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藍にとける  作者: みそら
2/4

1.

◆◆◆


 新潟駅。県名を冠する駅ではあるが、東京でいう池袋のような、幅広い年齢層にどこか親近感を覚えさせる雰囲気をまとっている場所のように橘は感じた。

 ……いやしかしそんなことよりも。橘はぶるりと身を震わせた。

 もともと「新潟は寒い」という常識的な知識は、浅学な橘の頭にもしっかりとしみついていた。なので、きっと今日この日の防寒に事足りるであろう冬服一日分を、兄の部屋に持っていく衣服とは別にあらかじめ準備しておいた。……まではよかったのだが、その寒さの程度を橘は甘く見すぎていた。彼は冬物のワイン色のダウンジャケットの下にYシャツ、首には柄の入ったストール、下はチャコールのカーゴパンツとしっかり服を着込んだつもりではあったが、三月末の今でも新潟では平均気温が二桁を超えないことをチェックしていなかった。というよりは、若干の寒さならなんとか耐え忍ぼうと思っていたのだ。実際、この時期の寒さは全く我慢できないほどではなかったが、今のようにずっと外の空気にさらされ続けていると、さすがに肌寒さの延長線上に辛さを感じざるをえない。その上、すでに待ち合わせの19時を20分以上オーバーしているのに、いまだに約束人は姿を現さない。新潟にくること自体は自分の望みだったが、こんな見知らぬ土地で寒空の中ずっと立たされていることは完全に予定外であったため、橘は早くも我が身に慣れない気候というものに苛立ちを覚えはじめていた。しかし携帯画面か帰宅ラッシュだと思われる人の流れのどちらかを眺める以外に、彼には時間をつぶす術がなかった。なので、自分を迎えに来ることになっている人物からの連絡がないか、待ち合わせ場所に指定されたペデストリアンデッキで、まるで慰みのように携帯をチェックしていた。その時。

「良介」

「お」

 遅かったじゃん、と携帯をポケットにしまいながら声のするほうに顔をむける。その方向には、項垂れるような姿勢で佇んでいる一人の青年を視認できた。青年は冷たく細いまなざしを崩すことなく、軽い口調の橘とは反対に口だけをぼそぼそと動かした。

「わざわざ迎えに来てやったのに、お前から全く感謝の念を感じられないな」

 念。普段からとことん現実主義を貫く青年には似合わなすぎる言葉に、橘は思わず笑いそうになってしまった。

「だって俺このへんの地理全然わかんないし。かわいい弟を助けてよオニーチャン」

「家の最寄まで電車で一本だっつの、あほ」

 兄貴こそ、俺との4年ぶりの再会への感動が言葉にこもってねーよ。

 とまでは、橘は言い返そうとはしなかった。 

 一見すると対照的な外見の二人。

 お互い顔のつくりはどちらかといえば似ているほうなのだが、かたや髪を明るく染め服装もアクセサリーも”イマドキ”にまとめている、ひょっとしたら男性アイドルグループの中でも紛れられそうな、すらりとした肢体の青年。かたや無造作な黒髪に黒縁メガネ、必要最低限のおしゃれを飾れそうな服装、その服の上からでも線の細さがよくわかる猫背の青年。この二人が駅の構内を歩きながら交わす、話題のテンプレートで塗り固められたかのような一連の会話は、今日から同棲することになっている実の兄弟のそれとみなすにはなかなか難しいものだった。

 仲が特別良くも悪くもない兄弟のあいだに流れる空気感とは、はたから見るとずいぶんぎこちなく感じられるものだ。ましてや彼らのように4年ものブランクをはさむと、ほぼ赤の他人とともに行動しているのと同じような感覚に陥る。それでも、橘大介という名のこの猫背青年が橘良介の実の兄であることは、何者にも揺るがしようのない事実であった。


◆◆◆


『次は、白山。白山です』

 寝不足と先ほどまでの過酷な状況を経たのちに電車内の暖房につつまれていることで、さっそく自分の瞼が重くなってきているのを橘は感じとっていた。車内アナウンスの無機質な声だけはどこにいってもほとんど変わらないんだな、などと周囲の音を聞き過ごしながら、東京の電車のそれよりずっと座り心地が悪いように感じる座席に深くもたれ込んだ。

 先ほど通った駅の構内こそたくさんの人々がうごめくように行きかっており、そこをキャリーバックを転がしながら歩くことに肩身狭い思いをした橘であった。が。

「こんな時間でも座れるんだ。さすが新潟」

 空席さえまばらに見うけられる車内を見渡しながら、彼は言葉をこぼした。

 その言葉に、隣に座っていた大介がそっけない口調ではあるが対応する。

「……まあ、越後線は特に学生が使う線だからな。朝のラッシュはあるけど、夕方の下りだったらいつもこんなもんだろ」

「なるほどね」

 小声ながらも大介が饒舌になるのは、自分がもっている知識を披露したいときだけだ。こういうときは素直に関心した反応を示すと、大介の機嫌が少しだけ良くなるということを橘は把握している。おかげで、学校やバイト先で出会う小声で話す人とも難なく会話を成立させるほどの聴力が身についた。

 ずっとあたっていると皮膚がかぶれるんじゃないかと思うほどの座席下の暖房の強さに辟易して四肢をぐっと伸ばしながら、なんとなく今の会話の流れをぶつ切りに終わらせたくない気分である橘は、なにか新しく提供できる話題はないかと頭の中のアンテナを張り巡らせる。

「そういえば兄貴、いま大学で働いてんだよね。なんだっけ、えー」

「TAだよ。ティーチャーアシスタント」

「それそれ。やっぱ頭の出来いいんだな、俺と違って」 

 ふわ、と橘はあくびをかみ殺した。

「別に。大学にいるのが一番自分の肌にあうと思っただけ。バイトみたいなもんで、それだけじゃ全然食ってけないし」

「そうなの? 奨学金も出てるって聞いたけど」

「それでも余裕のある生活ってわけじゃねーよ。親からの仕送りもらってないし」

「てか、それは拒否ってるんだろ、兄貴が」

「親無視して自分で勝手に決めた道だからな。自分で勝手に生きなきゃだめだろ」

「立派だね」

 まあ、たしかに親のいうとおりにしていれば、社会人として社会に貢献する身になって、とっくに親孝行できてるんだもんね。それにしたって、今は今でちゃんと筋を通して生きているのだから、もらえる好意は素直にもらっておけばいいと思うけど。

 その背筋とは裏腹に芯はずいぶんしっかりしているのだろうが、少し強情すぎるというか。橘には、たまに兄の言動が単なる見栄っ張りのそれにみえる時がある。

「おかーさん、家に子供いなくなんのに全然さびしそうじゃなかったよ」

「お前は中学のころからほぼ家にいなかったし、たいして状況変わらないんだろ」

「そうかな」

「そうだよ」

「……」

「一応言っとくけど、お前絶対部屋に女連れ込んだりすんなよ」

「……」

「おい」

「……」

「タイミングよく寝んな」

「いやまじ眠い……着くまで寝かせて」

 ほぼ意識を落としかけていたところで大介が容赦なく肩をゆすってきたので、橘は低く呻く。

「じゃあ足伸ばすな」

 車内を歩くような人は全くと言っていいほどいないので実質的な問題はないのだが、公共のマナーとしてそれはもっともだと思い、橘は足を曲げ再び暴力的な暖房に耐えることにした。

 自分たちのの会話が完全に止むと、そこそこ人が埋まっているはずの車内に、高圧的にもとれるような抜け目ない沈黙が突如垂れこんできたかのように大介は感じた。

 大介が自分の向かい側にある車窓のほうを見やると、いつの間にか日は完全に暮れていて、夜空がまるで絵画のように窓枠の中にはめこまれていた。そこには車内の蛍光灯に照らし出された自分と弟の姿もうっすらと浮かんでいる。自分の顔がやけに老けて見えたのも、あまりよく見えない弟の俯けたままの寝顔がひどく疲れているように見えたのも、ひとえに影を見落としなくきっちり浮き彫りにさせる蛍光灯のせいだ。とりあえず、大介はそう思い込むことにした。

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