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第百四話「今上八年癸卯の正月」

第百四話「今上八年癸卯の正月」


 皇歴一四八五年、今上きんじょうの八年にして癸卯(みずのとう)


 俺が国許に戻って二日、黒瀬は去年よりも静かに、正月を迎えた。


「殿、新年あけましておめでとうございます」

「善き哉」


 初日の出こそ、信且らと天守に登って拝んだが、各地の責任者――統治者も集まる新年御挨拶(おんあいさつ)は、四日に行うとしていた。


 新年御挨拶は武家行事として欠かせないが、村の行事の差配には俺の代行という側面もあり、また、正月一日から呼ぶのも忙しない。


 祝いの準備も行事の予定も全て任せていたが、振舞酒や宴席の用意、年始の神事の仕切りなどの役目も割り振られていた。


「今年は去年以上の宴となっておりますぞ!」

「皆、頑張り申しました!」

「おお、楽しみにさせて貰うぞ」


 昨年と同じく、皆で港に向かい、大海神に海幸山幸の捧げ物をして、豊漁と海の安全を祈る。


 これらは俺の、あるいは各地の代官や城代の大事な仕事だ。


 支配階級の権威付けという側面も含まれているのだろうが、大倭は神様が本当にいらっしゃる世界である。


 正月のお殿様は忙しいだろうから初詣は松の内でかまわないと、主祭神より伝言が届くぐらいには、近しい存在であった。


「……」


 海に向かって作法通りに二礼二拍一礼、新たな一年が平穏無事でありますようにと、真剣に祈る。


 去年に比べ、明らかにお供え物の量が増えていたものの、だからと神様に全てを(すが)るようなことは、出来なかった。……人の数もそれだけ増えているし、元より神様はお忙しいのだ。


 志野も含めれば楔山、遠山、飛崎、新津、浜道と六ヶ村、国が大きくなったのは間違いない。


 今の国情に合わせたお供えが、誇らしくあると同時に、領民の全員が一度に集まることは今後もおそらくないのだろうと、少し寂しい気持ちも引き出される。


「……よし、皆も待ちくたびれているだろう。難しいことは抜きにして、正月を祝うぞ!」

「おう!」


 それぞれの村でも、今頃は酒と料理を囲んで日頃の疲れを癒しているはずだ。


 ふと城下集落を見回し、夏前に慌てて建てた長屋や、勘内のよろず屋が増えただけでなく、新たな蔵を建てる為に縄が張られ、これではますます手狭になるなあと嘆息する。


 これ以上広げるとなると、畑の一部を潰して城壁を築くしかないのだが、流石にそこまでの余裕はない。


「……一郎?」

「ああ、うん。……なんでもないよ、静子」


 俺は去年と同じく、菜種油がたっぷりと入った熱い鍋の前に立った。


 鯛にヒラメにイカに……去年と違うとすれば、甲泊で買い込んだ揚げ物の種が、新たに用意されていることだろう。


「大きめの賽の目切りで、よろしかったのですよね?」

「ありがとう、朝霧。丁度いいよ」


 餅だ。


 祝いものとして領内各村に行き渡るよう、たっぷり買い込まれていた。


 正月の予算が一人頭の計算なら去年の倍、金額では十数倍となっていたからこのぐらいの余裕はある。


 この英断は、家老信且を主体として行われていた。


 信且は言うまでもなく締まり屋であるし、俺も信用を置いている。


 城に積まれた麦の俵や予備に取り置いてある金子など、命を繋ぐ為の備えは十分と判断、また、新たに黒瀬に加わった人々の元の暮らしぶりを考慮すると、せめて正月ぐらいは息抜きをさせねば、領民の不満も行き場がなかろうとのことであった。


 飢えの心配が無くなるよう、暮らしぶりが少しでもよくなるよう、努力はしている。


 だが、それだけでいい筈がない。


 人の心持ちというものを、改めて考えるべきなんじゃないかと教えられた気がして、俺も皆に感謝した。


「揚げ餅は頼むぞ。さっき言ったように、膨らむと浮いて来る。くっつかないように箸で転がして、きつね色になれば出来上がりだ」

「はい!」


 揚げ餅は調理も簡単で、和子らに任せてあった。塩を振るだけで、手軽で旨い酒の肴になる。


 その隣では、女房衆の手で餅や魚介が焼かれていた。


 こちらは普通に、醤油でいただく。

 変わり種ばかりでは、飽きるのも早い。


「資子殿、こちらはもうすぐ焼き上がります!」

「はい、次の生地は用意できておりますよ」


 浜に皆が使う簡易竃を魔法で一気に作ったアンは、資子殿を助手にして、皆から少し離れた場所で大きなパン焼き竃に長い木の棒を突っ込んで、奮闘している。


 昨日、一口貰った試作品は、去年よりも段違いに『パン』の味と食感に近づいており、一番の問題は米糀や全粒粉ではなく火だったのよと、アンは気合いを入れて今年に望んでいた。


「さあ、次は特別製だぞ。アンのお国の料理を真似た、俺の故郷の料理だ」

「おおー!」


 正式なカツレツなんて作り方は知らないが、アンのお陰でパン粉が手に入ったわけで、ならばと作ることにしたのが、エビフライである。


 小麦粉を付けた海老のむき身を溶き卵にくぐらせ、パン粉をつけてぎゅっと握る。


 油に落とせば、じゅわっとパン粉が散った。


「天ぷらよりも、じゅわじゅわと言うておりますな……」

「卵の水分が、音を立てるんだ。パンを砕いた粉の代わりに、折った素麺や胡麻を使う料理もあったかな」


 無論、これらはテレビの受け売りである。


 きちんと海老の背が伸びるよう、テレビの料理人と同じに切れ目を入れるか迷ったが、正月の縁起物としての海老は紅白がめでたいだけでなく、腰が曲がるまで長生きできるようにという意味も込められていた。


 よって黒瀬のエビフライは、くるんと丸くなっている。


 だが雑多な知識も、知らねば一から模索しなければならないわけで、いつ何が役に立つのか分からないものだ。


「……ふむ」


 菜箸でつまみ、頭側を少しだけ油につけたまま、油ぎれを待って引き上げる。


 マヨネーズは最初から諦めていたが、卵の確保もそう簡単ではない。


 エビフライに使った卵は、近々結婚する俺に精をつけさせようと、甲泊で源伍郎が手に入れてきたものだ。


 ありがたく受け取ったが、俺だけで消費するのはどこか申し訳ない気もして、縁起物の振る舞いに使っていた。


 そのうちと言わず、養鶏にも手を出したいところだが、まだまだこれは贅沢か。


「軽く塩をふって、がぶっといけばいい。変わり種の揚げ衣ってだけだから、身構えなくていいぞ」

「は、頂戴いたします!」


 興味津々ながら、俺への遠慮か、なかなか皆が手を出そうとしないので、先に一本、ぱくっと食った。


 ……ざくっとした食感が、懐かしすぎる。


「これは、なんとも不思議な! だが、旨い! 旨いです殿!」

「同じ海老が、こうも変わるとは!!」


 天ぷらを美味しいと思うなら、フライも美味に感じる人の方が多いだろう。


 食感については好みだが、油をたっぷり使う料理など、こちらではそれなりに大きな町でないと店や屋台がなかった。


 天ぷらも決して高級品ではないのだが、田舎では大量の油を無駄なく使う、あるいは商売として回すには、少々苦しいところである。


 油揚げなら二、三日は日持ちするから、船が甲泊に向かった帰りなどに買ってきてくれることもあるが、黒瀬では敷居の高い品となった。


 久しぶりの脂気(あぶらけ)をじっくりと楽しみ、後ろを振り返る。


「アン、手は空けられるか?」

「はーい!」


 一本を皿に取りアンに手渡してやると、彼女の目が輝いた。


 フォークとナイフとはいかないが、箸使いも器用になってきたアンが、上品に口をつける。


「ふふ、海老のカットレットって、初めてだけど美味しいわ! ありがと、一郎!」

「アンがパンを用意してくれたお陰だよ。……さて、次が本命だ」

「え、まだあるの?」

「もちろん」


 海産系の食材については、いつでも何某かは手に入る黒瀬であり、これを活かさない手はなかった。


 昨日のうちに、幾人かの若い衆に頼み込み、かなりの数を集めて貰った岩牡蠣――カキフライこそ、本日期待の一品である。


「牡蠣の変わり天麩羅も、これまた美味ですな!」

「都でも、このようなものは味わったことがございませぬ」


 レモンは流石になかったが、こちらも皆には大受けした。




 しかし翌日。


「どうかしたのか、アン?」

「一郎、昨日見た夢なんだけど……」

「ああ、初夢か。確か、とてもいい夢を見たなら、黙っておく方が叶うなんて昔話もあったなあ」

「そうじゃなくって! フローラ様が、海老と牡蠣のカットレットを食べたいからお供えするようにって、夢に立たれたの!」


 フローラ様も別界からこの大倭に渡られたことは、いつぞや聞いた覚えがあった。


 アンの話に、望郷の念を刺激されたのかなと、彼のお方の顔を思い浮かべる。


「……羨ましいを通り越して、恨めしそうなお顔だったわ」

「……ああ、うん」


 幸い菜種油も卵も、まだ幾らか残していた。


 四日の新年御挨拶に集まる皆にも、フライを食べて貰おうと思っていたのだが、龍神様のお声掛かりでは仕方がない。


 無論、黒瀬国隆盛の一助どころか、二助三助も頂戴しているフローラ様のご所望である。


 エビフライ一つで喜んでいただけるなら、それこそ正月休みの返上など惜しくはなかった。


「アン、今日中の方がいいかな?」

「た、たぶん……」


 天ぷらの種をどうしようかと慌てる俺に、源五郎が声を掛けてくれた。


「海老と岩牡蠣なら、四日に使う分が網に入れて海に放り込んでありますぞ」

「すまん、助かる!」


 正月二日。


 急遽、油徳利や食材を背負って遠山まで初詣に行くことになった俺である。


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