第十五話「美河入城」
坂井殿が鷹誉を走らせてからほんの一刻――二時間ほど。
窓から外を見ていた殿が『孝徳、見事』とつぶやくほどの早さで、迎えがすっ飛んできた。
階下が騒がしくなり、俺も背筋を伸ばす。
「一郎」
「はい、殿?」
殿は俺に声を掛けてから、確認を取るように静子様へと頷いた。
「万が一はない……とは思うが、気を抜くな」
「一郎、姫様の手前に」
「はい!」
数瞬の緊張の後、声が掛かる。
「殿! ただ今戻りました!」
「孝徳!」
「御免!」
「こちら、三州三川家の御家中の方々にございます!」
だが、どたどたと二階に上がってきた集団は、幸いにして坂井殿を先頭にした三州公の侍達で、お姫様だけでなく橋本家の一行まで城へと招かれることになった。
▽▽▽
前後を騎馬武者が固め、徒歩の侍が周囲を守る中、中央に和子様と静子様の駕籠、続いて橋本のお殿様と亀千代様の乗った鷹誉号が続き、俺と坂井殿はその後ろを歩いていた。
幸い、俺が想像したような『下にぃ、下に!』というアレはない。参勤交代じゃないし、大名は……うちのお殿様は大名だが、お姫様が中心の行列だったから、ちょっと約束事からは外れるんだろうと、勝手な解釈をしておいた。
「しかし、大事になったものよのう……」
「はい、びっくりしました」
紐をちょいと引いて背負子を担ぎなおし、腰の木刀と脇差しを確かめる。
後から気付いたが、鷹原から担いできた大荷物を荷ほどきする前で良かった。
担ぐのはともかく、荷造りがとても面倒なのである。今はその他にも、先ほど人斬り共から巻き上げた刀をくくりつけてあった。
「しかし、無念じゃ」
「どうかされたのですか?」
「刺身を食い損ねた……」
「ああ、そう言えば……」
そんな場合じゃないのは分かっているが、実は……俺もちょっと残念だ。
如何にも時代劇という佇まいの、運河堀の間に長屋と商家が幾つも続く町を過ぎたが、途中で通った関所は当然、フリーパスだった。
亀千代様の御目見えは、諸々が片づくまで延期されることに決まっている。
「一郎、あれが三州公の居城、美河城だ」
「大きいなあ……」
坂井殿が指さした先、夕暮れの中、遠くからでも目立つ一、二……五層の天守閣が見えた。
これこそ本物のお城だなあと、鷹原のお城を思い出して比べるのは失礼か。
「『三州三百三十万、三川の城に陰りなし』などと謳われるが、本当は三百三十万石どころではないらしいぞ」
「すごいとしか言いようがないですね」
何倍の石高だと計算するのは、やめておいた。
宿から歩いて二刻近くは掛かっただろうか、町を通り過ぎてからは豪邸……というか武家屋敷が並びだしたので、何となく気を引き締める。
「……」
到着した美河城は、見るからにでかいとしか言いようがなかった。
修学旅行で見た姫路城より、ずっと大きいかもしれない。……いや、巨大な堀や敷地まで入れて比較しようとしてもよくわからないが、五層の天守閣の他にも沢山の建物があり、石垣の上、矢狭間のついた壁と櫓が二重三重にそれを囲っている。
幅が十メートル――対面二車線の道路ほどもある巨大な石橋を渡り、長い槍に陣笠の兵士が守る大きな門をくぐり、折れ曲がった石畳を登っていけば、少し広い場所に出た。
「お預かりいたしますれば」
「お願いいたす。亀千代」
「はい、父上」
お殿様と亀千代様が鷹誉を下り、待ちかまえていた馬番の人達がさっさと引いていった。
他の侍も馬から下り、再び駕籠を囲うような配置につく。
下馬所という名のその広場から奥、再び石畳の回廊を二つほど曲がると、今度は天守閣より少し小さい三層の建物の前に出た。
今度は明らかにお殿様という格好――羽織袴を身につけた中年の侍が、大勢を従えて待ちかまえている。
殿の手仕草を合図に、俺達一行は共に並んで跪いた。……背負子を降ろし忘れたので、ちょっと肩が痛い。歩きやすいように重い物を上に載せていたから、この姿勢ではバランスが悪すぎた。
「雲宮様、よくぞご無事で!」
「美河守殿、御迷惑を掛けますね」
「何を仰いますか! どうかどうか、遠慮なく頼って下され。この美河、見かけの割にしっかり者なのですぞ」
「まあ!」
こっちのお殿様――三州公こと三川美河守は、随分と明るいお方だった。
腹でも叩いているのだろう、ぱぱんぱんと音が聞こえる。
「鷹原守もようやってくれた! 雲宮様の御身が無事であったのは真実、其方の手柄よ!」
「ははっ、ありがたき幸せ!」
「美河守殿、そのことでご相談がありますの」
「はっ、奥間にご案内いたします、どうぞ中へ。鷹原守、お主にも経緯を聞かせて貰おうぞ」
「ははっ!」
「静子、後は頼みます」
「畏まりました、姫様」
「藤治、ご一行の案内をせよ」
「はっ」
三州公がお姫様とお殿様を連れていき、亀千代様は坂井殿とともに別室で休憩となるらしい。
幸い、残った家臣達の中で一番身分の高そうな老人が、声を掛けてくれた。
「某は三川家家老、河内島藤治と申す者、以後見知り置き願いたい」
「おお、御家老様であられましたか! 某は橋本家留守居格、長柄足軽小頭、坂井孝徳、此度の若君の御挨拶旅の仕切を任されてございます」
「うむ」
「河内島様、再びの労をおかけいたします」
「ご無事で何よりでした、女房殿。
しかしながら御一行を襲った者共、未だ捕らえるに至っておりませぬ。しばし城内にてお過ごし下されませ」
宿でお迎えを待っている間に聞いた話では、四十人から居た他の付き人が皆殺しになっていたので本当に手が足りないらしく、俺ならば万が一の際、護衛としても頼りになるから是非にと静子様がお殿様に頭を下げていた。
ついでに言えば、この騒ぎで亀千代様の三州公御挨拶も後回しになってしまったので、橋本家は予定が宙に浮いている。
そのようなやり取りの末、俺は当面、静子様預かりの下働きとして扱われることになっていた。お城の雑兵とお姫様の家の下働きのどちらが上かはよくわからないが、まあ、大して違わないだろうということにしておく。
……ちなみに俺は、身分差もあって御家老様にも挨拶の必要がない。この点だけは気楽だった。
「そうじゃ一郎、荷はお城で預かっていただいておけ。
お主は当面、女房殿の手伝いが仕事ぞ」
「はい、坂井殿。えーっと……」
「ふむ。誰ぞ、荷を」
「かたじけのうござる、河内島様」
「はっ、では某らが」
俺も、よろしくお願いいたしますと、近づいてきた侍に礼をした。荷を降ろして肩を回す。
この重さでも苦しくはないが、軽いに越したことはない。
「うむ。……うおっ!?」
「どうした?」
「なんじゃこれは!? あ、上がらぬ……」
「あー……この者、鷹原一の力持ちにて、その行李には差し家紋や飾鞘どころか、旅荷の大半が詰まってござる」
坂井殿は、にやりと笑って俺の肩を叩いた。自慢の部下というあたりかもしれない。
飾鞘は槍の先につける家紋の描かれた妙にでっかい鞘、差し家紋とは家紋の描かれた黒塗りの板で、それぞれ借り物の槍、あるいは駕籠や漆塗りの担ぎ箱に取り付ける。三州公御挨拶の行列の際に必要なのだが、もちろん行列の人足も槍も駕籠も、ついでにお殿様と亀千代様の正装も、口入れ屋で借りる予定だった。
「ほほう!」
「この六尺男、伊達ではござらぬということであるか」
目を丸くする御家老様やお侍達に、曖昧に会釈する。
「坂井殿、この者、名は何と申す?」
「一郎でございます。小物格の雑兵なれど力はご覧の通り、付き人皆殺しではお困りであろうと、今は女房殿にお貸ししておりまする。
またお二方をお助けしたのも、この者にございます」
「ふむ、惜しいな。市井で見かけたのであれば、某が声を掛けていたものを……」
残念そうな……とは言っても、あからさまに値踏みされている様子だったので、もう一度、会釈だけをしておく。その間に、荷物は四人掛かりで運ばれることに決まったようだ。
その後、御家老様は一同に解散を告げ、坂井殿と亀千代様を伴ってお殿様が入っていったのと同じ、奥の大きな建物――実際にはその奥にある本丸御殿に向かっていった。
侍達が次々にあちらこちらへと散る中から一人二人、こちらへとやってくる。
「女房殿」
「小川様……」
静子様に小川と呼ばれた中年の侍は、丁寧な礼をとった。
お姫様達は昨日この城に泊まっていたから、その時に面識がある相手なのだろう。
「某が、女房殿のご案内とお世話を仰せつかっております。……ですが、その前に」
御一行の荷と亡骸をお改めいただきたいと、苦しくも哀げな表情で小川様は頭を下げた。