第九十五話「組替え」
第九十五話「組替え」
組替えについては速やかに検討すると決めたものの、これが難航した。
「奉行は上士のままでよいとしても、この補佐役を中士とするか、下士とするか……」
「国によってもまちまち、改めて思い返せば、小国は特に国ごとの色が濃うござりますな」
まず、元になる資料がない。
各人それぞれのうろ覚えや、義父図書頭殿から送られた書物にある僅かな記述のみでは、後からの修正が煩雑になりすぎる。
「そんなに違うのか、信且?」
「はっ、家中の中心になる家老や側用人は変わらぬものの、中国に近い大きな国でも、中士を置かぬ国もございます。かと思えば、千石少々の小さな小国ながら、おそろしく席次の複雑な国もございますな」
「そうなのか。差はどのあたりにあるんだろうなあ……」
皆の知る役職と身分の格付けを書き出してみたものの、一番上の家老が一致する他は、自由度が高すぎて混乱するばかりだった。
一応、側用人や奉行あたりまでは上士から中士、役付きは上士から下士と幅広いが、下に行くほど名前が長いなど、一定の傾向はあるようだ。
しかし、決まり事などはないに等しく、実状に合わせて自分達で組むしかなさそうである。
誰かに聞ければいいんだが……少し考えると、心当たりが見つかった。
「丁度いい、お礼のついでもある。大まかにまとめてから聞きに行くか」
「殿、どなたかご存じのお方が?」
「機古屋の勲麗院様だ」
狩人株のお礼ももちろんだが、針里神社の枳佐加様は黒瀬の神社が完成した折にもお越しだったし、そちらにもお参りをしなければならないと思っていた。
「殿、某が先触れを兼ねた挨拶伺いに参りますれば」
「では戌蒔、頼む」
門前払いはされないだろうが、確かに礼儀は必要だ。
戌蒔ならば少初位下ながら官位も持ち、俺の副将として勲麗院様とも面識がある。忍び仕事に必要な技術の一つとして、侍の礼法も最初から身につけていた。
もう一つ言えば……正に今の状況を、端的に現しているとも言える。
上士の殆どは城代などの動かせない役目に取られてしまい、他に使者役が務まる人間がいないことも問題だった。
「殿、ただいま戻りました」
「戌蒔!?」
俺や静子の手紙を持たせた戌蒔を送り出している間に、信且や六六斎殿、都暮らしもしていた近次郎まで呼び出して相談しつつ、大体の組織図や身分をまとめていたのだが、その戌蒔は、なんと『五日』で戻ってきてしまった。
楔山からの距離は三十里弱で、およそ百二十キロメートル、人数を揃えた行軍であれば甲泊まで三日、機古屋まで五日の計八日、荷を軽くした旅回りでも片道五日は掛かる。
「すまん、そこまで無理をさせるつもりは無かったんだが……」
「お気遣い、ありがたく。しかしながら、某も特に急いだというわけでは御座いませぬ。我が配下の最も足の早い者であれば、三日で往復いたします故」
「三日!? すごいな!」
魔妖の跋扈する戦場でもなければ、敵の忍党と争う状況にもなく、行って帰ってくるだけならばこんなものですと、当の本人は涼しい顔だ。
忍者がますます謎めいてきたものの、こちらではそれも普通なんだろうと思うしかない。
礼を言って返書を受け取り、早速開く。
「機古屋を訪れる暇があれば、もう一稼ぎして参れ、か……」
戌蒔は手紙の他に、機古屋の組織図なども預かっていた。
役職や身分は隠されたものではなく、名乗りにも使うし公にされている。
うちの御庭番衆にしても、兎党のことはともかく、御庭番衆は俺や城の警護が主な勤めで、堂々とした表書きだ。名乗ったからと、それだけで怪しい奴扱いされるわけではない。
「……むう」
公文書に等しい返書はともかく、添えられた勲麗院様よりの私信には、人が増えたなら懐にも余裕を持て、如何に苦しくとも妻達にも気を配り着物ぐらいは買うてやれなど、俺への戒めや注意がつらつらと書かれてあった。
思い当たる節が多すぎて、ごもっともですと頷くしかない。
「如何されます?」
「そうだな……」
懐具合に関しては、小さな余裕こそあるものの、勘助に一千両預けたように、その後の更なる補強も欲しかった。
まあ、今回の場合は金子云々よりも、『勲麗院様のお言葉に感服いたしました』と、名分というか、言い訳を用意しておく必要もある。
こちらから尋ね事をしておいて、その言葉を無視したと取られては、今後支障が出かねない。
「よし。お言葉通り、しばらく御仁原で稼ごう」
「では、手配を致します」
とりあえず、お礼の海産物と針里神社への奉納を積んだ荷車を用意して、近隣の道中や地理を覚えさせる意味も含んで各村から若い衆を選び、御庭番衆組頭の申樫に差配を任せることにした。
それらの諸々を済ませて、俺自身は御仁原で年の瀬までもう一働きすることを皆に宣言、更に三日ほど頭を悩ませた。
身分制度を作って運用するという作業は、必要なことではあったが、どうにも馴染まない。
しかしそれは、国を支える心柱であり、魔妖に対抗する力の根幹でもある。
何処まで行っても武家は武家、領国とは即ち軍事国家でなければならないと、正面から突きつけられているような気もした。
「万が一、これでも足りないほど黒瀬が隆盛した場合に備え、上士は家老、奉行の二段の格のみとしたい。まあ、今と同じだな」
結局、中士は付け加えないことにした。
中士身分を置く小国は、ほぼない。
表高百三十石、細国という表看板は、身を隠す盾でもある。
今のところ、検知役人が来たとしても、石高や小物成を隠蔽するつもりはなかった。
規模が小さすぎて誤魔化そうにも手間と釣り合わないせいもあるが、二百五石をそのまま上奏しても、大勢に影響はない。
主な収入源である漁労小物成についても、役人が見れば船の数からすぐ分かる。
また、その成果の大半が甲泊で売られ、向こうの商人が口にした数字とかけ離れていては、いらぬ面倒を呼び込むはずだった。
「では、下士を幅広くとると?」
「ああ。今は組頭しかいないが、上に役方、下に足軽を加える。役方は将来、中士にするかもしれないが、当面は下士とする。足軽は……そうだな、黒瀬の水主衆、それに氷田一門の船衆で戦働き専業だった者、あとは適宜、というところか」
足軽の扱いも国によって異なるが、三州美河国と同じく、機古屋では最下級の侍とされていた。
士分として遇され、御家から扶持を貰い、名字の私称と刀の二本差しが許されるという点が、雑兵とは異なる。
俺もほんの四半刻に満たない時間ながら、三州三川家の下士足軽だった。和子達を助けて与えられた身分として、よく覚えている。
これに対して雑兵は、非正規雇用枠とでも言えばいいのか、もう一段格が下がり、何処の国でも侍とは認められていなかった。
賦役として徴用されたり、募兵に応じた者がこれに当たる。
一方、役方は、一定の範囲での責任と権限を持った中間管理職だ。
一番増やしておきたい層なのだが、任じたからとすぐに仕事が出来るはずもない。
少なくとも読み書き算盤は必須、可能なら兵法軍学やその他の才も欲しいという、贅沢の言い過ぎで怒られそうな要求を盛り込まざるを得なかった。
無論、その無茶振りは理解している。
……新たに枠を設けた足軽達に侍のあれこれを学ばせつつ、次世代も含めた将来に期待というところだ。
「ですが、殿」
「うん?」
「それでは黒瀬楔山に元からいた者が、全て侍になってしまいますが……」
「出漁も戦の鍛錬と称しているし、魔妖との戦いにも全員が出ていたわけだ。今までと大して変わらないだろう?」
「それはそうでございますが、あまりにも数が多うございませぬか?」
「俸禄もまともに支払ってやれなかったからな、せめて名の誉れぐらいは与えてやりたいと、ずっと思っていた」
「……ははっ」
せめて刀ぐらいは、こちらで用意するつもりだ。
自分で買えというのは、流石に無理がある。
無論、今回の御仁原行きで大きく稼げたならば、最低限の蔵米三俵一人扶持……いや蔵『雑穀』三俵一人扶持に満たなくても、俸禄を用意したい。
「これで五段階になったわけだ。役方は将来を見据えて人数も欲しいが、無理に任命する必要はない。これはと思う者がいるなら、検討の上で抜擢する」
役職の格付けが今後、そのまま家の格になってしまうので、慎重にならざるを得ないのだ。
一度決めると、下手に昇格も降格も出来ないが、一応、補う方法もある。江戸幕府の足高の制のように役料――役職手当を支給して、一時的に上位の役目につけることも出来なくはなかった。
「殿、梅太郎を任じては? 元服までは少々間がございますが、今も右筆として評定にでております。また、将来の側用人候補として、自覚を持たせてもよいかと」
「ああ、梅太郎か……」
同い年の小西公成は特例ながら既に元服し、上士奉行格の城代として飛崎を任されていた。
梅太郎も、彼に負けじと頑張っている。
「確かに丁度いい。よし、役方格の右筆としよう」
「ははっ」
上士は家老格、奉行格。
下士は役方格、組頭格、足軽格。
同時に楔山以外でも足軽の人選は済ませておくよう、指示を出す。
先に噂としてある程度浸透させ、書面にして正式に公布するのは年末、施行は年明けとした。
「しかし、問題は楔山の代官だなあ……」
「ですな」
当面はこれまで通り信且に一任、皆で手伝うが、信且は黒瀬全体の差配も行わねばならない。
ヘッドハンティングでも出来ればいいのだが、その点は最初から諦めている。
まともな俸禄など出せないのに、雇われる人間などいない。
今、ここにいる皆は、東下で生まれ育ち、あるいは都から難を逃れてきたなど、相応の理由を持つ者ばかりだった。
「では、こちらのことは頼む」
「ははっ。お気をつけて」
霜月半ば。
俺は皆に見送られ、再び御仁原へと向かった。




