第百二十三話「一行の来訪と甘茶碗」
第百二十三話「一行の来訪と甘茶碗」
「殿、鷹羽丸が見えて参りましたぞ!」
「おう、頼むぞ!」
慌てようが走り回ろうが暦は進むわけで、機古屋守様御一行を迎える日はあっという間にやってきた。
「正一郎!」
「おう! こっちは皆でえじょうぶだ!」
やれるだけはやったが、まだまだ何か足りない気がしてくるのは俺の悪い癖か。
背後に控えた信且、戌薪、源伍郎らにちらりを目をやり、凪いだ海を見て高ぶりを鎮める。
「よし、引け!」
「えいやさ! そいやさ!」
櫂を立てた鷹羽丸の行き足が止まり、水夫が綱を投げる。
うちの船着場は城の大きさ見合わず石造りで、小さいながら見栄えはいい。
甲泊には負けるが、最大で三隻の関船が横付けできた。
荷役を考えなければ、もう二、三隻は詰め込めるだろう。
鷹羽丸に渡り板が掛かるのに合わせ、皆で整列する。
幸いにして、平伏の必要はなかった。
上位者となるお二方には先の戦いの際、既に初手の挨拶言上は済ませている。
俺は渡り板に立った先頭の侍と視線を交わし、互いに頷いた。
「お初にお目に掛かる。某、御一行の露払い役、従八位上裾森結城守政之でござる」
「黒瀬国主、従八位上鎮護少尉松浦黒瀬守和臣でござる。遠路ようこそ参られました」
まずは露払い役に選ばれた結城守と、作法通りに挨拶を交わす。
名は知っていたが、結城守は先の戦役では段坂の北で守りについており、機古屋や帯山では見かけなかった。
「世話になり申す」
「心より歓迎いたしまする」
戌薪らお庭番衆を通して連絡は取り合っていたが、双方余計な言葉は口にしない。
俺と結城守に関して言えば同じ細国の国主同士で官位も同等だが、結城守は『露払い』、広い意味では御一行の最上位者の代理人となる。
初手の礼儀は互いに守らねば、機古屋守らに対して失礼となった。
「黒瀬守殿!」
「おせわになりまする!」
「機古屋守様、帯山守様! ようこそのお越しを!」
続いて降りてきたのは、この旅の主役正六位上早川機古屋守友成様と、復興中で機古屋預かりとなっている正七位下宗田帯山守家正様だ。
その後ろから、苦笑気味の勲麗院様がゆったりと降りてこられる。
「久しいな、黒瀬守」
「はい、勲麗院様もお変わりなく」
その顔には、先の戦場で見せつけていたような険はない。
勲麗院様は余裕を含んだ表情で、面白そうに俺を見た。
「くくく、しかし初手から驚かされたの」
「はい?」
「フン、細国大名が関船を有しておるなど、考えもせなんだわ」
楔山までは陸路での移動を予定していたそうで、馬は諸使殿に全て任せてきたという。
予定外の船旅ながら、幼き国主お二人にも好印象だったようで、そこのところは褒められた。
「諸使殿より黒瀬の景気はよいと聞いたが、どうじゃ?」
「上を向いているとは思っておりますが、内実が伴っているのかどうか、自分でも良く分からなくなっております」
「……ふむ」
一行の世話や案内は信且らに任せ、城への道を歩みつつ、勲麗院様とあれこれ話す。
「段坂の復興はいかがですか?」
「手詰まりとは言いたくないが、思うようには、の。だが、主より譲り受けた赤鬼頭の魔ヶ魂のお陰で、叔父上にはかなりの無理を聞いて戴くことが出来たわ。改めて礼を言いたい」
「こちらこそ、先日頂戴した御仁原の狩人株、あれには本気で助けられております。本当にありがとうございました」
「主なればこそであろうが、各々助かった、ということにしておくかの。……それはともかく、東津武士団の顛末を聞いた叔父上が激怒なされての、それもあっての東下訪問なのじゃ」
「は、はあ……」
勲麗院様は大きくため息をついて、俺を見た。
困り顔にも面白そうにも見え、身構える。
「まあ、それは後のお楽しみじゃ。……静子!」
「時姫様!」
狭い楔山城下、少し歩くだけで城に到着する。
城門の向こうには、俺の嫁さんらと女房衆が笑顔で一行を待ち構えていた。
「随分と美しゅうなったの! 元気でおったか?」
「はい、もちろんでございます!」
「それから、貴女が和子様であられるか? 都暮らしの折、静子よりよくよく話を聞かされておりました」
「お初にお目にかかります、時姫様。ふふ、わたくしも時姫様のことはよく聞かされておりました」
流石にアンや朝霧とは面識もないだろうと、旧交を温める嫁さんらを楽しげに見守っていたのだが、勲麗院様の笑顔がぴたりと固まった。
「な、北山中将殿!?」
「お久しゅうございますわね、時姫殿」
「なぜに貴女様が三州に……!?」
「黒瀬守様にご無理を申し上げ、国取りにご同道させていただいたのです」
「なんと……」
北山中将殿こと資子殿も元は宮中の貴人、九大大名家のお姫様ならば、知り合いでも不思議ではない。
ただ、聞けば知り合ったのは宮中絡みではなく実家の縁であり、喜ぶ静子の手前、出しゃばるのも無粋と、再会の楽しみを内に秘めていたそうだ。
さあさ皆様もお疲れでございましょうと、資子殿はぱんぱんと手を叩いた。
女房衆が手馴れた様子にて、この日の為に空けてもらった本丸大広間へと一行を先導する。
時間的には昼過ぎだが、船にせよ徒歩にせよ、予定通りの旅など大倭では望めるはずもない。
いつの到着でも慌てぬよう、歓迎の準備は十分に整えていた。
城中に滞在していた民達は、雑魚寝よりは随分とましな長屋を得て、既に領国内の各地に散っている。
……この差配が一行の歓迎以上に大変だったことは、言うまでもない。
▽▽▽
「……黒瀬守、これは何じゃ?」
「この日の為にご用意いたしました、甘茶碗でございます」
まずは小手調べとばかりに、取り寄せた卵、葛粉、水飴などで無理やりに作った卵プリンを、茶請けとして出してみる。
「どうぞ、匙ですくって口にお入れください」
小さめの湯飲みに薄黄色い中身と、見た目はほぼ茶碗蒸しで、トッピングに刻んだ干し柿を乗せていた。
カラメル代わりに煮詰めて軽く焦がした水飴をとろりとかけてあるが、その香りもまた忌避されるようなものではない。
卵を溶いて蒸すという点でも、それほど得体の知れないものには見えないはずだ。
手に入るなら牛乳も欲しかったが、諦めていた。
牛や馬も育てられているが、馬は軍馬、牛は牛車や荷車の牽引、あるいは牛鋤用が大半を占める。
乳牛について聞いてみれば、辛うじて宮内省典薬寮乳牛院が管理する御用牧場にて細々と育てられているという。蘇や醍醐といった乳製品は儀式の膳に用いるものが細々と作られているものの、宮中ですら貴重品として扱われているそうだ。
……牛乳は栄養豊富でとても応用の利く品だが、下手に手を出さない方がいいかもしれないと思わされた。
「黒瀬守殿、とてもおいしいです!」
「それがしも、おいしいです!」
「それはようございました」
それら裏事情はともかく、試作の手間こそあったが、卵プリンが卵とだし汁で作る茶碗蒸しに近いことは、元より知っていた。
あとは、味と食感を俺の知るそれらしく整えてやればいい。
ついでに季節は皐月五月、『プディングだわ!!』と大喜びしていたアンに頼んで、魔法で少しばかり冷やして貰っている。
試作品の味見は、和子らもとろけるような笑顔になっていたから、最初から心配していない。
「はああぁ……」
「勲麗院様!?」
「……いや、うむ。口どけまろやかにして、至福。なんとも贅沢よの、この甘茶碗。黒瀬守、見事」
「はっ、お褒めに預かり光栄でございます」
勲麗院様も和子らと同じような表情になっていたから、まあ、初手は黒瀬の勝ちということにしておこう。
女房衆らが鬼気迫る表情で我先にと試食の指名を迫ってくる場面もあったぐらいで、世界は変われど甘味の持つ魅力は変わらないと、再認識した俺だった。
さて、茶と甘茶碗でもてなした一行だが、国主のお二人には、長旅の疲れもあるだろうと食後すぐに勲麗院様が昼寝をお勧めされ、大人組は雑談に興じることとした。
旅の予定は黒瀬国で五日ほど過ごすとあるだけで、幼きお二人に気遣う部分も含め、その差配や歓待は黒瀬国に一任されている。
「戦役以来、どこか憂いていた吉千代と一太の屈託のない笑顔が見られただけでも、黒瀬を訪うてよかったわ」
「はっ……」
軽く近況を聞き入るうち、話題の中心は段坂地域の復興へと移った。
やはり一筋縄では行かないらしく、あれこれと手を尽くしているものの、足りないものばかりだという。
黒瀬も新たな町を普請しているところだが、利権の絡み方一つとっても、新興と復旧では大きな差があるはずで、勲麗院様のため息にも苦労がにじみ出ている。
「金子も人手も足りぬ。だがまあ、その均衡が保たれておるからこそ破綻せずという、まっこと、苦い笑みしか出ぬ状況であるな。海道屋もよく援けてくれているが、あまり無茶も言えぬ」
海道屋はかつて勘内が番頭として勤めていた大店であるが、あの戦役では御用商人として活躍していた。
だが如何に大店でも、支えるには限度がある。壊滅的な打撃を受けた機古屋国と帯山国だけでも四千石以上、周辺も無論、被害は大きい。
勲麗院様曰く、資金が足りないから思うように復旧も進まないが、雇用も少ないので出て行く金も少ないという、苦しいからくりであるという。
「だがな、それでも旧に復する歩みは進んでおる。それだけは確かじゃ」
「然り」
「結城守殿?」
「既に帯山にも民が戻り、焼けた家を建て直し荒れた畑を耕しておる。その意気には胸打たれたが、我らも負けてはおられんと、気を張りなおしたばかりだ」
それまで黙り込んでいた結城守が相槌を打ち、小さく笑顔を見せた。




