“狩り”
戻ってきた姫子に、いつものように月森桜はにっこり笑った。
「姫子ちゃん、どうだった?」
「どうだったもなにも……無いわ。何もない。また怯えられちゃった。おかしいわね……」
「んー、やっぱり肉食系女子は、男の子は怖いのかしらね?」
そう頬に指を一本あてて、うーんと考える仕草をする桜に、姫子は嘆息しながら飲みかけのままおいてあったイチゴオーレの紙パックに口をつける。
とろっとした甘みにイチゴの香り。
食後のデザートにはもってこいだわと姫子は思いながら、
「もう、今日も頑張って色々調べて、やってみたのに」
「今回はアレだっけ。“ヤンデレ”の軽い奴だっけ」
「そうそう、もしかしたら解釈が違うかもしれないけれど、近づいていってこう、頬に手を当てて……私一生懸命口説いたんだよ! 自分から抱きついたし!」
姫子は叫んで立ち上がる。そんな姫子に桜はおっとりと、
「うんうん、落ち着こうよ姫子ちゃん」
「慧が目の前にいるっていうだけで私、凄くどきどきして……それでもそれを感じ取られないように口説いてきたのよ!」
頬を赤くしながら、きゃー、と言いつつ姫子は恥ずかしがるように首を左右に振る。
ちなみに、やっぱり今のうちに慧のご両親を説得しておこうかしら、といったあたりが姫子としては本当に恥ずかしくて、頬をちょっと赤くしていたのだが……それどころではない慧はまったく気づいていなかった。
とはいえ姫子は美人で人気が高い。
なので、それを聞いていた周りの男達は、額に青筋を浮かべる。
美少女に追いかけられるという羨ましい事態に陥りながらも怯えるとは……これはもう、許せんと彼らが聞き耳を立てている。
そんな殺気に気づいた桜が、ふふっと笑って彼女の持つ特殊な魔法を使った。
すると彼らは見るからにふわんと心地良さそうになり、殺気が消える。
それを見ながら姫子は羨ましそうに、
「私も桜みたいな魔法が使えれば良いのにね。男女共に好かれる、“フェロモン”の魔法だっけ」
「んー、そんなにいいものではないと思うよ。上手く制御しないと、ストーカーになっちゃうし」
「それはまあ。……でも、それさえあれば少し位は慧は私のほうを振り向いてくれるんじゃないかって」
「……魔法で心は手に入らないよ?」
「きっかけが欲しいのよ。初めの掴みは良かったと思うの。慧は私の事気に入っているみたいだったし」
「そうだね、姫子ちゃん美人だし頭脳明晰だし、欠点がないよね」
「努力してここまで上り詰めた私を、何で、慧は嫌がるのかしら」
意味が分らないわと、再びイチゴオーレに口をつける。
やはりブドウ糖が足りないと、頭が上手く回らないのかと姫子が思っていつつ、そういえばと思い出す。
「やっぱり男はおっぱいが好きなのかしら」
「貧乳はステータスと言いつつ、おっぱいなら何でも良いいって感じだよね。つまり、男の子は女の子が大好きなのね」
「うん、でも実際どれくらいの大きさが良いのかしら」
「さあ。大きければ大きいほど良いんじゃない?」
「……今からでも努力すれば大きくなるかしら」
そう言いつつ、姫子は自分の胸を見て真剣に考える。そんな一途な姫子に桜は穏やかに、
「まだまだ私達成長期だからね」
「……そうよね。希望を捨てちゃ駄目よね。はあ、こんなに好きなのに、どうして上手くいかないんだろう」
「人はそう簡単に心変わりしないものだよ、姫子ちゃん」
「でも、一生懸命追い詰めて、追い込んでいるのに、全然頷いてくれないの。最近だと私の姿を見て怯えたように逃げ出すし、失礼だと思わない?」
「……姫子ちゃん、前から思ってたんだけれど、どんな風に恋愛を思っているの?」
「“狩り”でしょう?」
さらっと物騒な言葉が出てきて、桜は困ってしまう。
それはきっと逃げるなと思いながら、
「姫子ちゃんが、慧君の事をとても好きな事は分ったけれど、怯えさせちゃうのは駄目だよ?」
「追いかけなきゃ、切欠だって掴めないじゃない。好きってアピールしないと分ってもらえないもの」
「姫子ちゃんの言っている事は正論だと思うけれど、そうだね……姫子ちゃんはどちらかというと完璧で、慧君は凡人ぽいじゃない?」
「そうよ。でも、そこが良いの……普通に真面目で誠実で、顔も可愛いし。ふふふ」
姫子が、慧の事を思い出したのだろう、嬉しそうに微笑む。
こうやって笑っている分にはごく普通の恋する女の子に見えた。
だからこんな厄介な事になっているんだろうな、と桜は思いながら、
「でも、完璧な所が逆に気後れしちゃうのかも」
「何でよ。普通そんな相手が彼女だから嬉しいんじゃないの?」
「でも、そうしたら良い所見せられないでしょう? ほら、好みの女の子の前で、男の子って良い格好したがるじゃない?」
「するわね」
「でもさ、その良い格好をしたい相手が自分よりも優れていたら、いい格好出来ないでしょう?」
「なるほど……イメージで言うと、すっごく強い敵がいて、『ここは俺に任せるんだ!』とヒーローが言った所で、守ろうとしたヒロインがその敵を一撃で倒してしまう感じかしら」
「……具体的過ぎて、なんだか慧君が気の毒になってきたよ。でも私は姫子の恋を応援するわ! 面白そうだし」
「ありがとう、親友! でもそうなってくると、慧自身に問題があることね。私になびかない問題が……」
そう呟いて姫子がしばし黙考し、はっと顔を上げた。
「つまり、慧を私に釣り合う男にすれば良いわけね!」
「姫子ちゃん……次の次の授業、慧君と合同の魔法演習だったから、まずは試しに組ませてもらうようにお願いしたらどうかしら、先生に」
「そうね、四人一組の授業だったし。それでまずは、魔法のレベルを上げさせる事が大事ね!」
思いつくや否や、姫子は魔法を使う。
姫子の得意な風の魔法だ。休み時間が少ないため、いたし方がないのだ。
小さく言葉を紡ぐと、長い黒髪の端が、銀色になりかける。
魔法が発動するとき、髪の色が変わるのだ。
そして、次の瞬間には姫子はその場から消えていたのだった。
「やっぱり親友の恋応援しないとね……私も彼氏が欲しいな……」
そう桜は、おっとりと呟いて、ほうじ茶に口をつけたのだった。