第二十三話「大倭の都」
俺は舳先の手前、取り外しの出来る板敷きの甲板に出て、水元殿と夕日を眺めていた。
三州三洲津を出てひと月半、流石に船旅も飽きてきたが、都に着けば安寧の日々は終わりと最初から釘を刺されている。陸に上がったら、気を引き締めなければならないだろうから、この旅最後の息抜きだ。
「フン、泣こうが喚こうが、明日には着くだろう」
「船が増えてきましたね」
俺にもぱっと見て分かるぐらいで、ここ数日、行き交う船の数はそれまでと比べ物にならないほど増えていた。
「都は幾百万の人々が住むという。
人が大勢なら食う物着る物、何でも沢山要るわけで入る船出る船多いのも道理、百万はフカシにしても、三洲津よりでけえのは間違いねえ。
それで、だ」
水元殿は、じろりと俺の方を見た。
旅も後半に入った頃には、それなり以上に一目置いて貰っている様子が俺にも分かり、なんとなくだが世間話をする回数も増えたように思う。
「一郎、お前、先は見据えているか?」
「……難しいですね」
俺が飛ばされ者であることは、既に話をしてあった。
世間知らずと認めざるを得ないほどこちらの常識が分かっていないことも知られているが、その上で問われているのだから、俺としても返答に困る。
直近の目標はお姫様の無事だが、その先は……。
「元のせか……じゃない、国に帰れるかも分からないし、とりあえず、仕事見つけて食い扶持稼いで家借りて……何としてでも生きて行こうと思っています。お姫様も守らなきゃいけないし……」
下手するとお姫様と静子様に加え、朝霧まで俺一人の稼ぎで食わせなきゃならないなと、ため息を付く。
現状、幾つかある選択肢の中では、身分を捨てて逃げ出す可能性が一番高いし、皆、その方向で動いていた。
「家一軒とか小さいこと抜かすな。城主にぐらいなってみせろ」
「……」
「船で言えば船頭だ。
陸の上にゃしがらみもあるが、沖に出てしまえば一国一城の主だからな」
「まあ、格好いいなとは思います」
「そうだろう、そうだろう」
鷹原ぐらいの小さな城なら何とかならないか……と、多少失礼なことを考えながら、俺は曖昧な相づちを打った。
「お前とはここでお別れになるが……釣り、楽しかったぜ」
「はい、俺もです」
握手などはしない。
お互いにやっと笑って、それでしまいだ。
この船旅も、明日には終わる。
ここからが、本番だった。
▽▽▽
この大倭の帝都――都は非常に大きいと聞いていたが、俺の想像を遙かに超えていた。
日の出過ぎに、三州の美洲津よりも更に大きな河口から川に入り込んで半日、結構なスピードを出している瑞龍丸だが、ようやく目的地に近づいたらしい。
俺は静子様に誘われ、板を渡しただけの甲板へと出ていた。下船の準備は既に整え終えている。
西に向かって大きく口を開けている幅数キロメートルの大川と呼ばれる大河の両岸は、見渡す限り船と建物で埋まっていた。
「南岸は都の防備の要、南瀬城を中心に武家の都屋敷や足軽長屋が並びます」
静子様が指を差した先、南の遠景に見える城も、やはり三川のお城よりも大きかった。
姫様や静子様にとっては故郷であり地元だが、あまり執着はないそうだ。
もちろん、出歩いて遊んだり買い物に行くことなどないほど、身分の高い二人である。
「北岸は海に近い方が旧京、遠い方が今京。公家屋敷や宮が『それぞれ』にありますが、狭義には今京が本来の意味での都となります」
都に着いた後の予定は、もちろん幾度も聞かされていた。
姫様と静子様は、三川家と懇意にしている公家屋敷で帝家の迎えを待つ。
朝霧は忍屋敷に戻り、預けられた手紙を配ると同時に帝都脱出の手配を行う。
俺は薄小路家の当主である静子様の父上を訪ね、官位を取得する予定だった。
……一見、俺だけは単に仕官の口を探しに来た田舎者のような行動をとっているようにも見えるが、決してそうではない。
何をするにしても、官位を持たないままでは御所に入れず、御所に出入りできなければ後手に回る可能性が高かった。今のままでは、静子様とさえ連絡を取るのが難しいのである。
「それにしても」
「はい?」
「……陸に上がったら、すぐにでもお湯を戴きたいものですね」
「ああ……それは、はい」
ため息をついた静子様に、それもそうかと頷く。
言うまでもなく、瑞龍丸に風呂はなかった。
それでも男衆なら、船尾で手桶に海水を汲み、ざぶんと汗を流すことが出来ていた。
真水に比べて乾いた後に多少はぬるぬるするが、汗臭いままよりは気分だけでもさっぱりする方がいい。
俺ならばふんどしも二枚あるから、一枚は洗って綱に結んでおけば翌日も快適だ。
しかし、女性はそのようなわけにはいかない。
汲んできた海水に手ぬぐいを浸し、室内で体を拭くのが精一杯だった。
「うちの曳き船がきたぞ! 帆を下ろせ!」
瑞龍丸はゆっくりと速度を落とし、取舵――左に舵を切った。
帆柱が二本あるこの船は、遠目にもよく目立つ。
三川家が一本借りしている桟橋や岸壁のある大きな港では、必ず向こうから曳き船が寄ってきた。
「……一郎」
「はい」
静子様が、俺の手をぎゅっと握った。
一瞬、その柔らかさに照れ隠しをしそうになる。……しかし、まっすぐに都を見つめたままの静子様に、俺は気付いた。
「頼みましたよ」
「……はい」
軽く握り返し、小さく頷く。
俺の立ち回り次第では色々と状況も変わるし、『変えられる』可能性だって、ゼロじゃない。
つまりは気を引き締めざるを得ないし、その期待に応えてこそだとも思うのだ。
……まあ、美人に頼られているのだから、多少でも格好いいところを見せたいというのが本音だったが、嘘はない。
▽▽▽
東西に見える限り続く港で瑞龍丸と水元殿に別れを告げたのが昼下がり、そこからは走り通しだった。
朝霧は預かった書状を抱え、既に姿を消している。
「えっさ、ほいさ!」
「えっさ、ほいさあ!」
大荷物を背負って姫様方の乗る駆け足の駕籠を追いかけ、上流の公家、矢野見家の別邸に着いた頃にはもう夕方だった。
別邸とは言えども相当でかい屋敷のようで、一つの通りの端から端まで白い塗りの美しい壁が続いている。
「どうぞ、お中へ!」
「すぐに茶などを用意させまする!」
型どおりなのか、やたら丁寧な誰何の後、姫様と静子様は下にも置かぬ様子で奥の大きな建物へと案内されていき、俺達はその脇にある若干小さい別棟へと連れて行かれた。
「ご一行はこちらへ。食事などを運ばせましょう」
ほどなく麦入り飯の湯漬け――白茶漬けに、瓜のぬか漬けと切り干し大根の煮物が運ばれてきて、俺は早速戴くことにした。
「一郎、お主は疲れという物を知らんのか……」
「いや、普通に腹減ったり汗掻いたりしますけど……」
体力自慢の俺はともかく、馬の用意が間に合わず一緒に小走りで走り通しだった小屋原殿一行は息が上がり、矢野見家の家人に介抱されている者さえいる。
旅の後半、船酔いでずっと潰れていた小屋原殿は特に辛そうだったが、これもお役目と青い顔で別邸を預かる家人の司の元へ向かった。
「風呂のご用意が出来ております」
「お世話になります」
今日のところはここで一泊、明日は静子様の実家、薄小路家を訪ねる。
「……」
気が重いのは、仕方ない。
妹さんの死を報告するのは、俺に与えられた仕事の一つだった。




