第百一話「黒瀬御札衆事始め」
第百一話「黒瀬御札衆事始め」
「皆、あれがうちの屯所だ」
それぞれに荷を担ぎながら、港出口より南に折れてしばらく。
「おおー!」
「すげえ……」
「こんなに立派な!?」
貸与された屯所は町の東南にあり、百坪ほどの敷地を与えられていた。
二階長屋のような作りの宿舎が大きな姿で建っていて、そこに本部となる詰所、納屋などが付属している。
弥彦は立派と口にしたが、鍛錬できるような庭もなければ、建て付けも定宿にしていた稼目屋と変わらない。
無論、御仁原の基準であれば……の話であり、口には出せないが、黒瀬の城よりは余程作りも上等である。驚いていないのは、都を知る数名のみだ。
さてさて、城の修復に手を出せるのはいつになるやら。それとも領内の家屋を建て直す方が皆の励みになるのか、俺としても迷いどころである。
「麦俵は厨の隣に小部屋があるから、そこに頼む」
「ははっ!」
「具足は詰所に並べておけ!」
「とりあえず、私物はそっちの部屋でええじゃろ!」
一刻かけて武具や麦俵などの大物から、着替えや日用品などの小物までを運び入れ、離岸する鷹羽丸を見送る。
次は師走の半ばに追加の人員を寄越して貰い、年の瀬にもう一度、俺を迎えに来てくれる予定だ。
御札衆はこちらでの年越しとなるが、出稼ぎとはそういうものと、皆割り切っており、文句の出ないことにむしろ、俺は寂しさを覚えてしまった。
「先に……うん、挨拶回りに行こうか」
「ははっ」
まずは皆で神社に向かい、お参りをして無事を祈った後、うちの巫女を紹介してお狐をお預けし、その足で会所と代官所を訪問して数日中には始動すると報告、ついでに飯屋やよろず屋、鍛冶屋など、うちが世話になりそうな店を巡った。
「よう、九郎! ほんとにお殿様んとこ行ったんだな」
「おう! 羨ましいか?」
俺も御仁原は二度目の逗留で幾つかの店は知っているが、九郎はこちらで三年を過ごしている。
店の主人らとの距離感が、まるで違った。この事だけでも、九郎に来て貰った甲斐があるというものだ。
その日は酒屋で濁り酒の一升徳利を六本も買い込んだだけでなく、屋台の寿司屋と蕎麦屋を屯所に呼び込んで大商いをして貰い、明日からの活力とした。
その御札衆だが、差配は九郎と弥彦に任せ、俺は責任を取るだけという形式にせざるを得なかった。
「皆、用意はいいか!」
「おう!」
こちらに常駐出来ない以上、そうするしかないことは最初から決まっていたが、帰国までのひと月でなんとか形にしてしまいたい。
……誰かに仕事を任せることの大切さは、評定などを通して学んでいるはずなのだが、未だ良きに計らえ式のお殿様には慣れない俺であった。
「弥彦、頼むぞ!」
「ははっ!」
さて、御札衆の組織だが、組頭が俺、実質のトップとなる弥彦が『一番札小頭』として御札衆を率いる。
「しっかし、そのボロい槍、もうちょいこう……」
「すまん、九郎」
この半月、神社への助太刀、御札衆迎え入れの準備など、他の諸々に手を取られながらも百両少しは稼いでいたが、もちろん、全員分の具足を新たに出来る金額には、到底届かない。
また、御仁原で全て揃えるとなると、品質はいいが高くついてしまう。
九郎からだけでなく、九郎と懇意の国惟親父こと、刀鍛冶の野口国惟からも、その数は流石に外で買えと怒鳴られていた。
「戯け話抜きで、命に関わるからな。……殿、お願いしやす」
「おう。なるべく早く稼いでくる」
指南役の九郎は出撃しないが、弥彦の補佐と同時に留守役として屯所を預かり、交渉や調達に助言する大事な役割だ。
「では、出発!」
「えい、えい、おう!!」
十人の御札衆は一旦全員を一番札に配属し、当面は小鬼狩りと平行して、一里塚の設置を行う。
ちなみに楔山から派遣されているうちの一人、江太郎は御庭番衆の江橡で、戌蒔の要望通り、五十名の内の数名は御庭番衆枠として別にしてあった。
「腕が鳴るのう!」
「こらこら、こういう時こそ、気を引き締めんといかんぞ」
「ほうじゃ! お殿様の前で恥ずかしいところは見せられん!」
装備は東下の平均とみすぼらしいが意気揚々、初日の今日は狩人の黒瀬組も案内について行くから、十五人の大所帯だ。
「ええか、皆。お殿様や指南役川口殿の話では、こちらの鬼は群が小さいそうじゃ。先手は一番の五人、二番の五人は周りをよう見張って、危のうなったら割って入れ! 後は順繰りに交替するぞ!」
「おう!」
まずは馴らしも兼ねて、踏み分け道を北に一里、小鬼の群を狩りつつ歩みを進める。
「出よったぞ!」
「皆、気張れ!」
「かかれかかれ!」
邪鬼や疾鬼も時折混じっていたが、俺達が手を出すような場面は流石になかった。
ある意味いつも通り、角を切り取った鬼に札を貼り、小さな火を熾して焼き尽くす。
もちろん、この十人は各村でも一番に名乗りを上げた腕自慢達で、今後の札小頭の候補達だった。
「さあ、次じゃ」
「おう! ……あれが聞いとった塚かのう?」
「そうじゃろな。よし、二番、先に休め! 一番は見張りじゃ!」
狩人衆が使うこの道には、もちろん一里塚があった。
下した群は道中四つ、但し、焼いた群は九つである。
道沿いは狩人が蹴散らすから予想済みというか、俺達も普通の狩りの時は、角だけ切り取って打ち捨てていた。
「では、ここからは某が」
「お願いいたします! 皆、筆頭殿に続け!」
「おう!」
俺達はこの半月の間に、御札衆の活動範囲の目印となる塚を築く準備も進めていた。
御仁原を中心に、既に塚のある踏み分け道と、一里先が海になる東側以外の合計十二ヶ所に、石積みの塚を作る予定にしている。
この数は如何にも多いように思われるが、真北の子から始まって、癸、丑、艮、寅……方位の区分けに従って、誰にも間違いがないよう、分かり易く塚を築くわけだ。
この人数では、遠目に目立つほど大きな塚を作れはしないが、場所を覚えるのにも丁度いい。
「この様に、石礫にて円を描いてござる」
「かたじけのうございます! ……ようし、一番は石集め、二番は見張りと昼飯じゃ!」
一里より向こうは狩人の領域、その権利を絶対に侵害しないという表明でもあった。
初日は丸一日付き合ったが、弥彦も他の者も、元より魔妖の討伐には慣れていた。
御仁原に戻り、武具の手入れをしながら、皆で今日の一日を振り返る。
「一里なら一番強いのは鱗鬼あたりになるがよ、逃げる狩人を追って来た大物が出ねえとも限らねえ。……滅多にゃねえと思うが、気ぃつけろよ」
「本当に注意するんだぞ。……御札衆の仕事は確かに大事だが、無理に命を張るところじゃないからな」
「ははっ」
この人数なら風呂に安酒がせいぜいながら、こちらの財布より一分金を出して御札衆を労っておく。
目印の塚を作りつつ、周辺のそれほど強くない鬼を狩るだけならば問題はなく、これなら任せていいだろうが、時々は釘を刺すべきか。
一人二両少々の稼ぎの為に死者でも出ると、何のための出稼ぎか分からなくなった。
御札衆は当面、一里塚の普請を主軸としつつ、御仁原に慣れされる。この基本方針は変わらない。
本格的な活動は、狩人衆が小鬼の角二千の上納を免除される年明けからと、定めていた。
さて、ここしばらくは御札衆の準備に奔走していたお陰で、黒瀬組の番付は三段目まで落ちてしまったが、事が始まってしまえば、本腰を入れられる。
「なあ、お殿様よう」
「どうした、九郎?」
「二里と言わず、三里に出てもいいんじゃねえか?」
「……ふむ」
「戌蒔殿も相当な手練れだろうに、勿体ねえよ」
欲をかくのもどうかと思いつつも、九郎の言葉にも一理あると認めざるを得ない。
無理をしてまで稼ぐつもりはないが、技量の無駄遣いも戒められるべきではある。
「……少し、手を広げてみるか。戌蒔、どうだろう?」
「猪楡の話を聞いた限り、我らでも問題はないかと。……ただ、当たり外れの差が激しかろうと、口にしておりました」
「ん?」
「まあ、そりゃしょうがねえわな。だがよう、それを考えても、損はねえと思うぜ」
二里と三里では、往復ならその差二里、つまり一刻余計に歩くことになった。
しかしその一刻、二里なら丸々狩りに使えるわけで、利益は多少ながら安定化する。
三里進んで大物を仕留められたなら三里の勝ちになるが、必ず行き会うなどという保証はない上に、技量以上の大物や大きな群に出くわす確率も、二里の比ではない。
それこそ、目の前の九郎はその証人である。酸いも甘いも……噛み分けたことだろう。
ただ、日々の成果を平均すれば、三里に分があるのも頷けた。
「……二里、二里半、三里。手応えを見て、距離を伸ばすか」
「承知!」
無理はしないぞと口にして、気を引き締める。
御札衆に釘を刺したように、俺もまた、ここは命を張る正念場ではなかった。




