第九十七話「御札衆の献策」
第九十七話「御札衆の献策」
「あれ!? お殿様、戻ってたのか?」
工房からの帰り道。
「ん? おお、九郎か……って、おい!?」
声を掛けられ振り向けば、よく見知った『赤籠手』の九郎だったが、頭に血の滲んださらしを巻き、杖をついていた。
「どうしたんだ、酷い怪我をして……」
思わず、猪楡と顔を見合わせる。
「ドジ踏んでよ、このザマだ」
「昨日、手酷くやられた狩人が居たと聞いたが、お主だったのか……」
「ああ、俺達だろうな」
これは怪我の事情を聞いておきたいが、長話になりそうだと、手近にあった茶屋の長椅子に九郎を座らせる。
出てきた主人に茶と豆大福を頼み、改めて九郎を見れば、酷い有り様だった。
袖から覗く腕や袂のあたりにも、さらしが巻かれている。
「大角鬼に囲まれてた連中を見つけてな、助太刀に入ったんだがよ、後から後から鬼が沸いて出た」
「多かったのか?」
「ああ。ここしばらくは見なかったほど、大きな群だった」
御仁原周辺では、黒瀬の狩りに比べて小さな群が多かったのを思い出す。
代わりにこちらの鬼は、疾鬼や大角鬼など、一匹一匹の強さが上だった。
それが大きな群を為していたとなれば、如何に九郎でも荷が重かろう。
「何とか逃げ切ったものの、どうにも、なあ……」
「ん?」
「助けた連中の一人とうちの菊太が『先に行け』ってよ、殿を張りやがったんだ。……あいつ、西の奥筋の国惟親父んとこで、新しい槍を頼んだばっかだったてのによ」
「……そうか」
九郎は大福に手を伸ばし、顔を顰めた。
菊太とは、俺も幾度か話したことがある。
朴訥な男で、俺の鬼貫より長い三間の素槍を得物にしていた。
しばし目を閉じ、その冥福を祈る。
「磯吉は無事だったが、亀三郎は俺より酷い怪我で寝込んでて、鬼退治にも出られねえ。……ま、どちらにせよ、大旦那様からの沙汰待ちだ」
「そうか……」
狩りの出来ない狩人を抱える株の持ち主は、いない。
情のある雇い主なら別の仕事を割り振ってくれるかもしれないが、少なくとも狩人のままにはしないだろう。
九郎は神社に夢現枕を願い出て、雇い主である大旦那に現状を連絡済みだという。
夢現枕は、大社同士を巫女さんが夢で結び連絡を取るという神通力の一種である。
しかし、一回願い出るだけで百両のお布施は……前頭の狩人なら出せるかと、内心で頷く。
ここ御仁原の神社は、大社直轄の分社の中でも特に大きい。
見回り組の神職や衛士、巫女を合わせれば七十人が常駐し、神宝である魔妖祓之御珠を貸し与えられている有力な分社だった。
「俺らが鬼の大群に行き会ったのは南西に三里、入道岩のちょい先だ。への字組と若竹組が、大討ちをまとめてくれるってよ。明日か明後日には出る手筈になってる」
平素なら戦果を競い合う狩人衆だが、各組の人数が四人であることから、戦力には限界があった。
大物や大群を相手にする場合、有志を募って徒党を組む大討ちが行われるそうだ。
への字組と若竹組はともに番付上位、前頭の前半に位置する強者で、その腕っ節に不安はなかった。
「俺と戌蒔は狩り初日、他の狩人も多く集うならカンを取り戻すにもよさそうだな。菊太の弔い合戦にもなるだろうし……猪楡、どうだろう?」
「はっ、ですが殿」
「ん?」
「南西三里はかなりの深場、おそらくは、狩り後のお鎮めの護衛に、神社よりお呼びが掛かるかと。秋半ばにございました大討ちの際、我らと門見組にお声掛かりがありました」
門見組は三州北西山中の大国、門見国の侍衆で、俺達と同じく国が狩人株を抱える組である。
揃いの大鎧に大業物の刀や槍を装備しており、大国の力の片鱗を見せつけられていた。
「……ああ、それがあったか。すまん、九郎」
「いいっていいって。それも大事なお役目……ってか、俺達の代わりに、狩りを捨てて引き受けてくれてるようなもんだろ? 感謝こそすれ、文句はねえよ」
狩人衆と神社の見回り組は、俺達のように雇われる場合は別として、基本的に行動を共にしない。
役割も目的も、違いすぎるからだ。
狩人は一つ所に留まらず次々と獲物を探して狩りたいし、見回り衆もお鎮めを行うなら狩られた後の方が安全だった。狩りの後、お鎮めまで間隙に、鬼の骸の幾らかは悪霊が取り付いた幽鬼になってしまうが、元より御仁原は鬼の数が多すぎる。
また、巫女を護衛する神職や衛士は、幽鬼に対して特に威力を発揮する神通力を使える為、さほど問題視されてはいなかった。
「じゃあ、行くわ。……亀三郎の食えそうな菓子でもねえかと出てきたんだ。ごっそさん」
「おう。九郎もしっかり養生しろよ。困ったことがあったら……」
「あんがとよ! お殿様も猪楡の旦那も、気ぃ付けてな!」
足を引き引き菓子屋に向かう九郎を見送り、俺は小さくため息をついた。
努めて明るく振る舞っていたようだが、心中は察するに余りある。
「しかし、九郎達が苦戦する数って、相当だろうなあ」
「はっ。二十や三十ではないでしょうな。……あの者、鍛錬なしに忍小頭でも務まる体捌きにて、我らも一目置いておりました故」
しかし、鬼の大群との偶発的な遭遇は、狩人の誰にでも起こり得るものだ。
それが魔妖多き御仁原、戦いの地の日常であるという。
俺はへの字組らの大討ち成功を祈りつつ、茶屋を出た。
定宿の稼目屋に向かえば、戌蒔らも戻っていたが、何やら悩んでいる様子だった。
「どうかしたのか、戌蒔?」
「はっ、忍党との渡りは無事に。ですが、町人株の入手を如何したものかと……」
挨拶は済んだが、この御仁原、株を持たぬ者は住めないわけで……。
町人株は鍛冶屋や甲冑師などの職人株と、商人株の中でも飯屋、小間物屋、遊郭など船を使わない小口の一部をまとめた総称である。
無論、狩人株と同じく数が限られているから、欲しいからとすぐ手に入るものではない。
戌蒔は当初、他の忍党に縁のある職人の持つ株から、小者の枠を間借りするつもりでいたのだが、方々に伝を当たって貰ったものの、今は枠に空きがないという。
「商人株を持つ大店同士が諍いを起こしておるようでして、今は多くの忍びが御仁原に入っております」
「それはまた、面倒そうな話だな。勘内が巻き込まれなきゃいいんだが……」
あちらは運上冥加が万両単位で動く別世界であるが、同じ業界なら余波を受けやすくもある。
ただ、勘内なら状況を利用して、上手く立ち回りそうな気もした。
「しかし、町人株か。……ん?」
「殿?」
「いや、しかし……」
名分が立ちそうなら、真っ正面から頼み込んでみるのもありか。
神社への助力と絡め、町人株……いや、商売するわけではないから、株でなくていい。こちらに数人常駐する権利があれば、忍党としての兎だけでなく、黒瀬からも人を送り込めるだろう。
頭の中で状況を整理しながら、上手い口実に結びつかないか考えてみる。
「よし、神社に行くぞ。駄目で元々だが、代官殿への口添えを願い出てみよう。それに、お鎮めの護衛も確認しておきたい」
「承知」
今日二度目の訪問だが、まだ日は高く、時間もある。
どちらにしても、門前払いされることだけはないだろう。
再び訪れた境内では、頃合いなのか、見回り組がぽつぽつと戻っていた。
「まあ、黒瀬守様!」
「ご無沙汰しておりました、敏子様、高惣殿」
「再びのお出でとは、頼りにさせていただきますぞ!」
お久しぶりです、いえ、こちらこそと再会を喜び、再び宮司様に面会を申し出る。
敏子様も同席される流れになったが、こちらの申し出に影響はない。
「もしや、黒瀬守殿も大討ちの話をお聞きになられたか?」
「はい、正に。護衛の指名を戴けるのであれば、お引き受けいたします。また、ご用命がなければ、大討ちに参加致そうと思っております。その確認ともう一つ、思い出したことがありまして」
「ほう?」
「以前、代官の川原大掾様とお話しさせて戴きました折、少し考えていたことがありまして……宮司様にもご意見を賜りたく思い、再び参上致しました次第です」
居住まいを正し、宮司様に頭を下げる。
「川原大掾様にはその折、御仁原周辺、ごく近い場所の疾鬼や鱗鬼を狩り、同時に御札を用いて焼きまで行う専業の者がいるなら、狩人衆と見回り組の負担が減ってよいのではないかと、申し上げました」
「ふむ……」
「行き帰りの負担が減ると、見回り組もとても助かりますわね」
狩人としての俺も、小鬼の狩りはかなり面倒だった。ついでに、この案が認められた場合、黒瀬衆の負担も減るので一石二鳥だ。
二人が頷き、続きを促される。
「仮に『御札衆』と名付けましたが……具体的には、狩人衆が納める小鬼二千匹の角、これの半分一千を引き受け、鬼を焼く札も御札衆の負担と致します。また、御仁原より一里向こうには出向くことを禁じ、狩人衆の領分を荒らさぬように配慮します」
「むう。それでは黒瀬守殿に……いや、御札衆に利がなさすぎるのでは? 狩人は百組、小鬼一千に百を掛けて十万、それを狩り、御札まで用意とは……」
「ごもっともです」
だろうなあと、俺も頷いた。
高貴の出であろうお二人は、東下の懐事情などご存じなくて当然だ。
「しかし、理由もございます。我が黒瀬国、細国ながら新たに護国の神様をお迎えし、龍神富露雨等様にも大変お世話になっております。この御礼が、まず一つ」
「信心深くあられる。善きことと存じます」
「ありがとうございます。もう一つは、この差配を黒瀬に任せていただけるなら、御札衆が自ら狩った小鬼の角十万と鱗鬼の角や魔ヶ魂、これも任せていただきたく思っております。……二十人ほどを交替で御札衆に出すとして、小鬼の角十万は売れば銭二十万文、五十両にもなります。民が仕事を得て潤うので、出来ますれば――」
「なんですと!?」
「まあ!?」
二十人の頭割なら一人が二両二分、鱗鬼も狩るからもう少し足せるが、東下に於ける出稼ぎ仕事としては上等の部類に入る。
お二人は驚いているが、俺も東下に来た頃は、この経済事情をどうしようかと悩んだものだ。
「正直に申し上げますが、東下の細国は、非常に懐が厳しいのです。川原大掾様に申し上げる時、御仁原神社のお口添えをいただけると大変助かります」
俺はもう一度、頭を下げた。
……二十人も送り込んで常駐させられるなら、一人や二人、忍者が混じっていたところで構うまい。
それに思いつきとは言え、年五十両の大仕事である。
黒瀬国主としては、是が非でも得たいところだった。




