第百十話「都落ち」
第百十話「都落ち」
勘内と喜一が町会所の設立を了承し、手の者数名を置いて下準備のために黒瀬を出て数日。
都船の第一陣として、大小合わせて六艘の廻船が到着した。
「ついに来たか……。信且、頼む」
「ははっ!」
前もって先触れの一二三丸を甲泊に戻し、浜通と飛崎で半数の二百人を降ろすよう指示していたが、それでも二百人とその荷物が一気に楔山へと押し寄せたわけで、過日、遠山衆や氷田一党がやってきた時と同じく、城は『陥落』した。
炊き出しと寝床の準備で騒がしい城中を横目に、辛うじて確保した二の丸の客間で、代表の数人と面会する。
「正三位北條大納言が甥、従六位下右衛門大尉北御室久邦が一子、正八位上、北御室正邦と申します!」
「従八位下主計少属、小田師隆でございます」
「……寒州浪人、本多八郎」
「京北は栗本国川西郡、中原村の元庄屋、藤次郎と申します」
久邦は右衛門府の衛士、師隆は舎人で民部省主計寮の元役人、藤次郎は綿農家である。
八郎は風体も含めて浪人としか言い様もないが、腕っ節だけでこちらに来た浪人者をまとめ上げていたそうだ。
「遠路ようこそ。黒瀬国主、従八位上鎮護少尉、松浦黒瀬守和臣だ。何もないところだが、楽にしてくれ」
さて、都落ちしてきた彼らを引き受けることはもう決まりなのだが、事情ぐらいは当人の口からもう一度聞いておきたいところだった。
正邦と師隆の話は、粗方知らされている。
北御室正邦は十七歳、これまでは衛門府所属の衛士を務めていたが、武州派の衛士と些細な事から揉め事になり、それが広く衛門府内に知られてしまった。
北御室家も有力公家に連なる家柄であり、相手方が同格かそれ以下ならば、両成敗かお咎めなしか、あるいは別の手打ちが提案されて……ともかく、大きな禍根もなく事を収められただろう、というところである。
だが運が悪いことに、久邦が喧嘩を吹っかけられた相手は武州派、それも朝廷のトップたる左大臣に連なる係累であった。
子供の喧嘩に親が出てきて……とまでは言わないが、騒ぎは更に大きくなり、どうにか左大臣と大納言との間で手打ちが成立したものの、久邦は出奔という形で騒ぎの責任をとらされ、衛門府から追い出された。
ちなみに相手方も衛門府にいられなくなり、神宮衛士に転じることとなったそうだが……。
「都を出る直前、闇討ちを仕掛けられましたが、反対に腕を一本へし折ってやりました」
「へえ……」
公家ではあっても、衛士の家柄であれば、武家にも馴染みやすいかもしれない。……出奔の原因にもなった通り、喧嘩っ早そうなところは注意したいが、それはまた後でいいだろう。
小田師隆は見かけ三十代、源伍郎らと同年輩に見える。
小田家はさまざまな文官仕事のうちでも特に『算』に偏った家系であり、舎人でも家格は中の上、二十代ほど遡れば、公家にたどり着くという。
廟堂の上層で行われる勢力争いなど、ほとんど無意味な下級官人の家であるにも関わらず、何故黒瀬まで流れてきたのかと言えば……。
「小田家は小さな荘を持っておりましたが、都を守る新たな城の建設予定地となってしまい、取り上げられてしまったのでございます」
荘は荘園のことだが、小田荘は石高四十石、都の外れにあった村とも呼べない小集落だったという。
しかし、小さな屋敷ともども、その大事な土地が突然、お上に召し上げられてしまった。
無論、代替地が用意されたが、そこは遙か海の向こう、遠く硯州の地。
どう考えても、嫌がらせか手続きの不備であり、師隆も上役に訴え出た。
だが上役に連れて行かれたのは、民部省主計寮のトップ、主計頭の部屋である。
『主の娘、相当な器量よしと聞くが、どうじゃ? 余の妾となるなら、口利きしてやってもよいのだがな』
彼の勤めていた民部省主計寮は、朝廷内でも数少ない生きた省寮の一つであるが……実態はこんなものらしい。
小田家は無論、主計頭に真っ向から立ち向かえる家ではない。
娘を泣く泣く差し出すという選択肢もあったが、それはそれで理不尽だった。第一、娘をあんな阿呆に差し出すのは、師隆としても許しがたい。
しかし、荘やそのそばにある家屋敷を取り上げられては生きていけないし、このままでは結局、勤め先も娘も失ってしまうだろう。
「そんな悩みを抱えていた折、知り合いの舎人から薄小路図書頭様を紹介されましたのです」
義父殿からは、『どう頑張っても贅沢は出来ぬ田舎、それでもよければ、紹介状を認めよう。黒瀬守が娘を召し出すことは……あるやもしれぬが、たぶん城の寝所ではなく、算用所であろうよ』と聞かされて、都落ちを決意したという。
当然、算用所などという計算を専門に行う贅沢な部署は、黒瀬にありはしなかった。
寝所の方は、あるにはあるが……。
「見て分かる通り、寝所は乳飲み子を持つ母に明け渡してしまったからな、無理強いはしないが、師隆の娘が召し出しに応じて手助けしてくれるなら嬉しい。だが、一族で算術が得意と聞けば、いずれ召し出すことになるだろう。……本気で仕事の手が足りなくてな」
小田一党は、分家の家人まで合わせて四家四十余名、全員とまでは行かなくても、分家当主も含めて最低四人は文官が確保できる計算になる。
代官に即時採用、とまでは言わないが、相当な戦力になるはずだった。
中原村の藤次郎は、庄屋である。
庄屋といえば村の長、村人を率いてこちらに来たのかと思えば……。
「有り体に申しまして、夜逃げでございます」
綿農家の多い中原村は、商品作物を作っているだけあって、商取引も盛んだった。
しかし、どこでどう恨みを買ったのか、中原の綿は『湿っている』と噂が立ってしまい、にっちもさっちも行かなくなったのだという。
綿の取引は品質と重さによるが、湿らせれば当然重くなり、重ければ取引で得られる代金は増える。
もちろん、あからさまな詐欺だし、評判は落ちることになった。
藤次郎も目を光らせていたが、不正は見あたらず、噂話だけでは誰が出所とも確かめられず……。
村内からは突き上げをくらい、商人からは相手にされなくなり、首をくくるか逃げるかの二者択一を迫られてしまった。
村に出入りする商人の一人と、同じく綿農家の多い隣村が結託し、村人を煽ったと知ったが、時既に遅し。
「死ぬよりはましと都に出たのですが、苦労ばかりでございました」
その後は慣れぬ行商などをしながら暮らしていたが、長屋の仲間から東下行きの話を聞いて、心機一転と自分も乗ったそうである
何故か民人らのまとめ役と祭り上げられているが、そこは元庄屋の貫禄であろう。
そして、もう一人。
「八郎は、仕官希望でいいのか?」
「はっ」
「じゃあ、手合わせしてみるか」
「承知」
八郎は無口で、微妙にやりにくい。
だが、腕が立つ侍なら、いくらでも欲しい黒瀬である。
庭に出て互いに木刀を構え、少し離れて梅太郎に頷く。
「はじめっ!」
俺は正眼に構えた。
……八郎の目を見て、これは『強い俺』が必要な相手だと、直感する。
お互いしばらく動かなかったが、俺が一歩踏み出すと、八郎は木刀を腰に差したままふらっと横に動き、怪しい足取り――いや、俺を惑わせるフェイント含みの足捌きで突っ込んできた。
「ふうううぅぅぅぅぅ……」
早い!
喉を鳴らしながら、一歩が二歩、二歩が三歩とでもいうように、八郎が加速する。
「……セヤッ!」
呼吸の音といい、駆ける姿といい、映画で見た中国拳法みたいだなと一瞬考えたところに、八郎の木刀が真横から『飛んできた』。
抜刀術とでもいうのか、明らかに尋常の速度じゃない。
「殿っ!?」
受けるのはまずいとみて、八郎の懐に潜り込む。
「!?」
驚愕の表情。
倒れ込むような姿勢のまま……瞬時に腕の力を抜き、ごく軽く胴を薙ぐ。
「……参りました」
これは手合わせ、言うなれば模擬戦だ。木刀と言えど、本気で殴れば大怪我では済まない。
「八郎、見事! 本気で驚いた。あんなに早い抜刀は、初めて見たぞ」
「はっ……」
しかし、本当にいい腕だった。……なんで浪人なんかやってるんだ、というほどに。
その後も、腕は立つがどうにも無口で困っていたが、それが仕官に影響を及ぼすほどの無口であれば、まあそういう者もたまにはいると思うしかない。
悩んだ末に、補佐役に槍使いの浪人、源田義助を宛って事なきを得た。
正邦にも乞われて一戦したが、こちらはまあ、年回りを考えれば立派ではあるものの、並かその少し上程度の腕前であった。
しかし、兵学も多少は修めているので、将来の楽しみな若侍、というあたりか。
「さて、早速だが……小吉、頼んだぞ」
「はい、お殿様! 皆々様、手前は黒松屋の番頭、小吉と申します。主人より、新たに作られる町の差配を任されておりまして――」
勘内がこちらに残していった腹心、小吉を呼んで、働き口となる新城の説明を任せる。
工事に携わる人足だけでなく、今はお庭番が仕切っている新城周辺の警戒や魔妖狩りも、ほぼ丸投げすることになっていた。
ついでに町開きと道路工事の予算も黒松屋と誉屋から出ており、俺の手元の金は、築城にお使い下さいと、差し戻されている。
東津に戻った主人達は、可能なら豪商『以外』の懇意の商人も巻き込みたいと話していたが、さて……。
俺を悩ませる問題は、彼らが到着した事で増えていた。
領民として丸抱えするなら問題はないが、仕官については多少頭が痛い。
要望をそのまま受けるなら、正邦とその付き人ら五人、小田一党は官位を持つ男だけで九人、ここまでは問題ないが、浪人の三十余人はさて、どうしたものやら。
後続の船にも護衛を兼ねて浪人を乗せており、その数は更に増える。
当面は会所が雇い入れるが、その後野放しでも困るのだ。
一応、人手を欲しがっているのは俺だけでなく、城代や代官を任された上士身分のそれぞれにも手足となる家臣は必要で、多少は吸収出来るのだが……全員は無理だろう。
落ち着いてからになるが、人数を絞る為に採用試験でもするかと、俺は暗くなってきた冬空を見上げた。




