第百十一話「忍び寄る遠き影」
第百十一話「忍び寄る遠き影」
都船の第一陣が到着した翌日。
「そうれ、出船じゃあ!」
「頼んだぞ!」
小吉の差配で船が動かされ、道路工事の人足と新城周辺の警備に応じた三十人ほどを連れて、新津に向かった。
向こうも人を受け入れる用意は出来ているが、既に領内各村から働き手を送っている。
だが、如何に東下が雪の降らぬ南国とは言っても、冬場の工事だ。無理に野営させても効率が落ちる。
新津と新城だけでなくその中間、一里付近にも幾つか長屋を建て、とにかく人を吸収できる施設を用意するのが急務と、小吉は息巻いていた。
番頭に抜擢されて初の大仕事と、張り切っているらしい。
「新城に人を送り出せれば、それだけ工期も早まります。工事の完了後に茶屋でも建てれば、見張り場兼休憩処としてもよいでしょう」
日当は工事人足も警備も、ともに飯付きの銀一匁である。
よくもまあ納得させたなと思うが、そこは小吉も口に長けた商人であった。
『都暮らしには、都の高い日当に都の高い飯。東下暮らしならば、東下の安い日当に……ふむ、飯はついておりますからな。そも、元は内裏にてお勤めであった女房様でさえ、麦飯を食してなさるのがこの東下。無い袖は振れぬ、というあたりで、はい』
……東下の経済状況もさることながら、仮に人足として年間三百日働いた場合、銀三百匁なら六両、下士足軽の俸禄を上回ってしまうのは、分かっていても俺からは口に出せぬところである。
「こちらも出すぞー!」
「気張れ気張れ!」
残りの船はやはり小吉が雇って甲泊に差し向けられ、麦や木材を仕入れに行った。
金は余計に掛かっても、材料の仕入れを急ぐ方が、工事全体を見れば損を押さえられるらしい。この大仕事、初動が大事故に金で時間を買えと、勘内と喜一より指示が出ているそうだ。
また、それらとは別に、五十人ほどは遠山へ移って貰うことにした。
こちらは俺の指示で、遠山にも人を吸収させると同時に、長屋の増備を代官の道安に命じている。
長屋普請が一段落つけば、次は細くてもいいから遠山と新城を結ぶ道を作る予定だった。
浮いた町開きの予算を当てているが、この道はそれほど急がない。
将来、新城の町が出来上がってからの話になるが、行商人の引き込みに繋げたいのだ。
陸路で全ての村が繋がれば、人の行き来が個人で行える。
廻船は確かに効率はいいが、個人で運用するには少々敷居が高い。
同時に、新たな領民への経済的バックアップも兼ねており、領国内で金を回す布石にもなっていた。
▽▽▽
都船第一陣の来訪で活気づいて数日、多少問題も持ち上がっていた。……いや、予想してしかるべきだった、というべきか。
「……殿、ご報告が」
「ん? どうしたんだ、戌蒔?」
内城を囲う矢狭間の廊下――寝床に向かう途中に現れた戌蒔の顔には、若干の緊張が見て取れた。
「不審な民人……いえ、忍がおりました。都から来た者ですが、工事人足に混じり、色々と嗅ぎ回っておったようで……」
御庭番衆は人が増えるに合わせ、静かにその根を伸ばしはじめた。
新津の工事人足にも混じっているし、各村に時折現れる蕎麦や葛餅の担い売りも彼らである。
戌蒔に任せきりだが、忍の本業ともいうべき諜報活動の重要度ぐらいは、流石に俺も理解している。
さて、その不審者だが……。
忍歩きに似た歩法を不審に思ったうちの御庭番衆が声を掛けたが、備や蕪の符丁は通じず、囲んだところ逃げを打ったので捕らえたという。
戌蒔によれば、もう『処理』も終わっているそうで、流石に俺も閉口せざるを得なかった。
「……そうか」
改めて大倭の現実を、そして、守るべき者のある国主の立場というものを、突きつけられた気がする。
そのうち俺も刀を手に、咎人か敵手か……誰かを斬るのだろう。
……そんな予感が、した。
「所属は都の極党、本人の持っていた忍道具により、間違いないかと。御忍ではないものの、それなりに大きな忍党でございます」
「……なんでまた、と聞くのは、野暮なんだろうな」
「流石に一千の民が動くともなれば、何やあらんと、調べる者もおりましょう」
多人数の移動その物が、忍者を差し向けられた理由であれば、まだいいのだが……。
「武州は絡んでいるかな?」
「……今の段階では、どちらとも。ただ、いずれ絡むのは、間違いないかと存じます」
こちらが調べられているのなら、都での義父殿らの動きが、全く周囲に知られていないわけがないという。
それが武州に伝わるのは確実だが、逆に、武州が三州東下に対して動きを見せた場合も、同じくこちらが知ることになった。
「一人二人の忍ならば、今回のように、当地まで来て初めて知れることの方が多かろうかと、某も思います。ですが、忍はともかく、戦支度は隠しようがございませぬ。備よりの報せは当てにして宜しいかと。ただ……恐いのは草州ですな」
「草州は確か、武州寄りの中立だったか?」
「はっ。武州次第としか申し様もございませぬが、都にて大きな動きがあれば、呼応か先走りかはともかく、草州側から急襲される可能性も捨て切れませぬ」
うろ覚えながら、勢力図を思い出し、頭の中を整理する。
九大大名家は、ほぼ三派に分かれていた。
主魁たる武州武田川家は今更だが、帝の第一位の側室で親王を有する蓮州蓮本家、近次郎が居た豊州豊口家、これら三家の連合を概ね『武州派』と呼ぶ。
対する『反武州派』は、茶所として有名な茶州湯河原家、酒造に強い寒州冷泉家、海の向こうの硯州石見家、この三家である。
廟堂での勢力比ではおおよそ七対五、総合的な石高比――国力比でならば武州派を十として反武州派が九となるものの、海を隔てた硯州は中央への影響力が一段低い。
これもまた、武州派が勢いづく原因ともなっていた。
その他の三家、『中立派』については、事情も様々である。
草州は武州寄りと見なされるが、棟梁たる草薙家とその他大名の温度差は酷く、足並みは揃っていなかった。戌蒔に曰く、名誉では食えぬ、ということらしい。
草州公の権力志向は強いが、平均すれば草州は三州以上の田舎であり、都からの距離も遠すぎた。
都の東、嶺州は、大社の総本山を抱えていることを理由として、都の権力争いとは距離を置いている。
政教分離というわけでもないようだが、執政を司る太政官と対を為す祭祀機関である神祇官への影響は大きいものの、それだけであった。
さて、残る一つ、肝心の我らが三州公はと言えば……。
「一応は中立なんだろうが、三州公は帝への忠節を第一とする、というあたりかな?」
「はっ。その意味では、忍党と似たような立ち位置かと」
俺自身は反武州の気持ちが強いものの、三州が中立であれば、そして、自分から首を突っ込まねば、大乱を伴う両者の争いに巻き込まれることはない。……などという虫のいい話は、ありえないだろう。
和子のことを思い出すまでもなく、同じ帝の子ですら派閥を背にした諍いがある。
当然、決定的な対立でも起きれば、望まぬ神輿にされても不思議ではなかった。
同時に、名分が立てば大名同士が争うこともあり、この場合は同じ三州の大名とて油断できない。
「ですが、武州が廟堂を通して黒瀬成敗の勅を下せば、少々の義理など……」
「ああ、考えるだけ無駄になるな」
元より、気にしても仕方がない程の差が存在するのだ、せいぜい味方を増やして差を縮めるかと、笑い飛ばしておく。
「しかし、大きな動きはともかく、忍はこれからも来る可能性が高いかと。万事お任せを」
「うん。……頼んだぞ、戌蒔」
「承知!」
闇に溶けるようにして去った戌蒔を見送り、小さくため息をつく。
今年の黒瀬は、年の初めから忙しい。
都船の第二陣に新城の町割、婚儀の準備もそろそろ本格化する。
収入の確保も考慮して、御仁原狩人衆も今少しテコ入れするべきか。
……国造りだけに励んでいられるなら、忙しくとも幸せなのだが、世間もそうは都合良く動いてくれまい。
矢狭間の屋根にかかる三日月が、俺を冷たく見下ろしていた。




