第百十五話「数の力は国の力」
第百十五話「数の力は国の力」
「ご一同、お揃いになられてございます!」
「ご苦労、梅太郎!」
婚儀の日よりひと月、季節は巡って弥生三月。
いよいよ春狩りの開始である。
「殿、出陣の触れを願います!」
「おう!」
先導に留守居の信且、背後に護衛の戌蒔と御側廻の梅太郎を従え、前庭に出る。
俺は御仁原から届けられた真新しい鎧一式――大袖付黒艶消胴丸に、やはり猪楡が追加で発注しておいたという籠手と脚甲を身につけ、鉢金を頭に巻いていた。
姿形だけでも多少は侍らしくなったかと、拳を握りしめる。
いや、無理でもなりきり、一生をそれで押し通すしかないのだが、その躊躇いさえも切り捨てねばならないのが今の俺だ。
嫁さん達に、あるいは俺を殿と呼ぶ皆には情けない姿は見せられないと、気合いを入れ直す。
楔山城には、黒瀬の主立った侍達が集っていた。
今年の狩りは黒瀬国始まって以来の大規模な出陣であり、皆の表情にもどこかしら誇らしげな様子が見て取れる。
「黒瀬全軍、出陣するぞ!」
「えい、えい、おう!」
「えい、えい、おう!」
まずは大槍を掲げた足軽大将深見源五郎が、大声を張り上げた。
「楔山足軽衆、出るぞ!」
「おう!」
征海組、太平組、昇陽組、その半分ほどの十五名が、真新しい大小の刀も誇らしげに、気勢を上げつつ城門をくぐる。
この部隊は後ほど俺の出陣を待って、遠山へと向かう予定だった。
今年は例年より前倒して、春漁も開始する。
そちらには、都人から水主を募っていた。
その上で、御仁原にも御札衆六組三十人を張り付けたままなのだから、その躍進には俺自身が驚きを隠せない。
「遠山足軽衆、出陣!」
「おう!」
瀬口道安率いる遠山足軽衆が源五郎達に続くが、その数は僅かに三人。
出陣式に出ているのは上士とその随員のみとあって、これは仕方がない。
前日、延び延びになっていた婚儀の報告会を兼ね、春狩りの軍議と久々の上士の顔合わせを行っていた。
「浜通飛崎足軽衆、続け!」
「おう!」
南香の帆場松邦を主将、飛崎の小西公成を副将として、合同で部隊を組ませている。
この両村は、領国内でも比較的魔妖の領域深部から遠く、負担も軽い。状況にもよるが、御札衆あるいは遠山、新城との交替部隊として位置づけていた。
「新津衆、出船に掛かれ!」
「おう!」
氷田一党率いる近次郎も、春狩りの間は足軽大将として出陣する。
遠山以西は源五郎が、新城と新津の部隊は近次郎がそれぞれを指揮、以て東西の要としていた。
「では、俺達も出陣だ!」
「おう!」
「いってらっしゃいまし!」
「御武運を!」
梅太郎に持たせていた尾花を受け取り、しっかりとその感触を確かめる。
留守居の信且に頷き返し、見送りの嫁さん達に手を振りつつ城門をくぐれば、そこからは戦場だ。
「梅太郎、兵力の配置は覚えているか?」
「はいっ!」
緊張気味かと気遣ったのだが、梅太郎ははきはきと答えた。
初陣は去年済ませていたし、あるいは……武士としての覚悟は、俺以上にあるのか。
「はい! ……西から順に、浜通飛崎衆二十五、楔山衆十五、遠山衆十、新津衆二十、新城が東西の見廻組を改組した東備と西備、各三十。それから、御庭番衆の皆様は十と聞いておりますが、各地に散られていてよく分かりませぬ」
「うん、いいぞ、よく覚えている。その調子で頼むぞ」
「はっ!」
ここに各地から抽出されている御仁原の御札衆三十と、何かにつけ忙しい御庭番衆の残りを加えれば兵力二百弱、昨年、段坂帯山に派遣された東下軍の倍以上となっていた。
勘内と喜一らの支援もあったればこそだが、加えて漁にも工事にも畑にも人を出しつつも、この布陣である。
また、お鎮めに使うお札や護摩木についても、力技で解決していた。
都人の中から字を書ける者を募ったのだが、特に女衆からは現金収入を喜ばれている。
「では、行くか!」
「ははっ!」
兵力二百に、それを支える後備えが機能しているこの現状。
必要な事と頭では理解していても、一体黒瀬は何処に向かっているのだろうと、ため息も出てしまう俺だった。
▽▽▽
初日は遠山で軽く一狩りして腕と装備の馴染みを確かめると、二日目は後事を源五郎に託して御庭番衆数名と梅太郎を従え、新城へと歩いた。
道はまだないが、四里なら狩りの往復と変わらないし、今は多くの足軽達も出ていて比較的安全だ。
小さな群を幾つか下しながら、それほど急がず東へと歩みを進める。
鎧を身につけて戦に出るのは初めてだが、思っていたほど動きにくくはない。
胴回りの締め付けこそきついものの、籠手や脚甲は独立しているから、尾花を振り回しても違和感を覚えることはなかった。
「小鬼、う、討ち取りました!」
「よくやった、梅太郎! あとは数をこなせば、自然と落ち着くことが出来るようになるからな!」
「はいっ!」
俺の初陣は、わけも分からないまま借りた槍を突き出し、呆けしまって注意されたような気がする。
それに比べれば、立派なものだ。
やはり侍の子は侍かと、頼もしく思う。
「殿、良い頃合いです。飯に致しましょう」
「うん、任せる」
今日の昼飯は、麦米四分六の握り飯二つに、東下菜の漬け物だった。
最近は珍しくも思わなくなったが、米を食う比率が徐々に増えている。
これも生活の向上を示す一つの現れだが、米の飯を力とやる気に変えて邁進していくべきか、それとも財布の紐を引き締めて将来に備えるべきか……。
「お、今日の握り飯は味噌入りか。この塩気、いい感じに美味いな」
「はい!」
行軍時には握り飯の他に、蕎麦粉と小麦粉の練り物を焼いた蕎麦餅なども出てくる。
他にも日持ちだけなら干し飯や煎餅もあるが、これらは保存食としての側面が強い。
また、前者はそのまま食えなくもないものの湯戻しが前提であり、後者は焼かねば食えなかった。ついでに言えば、多少値も張る。
餅を薄く切って干したかき餅などもこの部類にはいるが、俺としては菓子のイメージが強かった。
「さて、もう一踏ん張りするか」
「はっ!」
昼時までに稼いだ距離は二里半、中物大物もいるかと警戒していたのだが、下した鬼の群は中と小が一つづつで、小鬼以外は邪鬼の三匹しか見なかった。
「……む、あれか!」
「はっ」
「あ、あんなに大きな陣だとは、思いもしませんでした!」
夕刻前には新城に到着したのだが、その風景は様変わりしたなんてものじゃない。以前は如何にも打ち捨てられた廃城らしく佇んでいたのだが、心底驚かされた。
「おーい、そっちは遠山の衆かよぉーい?」
「馬鹿たれ! あの大武者はお殿様じゃ!」
薮をかき分けると、目の前には長屋こそなかったが、縄の張られた町割が既に用意され、城跡へと続いている。
陣幕は優に二十幾つを数え、城跡の中央では夕餉の煮炊きだろう煙が上がっていた。
「ささ、こちらへ!」
ようよう無事のご到着をと、案内の足軽についていけば、簡易なものながら掘を渡る木の橋も架けられている。
城跡に上がれば、周辺の草も刈られており、十分に視界が開けていた。
「殿!」
「近次郎、ご苦労!」
出迎えてくれた近次郎が、自慢げに陣幕の隅に積み上げられた袋を指さす。
「討ち取りし鬼は二日で二千、なかなかのものかと存知まする」
「ほう、流石だな」
東面には、総勢八十名を投入している。
やはり、人の数というものはそれだけで力となるのだ。
維持も管理も大変だが、見返りも大きい。
「こちらの被害は?」
「特にはございませんでした。まだ出陣二日目にて深場には分け入っておりませぬし、年明けより幾らかは狩られておりました故」
「そうだったな。……それにしても」
「如何なさいましたか?」
「人が多くないか? 手伝い、ってわけでもなさそうだが……」
ある者は焚き付けを抱え、ある者は槍の穂先を手入れしと、数えるまでもなく、百は下らない人数がいる。
「狩りの間中、新城にはいつもより多くの兵が居座りますからな。勘内らと示し合わせ、人足も呼んでおりまする」
いつもより兵が多いなら、安全の度合いも高まる。
護衛は浪人衆を宛うが、足を伸ばして材木の確保をすると同時に、長屋も先に建ててしまうそうだ。
「感覚が狂いそうになるな。……去年は三十人を三組に分け、戦うのは毎日十人ほど。夜番もそれで回していたんだ」
「この人数ならば、殿に夜番を願い出るようなこともございますまいよ」
「そうだな、ありがたく寝かせて貰うとしよう」
新城で過ごした、最初の一夜。
兵力の十分な投入は効果を上げていたようで、魔妖の襲撃はなかった。




