第十一話「旅の空、草の餅」
「一郎、辛くはないか?」
「このぐらいなら余裕ですよ、坂井殿」
「頼もしいのう」
お殿様と若君亀千代様の乗った『鷹誉』号の引き綱を弛めながら、坂井殿が振り返る。
俺は笑顔を向けながら、手に入れたばかりの手ぬぐいを編み笠の隙間に入れ汗を拭った。
鷹原を出て六日、山あい続きの街道で時折村や集落、関所に出会う程度しか変化のない道中には飽きていたが、二十貫目弱――約八十キログラムの荷物が括られた背負子を担ぎ続けて歩いても大して疲れがないことに、俺は気をよくしていた。
この旅は往復一《ひと》月、三州公という近隣を束ねる大大名に橋本家の嫡男である亀千代様の成長をお披露目し、世継ぎとして公に認めて貰う為の『御挨拶』という行事に出席するのが主な目的だと聞かされている。これでもまだ三州公の領国に近い分、旅程やその出費はかなりましな方らしい。
……このあたりだけ聞くと将軍家と地方大名のような関係に思えるが、他にも大きな神宮へのお参りやお殿様の方の挨拶回りも旅の予定に入っていて、お殿様の口振りから想像すれば、俺には一部上場企業とその傘下にある小さな家族経営のフランチャイズ店と言い表した方がしっくりくるような気さえしていた。
「父上、茶屋が見えます!」
「ふむ、一服いたすか。孝徳、頼む」
「はっ!」
馬上の若君の指さした峠道の脇、林の手前に小さな集落が見えていて、そのうちの一軒に、緑地に白丸の幟、茶屋の印が上がっている。
昼飯を食べて一刻、休憩にもいい頃合いだ。
昨日からは大きな街道に入った……と言われたものの、内心ではどうだろうと思っていた。一、二里――数キロメートルごとに茶屋や旅籠があって確かに他の道より上等かもしれないが、道は踏み固められた土道で景色も谷端の村と変わりない。
「一郎、荷はそこの隅にでも降ろせ。……持ち去ろうにも一人では苦労するだろうが、盗られては困るのでよく見ておけよ」
「はい、もちろん」
「さあ、若君」
「うん。……よいしょ」
俺が荷を降ろしている間に、坂井殿はさっさと鷹誉号の引き綱を手近の馬留めに結びつけていた。
ぐっと伸びをして見回せば、十軒ほどの家が集まった谷端の上郷と同じような規模の集落だとわかる。林の向こうの数軒まで入れれば少し大きいかもしれないが、大差ない。
家の造りは若干上等だろうか? 畑は狭いが垣根は上郷より立派だった。
「どうじゃ亀千代、疲れたか?」
「大丈夫です!」
亀千代様も、すっかり旅慣れて……というか、馬での移動も結構大変らしい。
初日は少し体調を崩されていたが、その後は元気な様子で一安心である。
ずっと揺られ続けるものだから子供や慣れない者には辛いそうだが、俺にもそのうち、機会が来るのかどうか……。まあ、当面は心配ないか。
「一郎、お主も座れ」
「ありがとうございます」
腰の短い木刀を外して横に置き、お殿様、亀千代様と並んで店先の長椅子に座る。公園のベンチのような作りではなく、全部木で出来ていて、折り畳み式になっていた。
「一郎、荷物は重くない?」
「はい、ありがとうございます、亀千代様。もちろん大丈夫ですよ」
優しい若様だ。
にっこり笑いかけ、ぬんっと力こぶを見せておく。
流石に多少は慣れてきたが、こちらに飛ばされて以来力がやたらに強くなった……という異常な現象は、衰えを見せるどころか徐々に伸びてすらいた。
今なら大人三人づつを両腕にぶら下げても、余裕で走り回れる気さえしている。……不思議は不思議だが、体調の不良や気分が悪いといったこともないので、今はとりあえず『ほったらかし』にしていた。
身体はともかく足元――草鞋の方も、履き慣れていない上に旅続きで足を痛めるかと心配したものの、気を付けていても二日少々で履き潰れてしまうこと以外は特に問題なかった。……三州に着けば、坂井殿の分ともども注文して貰えるそうである。ちなみにお殿様と若君は、底張りのある草履だった。
「御免」
「へい、毎度。……っと、お侍様、ようこそのお越しで」
茶屋の奥から出てきた主人が笑顔で坂井殿と相対するのを横目に、大きく伸びをする。
「このあたりは確か、草餅が名物であったか」
「よくご存じで、へい。餡入りと素餅がございます」
「では餡入りを四つ。それから馬にも水を飲ませたいのだが……」
「村の井戸場でしたら、そこな辻の右手奥にございますれば。桶ならこちらを」
「うむ、助かる」
「お連れのお方には先に茶をお持ちいたしましょう」
坂井殿は主人に頷き、そのまま桶を持って井戸に行ってしまった。
「一郎、その長椅子をもう少し寄せよ。ついでに煙草盆を借りてきてくれぬか」
「はい、ただ今!」
本来なら、馬の世話などは下働き同然の俺の仕事っぽく思えるが、お殿様の馬である鷹誉号の世話を小者の俺にさせてはいけない決まりで、馬方としての誇りも大事なものらしい。
代わりに荷役や力仕事の殆どは俺に宛われているし、内容にも遠慮もないから、まあ……仕事の区分が違うんだろうと思うことにしている。
「ごめんください、煙草盆をお借りしたいのですが……」
「へい、少々お待ちを」
そのあたりは、理解できなくもない。
だが、身分差による厳しい約束事がある割に、今のように座ってお殿様や若君と世間話をしていても怒られないようなちぐはぐさ、あるいは大らかさ――お殿様から話し掛ける分には、儀礼上も慣習上も問題ないとされている――もあって、正直なところ未だに距離感がつかめないでいる俺である。
言葉遣いなども、時代劇の下っ端役人や町人を真似て何とかやり過ごしていた。もっとじっくり見ておけばもう少しましな口調になったかもしれないが、こんな世界に飛ばされることなんか想定していたはずもない。しかも普段の俺の口調と微妙に混ざってしまうので、自分でもちぐはぐな事になっているなと感じていた。
「お待たせを」
「ありがとうございます」
小さな炉に赤く燃えている炭を載せて貰い、白灰の均された灰皿を確認し、そっと捧げ持つ。
煙草盆の扱いも、ここ数日で慣れていた。
「お待たせいたしました、殿」
「おお、済まぬな」
お殿様は煙草盆の炉に載っている火種の具合を確かめ、懐から短い旅煙管を取り出した。
「一郎は、煙管を吸わぬのか?」
「はい、特には……」
紙巻きの、いわゆる普通のタバコなら飲み会などでたまに吸うこともあったが、煙管は……どうなんだろうか。
あまり興味はないが、美味そうに煙を輪っかにしているお殿様の顔はいい顔だ。
「失礼いたします、まずは茶を。餅はもうすぐ焼けますので」
「うむ。……亀千代、熱いので気を付けるのだぞ」
「はい、父上!」
このお殿様、人柄もそうだがよくよく物を見る性格で、領民から慕われているのも頷ける。人をその気にさせるのが上手いし、その後味もいい。
昨日なども、若君の手習いついでに俺まで字を教えて貰っていた。
「ふむ、なんぞ趣味は持たぬのか?」
「趣味、ですか?」
「一郎が飛ばされてきたことは知っておるし、武家や公家の出でないことも承知だが、そこらの農家や商人の跡取りとも思えぬ。さりとて学がないというわけでもないのは、ようよう分かってきた。そこが不思議なのだ」
「そうですねえ……」
改めて聞かれると、そこまで入れ込んでいた趣味もないわけで、少し困る。思い返すなら映画や旅行、美味しい物を食べるのも好きだが……マンガは読書に入れてもいいのだろうか?
「休みには読書か、そうでなければ友達と遊ぶか、家でごろごろしておりました」
「ふむ、仮名はまだまだ怪しいが、漢書は詰まりながらも意味を掴んで読めていたからな、さもありなん。字体が違うのであったか?」
「はい。字もそうですが、実は普段の言葉も少し違うので戸惑っています。でも、穴沢殿どころか殿にまでお手数を掛けていただいているのだから、頑張って早く読めるようになりたいと思います」
「うむ、よい心がけだ。……おお、孝徳。ご苦労である」
「はっ!」
戻ってきた坂井殿が水桶を置くと、鷹誉号は勢いよく中身を空にした。
この馬も、俺より背は低いが働き者だ。
「もう一杯汲まねばならんか、待っておれよ」
「夏には早いが皐月も半ば、馬にも暑かろうな」
「お待たせいたしました、餡入りの草餅でございます」
「おう。孝徳、先に食うてゆけ。亀千代も一郎も早う取れ」
俺は程良く焦げ目のついた草餅を味わいながら、茶に口を付ける。
見かけは何と言うことのない草餅だが、妙に美味い。特に餡の甘さ加減と餅の苦みがいい具合だ。
ぱりっとした薄皮を噛めば中の餡は程良くとろけており、ふうふうと冷ましながらもう一口、香ばしい香りが口一杯に広がる。
こちらに来てから色々な……現代から見れば素朴としか言いようのないものを沢山食べたが、舌が合うのか、冷や飯と蕪の漬け物だけの昼飯でさえ、不思議と美味かった。
……だからあまり里心がつかないのかと思ったりもするし、自分は案外薄情な人間だったのかと、ため息をついたりもする。
「気に入ったか、一郎」
「はい!」
「美洲津に着けば、贅沢三昧……とは言わぬが、名物の刺身盛りぐらいは皆で食おうぞ」
「父上、刺身とは何でございますか?」
「ふむ、亀千代。そうであるな……鷹原では食えぬ海の物であるが、それは食うてのお楽しみ、としておこうか」
「父上は意地悪でございます!」
「はっはっは! じゃが、本当に美味いぞ!」
三州公のお膝元、美洲津は近隣随一の大都会で、大きな港のある町らしい。
明後日には街道が大河と行き会うので、船に乗って海まで下ると聞かされていた。