第百十四話「国内行脚」
第百十四話「国内行脚」
『おめでとう、一郎!』
『ふむ、ようやくか』
婚姻の儀の翌日は、戌蒔ら数名を護衛に嫁さん達を連れて神社に赴き、葉舟様とフローラ様に結婚のご報告をした。
行事に戦に騒動にと、いつも何某かに追われている俺と黒瀬である。気を揉ませていたようで、色々と申し訳ない。
だがこれで一つ区切りもついたし、今後は領国の経営により一層力を入れる理由ともなるだろう。
「どうぞ、粗茶ですが」
「いただきます、榊殿」
社務所に招き入れられ茶を淹れて貰ったが、添えられていたのは、香ばしく焼かれた薄いパンである。
水飴が薄く塗られていて、ほんのりと甘い。
俺達の表情に気付いたのか、榊殿が笑顔を見せた。
「その『甘焼き』は、アン様にお力添えを戴きましたの。遠山の村衆は、楔山や新津まで売りに行くと意気込んでおります」
「甘焼きはこちらでわざと生焼けを作っておいて、売り先でもう一度焼くんですって。薄いから、小さな竃でもいいの」
「へえ……」
ここのところ、婚儀や新城への対応で城から出ていなかったせいもあり、驚かされる。
焜炉などの調理器具のついた担ぎ屋台での担い売りは、それこそ蕎麦以外にも揚げ物や焼き餅、惣菜など、幅広い。
この甘焼き一つをとっても、麹を用意して生地を練り、麦もやしで水飴を作り、売り先に運んで焼くにも燃料が必要である。
これもまた、別世界からの新たな技術伝播、その一つとなるか。
一度軽く焼いてしまうのは、発酵を止める意味もあるそうだ。
人が増え、金が回れば、行商ですらも充実するのだなと、改めてこの素朴な焼き菓子を見つめた。
「殿!」
「呼びつけてすまん、道安!」
「この度はおめでとうございます!」
「おう、ありがとう」
ついでに道安を呼んで、遠山の状況についても聞き取りをしておく。
彼も今はまだ長屋住まいであり、代官陣屋の建築は一時中断、大工の棟梁久太郎も、村人を率いて長屋の増築に回っていた。
「これは……うむむ、負けてはおられません」
甘焼きの話を楔山の城に持ち帰れば、こちらでは正月に俺が作った変わり天麩羅を売りたいと、水主達から声が上がった。
飛ぶように売れるとは限らないぞと苦笑しつつも、フライの基本レシピをさらさらと書いて渡す。
「天麩羅に使える種なら、おおよそ何でも具材に出来るのは間違いないが、旨いかどうかは自分の舌で確かめてくれ。火通りと揚げ具合で中の食感も変わるが……ああ、食あたりには気を配れよ。特に油断ならないのが、油だ」
「と、申されますと?」
「古い油は、揚げ物の味も落ちるし、体に良くない。それに、評判にも関わるからな」
「ははっ」
「ご指南、ありがとうございます!」
残念ながら、十分な俸禄を渡してやれているはずもなく、半士半漁を強いている上に、無理も重ねさせていた。自活の手助けぐらいなら、喜んでさせて貰いたい。
いつものように、無理はするなよとはっぱをかけて送り出すと、俺は旅支度の確認をした。
今回、巡るのは国内だ。
嫁さん達は連れて行かないが、国内を行脚して各地を視察する。
現状の確認以外にも、春狩りの打ち合わせや出稼ぎの状況も見ておきたかった。
結婚の余韻を味わう間もないが、この状況ではどうこう出来るはずもない。
どちらにせよ、俺の寝所はまた矢狭間の筵に戻ったし、まあ、そういうことだ。
「扇子に懐紙、煙草入れ……」
大荷物は旅程の担当者、今回ならば戌蒔の仕事になるが、旅小物なども新たに用意されている。
こちらに来た当初には、とても考えられなかったほどの充実振りだ。
扇子は紙こそ輸入だが、新津の竹細工師徳蔵と都よりの絵師山羽行雲の合作で、岩に根を張る松の木が墨絵で描かれていた。
煙草入れは女房衆の手縫い、短い旅煙管は、鋳物もはじめた遠山の鍛冶五十吉の手による。
煙管を入れる煙管筒と煙草入れを結び帯に引っかける根付けは、海唐松という黒い珊瑚で、細工はほぼないが綺麗な光沢でよく目立つ。
俺は煙草を吸わないものの、それはそれとして持ち歩くのも身だしなみの一部、となるらしい。
現代社会での腕時計やネクタイのようなものかなと、それらを見やる。
小さな見栄や趣味の表だしであると同時に、暮らしぶりや身分を現すのにも『使う』そうで、これもお殿様のお仕事なんだろう。
国のトップがあまりにも貧乏くさいと、悪影響も出るか。
お国自慢というものは、俺が考えている以上に注目度も高く、同時に根深い。
それに、黒瀬隆盛の一つの現れと思えば、納得もできた。
三日ほどかけて浜通、飛崎、新津と回ったが、そのうちの新津は、人を集めている上に資金の投入量も大きく、特に大きな変化を見せていた。
「殿の婚儀は東下一の嫁入り行列であったとか! まっこと、おめでとうござります!」
「うん、ありがとう、近次郎」
新津の船着き場周辺は、草木も刈られて大きく広がり、長屋も蔵も、ほんのしばらく見ない内に倍増している。
二つ目の埠頭も作るようで、縄を張った竹束の浮きが、幾つか波に揺れていた。
それらを横に見やりつつ、関船鷹羽丸へと移り、近次郎から状況を聞き取る。
「稼ぎ場があること、それだけでも大きく違っていましょうな」
「まあ、理屈だが……大変だろう?」
「気楽とは言えませぬが、充実してござりますぞ」
人が増えたことによる問題は、なくはないが思ったよりも抑えられている。
飯付きの銀一匁ながら、少なくとも仕事は用意されているお陰で、食いっぱぐれはない。
少なくない女衆も、炊き出しの手伝いや洗濯だけでなく、縄綯いや組み紐など、手仕事の成果を売る先があった。
ついでに言えば、出稼ぎの都人を一番多く受け入れている新津の奉行は、都暮らしも長かった近次郎である。その機微もよく分かっていた。
「今は各地より百人ほどが普請や警邏、手伝いなどに従事してございますが、来月にはその倍に増やせましょう」
「へえ、すごいな!」
「なに、長屋を建て増せば、それだけ受け入れの人数も増え、働き手も増えるという寸法にて、大したからくりではございませぬよ」
その近次郎と連携して、八面六臂の活躍を見せていたのが黒松屋の番頭小吉だ。
流石は勘内の懐刀、金と時間の使い方をよく教え込まれている。
材木の荒仕上げ、漆喰に必要な布海苔や貝灰、道具類の調達などは、黒瀬領内だけでなく近隣の南香や甲泊にまで発注を出し、都船の内の一艘を借り上げて、甲泊との定期船に宛っていた。
加えて近次郎の手元の満福丸や、楔山の瑞祥丸も顔を出すが、物資の移送のみならず、働き手の移動も兼ねている。
新城よりも先に、こちらが町になりそうな勢いだった。
しかし……勘内らが資金を投入している道と町はともかく、城の方はさて、どこから手を付けたものか。
「数日中には、新城への道も開通致します。春の狩りとやら、我が一党は初めてながら、腕には自信があり申す。ご期待の程を」
「ああ、頼むぞ。……そうだな、いよいよ春間近だな」
「はっ」
春狩りは俺も出るが、去年よりも黒瀬国が広がっており、安全を確保する為には、魔妖の住処の深部へと手を出さねばならない。
人が安心して暮らせる安全圏をそれなりに保つならば、およそ二里の範囲を狩れと言われていた。
この警句は経験則から来ていると思われるが、地域差が大きいはずで、そのまま東下で通用するかどうかも不明である。
新城を中心とした戦力の張り付けは予定しているが、人の手が入っていない領域は、危険度の判定を行うための情報をまず集めねばならない。
今のうちより、新城周辺の巡回は行わせているが、そちらの調査も兼ねていた。




