第百二十一話「代官巡察」
第百二十一話「代官巡察」
「京南浪人、栗本一之助!」
「ははっ!」
「春狩りでの働き、見事なり! よって下士足軽二両一人扶持にて召抱える!」
「ありがたき幸せ! より一層精進いたします!」
春狩りの論功行賞は、予定通り新城と楔山にて行われ、組頭格三名、足軽格十余名を新たに黒瀬国の侍として組み入れることとなった。
配置は今後の治安維持に重要となる見廻組、特に東組の戦力拡充がメインで、他にも別口で勘定役小田師隆の配下として勘定方役人に採用した者もいる。
「では各々、今後ともよろしく頼むぞ!」
「ははっ!」
残念ながら幾人かには断られていたが、これは腕を見込んだ黒松屋と誉屋、そして新城町会所が用心棒に抱えた為であった。
腕に見合う給金を出せないことに加え、希望者全員を丸抱えできないことは最初から分かっている。
遠く東津や美洲津へ向かった者もいたが、当人達も含めて相談した結果であり、問題にはなるまい。
「褒美も貰ったし、今日は飲むか!」
「これでついに、某も仕官の夢が叶ったぞ……」
「おい、新津で漁師の日雇いがあるってよ!」
日当とは別に、諸々を合算して褒美には全部で百両ほどを弾んでいたが、これも投入戦力に見合った成果の現れ……と胸を張りたいものの、残念ながらそうではなかった。
当初は利益も折半と考えていたが、町開きに加えて築城となれば、これはもう、中途半端に取り分を要求するより評判を買った方がいい。
成果は全て町会所に預け、黒瀬は利益なしとした。
無論、百両の褒美を用意したのは町会所で、今後、築城で好景気が見込まれる新城の発展を見込んだ梃入れとご機嫌取りが、東下の相場ではなく東津の相場で行われた結果である。
▽▽▽
「しかし、今年の春狩りは大した成果にございましたな。取引が四百両に届くとは……。無論、町開きの代金と思えば、勘内らには無理をさせてございますが」
「うん、当面は頭が上がらないな」
十倍の戦力投入には、十倍の成果。
それはともかく、春狩りを無事に終えた後は、楔山の二の丸客間を戦場として、帳簿との戦いが待っていた。
信且と梅太郎を両翼に、収入と支出の書き出しを並べてチェックしながら、今年も乗り切れそうか思案する。
金子こそ一文も入ってこなかったが、人の遣り繰りにも気を遣うし、春漁もそろそろ本腰を入れる時期だ。
国庫への積み上げなし、民人どころか抱える侍まで増えて支出は増える一方……とは言うもの、今年の春狩りは、大成功である。
幸いにして夏頃までは見通しが立っているし、新城以外に職を得た者も多い。
新たに一千の民人を受け入れて飢えさせず、ひと月余の時間を稼いでくれた上、春漁も前倒しで行うことが出来ていたのに加え、領内では貨幣経済の雛形が出来上がりつつあり、少なくとも、後戻りしているという感覚はなかった。
「兵の数もそうですが、都の浪人は腕が立つのですね」
「そうだな。例年より深く分け入ったとはいえ、よくもまあ、これだけの戦果を稼いでくれたものだ」
「しかし、来年の給金の合算はいかほどになるやら……」
「駄目そうならまた、御仁原で稼いでくるよ」
ちなみに、本来この場にいるべき勘定役の師隆は、新城町会所の会合に呼ばれて留守だった。
町作りも築城もうちの金じゃないが、それなりの立場かつ数字に秀でた師隆は、睨みを利かせるのに適任らしい。
特に、誉屋の番頭達が臨席する会合には、是非ともご出席をお願いしたいと、喜一が俺のところへ挨拶しに来たぐらいである。
「さて、今年の食い扶持ですが……麦米の比率も考え直さねばと、意見を預かっております。城の賄いは、皆が楽しみにするぐらいの方がいいのかとも勘案致しまする」
「新城新津については、もう金を払って飯を食う状況なんだろうが……」
無論、会所には既に、師隆の一族から一人送り込んでいた。
師隆の従弟、小田隆直である。
しかし彼は、吟味役――監査をする役人として請われたはずが実働要員として町割りの仕事に取り組んでおり、実際の京を知ることも含め、『その知恵、値千金』と会所の面々が舌を巻くほどの活躍をしているという。
当人も吟味の傍ら、楽しそうに算盤を弾いており、町作りの速度が一割二割も短くなる気配にて現状を追認して頂きたく存じますと、会所の面々に揃って頭を下げられれば、うむと頷くしかなかった。
「どちらにせよ、二千人なら年に二千石の飯を食うんだよなあ……。いつもの通り、蓄えは救荒対策を主とすること、これは譲れないが、それはそれとして、というところか?」
「ははっ。まずは二千の民の飢えに対する備え、次に俸禄の支払いに宛てる金子、余力にて米などを手当て致したく思います」
「うん、基本はそんなところだな」
黒瀬の国是の基本は飢えぬこと、まだまだ暮らし振りをどうのという段階には遠いなあ、などとため息をついていたが、それ以外にも面倒ごとは山ほどある。
「失礼いたします」
「静子、どうした?」
「東下代官陣屋より、先触れが参りました。代官花房諸使様が、こちらの巡察に参られるそうです」
いやまあ今更かと、困り顔の一同に、俺は肩をすくめた。
年初に挨拶はしていたが、年明けよりこちら、あれだけの数の人や船が出入りしていては、代官殿も見て見ぬ振りというわけにいくまい。
東下の細国大名の動向としてみれば、黒瀬国は異様としか言いようのない状況なのである。
……先触れから預かった手紙には、『是非とも海老の富禮を所望する』などと書かれていたが、その程度の要望で済ませて貰えるなら、こちらとしてもありがたい限りだった。
数日後、月は替わって卯月四月の三日。
馬に乗った花房諸司様の一行が、黒瀬楔山城にやってきた。
「久しいな、黒瀬守!」
「ははっ、花房諸使様もお元気そうで何よりです」
供回りは四人で最低限、幸い先触れも貰っていたし、大入りの満員御礼が続いていた楔山城からも多少は民人が減って、代官様一行をお泊めする余裕は辛うじて確保できていた。
二の丸の客間も、今日ばかりは政務の残り香を消している。
床の間には春を描いた墨絵、花瓶には遠山から届けさせた春草。
藁編み座布団も、新たに編まれた新品である。
以前を考えれば、部屋に季節の装飾があるなど、大躍進としか言いようがない。
「どうぞ」
「うむ」
諸使様に上座を譲って下手で一礼すると、茶道具を捧げ持った静子らが現れた。
もっとも、本丸のあたりからは子供が走り回る声も大きく届いていて、面白そうな顔でそちらを見る諸使様に、もう一度頭を下げる。
「未だ混乱より抜けきれておらず、申し訳ありません」
「ああ、構わぬよ。……ほう、これは美味いな!」
都からの粗茶を手で選別して煎った焙じ茶に、たっぷりと水飴黄粉がかかった葛餅は、せめてもの心づくしであると同時に、女房らが故事を元に知恵を絞ってくれていた。
俺が黒瀬国を引き継いで以来、最高の上客であることは、皆に良く言い含めている。
諸使様には去年の戦役でも大変世話になっていたから、裏も表もなく歓待していた。
「さて、黒瀬守」
「はい、諸使様」
さあ、本題かと、姿勢を正す。
巡察、つまりは国の様子を視察する為にわざわざお越しなのだから当然ではあるが、いやが上にも緊張が走る。
「余が黒瀬に来たは、『黒瀬を見る』、これには違いないのだが……」
「はっ」
「ふむ……」
何故か、困り顔でため息を俺に向けた諸使様である。
その顔とため息は、俺の方にこそ相応しいのだが……。
「近い内に、機古屋守様が東下にお越しあそばされるそうだ。余の巡察は、その下見とでも思うてくれ」
「は……!?」
「昨年の助力の礼であると同時に、国主として見聞を広める意味もあるそうだが、当然ながら勲麗院様も同道なされような」
勲麗院様からも、必ず黒瀬を訪れようと念押しされていたし、それこそ、今更か。
差し当たっては諸使様の歓待を過不足なきよう成功させて、本番につなげるのが肝心だった。
「……その節は、よろしくお願いいたします」
「うむ。……ところで黒瀬守よ」
「はい」
「国の格上げは考えておらぬのか? 黒瀬は最早、細国とは呼べぬと聞き及ぶが……」
「いえ、特には。本当に、それどころではございませんので」
実情との乖離はともかく、悪目立ちして武州に潰されるのが嫌なので、とは流石に言えない。
しかし諸使様は、しばらく思案してから、面白そうに俺を見据えた。
「ふむ、その言い訳が勲麗院様に通じればよいがな」
「諸使様!?」
その場では、わははと笑い飛ばされたものの、翌日の新津、新城の視察後。
全く同じ言葉を、真顔で口にした諸使様であった。




