第百五話「龍神様の昔語り」
第百五話「龍神様の昔語り」
「アン、盛りつけを頼む」
「はーい!」
神社の境内で揚げ物をするなど失礼に当たらないかと少し悩んだが、初詣に限らず縁日の屋台じゃ揚げ物は多かったなと思い出す。
どちらにせよ、神様のご要望ならば、まあ問題にはならないか。
エビフライにカキフライ、食材があるならと東下菜とエビのかき揚げもついでに揚げ、持参したアン謹製のパンもお供えすると、すぐにフローラ様がお出ましになられた。
「煩わせてすまぬな」
「フローラ様!?」
……手を合わせた俺達の、後ろから。
「正直に言えば、居ても立ってもいられんでの。故郷の料理を思い出すなど、何百年振りになるか……すまぬ、いらぬ苦労をかけた」
葉舟様や榊殿、お狐さんらの分も含め、数度追加で揚げることになったが、フローラ様には大変喜んでいただけたようで、大いに面目も施せた。
お供え物の他、お狐さんがどこからか捕まえてきて榊殿が捌いた雉をから揚げにしたり、村衆が好意で差し出してくれた赤根芋を潰してコロッケ『もどき』を作ったりと、その場の工夫も受けたようである。
「しかし一郎、主も多才であるな。武芸はともかく、こちらの暮らしに慣れるのも早かったが、その上、料理にも造詣が深いとはな」
「あー……実は、予備知識といいますか、すごく似通った時代を知っていたんです。一部は向こうでの暮らしそのままでしたし、アンとは違い、俺の国は言葉も大倭とほぼ同じでした」
「ほう?」
現代日本でのことはともかく、この大倭という世界は、俺が歴史として知っている知識、あるいは脚色はされているが、時代劇などを通して知っている『昔の日本』に、とてもよく似ている。
地理や人名はともかく、江戸、戦国、鎌倉、平安……そのどれもが似ていて、違う。
食事や文化を含め、人々の暮らしぶりは江戸時代に近いんじゃないかと思うものの、入り混じっているような気もする。
領国は戦国時代の国より江戸時代の藩や旗本領に近い部分もあれば、正に独立した国そのものとされている部分もあるし、平安時代の衛士と戦国から江戸期の武士が、住み分けか同居かは微妙だが、同じに存在していた。
武士ももちろん、同じようでいて少し違う。
打刀と脇差の二本差しが弓に代わって武士の象徴になったのは、豊臣秀吉の刀狩より後のはずである。
魔妖の出るこちらでは、武具は必要不可欠であるものの、農民も大っぴらに武装しており、谷畑上郷だと、世話になった幸婆さんの家だけでなく、槍は何本も用意されていた。
しかし、時代が戦国まっただ中かそれ以前、というわけもなく……。
大倭の歴史まではまだ学んでいないが、ちぐはぐというか、継ぎはぎというか、俺の知っている『昔の日本』が、ごちゃ混ぜになっている。
そんな話をすれば、フローラ様は少し考え込んでから、興味深げに俺を眺めた。
「主の言うこと、正に。……妾も主の話を聞きつつ、これまでに会うた異界よりの飛ばされ者を思い浮かべてみたが、なるほど、少し合点がいった」
「俺やアンの他にも、お会いになられたことがあるのですか?」
「無論。流石に人よりは長生きじゃからの。大御神様の大御言により、こっそり会いに行くこともある。……言わんでも分かろうが、主は流石に特別じゃ」
良いか悪いかは別として、大倭の行く末が少しばかり変わることもあり、時には直接助力することもあるという。
「ふむ、主やアナスタシアになら話しても良かろうか。たとえば主の妻和子、あれの先つ祖は、主と同じ異界の生まれぞ」
「え!?」
「戦に負けて近従らと共に落ち延び、廃寺で一夜過ごした翌朝、地震に飛び起きれば外の風景が一変しておったそうだが……ふむ、日本の帝の皇子と言うておったの。魔妖に難儀しておった人々をまとめあげ、一気に今の大倭の基礎を作り上げた大人物じゃ」
「それまでは一つの村が一つの国というありさま、魔妖に対抗するのも今以上に苦しかったと」
「葉舟媛の仰るとおり。その頃は、武具……いや、武器と言えば石の槍に石の斧、毛皮の鎧でもあれば上等というところであったからの」
驚いた。
いや、本気で驚いたが、そりゃあ、菊の御紋がこちらでも帝家の御印とされてるはずだ。
だが、帝家と言えば天皇家、皇子様が自分で戦争に出るとか……ああ、南北朝時代とか、壬申の乱とか、あるにはあったか。
口をぽかんとあける俺が面白かったのか、フローラ様は笑顔で茶碗やぐい呑みを指さした。
「他にもの、平和な時代の茶の師範やら刀鍛冶、歌を詠むしか能がないと自らを嘆いておった公家、剣豪を自称していた大酒呑みもおったのう。……じゃがあ奴、酒造にも造詣の深い男でな、剣の腕は並より少し上程度、どうせなら酒豪を名乗れと怒鳴りつけてやったが、あ奴の諸国漫遊修業の旅とやらのお陰で、よい酒が各地に生まれた」
以前、俺以外にも飛ばされ者はちょくちょく来たと、葉舟様や枳佐加様から伺った覚えがある。
あの時は、自分のことばかりで気にしてはいなかったが、和風の異世界大倭、その謎の一端に触れた気がした。
なるほど、飛ばされてきた人達の知識や文化の積み重ねが、今の大倭だとすれば……。
「ああ、都の役人や腕を切られた忍、味噌をもたらした農家の娘……ふむ、ビール職人もおったかの」
「ビール職人!? もしかして琵琶酒ですか、フローラ様?」
「うむ。……やはり、ビールも知っておるのだな」
なぜかじろりと睨まれたが、俺は勢いのまま続けた。
「その飛ばされ者、もしや、アンと同じ白い肌に金の髪の者だったのでは?」
「……一郎!?」
ビールは日本発祥の酒じゃない。
琵琶酒の存在から、必ずしも日本人ばかり、あるいは元の日本のある世界から文物や人が渡るわけじゃないだろう、とは思っていた。
であれば、その可能性――ヨーロッパ人種が飛ばされてきたと考える方が、納得出来る。
「主には本当に、驚かされる。……その者は、金ではなく、赤毛であった」
「え? じゃ、じゃあ!」
「すまぬがその者、アナスタシアの生まれた世界とはまた異なる別界の者であった」
「そう、ですか……」
「大倭の者よりは、余程アナスタシアに近しい文化に暮らしておった者であろうが、流石に兄様が治めておいでの世界なら、妾も把握しておる」
気を落とす出ないぞと、フローラ様は小さくため息をつかれた。
もちろん、世界を渡るということそのものが不思議の筆頭であり根本なのだが、今更気にしても仕方がないか。
「それはともかくの、一郎」
「はい」
「主と話す内に、ようやく妾も得心がいった。……妾の知る飛ばされ者を順に並べた時、一人目が一番古い時代の者ではない、とな」
「それは……なんとなく分かります。あるべき物が欠けているというか、なくて良かったというか……」
「ほう?」
「俺の暮らしていた国では、刀や槍、弓矢は昔の武器とされています。存在はしますが、既に軍の兵が使う主力の武器ではありません」
「……それに変わる武器が出来た、ということか?」
「はい。……自分から『それ』を口にする気はありませんが」
それ――無論、鉄砲や大砲など、火薬を使う武器のことである。
鉄砲伝来は戦国時代、本格的な戦乱で日本全土が争いの渦に飲み込まれる少し前であり、飛ばされ者が伝えた文化や知識を考えれば、大倭でも使われていて不思議はなかった。
だが、三州でも、都でも、先日の戦役でも、御仁原でも、俺は一度として、火薬を使う武器を見ていない。
鉄砲鍛冶なら、おそらくは火縄銃を作れると思うが、幸か不幸か、こちらには来なかったのだろうと思われた。
少し考えれば分かることだが……現代日本人の俺がこちらに来たからといって、関船が一足飛びにイージス艦へと進化したり、打刀が自動小銃になったりするわけがなかった。
知見はあっても、知識や技術に裏打ちされていなければ再現再生は不可能であり、それは時代が進むに連れて厖大な情報量となってしまう。
また、同じ鍛冶屋でも、平安初期と江戸中期では、技術や知識、方法論の積み重ねにも差があって当然だ。
しかし、鉄砲鍛冶がこちらに飛ばされてきたのなら、火縄銃かマスケット銃ぐらいまではなんとかなりそうだが、薬莢を使う自動小銃は……さて、どうだろう?
余程の専門知識を系統立てて頭に蓄えているか、細部の資料や冶金学など必要不可欠な関連技術、あるいは機械類一式が使用方法や動力とセットで飛ばされて来なければ、一点物でも再現は難しいはずだった。
俺個人に関して言えば、えび天をエビフライにすることは出来るが、牛車を自動車にすることは不可能だ。
但し、きっかけを与えて技術の進歩を加速することは、不可能ではない。
たとえば銃に使う火薬、その一番初歩的な黒色火薬の材料が、木炭、硫黄、硝石である事ぐらいは、授業で習っていた。混合の比率を変えて幾度も実験するなら、再現は出来そうだ。
火縄銃の構造も、鉄の筒を作って鉛玉を込め、火縄で火薬に着火すればいいのだから、鍛冶屋に指示を出して試作を重ねさせることは可能だろう。
ただ……。
大倭に銃が絶対存在しないかは、分からない。
聞いて回るのも無理なら確かめようもなく、こちらから説明して広めるなど本末転倒である。
もっとも、神通力に法力、忍術や陰陽術と、銃などとは全くの別方向で驚異的なものもこちらには存在するわけで、銃がないからと安心は出来なかった。
「お祭りの仮装なら、侍や武者の人気は高いのですが、侍も、足軽も、歴史上の存在です」
祭りでなくても、京都などの歴史的観光地には、十二単や武者鎧の貸衣装があったように思う。
他にも、コスプレなら、巫女装束も人気があるだろう。
だが、巫女は侍よりも余程『現役』か。
神通力のあるなしは横に置いて、大きな神社にいけば巫女さんは普通に働いていた。
「でも、侍よりも強いって……。金属の甲冑をつけた騎士?」
「アン、残念ながら、騎士も昔のものかな。……あ、一部、伝統的に残ってる国があるけど、軍隊の主力じゃないなあ」
「主の言う『それ』、余程の物らしいの。だが妾も、聞かぬことにする」
「ありがとうございます、フローラ様」
理解のある龍神様で、本当に助かる。
難しい話はここまでじゃと、俺はもう一度、油の入った鍋の前に立たされた。
 




