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第百十九話「誉屋の事情」

第百十九話「誉屋の事情」


 誉屋喜一。


 小柄ながらその眼光は鋭く、親から継いだ小店(こだな)を一代で三州東方随一の武具商に育て上げた男である。


 並んだ勘内が、(すね)半分だけ後ろに控えた位置に座していることから、この申し出も喜一主導であることが伺えた。


「喜一、勘内、遠路ようこそだ。申し出は、非常にありがたい。だが、こちらも少々どころではなく驚いていてな」

「ははっ」

「正直、裏があるのではないかと、思っていたりもする」

「はっ……」


 かまかけにも動じないところを見ると、そのあたりは予想済みなのだろう。


「そこでだ。……腹の内を全て話せとは言わない(・・・・)から、俺や黒瀬の面々が納得出来る理由を突きつけてくれないか?」

「……なんと!?」


 思わず面を上げた二人が、顔を見合わせる。


 このあたりは俺の独断だが、同じく普請の申し出を受けるなら、気持ちよく金子を出して貰いたいところだった。


「ぶっちゃけてしまえば、この話、黒瀬はもう受けざるを得ないんだ。東津に(たな)を構える喜一ならばよく知っているだろうが、先年起きた段坂帯山の戦い、東下ではあのような襲来、いつ何時あっても不思議ではないとも聞いている」


 黒瀬の総戦力は、この二年で倍どころではなく増えていたが、守るべき民もまた同様に増えている。


 そして、昨年あった段坂帯山の戦いを思い出すまでもなく、数年から十数年に一度は、近隣の魔妖領域に接するどこかで、あの規模の襲来が起きていると、俺は聞かされていた。


 ましてや、魔妖の住まう東に向けて国を広げているのだから、次のそれが黒瀬国である可能性は、少なくないのである。


「まあ、言いにくかったら……うん、喉の調子が悪いからまた今度、ってことにしておけ」

「殿!?」

「流石にそれはどうかと……」

「少し考えてみたが、無理に尋ねるよりは、聞かないほうがいいんじゃないかと思ってな。こっちは理由よりも城が欲しい。理由を聞いて、怪しいからと断れないのは変わりないだろうし」

「は、はあ……」


 それを喜一に聞かせる意味も、なくはない。


 俺も腹の内の全てを語ったわけではないものの、嘘はついてないし、城が欲しい理由も明白だ。


 下手に策を弄して聞き出すよりは余程いいと思ったんだが、喜一だけでなく、俺を見る全員が微妙な顔をしていた。 


 しばらくして。   


 喜一が笑顔を俺に向けてから、静かに平伏した。


「この誉屋、黒瀬守様の度量にまっこと感服いたしました」

「……喜一?」

「御城御普請の名誉も欲するわたくしめではあり申すが……」


 ふう、と喜一が大きく息を吐いた。


「誉屋を畳むことこそ、真の(よし)でございます」

「誉屋さん!?」


 驚いたのだろう、勘内が正座のまま跳ね上がった。


 無論俺や信且も、顔を見合わせてぽかんとするしかなかった。




 あまりにも予想外の理由で、流石に空気を入れ替えようと、女房衆に酒肴を頼む。


 俺達よりも関係が深い勘内さえ聞かされていないとは、さて、どれほどの重みか……。


 丁度いいと戌薪、和子、静子も呼び、喜一の話を聞かせることにした。


「もうお互い、話し合いがどうのと飾っても仕方ないだろう。喜一も勘内も足を崩せ」

「ははっ」


 無礼講と車座を申しつけ、俺も藁編み座布団から立ち上がり、大きく伸びをした。


 誉屋は、三州東部ではかなりの大店だ。

 喜一の評判も悪くないし、取引の量も大店に相応しいと聞いていた。


 それをいきなり畳むとは、そっちの理由の方が気になってきた俺である。


 しばらくは、皆当たり障りのない話題で場をつないでいた。


「お待たせいたしました」

「ありがとう、朝霧。……お、鯵の富禮(フライ)か?」


 朝霧が運んできた膳には、鯵の富禮と浜芋の塩茹でが盛られ、都から来たにごりの下酒がついていた。


「はい、露店が丁度商いに出ていましたので、城に呼び寄せました。揚げたてです」

「よし、皆、作法などいいから先に食え! 揚げたては本当に美味いぞ!」


 俺もすぐ、箸を伸ばした。


 心得たとばかりに、信且も鯵富禮を頬張っている。


 既に食べたことがあるのか、遠慮気味だった喜一らも、すぐそれに倣う。


「ふむ、揚げ物はやはり、揚げたてが一番でございますな」

「だなあ。冷めると食えなくなるってわけじゃないが……」

「冷えた富禮も、雑炊にくぐらせれば美味しゅういただけますぞ」

「ほう?」

「天ぷら蕎麦のようにじわりじわりと食感が変わるのも楽しく、だしを吸った富禮がまたいい味になりますな」


 喜一の言葉を聞きつつ、カツ丼を思い出した俺である。


 まあ、今日はそれどころではないのだが……。


 鯵の富禮が粗方片付いたところで徳利が追加され、東下菜を合わせた味噌を添えた鯵とイカの刺身が出てきた。


 それらを前に再び顔を見合わせ、喜一に視線を注ぐ。


「わたくしめは……いや、わしは、親から継いだ誉屋を支店六つに廻船四艘の大店に育て上げました。ですが、ここのところ、思うところがありました」


 居住まいを正した喜一は口調まで変え、下酒をくいっと飲み干した。


「商売は順風ではございませんでしたが、まあ、商いは我が身のことながら誇ってよいかと存じております」

「……うん」


 その胸中は推し量るしかないが、人生五十年、老境に差し掛かりつつある喜一だ。さぞ、思うところもあるのだろう。


「しかしながら……跡継ぎの(せがれ)は五年前、船に乗ったまま行方知れずになりました。その後を見越したのか、番頭らは我こそが誉屋を継がんと相争う始末、これにはほとほと困っておったのです」


 取れていたはずの統率が乱れ、勝手働きが目立ち始め、今では支店同士が口も利かぬ有様だという。


 手打ちをさせようと件の番頭らを集めてみたものの、物別れどころか火に油を注ぐ始末。


 大店と言えど、一皮剥けばこんなものですと、喜一は肩を落とした。


「誉屋さん、わたくしにはとてもそうは見えませんでしたが……?」

「他所様に見せては、その後の商いに影響する、と……その程度の浅知恵。黒松屋さん、いやさ、勘内(・・)も、ゆめゆめ気をつけよ。目の前に大金がぶら下げられた(やから)など、普段がそうは見えぬだけに、野盗や海賊よりも始末が悪い」

「はっ……」


 それだけに、黒瀬森様の英断――町普請を申し出た我らへの距離の取り方が、強く印象に残りましたと、喜一は一礼して見せた。


 俺としては、せっかく黒瀬に出入りしてくれそうな大商人がやってきたのに、いきなり金をせびるなどありえないし、尾花を貰ったのだからそれに見合う利益を出して貰って、今後も良好な関係を築きたいという気分が大きかったのだが……。


「しかし、つい最近になり、その番頭らの背後に幾つかの大店の影が見え隠れしておることに気づきました」

「誰か、焚きつけた者が?」

「その通りにございます」


 誰にも言えなかった胸の内を口に出来て気分が落ち着いたのか、喜一は皿に残った最後の鯵富禮を、美味そうにほお張った。


 気持ちは……分からなくもないが、人生を賭けて大きくした店をいきなり畳むとは、潔すぎる気がしないでもない。  


「下手に食い荒らされて誉屋の名が堕ちゆく姿を見るより、潔く一花咲かせその名を守りたい、心底そう思っております。それにですな。……わしは、疲れてしもうたのです。老いたりと言えど、自分の店を守り、誰ぞ信用の置ける者、まあたとえば、勘内を養子に仕立てて店を継がせるぐらいなら出来ましょう。ですが……」

「うん?」

「色々考えておるうちに、空しくなりました。そこに、何の意味がありましょうや。……勘内の子孫が店を盛りたてるのを、あの世から見ておれと? それは老いて死んでから勘内が負うべき役目にて、わしが代わる意味もなし、重ねて勘内にも失礼である、そう思います」


 中身の割にはさっぱりとした口調で、喜一は肩をすくめた。


 さて、それこそ、他の理由があるのかもしれないが……それならそれで、わざわざ聞き出すこともないか。


 ふと隣を見れば、戌薪が首を傾げて考え込んでいる。


「どうかしたのか、戌薪?」

「はっ、誉屋の支配人格番頭ら、怪しい者らと付き合いがあったとは、聞いておりませぬ。……もしや、船頭らがその繋ぎに?」

「そのようですな。……今更ですが」


 三州東部の店なら調査の手ぐらいは伸ばせるだろうが、いくら兎党でも、都まで廻船を出していた誉屋、その全てを探るのは無理である。


 すぐに抜け穴を思いついただけでも上等だ。


「して、その相手は?」

「都は京北の阿仁(あに)屋、豊州桜屋、そして、武州鉾屋(・・・・)にございます」

「何だと!?」


 それはまた。


 ここで鉾屋の名が出るとは、どこまでも邪魔な武州である。 


「鉾屋には、こちらも少しばかり警戒していてな」

「添島御仁原の話、勘内より聞いております。妙なご縁にて、いずれその話もせねば、とは思っておりました」


 喜一の誉屋は武具全般を扱う武器商、都の市場(しじょう)では、同じく武具を商う商人としての競争みならず、そのやり口は三州商人とは相容れぬと、かなり距離を置いていたらしい。


 但し、鉾屋の隆盛は本物のようで、武州の他に、京や嶺州でも勢力を伸ばしつつあるという。


「そのようなわけでございまして、御城御普請、是非ともこの喜一にお任せいただきたく」

「分かった、任せる。……しかし、喜一」

「はい」

「城が落成した後は、どうするのだ?」

「さて……。何も考えてはおりませんでしたな」


 新城の城下にて、隠居半分に長屋の大家でもと、笑う喜一であった。


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