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サカナじゃないけど出世魚  作者: 大橋和代
飛ばされ者編
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第二十一話「船旅」

 夕刻、瑞龍丸は予定通り出航し、順調に大海原を進んで……とは、ならなかった。


 天候にも恵まれている上、風も悪くないそうだが、この季節、三州の沖では潮も風も基本的には俺達の進みたい方向と逆を向いていて、一刻の内に何度も進む方向を切り返す間切りと呼ばれる操船方法を行うため、どうしても一直線にすいすいと進むというわけにはいかないのだ。


 だが、船は昼夜兼行で進むし、交代の水主も揃っている。

 自分で歩くよりは余程早いのは確かだった。


「蓮州と豊州の間にある波切崎(はきりさき)、こいつを抜けりゃこの南西の風が丁度いい塩梅になるんだがな」

「へえ……」


 ぴんと張られた綱を確かめていた親仁(おやじ)――水主のお頭、伝蔵さんが手で合図すると、僅かに帆の角度が変わる。

 その向こう、夕日がとても綺麗だった。


「そりゃ、なんぼでも都合のええ風や潮に来て貰いてえもんだが……フン、そこまで都合良くねえのが世の中と沖の上ってもんだ」


 大きく沖に出て間切りをする回数を減らして早く進むことも出来なくはないそうだが、沖合で海魔に襲われると三州水軍で一番足の速い瑞龍丸とはいえ逃げようがないので、瑞龍丸は陸の見える距離――元水泳部だった俺なら余裕で泳いでいけそうな数キロメートル程度――で進んでいた。


 ……ああ、海魔って船が逃げなきゃいけないほど大きくて早いのかと気付いたのは、だいぶ後だったが。


「でも、すごいですね、この船」

「だろう?」


 この瑞龍丸は新しい種類の船で、長さ十五(ひろ)――二十五メートルちょいでサイズ的には水軍で関船(せきぶね)と呼ばれる中型船と同程度の大きさだが、櫂を持たず、代わりに前後二枚の帆を特徴としていた。

 櫓があるので多少の戦闘力は持つが関船ほどの人数は載せておらず、水軍の所属ながら戦が本業ではなく、都や他地方との至急便に使われている。


 伝蔵さんによれば、早さこそ評価されているが、同じ二枚帆でも武装の全くない新物(しんもの)廻船よりは足も遅いし手入れも面倒と、その中途半歩さのお陰か未だに船としての呼び名が定まらず、三州では見たまんまの双帆(ふたほ)、海運の盛んな蓮州では船足の速さから(はやぶさ)、京のあたりでは有名な船頭の名前から取った新三郎(しんざぶろう)と、ばらばららしい。


「帆が二つもある船って他にはないんですか?」

「なくはないがよ、船足が何より欲しい新物の茶壷や酒樽を扱う船頭ぐれえか。そもそも急ぎの荷がいっつもあるたぁ限らんし、贅沢すぎんだわ。

 御座船の美河丸の帆柱なんて三本も帆柱があってよ。……まあ、あの船ん場合は、でかすぎて一本二本じゃまともに動かねえからだが」

「へえ……」


 美河丸は櫓も二層で乗組員も数百名という大安宅(おおあたけ)で、普段は港の奥にしまわれているそうだ。

 動かすだけでも騒動になるので大きな戦ぐらいしか出番がなく、普段三州公はこの瑞龍丸と同じような大きさの関船を御座船――旗艦や都への足として使っているという。


「けどよ、似たような大きさの船で帆が一枚と二枚なら、二枚の方が倍早いってわけじゃねえ。せいぜいが二割増しか三割増しってえあたりだ。

 ところがどっこい、帆の操り手は倍いねえと話にならねえ」

「確かに」

「んでもって当然、水主の雇い賃も増えるんで、廻船の船頭は皆嫌がる。三割足が(はえ)えったって、普通は荷主が三割増しで船賃を払ってくれるわけじゃねえ。……遅れ過ぎりゃ証文違え(しょうもんたがえ)だっつって、こっちからふんだくりやがるのによ。

 んまあ、そんなもんでよ、双帆をありがたがるのは乗組の水主も国が丸抱えする水軍か、船足が全ての新物廻船ぐれえだな」


 その年の新茶や新酒の出来立ては、どこの土地でも縁起物として高値がつくので、水主倍増しでも十分元が取れるし、船荷の運賃もそれも見込んでたんまりと支払われる。軍船は当然ながら命令が優先で、水主の人数が少々増えたところで数十隻の船を持つような大大名は気にしない。船足だけでなく、そのような船を持つことそのものが重視された。


 まとめれば、船が早いのはいいことだし船頭としても名人芸の見せ所でもあるが、世の中の情勢や懐具合、あるいは持ち主たる大名のプライドで支えられているだけの双帆はなかなか普及しない、ということらしい。


 まあ、早いからと言って誰もがスポーツカーに乗るわけじゃない、というところか。

 

「今は親仁の俺も、年季が開けりゃあ、どこかで雇われ船頭でもするつもりでよ」

「親仁!」

「おう?」

「そろそろでさ!」


 もうすぐ間切るらしいと見た俺は、雑談で水主らの邪魔をするのもよくないし、外も暗くなってきたので、伝蔵さんに挨拶して櫓へと戻ることにした。




「申し訳ありやせんが、沖の上じゃあ、こいつが限度ってもんで、へい」


 しばらく姫様の部屋で雑談というか今後の予定などを話していると、恐縮しながら賄いが持ってきたのは、握り飯と沢庵の盛られた大皿と、身のたっぷりと盛られた鯛のすましの乗った盆だった。


「へへ、鯛だきゃあ、さっきお頭が釣った大物でさ」

「うわ、ありがとうございます!」


 あの大男の船頭を見ないと思ったら、船尾から釣り糸を垂れていたらしい。

 礼を言って受け取り、部屋の真ん中に置いていく。


「……どうぞ」

「……どうも」


 寝床の朝霧に握り飯を差し出せば、さっきよりはましだが、相変わらず警戒されていた。

 まあ、そのうち慣れるだろう。静子様も苦笑している。


「良い香り……」

「はい、姫様」

「一郎も朝霧もいただきなさい」

「いただきます」


 さっき釣ったところなら刺身も欲しいところだったが、ついこの間食べたし、贅沢すぎるか。


「……あ、美味い」

「そうね」


 姫様も静子様も、食の方面での文句はあまり仰られなかった。

 ……後になってその理由を知ったが、俺は目を瞑って黙り込んでしまうことになる。




 ▽▽▽




 朝をしっかり食って、昼はおやつ程度、夜はまたしっかりが船での食事の基本らしい。

 もちろん俺達は仕事があるわけではないから、俺への『授業』でさえ暇つぶしか手慰みになっていた。


「松浦の旦那! お頭がすぐ船尾まで来て欲しいそうで!」

「はい。……行って来てもいいですか?」

「ええ、いいわ。でも一郎を呼ぶなんて、力仕事かしら?」

「ですわね……」

「じゃあ、失礼します」


 ……二日もしないうちに、俺は『松浦の旦那』と呼ばれるようになっていた。

 旦那……なんて柄じゃないが、暇つぶしに水主の手伝いなどをしているうちに、お頭の水元殿に負けぬほど身体も大きく力も強いと認められたらしい。姫様方からの授業も退屈ってこともないが、体ぐらいは動かしていないと飽きるのだ。


「踏ん張れよ!」

「引きずり込まれりゃあの世行きだ!」


 船の腰にあたる後ろ櫓――船頭の居室などがある小さな櫓――の上を通り、一段低くなっている舵取り場の横で釣り竿をしならせている水元殿を見つける。引きずり込まれそうになるお頭を押さえようと、水主が二人ほどしがみついていた。


「手伝え、若造!

 俺の足元に(もり)がある!」

「はいっ!」

「縄は船にも身体にも結ぶな!」


 俺は舵取り場に飛び降り、縄の付いた銛を拾い上げた。


「でけえ!」


 ばしゃりと上がった水しぶきに身構えれば、俺よりはでかい魚が勢いよく跳ねる。

 そもそもリールなんてないので、えらく近い距離なのだ。


「次に跳ねたら(えら)を狙え!

 利き手に銛、反対側に縄だ! 縄は手に絡ませるな!」


 見かけは細長くて口のでかい……アマゾン川にいそうな奴だが、手や羽根は見あたらないので海魔じゃないらしい。


「来る!」


 総身が鉄造りの重い銛を構え、息を止める。


 ……今!


 鰓こそ外したが、目玉のすぐ下に突き刺さってくれた。

 細いと言っても俺のウエストよりはずっと太いのだ。


「いいぞ! お前も手繰れ!」

「はいっ!」


 これがなかなか力も強く、水元殿も竿を左右に振って援護してくれるが、一筋縄じゃいかない。

 

 それでも数人で掛かりきり、懸命に暴れる大魚を半分ほど引き上げたところで、棒を持った伝蔵さんが走ってきた。


「旦那、入れ替わってくんな!」

「伝蔵さん!」


 一歩引いて入れ替わると、伝蔵さんがぼこぼこに大魚をしばきあげ……うん、鮫かなんかの漁法で見たことがあるなと、俺はTVの映像を思い出していた。


「お頭!」

「おう!」


 もう大丈夫とのことで、棒の先に金属の返しがついた手鉤を引っかけて、船縁へと血塗れの大魚を引き上げる。


「……いつもなら」

「はい?」

「竿を誰かに任せて銛は俺が投げるんだがな……」

「ここまででけえ青海梭魚(おうみかます)なんざ、俺っちも初めてでさ」


 水元殿が難しい顔で大魚を見下ろした。


 カマスなら、俺も何となく知っている。……大きさは違いすぎるが。


「ともかく、助かった。礼を言う」

「このぐらいなら、いつでも。

 ……それにしても、その竿、すごいですね」

「うむ」


 よくもこんなでかい魚をつり上げて、折れたりしなかったものだ。

 その意味では、糸も凄い。


「この竿は銘を『審海丹仙(しんかいにせん)』、龍神の御加護を授けられたる先祖伝来の名竿(めいかん)故、少々の大魚で折れたりはせぬ」

「なるほど……」


 龍神の加護もたぶん、本物なのだろう。

 水元殿は重々しく頷いた。

 

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