マネキン
わたしを作った人がハンス・ベルメールのような人ではなくてよかった。ベルメールは人形を人間の形通りに作らない。わたしが彼の人形のようにグロテスクだったらわたしはここにいなかったかもしれない。幸いにわたしを作った人形作家は人間そっくりの人形を作る主義だったらしく、わたしは人間によく似ている。それも少女に。
ユズルはわたしをじっと見つめている。ここは彼の小さなアトリエ。乱雑な十畳のフローリングの一室には、二つのミシンに二つの作業台。彼はパートナーと共に服を作っている。彼はデザイナーの卵なのだ。わたしはマネキン。人形作家が作って捨てたわたしを、ユズルはごみ捨て場から拾ってきた。「顔がいい」と言ってくれた。
ユズルは作業台に座っているわたしの顔に触れた。「きれいな顔だな」とつぶやく。ユズルだって、きれいな顔だ。黒髪に黒づくめの服とデザイナーの卵にしては地味な格好をしているけれど、顔立ちが女の子のように繊細だからとても美しい。
ユズルはうーんとうなり、でもなあ、とため息をつく。「とりあえず、着せるか」と、テーブルからかわいいふわふわの黄色いドレスを持ってきて、裸のわたしに着せてくれた。これで裸じゃない。それに、ユズルが作ったドレスだ。とても嬉しい。
わたしは拾ってもらったときからユズルのことが好きだった。
ユズルがドレスを整え、わたしをじっと見る。きれいだなあ、と言う。少しずつ顔が近づいてきて、ユズルはわたしの唇に軽くキスをした。彼は一人で照れ臭そうにする。わたしは彼の行為を嬉しく思いながらも、どうしてわたしは動けないのかと悲しくなる。動けたら、彼の頭を手で引き寄せることができるのに。
体を離してから、でもなあ、と彼はもう一度つぶやき、部屋の入り口をじっと見る。パートナーを待っているのだろう。彼はここにわたしを連れてきたとき、わたしに話しかけてくれた。その話の中に彼のパートナーのことが出てきた。彼女はとても優れたパートナーなのだという。そう、彼女。新たに女が加わるというのは不安だった。まさか、わたしを捨てはしないか。わたしを捨てた人形作家は女だった。たった一つの共通点がわたしを怖がらせた。
ただいま、と女の声。あ、チコ、とユズル。
何? そのマネキン。
さっき拾った。
ふーん、いいんじゃない? きれいな顔。
だろ?
わたしたちの洋服のイメージにぴったり。ドレス、よく似合ってる。
だろ?
置いといてみよう。トルソーは別にあるけど、このマネキンを学園祭の展示に使うのもいいよね。
チコと呼ばれる女は、わたしに満足したようだった。わたしの顔をまじまじと見て、にっこりと笑った。チコの顔はユズルのようにきれいではないが、あっさりと整っていた。わたしはチコも気に入った。
カタカタとミシンの音がする部屋で、わたしはまどろむ。ユズルが縫った布地を点検しながら、チコに話しかけるのが聞こえる。
よかった。気味悪いって、捨てられるかと思った。
わたしはマネキンを気味悪がるような小心者じゃないもの。
おれ、マネキンにキスしたよ。
わかるよ。わたしもキスしたくなる。かわいい唇。
わたしはチコともキスしたいなと思う。二人に愛されて、この静かな部屋でいつまでもまどろめたなら、わたしは幸せだ。
本物の人間になれなくてもいい。誰かに愛されるなら、わたしはそれでいいのだ。
《了》