暗黒童話と籠の鷹
煌々と照らす熱灯り。
冷え冷えとした石畳。
ひきずる鎖は蛇のよう。
滴る毒は石をも溶かし、
――囚われの鷹を死にいたらしめる。
「ねぇ、いたい?」
くつくつと喉をならして、少女は笑う。
絹糸のような髪が、汚れた床を這うのもかまわず、美しい顔をうつむけて。
「こたえなさいよ、かごの鳥」
ガラス細工のような蒼い瞳に、影が落ちる。長いまつげが、石壁のなかでゆれていた。
赤い赤いくちびるが、麗しい笑みを形づくり、ふたたび古い伝承歌を口ずさむ。
たおやかな指先が伸ばされたさき、錆びた格子戸が、ガキンと硬い悲鳴をあげた。
足もとに転がってきた、ちいさな石のかけらを拾いあげて、少女は手のなか、もてあそぶ。
「ふふ。……なまいき」
格子戸の奥、凍えた暗闇のさきで、大柄な影がわずかにゆれた。
かすかな灯りも届かぬ暗がりに、少女は、無造作に石を投げかえす。非力な細腕では、石は目標まで届かずに、カツンカツンと床を滑る。
がしゃり。
金属の擦れあう硬い音。すこし遅れて響く、濡れた水音。鉄錆の香りが、ぷんと鼻につく。ひたり、ひたり。むせ返るように濃密に。
紅い涙が溺沼を生む。
枯れた悲鳴が狂風を喚ぶ。
燃ゆる翼はすでに亡く。
空は遠く閉ざされて、
――哀れな鷹は鳥籠のなか。
響く。少女の歌声は、反響して、幾重にも。
「かごの鳥。翼をうばわれた、あわれなタカ。まだあたしにさからうの?」
しゃらり。鎖の擦れる音だけが、闇の奥から返ってくる。
クスクスクス。笑う少女の指先が、彼らを隔てる柵に届く。錆びた格子に手を滑らせて、胸の高さで、ギィと握る。
「するどいツメもクチバシも、ふるえなければ意味もない。ねぇ、あなたは、まだタカでいられるのかしら? 狩るべきエモノもない暗闇で、ぶざまに鎖にしばられて」
空気のゆれる音がする。手負いのケモノの荒い息づかいが、闇の奥から響いてくる。
少女は、ふわりと広がったワンピースの裾を持ちあげる。
いくつもの布が重なった、華やかな装飾が浮きあがり、白い柔肌にポツリと色づいた桃色の膝があらわれる。
ジャリン、重く冷たい音をたてて、金属の塊が床に落ちる。少女の足もと、石床の上で存在を主張する、束のひとつ。蝋燭の光を反射して、装飾のない無骨な鍵が輝いた。
「おいでなさいな。あかりのもとへ。あたしの前にひざまずいて、みにくい姿をさらしなさい。上手に許しがこえたなら、ここから出してあげてもいいわ」
沈黙。
「――タカ」
ひときわ冷たく少女の声が、凛と空気を切り裂いた。
「いますぐひざまずいて許しをこいなさい!」
キィン――と響いた叫び声。
闇の奥でようやく、ずるり、となにかが動く音がする。ガチャガチャとせわしない金属音をたてながら、ゆっくりと時間をかけて――。
重い身体を引き摺るように、それは姿をあらわした。
額には絶えず汗が滲み、張りついた濃茶の髪の隙間から、くすんだ灰色の瞳がのぞいている。
乾いた血と泥に汚れてはいるものの、身なりさえ整えれば、色男と呼ぶに十分な容姿をしていることが想像できる。
男の四肢に絡みつく重厚な鎖が、鈍く存在を主張していた。
格子戸にもたれるように腰をすえた男は、少女を無言で睨みあげる。
――格子ごしに交わる視線。
少女は、鼻で笑って、鍵の束を靴で蹴った。床の凹凸に跳ね上がり、チャリンチャリンと高い音をたてながら、鍵は格子戸の間際まで転がっていく。
それに視線を落として、男はようやく口をひらいた。
「……なにを考えている」
低く漏れだす声には、隠せもしない疲労と苦痛とが、およそ半々に滲みでていた。
左腕から滴る血が、しとり、しとりと、石畳を汚していく。
「出たいのでしょう? タカがタカであるために。外のセカイへ、出たくてたまらないのでしょう?」
少女が笑う。
「――出してあげる、っていっているのよ」
少女の足先が、鍵の束を、さらに奥へと押しやった。いまはもう、格子戸から指先が届くほどの距離にある。
解放の鍵は、目の前に。
いまいちど、少女を睨みあげた鷹の腕が、ためらいがちに持ちあがった。
両手首をつなぐ拘束が、格子戸に絡まって、硬い音をたてる。
灯りのもと、左肩から流れだした血が、腕を這い、石畳を濡らす様が、はっきりと見てとれた。
指先が、鍵をつなぐ輪にかかった瞬間。
少女は、黒い革靴を踏みおろした。容赦のない勢いで、男の手を床に縫いつける。軽い体重を補うように、ぐりぐりと足首を捻りながら。
苦痛に顔をゆがませる男に、少女の手が伸びた。
細い腕は簡単に格子をすり抜けて、男の首にさがる金属の蛇をすくい取る。
鎖を引いて、引き寄せた男の顔に、白魚のような指先がかかる。育ちの良さを感じさせる、柔らかな手指。
「いいカオ……好きなだけにらんで、好きなだけにくめばいいわ。虚勢をふりかざして」
細い指先が、ゆっくりと、男の首を這う。
「――でも、あきらめるのはゆるさない」
少女の爪が、皮膚を抉った。
傷ついた動脈から流れだす、赤い赤い血。
それをみて、少女は、艶然と笑んだ。
「あたしは、さえずる小鳥になりさがった鷹に興味はないの。大空の支配者らしく、お高くとまっていなくちゃ価値がない。……お父さまは、わかっていないのよ」
少女の足が持ちあがり、手ごと下敷きにしていた鍵の束を、軽く蹴ってシャリンと鳴らす。
「この鍵はニセモノ。ざんねんね。だけど、あなたはあたしが連れだすわ」
それだけ言い残して去っていく、15に満たない少女の背中を、男は無言でみつめていた。
*****
それから、二日後の夜。
一部の筋では名のしれた、さる豪族の館が、唐突に焼け落ちた。
混乱のさなか、はぐれた者たちの行方は知れず。
焼け跡から発見された地下牢には、ただ、何者かが拘束されていた痕跡が残されているのみだったという。
*****
あら、随分とひさしぶりじゃない。
もどってきたの? わざわざ逃がしてあげたのに、律儀なひとね。
――それとも、今度こそ私を殺しにきたのかしら。
あなたの予見したとおり、私はここの王さまになったわ。お父さまの権力なんてもう、雀の涙くらい。そろそろくるんじゃないかとは、思っていたのよ。
……すこしはなにか話したらどうなの、鷹。
依頼は無効になってる? そう。あなた、死んだことになってたの。じゃまな足枷が消えて清々したんじゃなくて?
お前と一緒にするな? あいかわらず、可愛くないひとね。八年も経っているのに、なにも変わってないじゃない。
それで、飛びまわった空はどうだったの?
……あら。また、だんまり?
いい加減に、ひとつくらい質問に答えなさいな。
あなたは、なにをしにここへ?
つながれた鎖が恋しくなったのかしら?
今度こそ、私に死ぬまで飼い殺されたい?
――ふぅん。
わかってるじゃない。
そうよ、家畜に成り下がったケモノに興味はないの。八年前から変わらない。私が欲しいのは、野生のままの鷹。それを閉じこめる、巨大な籠の鍵。
せいぜい鎖を下げたまま、空高く飛びまわればいいわ。
忘れたくても忘れられないのでしょう?
あなたの生は、自由は、私から切り離せないものね。
あなたが飛ぶ空は、もはやあなたのものではないの。
あなたは、私のモノ。広げた翼の端から端、鉤爪の先にいたるまて、すべて。
あなたを生かすのも、飛ばすのも、私。
ふふ。――いいカオ。
それを見られただけでも、八年ぶりの感動の対面に、意味ができたわね。
もういくの?
そう。
いってらっしゃい。籠の鷹。
また会える日を楽しみにしているわ。
煌々と照らす熱灯り。
冷え冷えとした石畳。
ひきずる鎖は蛇のよう。
滴る毒は石をも溶かし、
――囚われの鷹を死にいたらしめる。
逃れた先は、籠のなか。