第九十六話「大袖付黒艶消胴丸」
第九十六話「大袖付黒艶消胴丸」
「では殿、御武運を!」
「おう、源伍郎もお疲れさまだ!」
久しぶりの御仁原は、以前と比べて変わった様子もなく、相変わらずの活気に満ちていた。
「ご苦労だったな、丑柳、山緋」
「はっ! お気遣い、ありがたく!」
途中、島口で奉行所の抜け荷改方を乗せたものの、降りただけの俺と戌蒔はチェックなし、交替で国に帰る丑柳と山緋は手にした風呂敷包みを確かめられていたが、何がなんでも抜け荷を見つけてやるという雰囲気でもない。
「もっと厳しい物かと思っていましたが、宜しいのですか?」
「ははっ、この御仁原、一番の抜け荷は魔ヶ魂ですが……」
改方の役人は、小さな鈴が幾つも結びつけられた木札を懐から取り出した。
「この『魂響きの鈴』が、ちりちりと鳴ります故」
「へえ、道具があるのか……。ありがとうございます、勉強になりました」
「いえ、お殿様も良き狩りを」
なるほど、センサーのような術具があるのなら、誤魔化しようもないわけだ。
株持ち商人の船が出入りする時など、数人の改方が船の隅々まで歩き回って抜け荷がないことを確かめた上で、帳面と荷札、もちろん荷も改めて、大勢の侍が監視する中で荷役を行うという。
「殿、ご無沙汰しております」
「猪楡、暮墨、よろしく頼む」
すぐに出航する瑞祥丸に手を振って、迎えに来てくれた猪楡らと合流し、まず向かうのは御仁原神社だ。
榊殿より、手紙を預かっていた。
「こちらはどうだ?」
「よい塩梅でございます」
「ん? ……おお、すごいな!」
差し出された狩人番付表を見れば、『黒瀬組 西の前頭十四枚目』と、以前より番付が上がっていた。
やはり、うちの御庭番衆は大したものである。
道中、町並みを思い出しつつ、こちらの様子を聞けば、魔妖は相変わらず多いそうだが狩人も負けていない。
最近、小結に躍進した『十文字の仁平』の組が、大物魔妖『飛影の悪鬼』――影から影へと飛び移って人を襲う桁外れに厄介な鬼を狩ったと、噂になっているという。
仁平の名前は、聞いた覚えがあった。
確か、得物が十字槍の手練れだったと思う。
「神社の皆様はどうされている?」
「特段、大きな事案はなく。ですが……半月前、ろ組、は組が同時に交替致しております。大社が召喚したと伺っておりますが、当の巫女様、衛士殿も詳細はご存じないようでした」
「……なんだろうな?」
衛士の交替は、年に一回あるかないかだと聞いている。
欠員の補充も随時行われるが、それとは別のようだった。
気にはなるが、流石に大社の内部事情など、深入りして聞いて回る理由もない。
「長、こちらを」
「うむ」
兎党党首にして御庭番衆筆頭と、黒瀬でも特に忙しい戌蒔がこちらに来たのは、俺の護衛や腕を磨く為もあるが、それだけではない。
狩人株に絡み、小さな出先――拠点となる隠れ家を作りたいが、こちらで活動する忍党に挨拶する必要があるそうだ。
忍びの仕事については、全て彼に任せてある。門外漢の俺が口を挟むより、余程いい結果に繋がるだろう。
港からそう距離があるわけでもなく、神社にはすぐ到着した。
手水舎で身を浄め、お社に参拝してから社務所に向かう。
まだ昼前なので、見回り衆は戻っていなかった。
「ご無沙汰しておりました、宮司様」
「お久しゅうございますな、黒瀬守殿」
宮司様に榊殿の手紙を渡し、釜煎り茶をご馳走になりつつ、近況を交わす。
「新たな衛士らは、御仁原に来て未だ半月。今は近場がせいぜいながら、半年も経てば立派な見回り衆として、お鎮めに活躍してくれることでしょう」
「それは無論。……ですが、お困りでしょう」
「本社のご指示であれば、何も申せませぬ。何かあちらで変事があったのやもしれぬと、心配しておるところです」
宮司様は小さくため息をついたが、本社である三州大社は、とても広大な三州全土の神域を管理監督し、魔を祓う神様の助力という大仕事も行っている。
御仁原だけにしわ寄せが来ているわけではないのだと、宮司様も理解されておいでだった。
また、榊殿の手紙は、神界での大御神様とフローラ様のやり取りが、人の世界たる大倭に降りてきたとでも言うべきか、御仁原神社への助力に神使を遣わす許可を求める内容で、これはとても歓迎された。
神社を辞して、屋台で薄味の刻み煮昆布を乗せた昆布蕎麦で腹を満たすと、挨拶回りに向かうという戌蒔と別れ、俺は猪楡の案内で甲冑師の元に向かった。
なんと、俺に鎧を贈ってくれるというのだが、ここしばらくはローテーションも組みつつ安定して稼げているので、懐具合は気にしなくていいという。
三州南部の近隣でも有数の腕を持つ甲冑師で、御仁原の物価を考えても依頼する価値があるそうだ。
しかしだ、他人に稼がせて自分の鎧を手に入れるというのも、どこか気分が落ち着かない。
「そこまで気を遣って貰わなくてもいいんだがな……」
「いえ、気が休まるのは我らの方ですので」
元は俺から預けられた狩人株であり、戌蒔にも『常ではあり得ぬ厚遇にて、ここで我らの意気を示さねば、兎の名が堕ちる』と押し切られてしまった。
「御免」
「はいよ。……おお、黒瀬組の旦那!」
連れて行かれた先はそれなりに広い工房で、数人の徒弟の姿も見える。
組み合わせれば鎧の一部分になるだろう数々のパーツが、あるものは畳針ほどの大きな針で縫われ、あるものは小さな金槌で叩かれしていた。
「そちらの偉丈夫が話に聞いていた……」
「うむ、我らが殿だ」
「松浦黒瀬守だ。よろしく頼む」
工房の主、甲冑師の漆野山哉は、俺を上から下までじっくり見て、額に手を当てた。
「……旦那を疑ってたわけじゃねえが、本当に正味六尺ちょいもある大人物をお相手するのは、俺も初めてだ。前に言った通り、少々時間は貰うぞ」
「うむ。殿、宜しゅうございますか?」
「もちろん構わない」
無論、製作期間については俺も異存はない。年末の帰国に間に合わなければ、後から送って貰ってもいいぐらいだ。
早速、見本だという鎧の前に連れて行かれ、意見を聞かれる。
「流石に大鎧のひと揃いはここじゃ無理というもので、へい。胴丸か腹当になりやす」
黒瀬にもその二つはあったから、見慣れていた。継ぎ当てだらけながら水主衆に貸し出す武具として蔵に備えてある。
胴丸は少々上等の鎧で、肩を守る大袖を追加して、前立という飾りをつけた兜を身につけ、籠手や臑当を補えば、神社の衛士が着ている完全装備の大鎧と素人目には大差ない姿になった。
大鎧には及ばないものの、防御力もかなりある。
段坂帯山の戦役で見かけた東下のお殿様達も、半数はこの胴丸を装備していた。
腹当の方は、胸と腹だけを守る一番シンプルな鎧だ。
足軽向きというか、作りも簡単だがその分軽く出来ている。御仁原神社の見回り衆でも、神職達が装束の上から身につけていた。
俺の戦い方を考えると軽い方がいいかとそちらを見ていると、猪楡が首を横に振る。
「殿、やはり胴丸になさって下さい」
「うん?」
「殿の向かわれる戦場は、今後も魔妖だけが相手とは限りませぬ」
「……確かにそうだな。胴丸にさせて貰おう」
あまり考えたくはないが、その心配ももっともだ。
俺よりも戦に慣れた忍びの意見であり、将来、武州と事を構える可能性も……なくはない。
その後は、山哉に身体のあちこちを測られ、紙に簡単な絵図面が描かれていった。
「大袖も欲しいところだな。我が殿は、先陣を切る戦でこそ輝かれる」
「そうか。……前頭の組を率いる御仁なら腕は上々、大袖も多少大きい方が身を守るにいいか?」
「うむ、頼む」
猪楡の注文は極めて細かく、山哉もきっちりとそれに答えていくので、口を挟む隙がない。
俺の意見は一番最後に一つだけ、反映された。
「殿、色は如何されますか?」
「全部黒で頼む。出来れば艶を消してくれ」
無論、黒尽くめが格好いい、などという理由じゃない。
いっそ迷彩色と答えたいところだったが、魔妖相手に目だってどうするのかという気分もある。
俺の場合は、赤籠手の九郎のように、名を上げる必要は全くなかった。
「『大袖付黒艶消胴丸』、きっちり仕上げさせていただきやす」
随分と大事になってしまったが、初めての鎧というものに気分が高揚している自分を見つけ、気を引き締める。
「ありがとうな、猪楡」
「いえ、殿あってこその黒瀬、殿あってこその兎党でございます」
それこそ、この鎧を贈ってくれた兎党の意気に応えねば、恥ずかしいこと請け合いだった。




