第十話「蔵米三俵一人扶持」
「……一郎よ、お主のいたところでは、小判や銭はなかったのか?」
当然、穴沢殿と次郎さんには不思議そうな顔をされた。
だが、聞いておかないと絶対に今後苦労するのは間違いない。
「その、数え方が全然違うと言いますか……。少なくとも小判は使っていませんでした」
「お主、本当に遠い国から来たのだなあ……」
「ですなあ」
十円玉や百円玉がこちらの銭と同じような扱いになるのかは微妙だが、俺の知っているここで通用するのか今一つわからない常識からしても、次郎さんが受け取ったときの雰囲気や扱いからしても、小判の方が高いのは間違いない。
「まあ、繰り返して覚えればいいとは思うが……まず、これが一両の小判だ」
穴沢殿が藁編み座布団の上に、小判を一枚置いてくれた。
本物の金とか、近所の爺さんの金歯以外で初めて見たかもしれない。……そう言えば、手持ちの銀、あれも初めて触った銀だった。
「一両の小判は、四枚の一分銀と同じ、つまり一分銀は一両小判の四半分であるな。また同じ一分でも、小判と同じ黄金の一分金もある。
更に、一分銀は四枚の一朱銀となる。……ここまではいいか?」
「はい」
一分銀は小判より小さな長方形、一朱銀は更に小さい。
それぞれ四分の一だから、一両の小判は一朱銀十六枚になるわけだ。大きさも違うしそれぞれ『壱分銀』『壱朱銀』と文字が浮き彫りにされていて、これなら覚えるのは比率だけで済みそうだ。
思ったよりも複雑じゃなくて助かったと、内心で胸をなで下ろす。
「お主は蔵米三俵の禄を与えられるが、米俵を金子に換えれば一俵だいたい二分少々……あたりかのう」
「平年の相場なら、そのぐらいでございます」
「一両なんぞ、遊びに使えば一夜とかからずなくなるが、食いつなごうと思えば二月三月は踏ん張りがきく。そのようなものだと思っておけ」
俺が受け取る予定の『蔵米三俵一人扶持』とは、玄米三俵の現物支給に加えて、三食の飯がついているという意味である。……ちなみに精米するとものすごく減るらしい。
さっき注文して貰った着物――小袖に帯とその他諸々が一両一分に銭百二十文――は、あれだけで俺の年収に匹敵するらしいと気付いて驚く。
「次に、お主に下された匁銀、あれは豆銀とも呼ぶが、五十匁で丁度一両だ。普段使うに重宝でな、朱銀分銀よりも広く使われておる。安い飯屋で腹一杯食ってそこそこ飲める額だな」
「ここらでは分銀朱銀はあまり使わんのですよ。大商いが滅多にないもので、へい」
おはじきのような銀の粒に刻印があるだけの匁銀だが、頷いておく。
……物価も違うんだろう、昔は布が高かったという話は聞いた覚えがあった。
「最後に銭だが、穴あき銭にも色々ある。……ほれ」
次に、何枚かの形の違う、時代劇で見覚えのあるような無いようないかにも古銭といった風な小銭を見せられる。漢字四つが上下左右に書かれていて真ん中に四角い穴の開いた、どこぞの親分がよく投げていたアレだ。
「大きいのが十六文銭、その次が四文銭、一番小さいのが一文銭。あのように……『さし』でまとめた千枚を一貫と呼び、四貫文で金一両となる」
指を差された先の壁、穴開き銭が紐で繋がったままぶら下げられていた。
「えっと、一文銭四千枚、四千文で金一両ってことですか?」
「うむ。十六文あれば、屋台で蕎麦が食える。四文なら串団子、一文なら黄粉飴一つ……まあ、大きな町にでも行かんと屋台なぞないが、そのぐらいの値だ。
では一郎よ、一匁は何文になるか、数えてみよ」
金一両は五十匁であり四千文でもあるから……ああ、単に割り算でいいのか。
四千割る五十は四百割る五と同じで……。
「八十文です」
「見事! 算術もそれなりに出来るようじゃな!
明日からは書き物も手伝え、一郎」
大失敗というわけではないのだろうが、しまったと思ってももう遅い。
穴沢殿はにやりと笑い、俺の肩をがっしりと掴んだ。
「あ、でも……」
「うむ?」
「こちらの字が書けません。似ているような物もあるのですが……」
「字なんぞ書き取り百回の読み取り百回ですぐ覚える」
今更、小学生じゃあるまいしと、笑い飛ばすことは出来なかった。
それに……いずれ必要になるのだ。面倒事は先に済ませるべきか。こちらで暮らしやすくする為の手だて、その第一歩にはなるはずだ。
他にも売り物の値段などを聞いて回り、最後にふんどしを一本用意して貰う。
「そりゃあ城勤めなら上得意様も同然ですから、勉強させていただきます。銀四匁でいかがでしょうか」
……高い。
だが、穴沢殿は感心していて、本当に割引されている様子だった。
手持ちはすっからかんになるが、背に腹は代えられない。それに布の値段が俺の常識に比べて高くなってしまうのは、さっきの穴沢殿と次郎さんのやり取りから考えてもそんなものだろうと思うしかなかった。
あるいは、食べ物が安いのかもしれないが、そのうち慣れていくだろう。
「米の売り買いと言わず、領国に店は一軒きりだからな。何かあったら次郎に頼め」
「はい」
俺は片手にふんどしを包んだ手ぬぐい――本当に着替えも武具も道具も何ももっていないと話すとおまけしてくれた――をぶら下げ、穴沢殿に質問を繰り返しながら城へと引き返した。
……悪目立ちしそうだからと、こちらに来たとき身につけていたTシャツとジャージは、幸さんにそのまま預けていた。
▽▽▽
城に勤めて三日、梅渓屋に頼んだ小袖と、別注になった俺専用の大草鞋が仕上がる頃には、多少は新しい暮らしにも慣れていた。
とても健康的かつどこか開放的ながら、各所に貧乏大名家らしい火の車寸前の暮らしぶりが伺えるが、精神的な苦痛とはほど遠い。
「一郎、これを北の棟に」
「はい」
頼まれ物の大半は力仕事だが、谷端の上郷にいた時もやっていたし、妙に力が出るので苦労にもならない。
仕事部屋になっている天守の広間から書類束の入った箱を手に、北側の建物へと向かう。
侍にはほど遠いが、麻の小袖を着て腰には借り物の短い木刀――一応、今後の戦働きにはこれを使えと槍を渡されたが、部屋の中で持ち歩けるはずもない――をぶら下げて歩けば、それなりに楽しくはある。
この城は城主の居館兼政所――お役所になっている天守を中心に、蔵と台所と武器庫がある北の蔵屋、門の裏側に造りつけられていて俺の寝床にもなっている番役小屋、上が物見台になっている馬屋しか建物がなく、庭も狭い。
「……よっこいしょ」
この三日、与えられる仕事にほぼ変化がなかった。
日の出過ぎに起きて割り当てられた場所を掃除していると、そのうち飯だぞと呼ばれて穴沢殿の作ってくれる一汁二菜――大概は焼き干しのどんこと山菜や野菜の煮物――と白米の朝飯をかき込み、村はずれの小川で坂井殿・穴沢殿と三人並んで洗濯と風呂代わりの水浴びを済ませると、昼前までは穴沢殿の手伝いの傍ら、こちらの常識を教えられる。
文字の読み書きは流石にすぐ覚えられるものじゃないし、すぐに出来るとまでは期待されていない様子だった。それに暗算なら穴沢殿も十分に早いので、手伝いの域を出るのは当分先になりそうだ。
もちろん、力仕事には最初から太鼓判が押されていて、信頼されているようである。
「一郎、相撲の相手をせよ!」
「はい、ただいま!」
昼飯は朝よりも質素な茶漬け一杯が漬け物とともに用意され、午後はお殿様も含めて皆が仕事をする間、お世継ぎ亀千代様のお相手をして相撲やちゃんばら――子守をしていると日が暮れてくるので、夕方からは天秤で桶を担いで城と小川を往復し、お殿様が入る風呂の準備をする。
夜は明かりがもったいないので、お殿様と若君に挨拶をして御家老や上司を送り出してから、暗い中で晩飯を食ってすぐに寝た。
番役小屋での寝起きは夜番の仕事も兼ねているが、夜警を正式にお役目とすれば支払うべき給金が増えてしまうので、あまり気にせず寝ているようにと最初に言われている。誰かが門を叩いたときに相手をすればいいらしい。
俺が来る前は、当番は家臣一同が交代で行っていたそうだが……城の目と鼻の先、通りを隔てた向こうの家は依田様の家で、城の木戸が叩かれればすぐに気が付くから、俺一人でも大丈夫なのだそうである。
もっとも『三州公御挨拶』なる、亀千代様の成長を祝って大社へのお参りと近隣をまとめる大大名三州公へのお目見えを兼ねた旅は三日後、城暮らしはすぐに終わることが決まっている。
……これまた頼りないながら、旅の一行はお殿様と亀千代様、坂井殿、俺の四人と聞かされていた。
大倭の貨幣制度
金・銀・銅の三貨制である
金貨幣
大判は主に10両 小判は1両
都周辺では一分金も(1/4両)
銀貨幣
分銀、朱銀、豆銀
一分銀(1/4両、長方形)
一朱銀(1/16両、小さい正方形)
豆銀(1/50両、おはじきのような平たい粒に刻印)
銅貨幣
穴あきの銅銭
一文銭(円に四角の穴、裏無地)
四文銭(円に四角の穴、一文銭より多少厚く大きい、裏に波紋)
十六文銭(円に四角の穴、四文銭より分厚くて大きい、裏に波紋)
1両(小判)=4分=16朱=4貫文(一括り1000文)=4000文(銭)
貨幣交換比便覧
1両小判=4000文(1/1両)
1朱銀=1000文(1/4両) 米1斗(小売り)
1分銀=250文(1/16両) 仮名の木版刷り読み本(16P程度の薄い本)
1匁銀=80文(1/50両) 安い濁酒1升
16文銭=16文(1/250両) かけ蕎麦1杯
4文銭=4文(1/1000両) 団子1串、煎り豆小袋一包み
1文銭=1文(1/4000両) 子供の駄賃、小粒の黄粉飴1つ