第十七話「姫護正道」
「姫様、この仕儀は一体……!?」
お殿様が去った後、俺は……困っていた。
だが俺以上に静子様が慌てていたお陰で、少しだけ心に余裕が出来ただろうか。
橋本のお殿様には恩義もあるし、人好きのするあの性格は、嫌いじゃない。
蔵米三俵一人扶持の給金を一度も貰っていないのは心残りだが、一両以上もする小袖を用意して貰えたのだから、損はしていない。
それに……いきなりの解雇にも何か理由があるのだろうし、その判断を信用してもいいと、今でさえ思っていた。
「静子、落ち着いて。
一郎も、お話を聞いて下さい。
美河守殿が来られる前に、わずかながらでも説明いたします」
「はい」
二人とも近くに寄りなさいと姫様に呼ばれ、三人で頭を付き合わせる格好になる。
「まずは、一郎に詫びねばなりません。昨日、美河守殿、鷹原守殿ともご相談したのですが……」
「お役御免のことですか?」
「ええ、その通りです。
勝手をしてしまって申し訳ないけれど、貴男には一度、浪人者になって貰いたく思います」
「浪人者!? 姫様、では一郎は……」
「ええ、美河守殿が力を貸して下さるそうよ」
まだ中身は見えてこないが、解雇話の続きだろう。
浪人というには――浪人は諸国を旅するか、長屋で傘張りする合間に悪を斬って回る庶民の味方、でもとても貧乏というイメージだが、実際のところは俺もよく知らない――刀も取り上げられてしまったし、身分もないのではっきり言えばただの無職、家もないから住所不定と、もう後がないほど追い込まれているような気もするのだが……。
「その上で、わたくしに……直に仕えて下さいませんか?
鷹原守殿にはもちろん、お話を通してあります。
禄は、その、確約できないのですが……」
「姫様……」
「……」
「一郎のお人好しに付け込んでいる、とも思います。でも、もしも貴男がいてくれるならば、わたくしと静子は……」
希望を繋ぐことも、出来ましょう。
そう口にしたお姫様は、澄んだ目を不安げに揺らしながら、俺を見上げた。
雇い主、お姫様。給料、なし。
この状況、俺にどうしろと……。
出世がどうの妾がどうのと、いつだったか幸婆さんと笑い飛ばしたのが懐かしい。
だが、お姫様からじっと見つめられれば否とも言えず、考える振りをしてちらりと静子様に目を遣れば、目を伏せて両手をぎゅっとを握りしめていた。
まともな条件でないことは、話したお姫様も聞いていた静子様も、分かっているのだろう。
しかし……このまま見捨てるのも、寝覚めが悪すぎる。
悪党どもから助けたのが昨日の昼、出会って一日と経っていないが……昨日はお姫様を泣かせてしまったし、静子様も妹さんを亡くされたばかりで、義理はともかく放っておけない気分もなくはない。
ついでに言えば、橋本のお殿様からは既にお役御免を言い渡されていて、後に引けないという状況が先に出来上がっていたから、この話をひっくり返すのも難しかった。
飛ばされてひと月足らず、世間知らずの自覚はあるので、一人きりでの自活も無理ではないにしろ苦しいところである。
……風呂を毎日なんて贅沢は言わないが、飯ぐらいは欠かさず食わせて欲しいかなと、俺は心の中でため息をついた。
それら諸々を内に伏せて、頭を下げる。
「俺、お姫様のところで頑張ります」
「ありがとう、一郎……」
「……心よりの感謝を」
「話はお済みになられましたかな?」
「!?」
突然の声に三人して驚き振り向けば、廊下の縁で三州公や御家老様がこちらの様子を見て、少し不思議そうな表情を浮かべていた。熱心に考えるあまり、声掛かりに気付かなかったようだ。
橋本のお殿様が行儀悪く襖を開けっ放しにして出ていった……というわけでなく、『お姫様の部屋に俺やお殿様が出入りしていますが、間違いは一切起こしていませんよ』という宣言の代わりである。男集が出入りする場合、廊下から続き間に至るまでの襖は、全て開け放たれているのだ。
仕切直して一行を迎え入れ、俺はお殿様から預かった書状を御家老河内島様へと……。
「……あ」
「どうかしたのか?」
「申し訳ありません。……作法が分かりません」
「よい、許す」
「では、お願いいたします」
作法を尋ねる時間はあったが、頭が回っていなかった。
一応両手で捧げ持って差し出したが、受け取った御家老様もやり取りを見ていた三州公も、愉快そうである。……さっき、お殿様も似たような表情だったかもしれない。
三州公は俺に直答を許すと、にやりと笑った。
「ふむ、聞いていた通りであるな」
「はっ」
「あの、何か……?」
「鷹原守が口にしておったのだ。
……あの者、身につけた学も礼も何もかもがこちらでは通らぬほど遠い地より来たる故、一見不調法の物知らずに見えるが、決してうつけにも痴れ者にもあらず、とな」
悪い評価じゃないよなと、俺は小さく礼をした。
「まあ、それはよい。
余が出向いたは、別用にある。藤治、説明せい」
「ははっ。
一郎」
「はい!」
「此の書状、鷹原守殿のお手により主の考課行状が書かれておる。要約すれば、『功抜群にして御役無事勤め上げ候』となろうか」
御家老様は書状を開きもせず、中身について話した。これも筋書き通りらしい。
中身を見てみたかった気もするが、無事勤め上げと書いてあるなら、後は気にしないでいいか。……まだまだ読むのは苦手だし。
「この功については申すまでもないが、当三川家としても見過ごせぬ功であった。
御前にて憚りながら……主は雲宮様のお命だけでなく、三州の立場を救ったのだ。某からも礼を言わせて貰いたい」
自分の国でお姫様が殺されたなら、方々から嫌みを言われても仕方ないだろうところを俺が……というわけだ。
思った以上に大事になっていたようで、俺としては少々腰が引けている。
「よって鷹原守殿には当家より感状一筆を贈り、官位一等の奏授を約して返礼とした。
お主は鷹原守殿の預かりにて当家でどう出来るものでもない故、鷹原守殿に諮った上で礼を贈るべしと相成ったのだが……」
お殿様も出世したのかと、いつだったか官位が低いから直答がどうのと言われたことを思い返す。なるほど、さっきの明るい様子にも頷けるし、お礼になったのなら幸いだ。
……今更ながら、三州公や御家老様と話しているのは大丈夫なのとかと気になったが、お姫様が許している時点で有耶無耶になっているのかもしれないと、都合よく考えることにする。
「雲宮様は鷹原守殿に対し、希有なことながら……礼を欠くことは重々承知、是非ともお主が欲しいと、頭を下げられた。
それに対し鷹原守殿は、『あの者、当家では御し切れぬ傑物にて、当人が是と申さば橋本に異存なし』と快諾され、このような仕儀と相成ったわけだ」
傑物とか、生まれて初めて言われたわけで、少々照れくさい。
もちろん評価は嬉しいが、もうちょっと何とかして欲しかったという気分もある。
だが、お姫様にそう言われては、断れるわけもないかとも思う。……俺も、断れなかった。
「……御身は御無事であったとは言え、女房殿を除く家人は尽く失われておる。
お困りであろうと、我らも感じ入るところはあった。
無論、短い期間であれば、当家より護衛として幾人か付けることは出来よう。しかしながら、鞍替えしてのお仕えとなると家臣から割くわけにも行かぬし、雑兵では腕が足りぬ。数がおればいいというものでもない故、人選にも苦慮しようか。
だが、お主なら腕前は確かで、義と仁に厚いとわかっておる。なるほど、適任であるな。
これらを勘案し、当家が間に入った」
御家老様は懐から別の書状を取り出し、ばさりと開いた。
……鋭い目を向けられたので、姿勢を正す。
「鷹原国、谷端上郷の一郎。
これなる者、本日を以て士分へと取り立て、下士身分の足軽とする」
「ありがとうございます!」
……士分。
つまりはお侍なわけで、一番下っ端でも、本物の侍だ。
浪人と聞いて微妙な思いをしていたが、なるほど、浪人は最低限一度は侍でなければなれないのだから、間違いなく出世だった。
刀の所持の他にも、苗字を許されるらしいと聞いて、俺は内心でガッツポーズを取りかけ……やめた。
侍への取り立てが褒美の前渡しなのかと、気が付いたのだ。
浪人になると最初に言われていたし、話はまだ続くようである。
今度はお殿様だ。
「一郎、これに」
「はい!」
「私称なるが、足軽には家名を許すのが通例、何ぞ思いつくか?」
「では、松浦でお願いします」
「ほう、迷いなく口にしたな?」
「飛ばされる前の名です。松浦一郎、と」
「ではそのままで良かろう。松浦ならば、この三川にも二人おる」
当たり前だが、ずっと使ってきた苗字である。こちらに来てからは出番がなかっただけの話で、迷うはずもない。
また、私称とは勝手に名乗っても良い……という意味ではなく、公文書には載せられないが、名乗りは無視されないし、一代限りながらほぼ家の名として扱われるという、少々ややこしい約束事があると、後から聞かされた。
まあ、普段は松浦一郎で問題ないと分かっていれば、それでいい。
三州公は小姓を呼んで文箱を取り寄せ、なにやら書き付けた。……って、うん、俺の名前だった。
「さて、松浦よ」
「はい」
「鷹原守も賞しておったであろうが、その功、余も感じ入っておる。
故に其の方の当家『出立』に際し、銘刀一振りを贈り、これを賞す」
傍らの小姓が捧げた刀を、三州公が手に取った。
刀は侍でないと身に帯びること――帯刀が許されないと、幾度も聞いていた。
打刀と呼ばれるそれは、先ほど返した脇差しよりも若干長い。
見かけは地味で、拵――外まわりは鞘も黒塗りなら柄も黒と暗赤の紐で巻かれていたが、野盗共の持っていた刀よりは余程上等っぽい見かけだった。鍔も造りが重厚で、雲の中に龍が彫られていて格好いい。
由来はと問う三州公に、小姓が答える。
「銘は黒部国岩波正道、三代目正道の業物にございます。
刃渡り二尺三寸ながら身は並のものより厚く、乱戦や長丁場に優れる反面、その重き故に扱いが難しいとされておりますが、この者の膂力について御家老様より一言あり、こちらをお持ちいたしました」
「よかろう。……『姫護』の号を贈る」
黒い拵の打刀は、その場で『姫護正道』と名付けられた。
両手で受け取ったが意外に軽い。もちろん、その名の意味は重いが……。
ちなみに業物の刀は、数打ちと呼ばれる量産品よりも上のクラスで、きちんと刀工の名が刻まれていることの多い高級品である。更に上には大業物や最上大業物など、名工の手による名品逸品があるので、実用品なら上物、浪人が手にするなら特上というところか。
「では、改めて下士足軽、松浦一郎。
役目返上を認め、出立を許す。
武芸に励み名を挙げよ……とは、敢えて申さぬ。雲宮様をしっかりとお守りせよ」
俺には姫護正道の他にも、身分証や紹介状の代わりになる三州公直筆の証文が渡され、功を賞した慰労金十両と共に旅小物ひと揃いも用意して貰えることになった。
「今宵は門出を祝し一席設けてやる故、その場にて話を聞こうぞ。おお、無論、鷹原守も誘うてあるし、雲宮様にもお許しを得てある」
「ありがとうございます!」
やがて用を終えた三州公のご一行が出ていくと、三人だけが残される。
「これからよろしくお願いします、姫様、静子様」
「ええ、頼りに致しますね、一郎」
「『姫護正道』の名に賭けて、姫様の御身を守って下さいませ。……頼みます」
こうして俺は、一日の内に二度仕える主人を変え、お姫様――和子内親王殿下の雇われ家人、浪人松浦一郎となった。
……仕官しているのに浪人の名が取れていない理由は、あくまでも俺はお姫様が旅先で雇った私的な使用人であり、宮中から官人や舎人と認められていない非正規雇用労働者となるからである。




