第百七話「先触れ」
第百七話「先触れ」
「結構でかいな。五百石積みあたりか?」
「そのようでやすな」
御仁原で代官殿への挨拶や御札衆の士分取り立てなど、年始の行事を終えて国に戻れば、桟橋に見慣れぬ廻船が浮かんでいた。
「オウ! 黒瀬の船か?」
「こっちは『一二三丸』だ!」
「しばらく世話んなる! よろしく頼まあ!」
勘内はまだ自前の船を持たず、船頭ごと丸借りしているから大きい船に乗り換えたか。
送り出したのが年末だから、東津なら丁度今頃の戻り……と思いきや、一二三丸は都からの船であるという。
「え、お殿様!?」
「ひ、平にご容赦を!」
「気にするな。それよりも、遠路ご苦労だった」
「へ、へい!」
「殿、お帰りなさいませ!」
「おう、梅太郎!」
出迎えてくれた梅太郎に話を聞きつつ、城に戻る。
前の時は四艘だったが、今度は一艘、昨日の到着で荷揚げは済んでいるらしい。
そう言えば、勘内が居食い猿虎の皮で稼いだうちの一千両は、義父殿が巻き上げて支援に使う話になっていたか。
「船頭は先触れだと申しておりました。後から数艘、追いかけて来るそうです」
「そうか……」
先触れは、正直言ってありがたい。
近次郎のところの氷田一党二百人でも、受け入れはかなりの手一杯だった。
だが今ならば、以前より受け皿たる黒瀬国そのものが大きくなったお陰で、問題が小さくできる。
たとえ楔山が満杯になったとしても、前もって準備すれば、多少人数が多かろうが他の村に分散させ――。
「それから、今度は一千もの民人がこちらにくるとか……」
「待て、一千だと!?」
「は、はい!」
道々考えていたあらゆる施策や方針を吹き飛ばされ、慌てて天守広間へと走った俺である。
「信且!」
「殿、お帰りなさいませ! 大変でございますぞ!」
「ああ、梅太郎から聞いた!」
「まずはこちらを!」
船頭が預かってきた図書頭殿の書状を読めば、先触れの一二三丸は、道中で仕入れた麦米の他、明らかに足りなくなるだろう日用雑貨、例の如く下品の酒や茶、煙草などの嗜好品、都より預かってきたという女房衆が書いた読み本の代金を積んでいた。……安紙に都言葉の文字が、田舎情緒もまた風情と、それなりに売れたらしい。
続く第一陣は都で集めた食い詰めの浪人や日雇い者を中心に、都落ちを望む舎人の一族や、武州派ともめ事になってしまった公家の息子など四百、第二陣には寒州にて起きた魔妖襲来で、村や農地ごと住処を失った者達六百を乗せてくるという。
「殿、既に村々には人が増えると伝え、急ぎ受け入れ可能な人数を報せ、また可能ならそれを増やすよう触れを出しております」
「助かる、信且」
「はっ。しかしながら、一千では流石に軒も寝床も足りぬことは明白かと」
「そうだな……」
人口七百五十の国に、一千の民を受け入れろというのも、無茶な話であった。
それも昨今、急激に人を増やし、ようやく暮らしぶりが落ち着いてきた矢先のことである。
だが、都の義父殿らには、黒瀬の現状についてはほぼ筒抜け、このぐらいなら大丈夫と思われているのだろう。
……確かに、一年掛けて生んだ余裕が一瞬で失われたわけだが、悲観するほどでもないか。
「よし、どちらにしても受け入れの手筈を整えるぞ」
「ははっ。まず、瑞祥丸には麦の買い足しを命じましょう。出来得れば、急がせるべきかと」
「そうだな。飯が足りなくなるのは間違いない」
「殿、お戻りと聞き、まかり越しました!」
「戌蒔、すまないが、御庭番衆の力も借りるぞ」
「承知!」
第一陣は一二三丸より半月遅らせて到着する予定だと聞かされたが、風任せの船のこと、予定は当然前後する。
嫁さん達への帰城の報告もそっちのけにして、対応に追われた俺だった。
▽▽▽
「これは……どうにも無理があるか」
「はっ……」
これは至急案件と、御庭番衆に各村落と往復して貰い、その日の内に受け入れ可能人数の集計が届いた。
現状、楔山が城まで勘定に入れて二百、浜通がやはり二百、飛崎が往時に使われていた廃屋も含めて百五十。
開村して間もないながら、新津は関船鷹羽丸を宿舎にして五十、遠山も無理をして五十……。
無論、城の矢狭間で藁筵に雑魚寝をしての計算であり、戦時なら命優先だが、酷いストレスになるだろう。
だが、長屋の増築を命じたところで、ひと月で不足分の三百五十人が起居できる規模の棟数は、とても建てられない。アンの手助けがあっても、流石に無理がある。
また、楔山などは城下にもう土地がなく、一緒に城壁を伸ばすか、あるいは『諦める』かせねばならない。
当面、大物魔妖の出没の心配こそないものの、木の柵しかない遠山や新津では、常時警戒のための兵が出ていた。
「……殿」
「どうした、戌蒔?」
「いっそこの機会に例の廃城、手を付けては如何かと」
「ああ、あれか……」
遠山の北二里にあるそこそこ大きな城跡は、そのうち手を入れようと考えてはいたが……。
だが、それこそ国を挙げての一大事業になり、安定したばかりの黒瀬には、大きすぎる負担となるようにも思う。
「理も利もございますれば」
「ほう?」
「戌蒔、頼む」
「ははっ」
戌蒔に曰く。
何がどうあれ、新たな民の住処を用意する為に大規模な普請が必要であること。
各集落より人を出させ、労力を集中した方が効率も高くなること。
集落より人を出せば、その分の寝床が浮き、一時的ながら受け入れ人数が増やせること。
その上で……。
「完全な移転の後、一旦楔山を空城とし、周辺も含めた新たな縄張りを組まれては? 申し上げ難きことながら、流石に手狭かと存じまする」
「ふむ。松下殿の言葉、正に……」
「無論、この騒動が落ち着いてからのことになりまするが、今後も人は増えましょう」
それは確かに、俺も感じている。
現状、安定とはいえ、楔山の城は三十人が普段暮らすにも手狭だった。
「いい手だとは思うが、しかし、その金をどうするかだな……。新たに来た者達に手伝わせるとしても、ただ働きにも限度があるぞ。それに……」
「春漁と春狩りも間近ですからな」
「御仁原にも人手を取られております」
今の手持ちを勘案してみれば、各地の城に分散して麦中心に五百俵近い麦米、そして年末までの稼ぎと貯蓄だが、士分取り立てや正月の物入り、婚儀の追加予算などで少し目減りして千二百両少々。
平常の稼ぎは食いつなぐ為にも不足で、とてもとても、新たな城と町を整備するには至らない。
しかし、早期に手を打たねば、人口の抱え込みすぎで安定させる間もなく国が潰れる。
「……よし、決めた」
迷っていてもしょうがない。
時間というものは、立ち止まってこちらを待ってくれたりしないのだ。
「信且、廃城に新たな町を作る旨、触れを出せ。……ああ、理由もきちんと書き、皆が知るようにしてくれ」
「ははっ」
「戌蒔には、周辺の調査と安全の確保を命ずる」
「承知!」
遠山の開村時と同じく、まずは新津から道を通し、次に陣を張り城壁や掘の整備、城跡を避難所として機能させることはすんなりと決まった。
その後は町割――区画整備を先に行い、数量優先で長屋を建てていく。
「さて、その人手だが……陣張りや道の整備を優先するが、無理もできないか」
「村ごとに割り当て、労役とするのが常道でございますが、殿のお好みではございませんのでしょう?」
「まあ、うん」
「そのお心遣い、まっこと感服致しますが……流石に今回は、無理に過ぎるのでは?」
「だが、えー……あれだ、武家心得を書いた書物にある『民心の慰撫』だったか、そればかりが理由でもなくてな」
「と、申されますと?」
人の気持ちの問題だけではない。
本来ならば、春の漁に春狩りと、稼いでくれるはずの人手を労役につかせれば、その分の収入が落ち込むのだ。
これが実に手痛く、巡り巡ってせっかく去年、一年掛けて得た暮らしの余裕を、根こそぎ奪いさることに繋がる。
緊急事態ではあるものの、まだ多少なら形振りを構う余裕も……いや、皆までは言うまい。
「ついでにだ、これを契機にして、領国内に銭が回ってくれると、有り難いことこの上ない」
「今は職人らも、外に物を売って外から物を買う、そんな具合だと聞いております」
「うん。正に正道だろうが、もったいないと思う。それに……」
「殿?」
「この間、御仁原で見たんだが……小遣い銭を手に握った子供がな、笑顔で黄粉飴を買い食いしてたんだよ。弥彦や大三郎も一緒にいたが、親から小遣いを貰って買い食いしたなど、覚えがないと言っていた」
そんな話をすれば、信且と戌蒔は顔を見合わせ、俺に平伏した。
「その上でだ、日当はどうするかな……」
「甲泊の相場であれば、棟梁に銀二匁、人足に銀一匁というところでございます」
三州美洲津に近い分、鷹原は相場も都会よりだったんだなあと、いつぞや小鬼狩りで銀二匁の日当を貰った時のことを思い出す。
大工の日当ととんとんだと、幸婆さんがため息をついていた。
聞かされた相場はその半分だが、全員を銀一匁で計算しても、五十人雇えば日当に一両だ。
当然、飯代は別に掛かるし、道具や寝床も用意せねばならない。
……なんともはや、年が明ければ明けたで、問題が尽きない黒瀬国である。




