第二十話「三洲津出立」
三洲津出立の朝、荷物がないとは言いつつも、姫様と静子様のために用意された着替えや旅小物などを入れた行李が結構な大きさになり、背負子を用意して貰う羽目になっていた。
二の丸の前庭まで見送りに来て下さった橋本家のご一行に、恐縮する。
「大変お世話になりました、鷹原守様」
「うむ。こちらもな」
橋本のお殿様も今は仕官先の当主ではないから、『殿』とは呼べない。
……先ほど鷹原守様からは、官位の礼だと言って、こっそり橋本鷹原守二郎政継という本名を教えて貰っていた。
「ありがとうございます。
そうでした、一つお伺いしたいことが……」
「うむ?」
実は、ものすごく今更だが、気になっていたことがあった。
俺が姫様を助けた時のことだ。
「何故高原守様は和子様がお姫様だと、すぐお分かりになられたのですか?」
「あれは簡単なことよ。
女房殿が懐刀を仕舞われる時にな、指をずらして鞘の菊紋をお示し下さったのだ。……流石に身体が固まってしもうたわ」
「なるほど……」
「よい。……まあ、都に飽きたらいつでも遊びに来ていいのだぞ。皆も喜ぼう」
「はい、必ず」
世話になった幸婆さんや穴沢殿、三吉にも挨拶していないし、一度ぐらいは土産をぶら下げて遊びに行きたいところだった。故郷に錦……ってわけでもないが、何もなしというのも不義理である。
「またな、一郎!」
「一郎、頑張れ!」
「はい!」
橋本家の御一行や三州公への挨拶を済ませているとすぐに出立の声がかかり、俺は駕籠かきや護衛と共に歩いて城を出た。
「……ふう」
実は大きい草鞋をどうにかする時間がなかったので、今履いている一足が最後だった。
極端な値段はしないものの別注になるし、少し心配だがそんな暇は本当になかった。乗組員は航海中裸足という話なのでしばらくは誤魔化せるし、駄目ならどこかで普通サイズのものを買って我慢することになるだろう。
出かけ際に挨拶が出来なかった……というよりは、一行の指揮を任されていて、出立の準備で忙しそうに走り回っていたお侍にも声を掛けておく。
「雇われ家人、松浦一郎です。よろしくお願いします」
「某は伝奉役、小屋原一進だ。ご一行の世話役も兼ねる故、何かあれば言うのだぞ。
大殿からはよくよく頼まれておるのだ」
小屋原殿は京まで俺達を連れて行くだけでなく、向こうでも仕事があるそうで……いや、中身を聞けば、橋本のお殿様の昇進について、懇意にしているお公家様に話を通す為の連絡役ということだった。
「お主の活躍は聞いておる。
……後になって大殿より御話を伺い、家臣一同、冷や汗を流したわ」
「いえ、たまたまですし、命じられたのは鷹原の若君ですから……」
今日は移動だけで半日潰れる予定だが、これは仕方がない。
城から港までには屋敷町や下町をはさんでいて、船を使って川も渡らなくてはならないし、結構な距離なのである。
「おお、その若君も幼いながら大した者であられる。明日、御挨拶道中であったか」
「はい、せめて荷物持ちぐらいはと思っていたのですが、少し残念です」
今頃は、挨拶のおさらいでもしておられるだろうか。
雑談をしていたが、そろそろ船着き場だ。
特に気にしていなかった……というかその余裕もなかったが、三洲津の町は大きな三角州とその周辺に町が広がっており、その名の由来にもなっているという。
その三角州の付け根、洲の上ではなく東の岸に美河城があるのだが、城の防備上、船着き場とは離してあるし、一気に上陸されないよう、周辺の岸は石垣が高く組まれていた。
お陰でいささか、港までは遠回りとなるのである。
時間があれば買い物もしたかったが、これも無理だろう。
今は仕事中だし俺は護衛でもあり、勝手に出歩くのはサボっているようでなんとなく情けない気がした。
船で水路を抜けて広い川に出てから海際まで下り、大きな船を避けながら中州の端に着け、ようやく上陸する。
行列を組み直して歩き出せば、三角州の出口付近にある港のあたりは、蔵の立ち並ぶ倉庫街とでも言うべき風景だった。
大小様々な船の泊まる表口では、大きな廻船から平たい手漕ぎ船まで、よくもまあここまで集めたものだという数の船が行き来していた。
「えっさ、ほいさ」
「えっさ、ほいさ」
「そりゃ中浜屋の荷だ! 川口屋はそっちの樽三つ!」
ちなみに陸地の方は、大八車と呼ばれるリヤカーのご先祖様みたいな荷車で溢れかえっていた。ついでに言えば、荷運び人足に水主と呼ばれる船の乗組員達、それらが半裸で走り回るという、ともかく男臭い世界でもある。
「錨を上げろ! 出船じゃあ!」
「おら、気張れ! 気張れ!」
俺のすぐ目の前で、大きな帆掛け船が岸を離れていく。よく見れば、手漕ぎの小舟に綱で曳かれていた。
三洲津についてすぐに見た百石積みの廻船は小型の川船だと聞いていたが、なるほどと納得する。
一つ向こうに泊まっている大きな奴など、全長が五十メートル以上あるんじゃないだろうか。
「ここらは問屋の蔵町で、水軍の砦はその奥だ」
見れば波止場の奥には詰め所があって、槍持ちが立っている。
その奥手、岸壁から伸びた桟橋には数隻の軍船が停泊していた。
見れば分かるぞとは言われていたが、廻船と明らかに違うその風体には俺も少し驚いている。
「どうじゃ、すごかろう」
「あれが軍船ですか……。厳ついですね」
廻船はいかにも和風の船というか、大小の違いはあっても四角い帆の張られた帆柱一本に木造の甲板があって……という見かけだったが、軍船は少し違っていた。
帆は同じようについているが、船の全長一杯に木の盾を沢山並べて一段高くなっている櫓があり、船腹からムカデの足のように沢山のオール――櫂が伸びている。岸壁に着けてある船はそれを高々と上げ、大勢が万歳しているようにも見えて面白い。
「廻船と違って、手漕ぎも出来るのですね」
「うむ、櫓がなくば戦にならぬし、長櫂がなくば動けぬも同然。櫂は便利だが、水主が疲れれば動きも鈍うなる故な、船戦では、まず互いに帆を焼こうとするものだ。
おお、無論、大勢の漕ぎ手や弓兵など積んでおっては、雇い賃が嵩んでたまらぬからの。帆だけを使う方が安く済む故、廻船はあのような形になっておる」
だが俺達の乗る船は、また少し違った。
「あれだ。どうだ、精悍であろう?」
「……二本?」
「うむ」
櫂がない代わりに、帆柱が二本。
櫓は他の船の半分ほどと短く、櫂はなかった。少々不思議な感じもするが、帆が二枚なら一枚よりは早いに違いない。
もちろん、大砲はついていなかった。
そう言えば、こちらでは銃さえ見たことがなかったので、火薬を使う武器があるのかどうか俺は知らない。
まあ、あまり関わりたいとは思わないが、代わりに魔法のようなものはあるので、案外、もっと酷い可能性もあるのだが……。
その手前で、俺よりは若干身長は低いものの、ハゲ頭のごついおっさんが腕を組んで待ちかまえていた。
「久しいな、作郎。世話になる」
「おう一進、聞いておるぞ」
実はこっちに飛ばされてからここまで大きい人を見たことがなかったので、俺も少し驚いている。
「雲宮様の雇われ家人、松浦一郎です。姫様方共々、よろしくお願いします」
「うむ。三州水軍の早船奉行にして『瑞龍丸』船頭、水元作郎と申す」
何故かじろりと上から下まで見られる。
「……船頭になって十五年、見下ろされたのは初めてだぞ、若造」
「はあ、申し訳ないです……」
嫌みかとも思ったが、そうではないらしい。単に興味が向いただけなのか、水元殿は別段腹を立てている様子でもないので、俺も気にしないことにした。
姫様と静子様が駕籠を下りてこちらにやってきたが、やはり驚かれていた様子である。
……挨拶の後、ちらちらと見比べられてしまった。
▽▽▽
「とりあえず姫様方は、ここをお使い下せえ。
松浦の、手前の寝床はこっちだ」
櫓の中には間仕切りが幾つか設けられていて、姫様達と小屋原様とその部下にそれぞれ一室を、俺は水主に混じって段で仕切られた狭い寝台を使うように言われた。
「狭えのは我慢しろ。……俺も若衆の頃は我慢していた」
「はい、もちろん……。ご案内ありがとうございます」
……気を使われているのかいないのか、判断に困る水元殿である。
それはそれとして……。
「いいから寝ていなさい」
「いえ静子様、上役に世話をさせるなど……」
「では、わたくしが命じます。
傷が癒え調子が戻るまで、大人しく静子に世話をされなさい」
「うぐ……」
姫様の部屋には最初から一人、怪我人が寝かされていた。
忍屋敷で療養していたという姫様付きの忍、くの一の朝霧である。
見かけの歳は俺と姫様の丁度真ん中あたり、高校生ぐらいだろうか。……でも忍者だし、本当のところはわからない。
もちろん俺も、新参の雇われ家人として挨拶したが、最初からものすごく警戒されてしまった。
「姫様、静子様、この者はいけません!」
「……朝霧?」
「私では、この者に勝てませぬ!」
悔しそうに睨まれてしまったが、どうしろというのか……。
今更解雇されても困るし、もちろん勝負をする気もない。
「泰然としていながら隙もなく……寝所にて何かあった時に取り押さえるどころか、寝首もかけぬと思います!」
「……はい?」
「はっ! 私が身代わりになっている間にお逃げ戴くならばまだなんとか……!」
ぺらぺらとよく喋る子だなあと、俺は少し呆れていた。
これで忍者なんて務まるんだろうかと、どうでもいいことが心配になってくる。
姫様と静子様も、顔を見合わせてため息を付いた。
「……朝霧、やはり貴女は疲れているのです」
「え、ええ、そうね。
干菓子でもお食べなさい、朝霧。三州公が道中、口寂しいことも多かりましょうと、多めに持たせて下さったのです」
「それはよろしゅうございますわ。滋養あるものを沢山食べれば、回復も早まりましょう」
「い、いえ、それよりもあの者を……もがっ!?」
俺がいるとややこしい事になりそうだし、怪我の回復にも良くないだろう。
大荷物からふんどしを包んだ手ぬぐいだけを取り出し、目だけで挨拶して外に出た。
出航は潮の流れが変わる夕暮れ過ぎ、その後は次の寄港地である蓮州泥谷口まで、昼夜関係なく航行するという。
陸の上で言えば大街道に相当する主要航路には、夜間に篝火を焚く高灯篭や事件や事故が起きた時に使う狼煙台を備えた燈明台――平たく言われずとも灯台のご先祖様なのだと俺にも分かった――があり、迷うこともないらしい。
「海賊なんかは出たりするんですか?」
「海賊!?
海賊なんざ屁でもねえよ。ただなあ……」
「はい?」
「海魔だきゃあ、未だに小便ちびるぐれえ恐えよ」
声を掛けた水主にアレを見てみなと言われた先、櫓の桟には、龍神御堂と書かれた木の額と、小さな神棚が飾られている。
「お前さんもようようお祈りすんだぞ」
「あ、はい……」
小鬼や邪鬼が居るぐらいだし、海にも怪しげな魔妖ぐらいはいるんだろうなと納得せざるを得ないのが、つらいところだ。
道中よろしくお願いしますと、神棚に柏手を打って一礼する。
……信心深いと言うよりも、やっぱり神様も実在してるんじゃないかと、若干思いかけている俺だった。