第十四話「身分の差」
五人組の後始末を終えた坂井殿と俺は、宿に戻って竹安さんから伝言を貰った。
「『即刻顔を見せよ』と、橋本のお殿様より言付かっております」
「……うむ」
さあ、どうなっていることやら……。
緊張気味の坂井殿に続き、二階へと上がる。
「孝徳、戻ったか」
「はっ!」
「一郎も入れ。お許しは頂戴してある」
「失礼します」
……お許し、と来たか。
大立ち回りの当事者であれ、もしかすると俺は入室を許可されないかもしれないと思っていたが、大丈夫らしい。身分差というものは、俺が考えているよりも許容の振れ幅が大きいのだ。そのことは、何となく学べてきている。
雰囲気からか、入り口で平伏してから入室した坂井殿をもちろん真似ておく。
「孝徳、御前である」
「……! ははっ!!」
ちらりと見れば、床の間を背にした上座には、少女がちょこんと座っていた。
亀千代様を横に座らせたお殿様とお付きの人らしい美人は、その両脇に『控えている』。……やっぱりどこかの大きな大名家のお姫様なんだろう。
「橋本家留守居格、長柄足軽小頭、坂井孝徳にございます」
中央の下座ににじった――膝立ちで歩いた坂井殿が、再び平伏して言上する。
何と言うことのない筈の旅籠の部屋が、とんでもなく澄んだ空気に支配されていた。
「一郎」
「はい!」
「通例は許されぬが、今回は特にご希望とのこと、お主も名乗れ。誉ぞ」
「はいっ! 鷹原国黒田城詰め、雑兵小物格、一郎でございます」
俺もにじって下座に進み、平伏して先ほどと同じように名乗りを上げた。
これが謁見というやつかなと多少緊張しているものの、似たようなことなら黒田のお城でもやっていたから、そこまで慌ててはいない。
「善き哉」
「ありがたき幸せ」
少女が頷いて返答し、お殿様が一礼する。
「坂井孝徳、一郎。面を上げよ」
お殿様に代わって、今度は美人が俺達に声を掛けてきた。
「常ならぬ事ながら、姫様は特に直答を許すと仰せである」
「ありがたき幸せ!」
「……ありがたき幸せ!」
よく分からないので、これも坂井殿に合わせておく。
それにしても、『ひいさま』……。
どこかのお姫様なのは間違いないが、その先は……考えるだけ無駄か。無礼を働いたときの結果に違いがなければ、俺にとっては大した違いじゃない。
「わたくしのことは、和子と。これに控えるはわたくしの女房、静子です」
「女房の静子と申します」
「……!」
坂井殿が座ったままびくんと跳ね上がり、平伏して動かなくなった。
当然、女房は奥さんって意味ではなく、たぶん日本史とか古文の教科書に出てきたような、元の意味の方だろう。
まあ、こっちの偉い人の事情なんて、名字があって刀持ってる人は偉いってことぐらいしか教えて貰ってないし、その先なんて分かるわけない。
そりゃあ……お殿様が九十度で礼をして、坂井殿が固まるような相手なんだから、それより偉いってことだ。今一つ本来の意味が分かってない俺だって、その雰囲気で固まったんだから。
……ってことは、少なくとも橋本家以上の大大名家とか、相当上の方の公家のお姫様。もしかすると『その上』って事もあり得るのか。
「一郎」
「……は、い」
声が、上擦った。
「改めて礼を言います。それから、顔をお上げになって」
「はい」
……。
もうどうにでもなれと、素に戻って顔を上げる。
怒られるわけじゃないなら、後は丁寧に……いやまあ、常識は今ひとつわからないが、何とかなるだろう。
改めて和子様の顔を見れば、年の頃十二、三の、可愛いさと美しさ、そのバランスがとれた顔立ちの少女である。失礼ながら、アイドル顔と言うより女優顔。着物は先ほどと同じく町娘風の小袖なのに、今は笑顔の中にもどこか気品が見え隠れしていた。
隣に控える静子様は、俺と似たような年ながらやはり大学の同級生などとは比べ物にならないオーラ……とでもいうのか、存在感が違いすぎる。背も高い方だし、特に先ほど、和子様を守ろうと必死になっていた表情がちらついて離れない。
「ありがとう、一郎。あなたのお陰で、静子と二人、命を失わずに済みました」
「あ、はい。……どういたしまして」
「ふふ、良いのです。先に鷹原守殿より、鬼すら見かけぬほど遠き地よりの飛ばされ者であると、聞いております」
にっこりと笑顔を向けられ、俺は柄にもなく照れた。
邪気のないというか、純真さに溢れているというか……自分が小さく思えて視線を逸らしそうになる。
「それから先ほどのこと、もう一つ謝らねばなりませぬ」
「えーっと……?」
「あなたの名乗り口上、聞かなかったことにしましたでしょう?」
「あ……」
言われてみれば、そんな気もする。
確かに俺は、『鷹原国黒田城詰め、雑兵小物格、一郎!』と、鷹原の者であると名乗っていたが、和子様は『どちらの御家中の方か存じませぬが……』と、お殿様には俺の名乗りを聞いていなかった様子で声を掛けていた。
「あの場は、ああするよりなかったのです。わたくしが『和子』であると知りつつ見ていた者が、他にもおりましたから」
「先に鷹原守殿にはお話しいたしましたが、今朝方三州公の居城を辞してより、こそりこそりと後を追ってくる者達がおりました」
和子様に代わって、静子様が後を引き取った。
透き通った上品な声は、耳心地がいい。……が、それはいいか。
「御料地に向かおうにも、人気の少ない場所を通らねばなりませぬ。これでは襲ってくれと言わんばかり、これは何やあると、付き人を姫様に仕立てて身代わりとし、人を遣って三州公にも助けを求めようとしたのですが、この賑やかな往来で堂々と襲われるなど……酷い話です」
大きく首を振った静子様は、随分と落ち込んだ様子だった。先ほどの凛とした姿はない。
「なにより酷いのが、相手も仕掛けも解っておりながらなお止められぬ、この身の不甲斐なさです……。姫様が一郎の名乗りを無視なされたのも、直答を許してもいない身分なき者の声を聞いていたなどと噂を広められるのは、火を見るより明らかとの故あってのこと。今一度、私からも詫びたく思います」
「そのようなわけで、一郎」
「はい」
お姫様は少し手を伸ばして静子様を慰めてから、俺に向き直った。
「今のわたくしは追われる身、本来であれば何か褒美を授ける……と口にしたいところですが、無理なのです。言葉は尽くせても、命の恩に報いる賞のなきこと、誠に申し訳なく思います」
「あの、では……」
「はい?」
「この刀の内の一本、貰ってもいい……よろしいですか?」
俺の座った横には、先ほど持ち込んだ大小七本の刀が並べてあった。もちろん、先ほどの五人組から巻き上げたものである。お殿様や坂井殿の腰にある刀よりは安っぽいが、どう考えても木刀よりはましだった。
出来れば一番長いやつがいいなあと俺は刀をちらちらと見比べていたが、大きなため息とともに、小さな呻きが聞こえてきた。
「ああ……。鷹原守殿……」
「はっ」
「……一郎は、良き若者ですね」
「ははっ、勿体なきお言葉にございます」
震える声に、はっと上座を見れば。
お姫様が、泣いていた。
「ごめんなさい、やっぱり……」
「よいのです、一郎……」
俺は慌てたが、お咎めはなかった。
……後でこっそりとお殿様にお伺いしたところ、無礼なことを口にしてお姫様の体面を傷つけたわけではなく、恩賞が出せぬと詫びた姫様に対して、どうとでも取れる無銘の刀を恩賞に――巻き上げた刀や財布は、この時点では蚊帳の外に置かれており、悪党成敗を命じた亀千代様の物でもなく、直接戦った俺の物でもなく、もちろん、襲われたお姫様の物でもなく所有の権利が浮いていた――欲しいと、その場の誰もが困らない気の利いた選択肢を示したように受け取られたらしい。
「……一郎」
「はい?」
「遍く世を照らす帝の娘とはいえ、宮の外にあってはこの程度のもの。……いえ、宮内でも大して変わりのないことでしょうね……」
「!?」
……帝の娘、って。
ちょっと、待って欲しい。
こっちに来てから、人の縁と言わず何と言わず、『引き』が強すぎて恐いぐらいだ。
流石に頭を抱えたくなった俺である。
しばらくして和子様は立ち直られ、俺にもう一度笑顔を向けてくれた。
「では、鷹原守殿、前のこと、宜しく願います」
「はっ、御免仕ります」
話はそれで終わったのか、お殿様が半身ほど前ににじって、下座へと身体を向けた。
「孝徳」
「はっ!」
「鷹誉を貸し与える故、三州公の御元まで早駆けせよ。書状は今より書き上げる。すぐに備えい!」
「はっ、畏まりましてございます!」
坂井殿は身を翻し、たったったと階下に降りていった。
「一郎」
「はい!」
「新命あるまでは女房殿に従い、内親王様をお守りせよ」
「はい、殿!」
お殿様の命令は、単純明快だった。
ただ、残念なことに……。
「お主の身分では打刀など持たせられぬし、迎えが来るまでの間ながら、室内での立ち回りを考えれば短い方が扱いも良かろう」
と、俺に渡された刀は七本の内では一番短い脇差しで、それだけが心残りである。




