

 御所への武具の持ち込みは御法度で、限られた者のみに許されていた。腰は少し寂しいが、当たり前と言えば当たり前なので不服はない。


 唯一情けないのは、借りた袴だった。

 寸足らずを誤魔化すために腰ではなく尻の辺りで結んでいて、短足に見える上にものすごく歩きづらい。腰パンが流行しているわけでなし、向けられる視線も微妙すぎる。

 出来合いに俺に似合うような大きな物はなく古着屋でも手に入らないだろうと、俺の袴は衣さんが仕立ててくれることになった。一応、新しい大草鞋の注文分も合わせて懐から五両預けてあるが、余れば返して貰えるそうである。


「それにしても、広いですね」

旧宮(ふるのみや)が手狭になったことこそ、遷都最大の理由であったからな。もう百年の昔の話であるよ」


 御所の内側は、幾つかの大きな建物が群になっていた。

 あちらが内宮と、正面に向かって礼をする信彬様に合わせて、俺も一礼する。瓦屋根の付いた白塀の向こう、幾つかの建物が群になっていた。その中に、和子様と静子様がいらっしゃるそうだ。


 他の建物と言えばやはり群になっており、あちらが兵部省、そちらが民部省と、部署ごとに離されていた。


「もっともな」

「はい?」

「形ばかりで中身のない省寮も多いのだ。表向きはともかく、御所には大倭を遍く治める『必要がない』からの。それでいながら建物が立派で新しいのは、有力家の争いの現れよ。……献上者の名を柱に刻めるなどという、くだらん理由でな」


 大倭の土地の大半は、武家がそれぞれに治めているし、残りは公家や寺社のもの、公称では百万の人々が住むというこの都の税収と銭座の利権、そして諸国に散らばる数ばかり多い御料地のみの収入では成り立たないのが現状だという。


「それでありながら御所の権力が極端に衰えぬのは、正にその方が都合良しとされておるからだ」

「はい、静子様から教えていただきました」


 帝家が司る官位の授受や神社の総元締め、銭座の管理者としての機能は、大名家一つが預かるには利権が大きすぎた。数家で分配でもいいのだろうが、そこは綱引きが肝心、民意も無視は出来ないし九家の総意とまでは行かないものの微妙な均衡が保たれている。


「……まあ、それだけではないがの」

「……そうでしょうね」


 やれやれと肩をすくめられた信彬様に、小さく頷く。

 権力者や金持ちと言った人種には、時代も世界も関係ないのだろう。




 それほど大きくない主棟とそれに付随する作業場、そして蔵。

 連れて行かれた図書寮は、御所の中でもかなり端の方にあり、とても小さかった。


「手狭と言うほど狭くもないが、まあ、夏風でさえ寒風となるほど懐具合の寂しき勤め先だ」

「はあ……」


 図書頭である信彬様の下には、役持ちの官職五名と二十人の下働きがいて、古い書籍の修理や翻訳、その後の管理も仕事の内なのだという。

 予算が少ないので、それはもう大変らしい。


「一郎、字は読めるか?」

「元いた場所のものならば、それなりに」

「……ふむ」


 主棟の広間でその場にいた人へ簡単に紹介されると、そのまま奥の間に連れ込まれ、机に座らされる。


「吾が読み上げる故、一郎の知る字でよいから書いて見せよ」

「はい」

「では、『春はあけぼの』」

「春はあけ……え!?」

「うむ?」


 流石に、出だしぐらいは覚えていた。

 不審そうな信彬様に、小さく頷く


「信彬様、もしかして、『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて……』と続くのではありませんか?」

「……知っておるのか!?」

「その、出だしだけ、ですが……清少納言の枕草子ですよね?」

「なんとな!?」


 信彬様は何をそんなに驚いて……いや、そうじゃない!

 枕草子が、こっちにも、ある!?


「吾が(そら)んじようとしたは、筆者不詳の随筆でな。若い頃に書庫で見つけて気に入って居った故、つい口から出たが……ふむ、一郎の故郷では名が知られておったのか」


 そうか、枕草子なるかと、信彬様はずいぶん感慨深げに頷かれた。


 実は俺の方も、かなり驚いている。

 先日のビールよりは、余程元の世界と繋がっているという確証になるだろう。……一方通行かもしれないが。


「ただ、吾が見つけたその随筆も一揃いというわけではなく、水に濡れたか火事にあったか……元は数冊だったものから、読める部分だけを抜き出して乱雑に筆写したようでな」

「なるほど……」

「いやしかし、実にありがたい。出だしだけでなく、全文を読んでみたいが、まあ、そこまでの無理は言わぬ。……おお、そうである!」


 笑顔で膝を叩いた信彬様は、びしりと俺を指さした。


「由来不詳、作者不詳の書は山とあるのだ。

 一通り御所内の要所を覚えた後、誰か付けて読み上げをさせる故、一郎は適う限り関連の事柄を思い出せ」

「はい」


 こうして。

 朝は荷運びを兼ねて誰かについて回り御所内の把握、昼からは誰かの読み上げる書物について知っていれば知識を提供する日々が数日続いた。


 だが、実際の所、俺が分かったのは枕草子の他には、孫子の兵法の一部分ぐらいだった。そもそも古典は専門外で、うろ覚えがせいぜいだ。


 だが、雑談ついでに信彬様と話している最中、土佐日記はこちらにもあって、おとぎ話に分類されていると聞いた時は思わず笑ってしまった。


 土佐という地名国名はこちらの京付近にはなく、その割にはしっかりと旅の描写が為されているので、絵空物(えそらもの)――ファンタジー小説とされているらしい。

 まあ、ここは日本ではないのだから、そういうことにもなるだろう。


 だから……居候のお礼込みの点数稼ぎぐらいにはなるかなと、その時は、思っていた。


 しかし、のんびりともしていられない事情がこちらにはある。


 静子様からの連絡は、まだなかった。

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