第十三話「悪党とお姫様」
「焼きたてですから、お熱うございます。気を付けて下さいまし」
「ありがとう。どうぞ、亀千代様」
「うん。いいにおいだね、一郎」
「はい。餡子も美味しいですが、焼いたお味噌もいいですよねえ」
焼き味噌の団子と、店の名物だという甘酒に龍護通寶を一枚……十六文を払い、亀千代様と通りを眺めながらのんびりとさせて貰うことにする。
ちなみに大きい龍護通寶が十六文、中くらいの始天通寶が四文、手元にはないが小さい遍鎮通寶が一文になる。分金朱金と違って数字が書いていないので最初は戸惑ったが、慣れるのはすぐだった。
「うちのお味噌は別格でね、水飴と酒粕で練って甘味を付けてあるんですよ」
「へえ、水飴かあ」
「気に入ったなら、たんとお代わりなさってね」
「はい」
お殿様から手渡された小銭は大小合わせて四十文ほどだったから、そのぐらいの時間はのんびりしていろという事なのだろうと、勝手に解釈しておく。
亀千代様が茶屋に飽きれば……町中をうろうろしてはまずいだろうが、旅籠に戻って部屋で遊べばいいだろう。
「それにしてもお兄さん、大きいわねえ」
「はは、よく言われます」
「お角力さん?」
「いえ、違いますよ」
茶屋の女将さんは俺を上から下まで遠慮なく見てから、ごゆっくりと一言残して店の中に引っ込んでいった。
「一郎は大きくて力持ちだから、みんな驚くよね?」
「そうですねえ。飛ばされる前は滅多に驚かれなかったので、私の方が驚いたぐらいです」
「一郎の故郷は、やっぱり大きい人が多いんだ……」
「私より大きい人も力持ちの人も、沢山いますよ」
もちろん、プロレスラーやバスケットボール選手でなくとも、現代日本なら百八十センチぐらいの身長の人は沢山居るわけで、大して自慢にもならない。
正直なところ、高いところの物を脚立なしに取れるとか、そのぐらいしか得がなかった。
「じゃあ、一郎は――」
どんがらがっしゃん!
隣の店の方から大きな音がしたので、思わずそちらに目を向ける。
「一太刀で綺麗にあの世まで送ってやっから、暴れなさんなって!」
「貴男達、何処の手の者です!」
「まあ、名乗ったところで意味はねえが……」
「あんたらが死ねば、俺達は儲かる。それだけだぜ」
「そうそ! いつもの事ってか!」
「おのれ下郎……」
通りの側には刀を抜いた侍っぽいのが五人、着物は上等そうで髷も結っているが、面構えは軽薄だったりあからさまな悪人面ばかりで、よろしくない。
片や壁際、俺と同い年ぐらいの美人が、谷端上郷の若菜とそう変わらない年の女の子を背に庇い、短刀を構えていた。
「なんだなんだ!?」
「果たし合い……じゃねえな、こりゃ!」
「仇討ちか?」
あっと言う間に野次馬が集まりだしたところまで含め、どこの時代劇のイベントだと笑いそうになったが……女性二人の表情を見て、俺は心底後悔した。
TVなら、斬り殺されてかわいそう、で済む。
だが……。
正に、命懸け。
美人の方は、死を覚悟した鬼気迫る表情で。
女の子は恐怖と闘いつつも、一手を探そうとしているかのようだった。
「見せ物じゃねえ……と言いたところだが、今回はあんたらがここで死ぬってことが大事でよ」
「証人だきゃあ幾らいても足りねえってことはねえんだ、ははっ!」
「お前らがここで死んだって証人がよう!」
「下劣な……!」
美人は短刀一本、相手は長物の五人組。
最初からまともな勝負になるはずもなく、刃も交わさないまま彼女たちはじりじりと追いつめられた。いたぶるように、あるいはおちょくるように、刀の切っ先が幾つも幾つも、順繰りに伸びる。
……何か、嫌だ。
とてつもなく、嫌な気分になった。
あれをそのまま見捨てるのは、よくないだろう。
「……一郎」
「!! 亀千代様!」
そうだ。
声を掛けられて思い出す。
……俺の仕事は、亀千代様を護衛すること。
こんな血なまぐさいやりとりを子供に見せながら考え込んでいるようでは、何のための守り役かと恥ずかしくなる。
「すみません。……静かに旅籠へ戻りましょう」
抱きかかえようと手を伸ばした俺を、亀千代様は睨み付け、息を吸い込んた。
「一郎!」
「は、はい!?」
大きすぎる、亀千代様の叫び声。
「あの悪党ども、下して参れ!!」
俺の袖をぎゅっと引き、大声を張り上げる亀千代様に、周囲の目が集まった。
……当然、五人組も女性達も、こちらを見る。
「一郎!!」
幼くとも、流石は大名家の跡継ぎだ。
心が決まった俺は亀千代様に小さく頷き、短い木刀を手にゆっくりと立ち上がった。
「はいっ、亀千代様!!」
もう、後には引けない。
だが、気の持ちようはとても軽くなっていた。
「なんだなんだ、証人じゃ不満ってか?」
「おいおい、こいつ木刀で俺達の相手したいらしいぞ!」
「へへ、主命には逆らえねえってか?」
「柄はでけえが、馬鹿だろ、こいつ……」
「大男、総身に知恵が、回りかね、ってな!」
五人組はこちらを向いたが、それは割とどうでもいい。
五本の刀、五つの切っ先。
それだけだ。
「……」
「……」
もう一方、不安そうな、しかし何かを期待するような四つの瞳。
改めて見やれば、二人それぞれに顔立ちの美しいことに気が付いた。
着物は町娘風だが、短刀の美人も後ろの少女も、どこか儚げな中に芯の強さを持つ、そんな美しさを感じる。
先ほどの五人組とのやり取りから考えても、最低限かなりいいところのお嬢様、どこかの大名のお姫様だったとしても驚かないだろう。
「名乗りな、でくの坊」
「名乗ったらお互い後には引けねえのがこっち界隈の仁義ってやつだが、名前ぐらいは覚えといてやる。……今日一杯ぐれえはな」
完全に舐められているのか、身体ごとこちらを向いたのは端にいた一人きりである。
俺は木刀を手に、出来るだけ大きな声を出した。
「……鷹原国黒田城詰め、雑兵小物格、一郎!」
橋本家『家臣』、とは名乗れない。
家臣は最低限士分――足軽以上の侍と決まっていて、俺はその下なのだ。
一瞬、通り全体がしんと静まりかえると……続いて大爆笑が起きた。
五人組だけではない。
野次馬連中がものすごく盛り上がって、収拾がつかないほどである。
美人二人も、少し困った顔をしていた。
……何か間違えたらしい。
「あのな、兄ちゃん」
「はい?」
町衆だろう、野次馬の一人が涙を拭いながら俺に声を掛けてきた。笑いすぎたせいでそうなっただろうことは、一目瞭然である。
「名乗れと言われて名乗るのは、お侍様か、名字帯刀を許されたお人ぐらいだよ」
「え、そうなんですか!?」
「おうよ。それなのに兄ちゃんがよう、木刀構えて『雑兵小物格!』なんてやるからおかしいのなんのって……」
「あー……」
なるほど。
そもそも、名乗りに答えてはいけなかったんだと気付く。
だがまあ、それは後だ。
「おいおい、本当に木刀でやるってのか?」
「……」
「フン! まあいい。お前はでけえからな、一の二の三、四太刀で切り刻んでやろう!」
やり取りに飽きたか、手前の一人が刀を振り上げて走り込んでくる。
一瞬緊張するが……小鬼並に鈍い。鈍すぎる。
長さから見て二尺と少し、この腕では刀がもったいないなと、呆れつつもため息をつく余裕さえあった。
「な、何!?」
振り下ろされた刀の腹を木刀でちょいと弾いてやれば、切っ先は大きく地面を斬りつけた。
そのまま木刀の先を返し、鳩尾のあたりに突き入れてやる。
「ぐはっ!」
ばたりと倒れた一番手の向こうに、驚愕の顔が幾つも見えた。
「なんだ、ぶへっ」
「貴様でゅはっ!?」
「ちょ、うおっ」
そのまま俺は走り込み、近い方から順に刀の腹を弾いては手首を叩き、あるいは横腹を殴りつけた。
「つ、強えぇ……」
違う。
あんた達が弱すぎるんだ。
……正直言って、庭で稽古をつけて下さったお殿様や坂井殿は俺なんかよりずっと素早いし、合わせた木刀がずしんと重かったのはよく覚えている。
最後の一人はさっと身を引いたが、俺は一足飛びに距離を詰めた。
体勢が乱れたところを足払いし、蹴り飛ばす。
「がッ!?」
俺は脇腹を押さえて踞った男に、ゆっくりと近寄り――。
「そこまで!!」
振り返れば、お殿様が刀の柄に手を添えてこちらを見ていらっしゃった。
隣には、坂井殿が亀千代様を抱きかかえて立っている。
俺はほっとして肩の力を抜き、一礼した。
「後は余が預かろうぞ。……一郎、ようやったわ」
「はい!」
これだけの騒ぎにはなったが……お殿様は満面の笑みで、叱責というわけではなさそうだった。
「孝徳、亀千代は余が見ておる。良きに計らえ」
「はっ、御意に! 一郎、まずはこ奴らの刀を狩るぞ!」
「はい!」
武装解除……というより、身ぐるみを剥ぐのだろう、坂井殿は懐まで探っている。
息を吹き返したところでまた刀を振り回されてはたまらないし、旅先を追いかけられても迷惑だ。
「あのっ!」
後ろの方で美人二人の内、少女の方から声が掛かった。
……彼女たちを助けようとしたのを、ようやく思い出す。
「どちらの御家中の方か存じませぬが、命をお助けいただき、誠にありがたく存じます」
こちらと、そして亀千代様にも向けて丁寧に一礼をした少女に、お殿様は笑みを浮かべた。
妙齢の美人の方はもう短刀もしまい込み、落ち着いた様子で一歩後ろに控えている。
「うむ、無事これ何より。これもまた巡り合わせよの」
「はい」
「運の良いことに、我が家で最も力の強い一郎のおる場であったからこそ……の……」
それまで笑顔だったお殿様の顔が、徐々に引きつっていき、ごくりと息を飲む。
「た……」
「……父上?」
「大変御無礼仕りました! そちらの旅籠に宿を取っておりますれば、すぐに茶などを運ばせまする!」
普段は人好きのする笑顔と、余裕のある柔らかい言葉遣いの優しいお方なのだが……。
小鬼退治もかくやと言うほどの緊張具合で、お殿様は九十度に頭を下げた。
「ささ、此方へ!」
亀千代様を抱えながら美人二人を下にも置かぬ様子で旅籠に案内していったお殿様に、俺だけでなく坂井殿もぽかんとしている。
逆に野次馬連中は大いに盛り上がっていた。
「しっかし大きい兄ちゃん、あんたすげえな!!」
「木刀一本で浪人五人を相手に大立ち回りたあ、大したもんだぜ!」
「ありゃ、どっかのお姫様かいの?」
「お殿様だったのかい、あの子連れ侍は!」
「なんじゃろなあ……」
「しっかしえっれえ美人だったわいな」
五人を通りの隅に並べて懐を探る間も、野次馬達はうるさいほどで何だかやりにくい。
「……坂井殿、どうしましょう?」
「番所に突き出しても大した取り調べもされぬだろうし、後は捨て置くだけでよい」
「はあ……」
酷い話だが、これもこちらのやり方なのだろう。
釈然としないが、人斬りの末路としては上等な方らしい。
俺は大小の刀を抱え、小さくため息をついた。
「お主のお陰で血の一滴も流れておらぬ故、命までは取らんでよかろうさ。逆恨みされようと、一郎なら木刀一本で返り討ちに出来ると知っておるのでな、某はあまり心配しておらん」
にやっと笑った坂井殿は、巻き上げた財布や小物を手ぬぐいにまとめた。
俺も刀を抱え、それに続く。
しかしあの二人の美人、何者だろう?
もしかせずとも、本当にお殿様よりも偉い家のお姫様だったとしても不思議はないが……。
「さあ皆の衆、散った散った! これにて一件落着でござる!」
それにしてもだ。
「……」
この巻き上げた刀の内、一本ぐらいは貰えたりしないだろうか?