第百話「川口九郎の決意」
第百話「川口九郎の決意」
「殿!」
「ご苦労だ、源伍郎!」
大討ちの騒動から十日ほどして、再び瑞祥丸が御仁原にやってきた。
今の季節なら楔山との往復におよそ九日から十二日、休憩や荷役も含めても、月に二度から三度の便が可能である。
「そちらはどうだ?」
「は、今はイカ漁に忙しゅうございまする」
「ああ、時期だったな」
源伍郎が、俺への土産だというスルメの束を自慢そうに掲げる。
このぐらいの余裕なら出来つつあるのかと、嬉しく思いつつ受け取った。
「ほう、御札衆でございますか」
「詳細は猪楡に伝えてあるが、それほど強くない魔妖を狩る仕事だ。当初は様子見と手順の確認を兼ね、十名を募集したい」
戌蒔がこちらに残るので、休暇配置的な意味も含め猪楡が国に戻ることになった。
ついでに、この十日でまとめた黒瀬御札衆の詳細と金子百両を託し、差配を頼む。
「それから、彼は『川口』九郎、元狩人だ。御札衆指南役として迎えた」
杖はまだ手放せない九郎だが、胸の包帯は取れていた。
一度、黒瀬国を見せてやってくれと、源伍郎に九郎を預ける。
「御札衆指南役、川口九郎と、申す。よろしく、頼んます。……でござる」
「黒瀬国水軍奉行、深見源伍郎と申す」
「……口調はまあ、大目に見てやってくれ」
行き場がなかったわけではないのだが……九郎はそれを放り投げ、俺の元に来てくれた。
▽▽▽
大討ちの翌日。
もう一日、見回り組に付き合って、入道岩周辺をくまなく鎮めて御仁原に戻れば、九郎が俺を訪ねてきた。
『よう、お殿様。ちょっと、話、聞いてくんねえかな?』
『そりゃ構わないが……。丁度いい、飯でも食いながら話そう』
近くの居酒屋に誘い、板間を一つ借りる。
俺が出すよと、九郎が澄酒と刺身の盛りを注文した。
『うちの組は、大旦那様が引き継ぎを認めてくだすったんで、磯吉が頭を張ることんなった』
『磯吉なら、一安心だな』
『ああ。……亀三郎は国に帰る。あいつは実家が竹細工屋だ。金はたっぷり持たせたし、生きてりゃ、なんとでもならあ』
『……そうか』
皆を逃がして死んだ菊太は可哀想だが、立派だ。改めて瞑目する。
『それで、九郎はどうするんだ? お前は確か……』
『ああ、帰ろうにも、村がねえ。大旦那様から、足が悪くても構わないから、小さな店の用心棒でもせぬかとお声を掛けて戴いたんだが、そこまで迷惑は掛けられねえ。亀三郎のことも、随分お骨折りしてくだすってるしな』
『……ふむ』
ありがてえが、男が廃ると、九郎はぐい呑みを呷った。
良い主人の下には、良い部下が集まる。
俺はなるほどと、顔も知らぬ九郎の主人の度量を思い浮かべ、まったくだと頷いた。
『穴埋めの新たな狩人三人、集めるのは簡単だ。都なら、食い詰めの浪人や腕自慢なんざ、掃いて捨てるほどいやがる。けど、ここで使い物になるかどうかは、別だからなあ。大旦那様もてえへんだと思うぜ』
『だろうなあ』
そこそこの腕自慢程度では、一里から一里半の狩場がせいぜいだろう。
ここの狩人番付でいう序の口の連中が、これにあたる。
黒瀬楔山の水主達も、狩人との比較から、序の口ぐらいの強さは身に着けていると俺は見ていた。
だからこそ、御札衆に人を出してくれと気軽に言えるのだが、何せ毎年、糊口をしのぐ為、本気で狩りに出ていた者達だ。
腕っ節の強い太平組の弥彦あたりになると、三段目でも通用するだろう。
こちらに投入するわけにはいかないが、俺と御庭番衆以外で強いといえば、水軍奉行の源伍郎と新津代官近次郎が出色である。
源伍郎は槍も上手いが、その本領は船上での櫂術だった。揺れる船の上で重い櫂を自在に操られると、手が出せない。
深見流櫂術免許皆伝を名乗っているが、弟子がいるわけでもなく、親から学んだということもなく、技が体系化されているわけでもない。単に格好いいからでございますると、源伍郎は大笑いしていた。
対して近次郎は、正統派の剣術を幼い頃から学んでいる。
親が都の水軍に出仕していた関係で、都の道場で鍛えられていたのだという。
こちらは『新武流』という大きな流派で、武家の師弟に必要な儀礼と実戦剣術、両方が学べるので人気があるそうだ。
ちなみに、神通力や『強い俺』を使わずに対戦した場合、この二人から一本取れる確率は、いいところ二割である。
猪楡や申樫ら、忍の小頭が相手だとようやく一割、無論、戌蒔からはまだ一本も取れていない。
それらは少々、横に置いて。
『で……俺なんだけどよ。お殿様んところで、雇ってくれねえか?』
『何っ!?』
『御札衆だったか、あれに混ぜて貰えねえかな』
驚いたが、悪い申し出ではない。
前頭の狩人の経験と知識は、まだ形さえ定まっていない御札衆にとり、掛け替えのないものとなる。
しかし、断らざるを得ない事情が、こちらにもあった。
『嬉しいが、九郎に限らず、狩人はなあ……』
『やっぱし、駄目か?』
『駄目ってこともないんだが、たぶん、九郎は誤解しているな。……九郎、御札衆の実入りは、年にどのぐらいだと思う?』
『なんかよ、五十人で稼ぐってきいたぜ。狩っていいのは一里まで、俺達の代わりに小鬼を引き受ける。んで、一里までなら何狩っても御咎めなし、これが肝だから……そうだなあ、腕前は序の口より下ぐらいと見て、五十人全部で年に一万両ってところか?』
『はあっ!?』
『細国のお殿様にしちゃあ、大した大人物だって噂だぜ』
俺は額に手を当て、大きくため息をついた。
後ろにいた戌蒔が珍しく喉を詰まらせ、猪楡がげほんげほんと咳き込む。
『……殿、今夜にでも、噂の出所を調べてまいりましょうか?』
『いや、いいだろう。真実が知れ渡れば、そのうち静かになるさ』
『はっ……』
『ん? なんか違うのか?』
澄酒を手酌で注ぎ、きゅっと喉を潤す。
……御札衆が年に一万両も稼いでくれるなら、俺はここで狩りに精を出さず、領国の開発に邁進したい。
不思議そうな九郎に、指折り数えて説明してやる。
『御札衆はな、うちの領民に出稼ぎさせてやりたいとか、神様へのお礼になるとか、その他にも色々あるが……大本の稼ぎは、小鬼の角二十万を売った百両、これを四十人か五十人で分けるんだ』
『たった百!? ……嘘だろ?』
『嘘なもんか。もちろん疾鬼や鱗鬼も狩るから、もう少し多くなるとは思うが……』
当初の十万匹、五十両から倍に増えたが、基本は変わらない。
その他の魔妖は、あくまでも余禄なのである。
『会所の大野屋友次郎にでも確かめてみればいい。あの時の会合にも、友次郎はいたからな』
『……そうなのか』
『まあ、飯と寝床はこちらで用意するから、俸禄で言えば、二両一人扶持になるか。元が貧乏すぎて、これでもうちの領民は潤うんだ。すごいだろ?』
『うちの村よりひでえや……』
『東下はみんな、そんなものだ。しかしな、九郎』
『はいよ?』
『……年二両で元狩人を雇うとか、同じ狩人の俺が、やっていいと思うか?』
『狩人連中から、袋叩きにされるだろうな。そうか、二両か……』
年どころか、日に百両二百両は当たり前に稼いでいただろう元狩人を、年二両で雇うなど、喧嘩を売っているとしか思えない。
しばらく悩んでいた九郎だが、うんと一つ頷き、笑顔になった。
何事かと身構える。
『お殿様の貧乏自慢は、聞き飽きるぐらい聞いてたしな。……まあ、それでいいや。俺、雇ってくんねえ?』
『九郎!?』
『いや、だってよ。出せねえってんなら、しょうがねえや』
戌蒔らと顔を見合わせ、ため息をつく。
決意は固いようだが、だからと九郎の情に甘えるというのも、少々情けない。
『はあ……。正直言えば、御仁原暮らしが長い九郎の知恵と経験は、今丁度、欲しい。だが、絶対に報いてやれないって分かってるのに、二両でうちに来てくれというのも、恥ずかしいな。……ああ、お前の口にした、男が廃ると同じだ』
『うん、そういうところが、気に入ったんだ』
『ん?』
得意げな九郎が、俺のぐい飲みを満たした。
『お殿様は、まあ、お殿様なんだろうが、たぶん、今は本気で狩人やってなさる。狩人なんざ、ここじゃあ前頭だ小結だって持ち上げられてても、一歩この島をでりゃ、ただのごろつきと変わらねえのに、同じ狩人同士として、俺達に付き合ってくれた。お殿様、結構人気者なんだぜ』
『あんまり気にしてはいなかったが……そうか、嬉しいもんだな』
『……ついでに、お殿様は嘘ついちゃいねえし、俺だって騙されてるわけじゃねえ。狩人仲間にゃ、年二両だぞって、ようく言っとくぜ』
そこまで言われては、それこそ『男が廃る』。
戌蒔らと顔を見合わせ、姿勢を正した。
『赤籠手の九郎、下士足軽として、俸禄二両一人扶持で召し抱える。……名ばかりだが、本当にいいのか?』
『ははっ!』
『よし、九郎は今日からうちの侍だ』
誓いの盃ってわけでもないが、一献酌み交わし、互いににやっと笑う。
『家名はどうする?』
『何でも……いや、川口がいい! 俺の村の名前だ!』
『お、おう……。じゃあ、早速だが、川口九郎!』
『ははっ!』
『明日、俺達は屯所に移る。迎えに行ってやるから、お前も荷物をまとめておけ』
『ははっ!』
本人が納得して受け入れてくれたなら、それもありなのか?
……いや、俺も給金なしでお姫様に仕える決心をしたからこそ、今ここにいるわけで、全てが悪いってこともないだろう。
報いるのは相当先になるだろうが、これもまた、一つの決意。
ならば俺はそれを受け入れ、笑顔を増やそう。
流石に翌日、改めて指南役に任じて下士役方格、三両一人扶持としたが、まあ、焼け石に水というあたりだ。
『いいのか? ……いいんですかい?』
『こちらに来る者には組頭も含むからな、その指南役が下っ端じゃ、指南される方も困るだろう』
『ははっ!』
このような顛末を経て、川口九郎は狩人を引退し、黒瀬の侍となった。
▽▽▽
その九郎を乗せた瑞祥丸を見送って半月。
師走の変わり目に、今度は関船の鷹羽丸がやってきた。
「近次郎! わざわざ鷹羽丸で来てくれたのか!」
「殿、お久しゅうござる!」
わいのわいのと、見慣れた顔が物珍しげに船板を降り、俺を見つけて一列に並ぶ。
「いや、実に大変でござった!」
「ん?」
「皆、御仁原に行きたがりまして……。ともかく、ご指示通り各村二名と賄方二名、他、ご指名の者ら皆、揃うております!」
「お殿様! おいら達、頑張ります!」
指南役の九郎はもちろんだが、太平組の弥彦はこちらでの活躍が見込めると、名指しで呼んでいた。
他にも、御仁原神社での修業と狐の世話役、御札作成の為に女房衆から神職の娘迪子と、その補佐に基子――大外記という書記官職の娘で、書写に強い――も御仁原入りしている。
こゃん。
もちろん、神社からお預かりしたお狐達も、一緒に並んでいた。
「今日のところは、引っ越しだ。皆、頼むぞ!」
「ははっ! 皆の衆、励め励め!」
「おう!」
俺も皆に混じって麦俵を担ぎ、杖をつきながらも小さな包みを肩に掛ける九郎に、黒瀬はどうだったと聞いてみる。
「そうだなあ、思ったよりも……」
「ん?」
「酷かった。城の飯は粟混じりだし、一杯引っかけようにも、飲み屋すらねえ。売ってるのは、よろず屋の店先の黄粉飴と、担い売りの蕎麦だけだったぞ」
「……へ?」
隣に追いついてきた近次郎が、行李を担ぎなおして得意そうに笑う。
「勘内の店と、御庭番衆の屋台でござるよ」
「人も増えましたからな。蕎麦売りも始めました」
と、これは大きな風呂敷包みを背負った戌蒔。
儲け云々よりも、市井の民に成りきるための修業がメインで、ついでに、俺が喜ぶだろうと手配していたらしい。
時折、国内の各村を巡り、かけ蕎麦を売り歩いているという。
「戻ったら、城にも是非、売りに来てくれ!」
「承知!」
御仁原でも屋台の蕎麦は食えるが、そうじゃない。
これまでは行商すら来なかった黒瀬国に蕎麦の屋台がある、というその事こそが、重要なのだ。
ちなみに担い売りとは、手引きの屋台ではなく、天秤棒の前後に大きな物入れを取り付け、担いで売り歩くタイプの屋台である。
「……まあ、本気で酷かったがよう、城にゃ美人がいっぱいだし、俺の故郷の倍の倍の倍は、笑顔があった」
お殿様がいいからなと、九郎は笑い、つられて俺達も大笑いした。




