3
私はこの世界に来たときに子供の姿になっていた。恐らくは十二、三歳くらいの頃とほぼ同等の身長なのではないかと思う。中一の時には身長の伸びは緩やかになっていたからそれほど大きな変化は感じないが、以前よりは微妙に低く感じる視点と、体の発育具合からして然程ズレはないだろう。どういう原理かは分からないが、この世界にくるにあたって体はこの世界に最適化されるのだという。言語なども通じるのもその最適化された結果によるものなのだとか。通常は容姿がそう変わる事もないらしいが、極稀に容姿が変化する人や色彩が変化する人、中には種族すら変わってしまう人もいるらしい。そういう意味では、ただ単に若返った私はまだましな方であろう。
ギルドに登録するのに外見年齢では年齢制限に微妙に引っかかるが、実年齢は二十二だと伝えてあるので書類上は一応問題ない。その事はちゃんとギルド側にも伝えてあったはずなのだが、聞いてはいてもやはり実際に目にするのとでは違うようだ。何より、私のように若返った“渡り人”も前例がなかったわけではないようだが、どちらかといえば珍しい部類であり、尚且つ成長を待たずにすぐにギルドに登録したものはほとんどいなかったと聞けば、なるほど、先程の驚きようもおかしなことではないのだろう。そして、神殿の関係者が口をそろえてまだ早いのではないかと言っていたことにも頷けた。尤も、だからといってギルド登録を辞めるつもりは毛頭ないが。ギルド長もその事は分かってくれているみたいだった。
私を子供呼ばわり(外見はまさしく子供なのではあるが)してくれた若い女性――ミリアナ・ファレルというらしい――の淹れてくれたお茶を飲みながら話を進める。
とりあえず、私に関する簡単な説明、神殿で受けたさまざまな検査や出身地、境遇に関してなどを話し終わると、早速登録のための書類を持ってきた。書類に印字されているのは日本語ではなく、それ以外の私が知る地球の言語のいずれでもなかった。だが、私はそれを読む事が出来た。この一週間のうちに神殿で教えられた事によれば、先に言った身体の最適化に付随する能力なのだそうだ。その人物が元々持っていた知識にこの世界のそれに同等する知識が関連付けされるのだと言う。
例えば元の世界で読み書き会話が出来れば、こちらの世界でも落ちた地域の国の主要言語の読み書き会話が出来るといったように。元々知っている語彙ならば理解できるが、知らない言葉を理解する事は出来ない。その点、日本人の“渡り人”は結構仕事面で優遇される事が多いのだとか。まずほぼ確実に読み書きが可能で、計算も得意、好みはどうあれ本を読む事も必要な勉強と言われれば然程苦としない。生憎、外見年齢のために当分私には縁のない話だが、日本人は各国の王族や神殿、大店に仕えることが多いのだという。これはコネも伝も何もない“渡り人”の中では異例の待遇なのだとか。
いずれ身体が成長した暁には、私もそんな職場に就職できれば良いのだけれど。何せ、王宮や神殿といえば日本で言う政府であり、行政機関だ。この世界では王族は須らく神の子孫である。そんな彼らが国の中枢であり、政の担い手なのだから、当然、親たる神に仕える神官たちは行政機関の一員、言わば官僚、国家および地方公務員である。当たり前のことながら、給料も良い。
しかし、当然の事ながら見た目子供が就職できる先ではない。体が成長するまで数年待つことになるのか。私に限ってはありえない選択だ。故に、私は自活を目指すならギルドに登録するほかない。勿論、成長する前に地球に帰れればそれに越した事はないのだが。
私が契約に関する条項を読み終えたのを見計らったのか、ギルド長が口を開いた。
「さて、そちらの契約書に著名してもらえば貴方はギルドの一員となります。既に知っているとは思いますが、そうなれば、正式に貴方の身は神殿の庇護下から離れ、我々の預かりとなります。とは言っても、先程も説明した通り暫くの間は僅かではありますが最低限の生活を保障するだけの金銭、或いは物資が神殿から支給されますが。それでも、今までのように神殿が何から何まで全て面倒を見てくれるという生活は出来なくなりますよ? 本当に、構わないのですね?」
「どちらにしても、いつまでも庇護下にいるわけには行かないのでしょう? それならば、私は早めに今後の生活になれておきたいんです。」
「わかりました。では、登録前に確認ですが、今の貴方には後見人はいないのですね?」
「はい。」
「この世界では、貴方の生まれた世界と違って血縁や地縁、コネや伝手と呼ばれる繋がりが非常に重視されます。後見のない身では何事もなせない事をよく知っておいてください。では、“渡り人”の通例どおり、ギルドが貴方の後見を務めるという事で構いませんね?」
「は――
「後見は神殿で務める。」
――ぁ?」
はい、と言い切る前に後ろから邪魔が入った。言わずもがな、あの男である。思わず引きつった顔を取り繕う余裕もなく振り返る。顔だけしか取得がないんじゃなかろうかと常々疑っていた男は、至極真面目くさった顔でのたまった。
「後見には私がなる。」
「ちょっと待ってください! 私はギルドに頼むつもりで……」
「これは君を神殿から出す上での条件の一つだ。」
「聞いていません! そんなの。」
食って掛かろうとする私を制し、ギルド長が口を出す。
「それは、神殿の総意と見てよいのかしら? それとも、貴方一人の考え?」
「どちらとでも。」
明確に答えはしないが自信を持って言う。だが、勘でしかないがこれはこいつの独断だ。これを言うためにここまで来たのかと、ようやく私は理解した。
「神殿が条件だというならば、こちらとしてはそれを覆す手はあまりないわ。確かに後見役としては申し分ない相手ではあるけれど……」
「……変更は、難しいんでしょうか?」
「神殿側が納得するだけの後見人を見つけるには時間がかかるでしょうね。そうなれば、ギルドの登録自体も遠のくわ。」
「……分かりました。それでお願いします。」
ギルドが単純に後見するよりもはるかに多くの優遇措置が受けられるのだから、儲けものとでも思っておきなさい、他の“渡り人”がどんなに望んでも手に入らないものよ、と微笑まれては何も言い返せない。私としては苦渋の決断だ。
それでも、どうしても私には早急に仕事が必要だった。頑張りなさい、とエールを送ってくれたギルド長に挨拶をし、満足げな顔の神官と共にその部屋を後にした。
帰り際、一階で早速明日からの仕事を探すため掲示板を見上げた。先程通り過ぎたときよりも好奇の目は増えていたけれど、神官がすぐそばにいる事からか見る以上のことはしてこなかった。からかわれたらそれも利用してやろうかと思っていたんだけれど……本当に、過保護な人た。
恐らく、今日中には子供姿の“渡り人”がギルドに登録した事は町中に広まるだろう。多少その情報を増やしてやる事は吝かではない。とりあえず、目当ての依頼の紙を神官にとって貰う。先に窓口へと進み始めた神官の眼を盗み、窓口へ行く前に、くるっと振り返りにっこり笑って一礼をした。案の定、好奇の視線を寄せていたギルド員たちの視線はしっかり私に集中している。神官が、私が何かをしようとしてることに気付いて止めるためか近づいてくるのが目の端に映ったが、もう遅い。声が掠れないように、就職活動で鍛えたよく通る声を意識する。
「はじめまして、ギルド員の皆様方。本日、ギルドに登録しました、異界、地球の日本から来ました“渡り人”アトルディアです。」
地球、日本という言葉に反応した人が何人か見えた。若干、好奇の視線に好意的な色が混じり始める。これは先人たちに感謝すべきなのだろう。極力、明るい声と表情を心がけながら後を続ける。
「読み書き計算は得意ですが、今のところ特殊能力は発現しておりませんので悪しからず。こんな形ではありますが、一応れっきとした成人ですのでどうぞ宜しくお願い致します。」
よし、ちゃんと言えた! 内心ガッツポーズをしながら笑みを浮かべる。内容としては短めだが、気分的には就活の面接での自己アピールを無事終えたときに近い。呆気にとられている面々を尻目に再び一礼すると窓口にとってかえした。何故だか後ろから笑い声が響いてきたが気にしない。憮然とした顔をしている神官だって気にしない。
爪先立ちで背伸びをしながら――再び後方から笑い声が聞こえたけれど、以下略――窓口に依頼の紙と、先ほどギルド長に貰ったギルド員としての契約書の控えを出す。この契約書の控えが、ギルド証が発行されるまでの私の身分証明書となる。神殿から発行されている身分証もあるけれど、それではギルドの仕事は請けられない。故にこの一枚の紙切れは私にとっては大事な命綱だ。確認され返された契約書を丁寧にバッグにしまった。
そして説明されるのは契約の履行内容についての説明、これはもうテンプレ的な内容だから以下略。一つだけ違うとすれば、明確なレベル設定は存在しないという事。個人の力量を正確に測るのが難しい、というのは確かに理由の一つなのだが、ただ単純に必要がない、というのが一番の理由だそうだ。
無茶だと思われる仕事なら一応ギルド側から注意が促されるけれど、最終的には受ける受けないは個人の自由であり、出来なければ違約金を払うというたったそれだけだ。それ故に失敗を繰り替えした場合、信用の失墜は免れず、その影響は大きい。仕事を請ける受けないは個人の裁量に任されるとは言え、評判が落ちれば依頼側からこの人だけはやめてくれ、と言われる可能性が出てくるわけだ。因みに、この評判は街の噂と言う形で人々の口に乗る。仕事上の信用問題だけでなく、人格の問題として扱われてしまう事もままあるため、当然無茶な仕事をする人と言うのは少なくなるので、レベル設定なんて必要ないのだそうだ。他の情報ソースがほとんどないとは言え、街の噂恐るべし、である。日本では人の噂も七十五日と言ったが、実際七十五日も仕事が出来なければ基本的に日雇いであるギルド員は日干しになってしまう。そりゃ、自ずと気を付けるようになるってものだろう。
そんなこんなで、私も確実に出来るだろう仕事を選んだ。請ける仕事は単純に草むしり。期間は明日から一週間、場所もギルド本部近くの民家である。当然、賃金は低いが今の私ではこれがせいぜい。それでも、これが私のこの世界での第一歩だ。
神殿の保護下は安全で安心で、何もしなくても良い所だった。何も知らない私を守ってくれる。
でも、何もせずただただ受動的にすごす日々は、ふとした瞬間に地球のことを思い返させた。家族は、友人たちは、一体どうしているだろう。この世界に来てしまったことを認識するのに一日、理解するのに一日。地球を諦めるのに……いや、まだ私は諦め切れていない。ただ、現状を受け入れるのに一日。そして、四日目には地球を思い出した。
ふとした瞬間に、残してきた様々なモノを思った。
早過ぎるといわれた仕事の開始。でも、私は何も思い出す暇もなくいたかった。無理無茶無謀なんて、想定のうちだ。思い出してしまえば、泣かずにはいられなかったから、周りの人に当たらずにはいられなかったから、神を憎み恨み辛みを吐き罵倒し続けずにはいられなかったから、己の不幸に溺れ嘆きつづけずにはいられなかったから、誰かを傷つけ、誰かから大切なものを奪わずには、この世界を呪わずにはいられなかったから、何も感じずに眠りたかった。
だから、私は小さくなった体で無理を押してでも仕事を始めたかったのだ。