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マレビト来たりて 前編  作者: 安積
第1章 異世界における新生活の幕開け
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 依頼主の家はこの街のどこにでもありそうな普通の家だった。ギルドや神殿と違って木造2階建の一軒家だ。門扉や前庭などのようなものはなく、道に直接玄関が接している。この家のノッカーには手が届くことはエルトダムさんと一緒にいたときに確認済みだ。爪先立ちで背伸びをしながら戸を叩く。


 ……返事がない。


 もう一度叩く。今度は少し強めに。


 しかし、返事はない。


 あれ、場所を間違えたか?エルトダムさんにも確認してもらったのだからそんなことはないと思うのだが。念のため、と思い表札の番地と名前を確認する。


 二の左街二の北小路三の西小路四

 ハルディア


 間違いない。この街は碁盤目上に形成されており、町の真ん中にある神殿を中心にその西側を左街、東側を右街と呼ぶ。更に南北で三つの区画に分かれ、北側を一の街、真ん中を二の街、南側を三の街と呼ばれる。後は家がある区画に面した道路によって指定される。道路の名前は町の中心を十字に貫く、南北の神宮大路、東西の神殿大路の2本を中心に、神宮大路の南北、神殿大路の東西ににそれぞれ一から六の小路が平行している。依頼主のハルディアさんの家は西側の二の街、神殿大路から二本目、神宮大路から三本目の小路に面した区画の4番目の家、という事になる。

 因みに、この住所表記、区画を表すとおりの名前が座標になっているので、実は○○街という部分は書かなくても十分通じたりする。それでも書くのは、その方がイメージ的に分りやすいのと、もはや慣習となってしまっているかららしい。

 まあ、こんな感じに分りやすい住所表記となっているので郵便事情はとても良かったりする。車もないというのに国内なら1週間以内に届くというのだから凄い話だ。

 閑話休題。

 大体同じ区画内で同じ字を付ける人というのはいないから、例えギルドから貰った住所が間違っていたとしてもハルディアの名を表札に掲げる家が近所にあるとも思えないので確かにここであっているんだろう。


 さて、どうしたものか。とりあえずもう一度叩いて、声を出して呼んでみよう。それほど大きくもない木造家屋なのだから、きっと呼べば聞こえる筈だ。それでいなければ隣近所に聞くのも有りだろう。そもそもこの世界、日本のように時間に厳粛というわけではないのだから。

 それでは深呼吸して、


「おはようご――


「あらあら、もういらしてたの?」


 ――ザイマス…、えっと、ハルディアさん?」


 大きな声で呼ぼうとした所で、後ろから朗らかな声がかかった。尻すぼみになった朝の挨拶の後、念のために誰何しつつ振り返った。

 そこにはどこかのんびりとした雰囲気の、買い物袋を抱えたおばあさんが一人立っていた。何か、今日はこんなんばっかりか、私。




「ハルディアさん、これは?」


「ああ、それは抜かずにそのままにしておいて。それと、その隣のは移植したいから、根の周りの土ごと深めに取って頂戴。」


「はーい。」


 現在、絶賛庭弄り中です。

 庭のベンチに座るハルディアさんの指示に従いつつ、雑草は抜き、必要なら花の移植などをしています。土いじりにはリラックス効果があると以前何かで読んだことがあったけれど、確かにこれは楽しい。まだ然程強くない日差しは暑すぎることはなく、時折吹き抜ける風が涼しく、心地良かった。

 本当に気持ちがいい。仕事で来てるのでなければ、このまま草の上で寝てしまいたいくらいだ。よくよく考えるまでもなく、このところ緊張のし通しで心が休まる時なんて全くなかったのだ。ずっと鬱屈とした思いを抱えていた事を考えると、なんだか自分でもおかしいなと思うくらい今の気持ちはすっきりしている。もしかしたらこれも神とやらが弄った結果なのかもしれない。その事に苛立ちを覚えてもいいはずだったが、一度消えた暗い感情は早々に復帰する事もなく、どうせなるようにしかならないのだから仕方がない、と割り切った。色々と考えながらも手は動かし、それに合わせるようにハルディアさんは次々と指示を出していった。


「あ、その花はその場所のままでいいから、花を全部摘んで頂戴。摘めばすぐにまた新しい芽が出てくるのよ。摘んだ花は美味しいお茶になるから、後で淹れて上げるわね。」


「楽しみにしてます。」


 赤いコスモスのような色をした、うっすらと透き通る薄い花びらの花を摘んでいく。枯れかけの花は抜いた雑草と一緒にし、新鮮な花だけを選り集める。まるでイチゴか桃のような甘い香りのする花だ。ハルディアさんに言われて生のまま一つ食べてみたら、香りに反して酸味の強い花だった。仄かに甘みも感じるが、香りで期待していた分、肩透かしを食ったような感じだ。でも、これのお茶なら味は期待できそうだ。


 野外での仕事なので途中途中に水分補給挟みながら作業を続けること3時間ばかり。こちらの時間で言うなら二刻あまり、七の鐘が鳴り昼の休憩を取る事になった。食事のお供は早速ハルディアさんが淹れてくれたルータの花茶だ。


「あら、それじゃあ、貴方が噂のマレビトさんだったのね。こんな仕事頼んじゃって悪かったかしら。」


「いえいえ、私は何の力もありませんし、この体ですから荒事には向いていません。寧ろこういった仕事があって有り難いくらいです。」


「そう? それなら良かったわ。」


「ええ、なので今後とも宜しくお願いします。」


 ハルディアさんの依頼、それは年をとってあまり体が聞かなくなったから、荒れ始めていた家の庭をきれいにして欲しい、というものだった。ギルドの方にはそういった事情は一切書かれておらず、内容も草むしりとだけ書かれていたけれど。ハルディアさんは息子さんがひとり立ちしてからはずっと長い事一人暮らしをしているそうだ。それでも今までは何とかやってこれたけれど、昨年足を怪我してからは無理もきかず、それでギルドに頼みに来たらしい。

 ギルドではこういった街の人のちょっとした困りごとも受け付けている。内容の微妙な食い違いは時折起きるそうで、街中での命に関わる事はまずない仕事だと特にその傾向が強いとか。荒事になれたギルド員からしてみれば、草むしりも庭整理もそう違いはないのかもしれない。

 とは言っても、今日ギルドであったような屈強な大人たちは、普段はより報酬が高く、その分危険度も高い依頼を中心にこなしているわけで、こういった街の困りごとを主に処理する人々はまた別の層なのだという。大概それは、社会経験の一環、或いは小遣い稼ぎとしてバイト感覚でこなす成人したての少年であることが多いとのこと。私もある意味ではその一人と言える。他には、暇を持て余した主婦などがちょっとしたヘソクリ目当てでやる事もあるらしい。

 ハルディアさんが朝いなかったのは、てっきり今回もそういう子供が来るのだと思ってお菓子を買いに行っていたんだとか。確かにその年頃の男子はよく食べるしなあ、と思いながら聞いていたら、帰ってきたら随分と幼い子供がいてビックリしたと言われ、再び何とも言い難い思いを味わった。体が子供になってしまったことをしっかり認識していても、やはり子供と言われる事には未だ抵抗があった。

 そうそう、ハルディアさんは私がマレビトだとついさっきまで気付いていなかったらしい。一応最初に自己紹介はしたのだが、「渡り人」とは名乗らなかったので、随分ちっちゃい子が来たな、位にしか思っていなかったのだそうだ。朝市のときに出会った人々はすぐに私にマレビトと声を掛けてきたので、もしかしたら街中に認知されているんじゃなかろうかと思っていたのだが、どうやらそれは少しばかり自意識過剰だったようだ。

 神殿が用意してくれたお弁当と、今朝貰った果物を食べて、昼食は終わり。果物はハルディアさんと半分にした。仕事に来てもらっているのに、と遠慮気味だったが、それでもまだバッグの中に沢山残っているそれを見て、そういうことなら、と美味しそうに食べていた。やっぱり食事は誰かと一緒のほうが楽しいと思う。八の鐘が鳴ったら作業再開ということで、暫しのんびりとお茶を飲みながらおしゃべりを楽しんだ。

 かつては街で教師をしていた事もあったと言うハルディアさんの話は、分りやすくそして興味深いものばかりだった。私の名前にもなった精霊アトルディアの由来や、精霊や神の加護の効能など、その話は尽きなかった。




 午後の仕事はひとまず雑草抜き。午前中に教えてもらった抜いても良い草をただ只管に抜いていく。中には雑草だけれど薬効があると言う蓬やハーブのようなものもあって、それは別なところに選り分けておいた。それにしてもここの植物たちは繁殖力旺盛だな、と思いながら作業を続けているとハルディアさんが苦笑いした。


「本当なら悪い事ではないのだけれど、植物が良く育ちすぎちゃうのよね。私も水霊の加護を受けているから。」


 これがお昼に教えてもらった精霊の加護の効能の表れなのだと言う。水霊の加護を持つ者は何かを育てるのに向いているそうだ。どうやら、それは同じく水霊の加護を持つらしい私にも言えることらしく、よくよく見てみれば午前中に抜いた雑草が萎れることもなくまだ青々としていた。このまま放置したら、もしかしたら明日の朝には根付いたりしてるんじゃないだろうかと言う考えが頭を過ぎったが、まあ、それは考えすぎと言うものだろう。

 やがて太陽が傾き、いくつかの月が昇り始めた頃、一先ず今日の作業は終わりと言う事になった。ハルディアさんの家の庭はとても広い。何でも、このあたりの家の二軒分の土地に家と庭を造っているとの事で、庭の広さは普通の家のほぼ1.5倍だ。その広い庭に様々な植物が生い茂り、ちょっとした混沌(カオス)状態になっている。

 今日、手を入れたところはきれいになったが、まだ八割方が荒れたままだ。一応、以前は花壇や畑だったんだろうなという区分けは何となく分るようになったものの、まだまだ色々な種類が入り混じり、この整理に一体何日かかるのか、と言った感じだ。まあ、期限付きの依頼じゃないから数日かかっても問題はない、報酬額は決まっているから結果的に時給換算すると安くなってしまうというだけのことで。この分だと、今週いっぱい掛かるかもしれないなと予測しつつ、ハルディアさんの話も面白いし、それもありかなと思いながら家路を辿った。


 途中ギルドに立ち寄り経過報告――するもしないもギルド員の自由だが、報・連・相は重要だ、どんな仕事であれ、有ると無しとでは印象ががらりと変わる――を済ませ、神殿へと戻る。久々の肉体労働で疲れた体は、何よりも休息を望んでいた。

 仕事を始める事にした当初の目論見どおり、というかそんなことも何も思い浮かばないままに私の意識は闇に融けた。

 こうして、私の異世界における社会人生活の第一日目は幕を下ろしたのである。

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