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異世界生活七日目。
庇護下を離れ、自立生活を目指して活動するという意味では実質一日目とも言えるだろう。まあ、一週間というのはあくまで目安であって体調やら精神状態やら多くの理由で保護期間が長くなる人はそれなりにいるらしい。私ももう暫くいても良いのだと言われたけれど、一度甘えればきっと離れられなくなる、そんな自覚がしっかりあった。それに、本来であれば一週間前には新入社員として自立生活をスタートさせていた筈なのだ。例え異世界だとしても、私がすぐに働く道を選んだのはある意味当然の選択と言えただろう。
でも、本当の理由は……。
「本当に登録してしまっていいのですか?」
ギルドへ向かう道すがら、この一週間私の保護者であった神官がしつこく尋ねてきた。そう聞かれてしまう理由は分からなくもなかったが、一度決めた事をグジグジといつまでも言われ続けるのは不快だった。
「もう、決めました。」
自然、言葉はそっけなくなる。
それでも、否それだからこそか、強がっているように見えたのかもしれない。結局、ギルドへの長くはない道案内の間に十五回も同じ質問が繰り返された。曰く、その年では仕事はまだ無理ではないか、体力的に持たないのではないか、無理をしているのではないか、たった一人で食べていくのは難しい、もっと我々を頼れ、組織が嫌なら自分が個人的に面倒を見よう、否寧ろそれが良い、だのと。まあ、どれも丁重にお断りしたが。こんな暑苦しく押し付けがましい保護者は不要である。
暑苦しいとは言うものの、顔だけ見れば……ゆるく一つにまとめられた柔らかに波打つ稲穂色の長髪、瞳に映すは冬空の青、コーカソイドに近い色白の肌はムカつくくらいにつるっつる、顔のパーツの形も配置も抜群、とくれば……まあ、間違うことなき美形であろう。もし私が男だったなら、確実に「イケメン死ね」とか思ったことだろう。「リア充爆発しろ」と、思うことはなかっただろうが。何せ性格が……これこそが所謂残念な美形と呼ばれるそれなのだと思う。
そんな美形に、たとえ多少しつこいとは言え見知らぬ世界でそんなに親切にされたらころっとオチてしまってもおかしくは無いとも思うのだが、彼に限ってそれだけは在り得ない。私を神の遣いとしてしか見ない相手に、どうして恋情など抱けるだろう?彼が私に優しくするのは、偏に私が神が遣わした“渡り人”だからである。それが分らないほど、私も愚かではないし、それを分って尚甘える事ができるほど厚かましくも無ければ、この世界を受け入れていたわけでもなかった。
やがて静かになった神官を先導にギルドらしき建物へと到着する。見るからに過ぎた年月を感じさせる石造りの重々しい雰囲気の建物だ。
「ここですか?」
すべての提案をすげなく断られたせいか幾分意気消沈して見える神官を見上げ、尋ねる。神官はまだ未練がましい瞳を向けてきたが、事ここに至ってはもう反対する気はないようだった。
「そうです、ここがエグザーダナのギルド本部です。」
そう言うと重厚な重い木製のドアを開き、私が入るのに続いて中へ入ってきた。どうやら私の登録が終わり、完全に神殿の庇護下を離れるまではついてくると決めているようだ。なんて過保護なのだろう。普通は道案内されたらそこで終わり、或いは場合によっては地図だけ渡されてそれで終わりという事もあるらしいというのに。それはそれで困るのだが、逆の意味でとんでもないのが保護者だったなと、後僅かで彼との縁が切れることを神ではない別の何かに感謝しつつ、気づかれないようにそっとため息をついた。
早朝と呼ぶほどではなくとも早い時間だからか、ギルドの中は閑散としていた。日本の日雇い労働のイメージだと、朝早くに仕事を貰って夕方帰ってくる、という生活パターンかと思ったのだが、どうやらギルド員たちの朝はそう早くないようである。それでも、少ないとはいえ奇異なものを見る複数の視線を寄せられている事は分かった。それらの視線の持ち主をやり過ごし、斡旋内容を記した掲示板やら、おそらく受付か換金用であろう窓口を通り過ぎ、階段を上り二階へ向かう。本当に、想像していた通りゲームや小説の中のそれにそっくりだ。“渡り人”は元の世界の時代を問わずやって来るらしいから、あながち私の予想は外れていないのだと思う。特に、この国は地球からの“渡り人”が多い事で知られているということだから。
通常、ギルドの登録は一階の窓口で行われるのだという。しかも地区内にあるギルドの各支部でも登録は可能だそうだ。本部よりも窓口が込む事も少ないので、この近辺に居住しているものでもなければ、そちらで登録する者の方が多いようだ。
だが、唯一例外がある。
異世界からの“渡り人”だけは、その地区のギルド本部の上層部でなければ登録できないのだそうだ。それは時折、後になって能力を開花させる“渡り人”も少なくないため、その管理を行いやすくするようにという理由によるのだとか。更にはまだ世界に慣れない“渡り人”の援助をしやすくするための決まりでもあるそうだ。確かに、お互い顔見知りであった方が何かと便利だろう。
階を上がり、薄暗い廊下を進む。神殿や離宮もそうだったが、ガラス窓の少ない石造りの建物は総じて日中でも暗い。神殿はそれでも白い反射率の高い石を磨き上げて使っていたのでまだ少しは明るかったが、ギルドでは削り出しそのままの石を使っているのでなおさらに暗く感じた。無骨な作りは威圧感も感じさせるが、恐らくはそういった効果をもたらすためではなく、経費面での理由故なのであろう。
まあ、それはさておき。
暗い廊下のその先には細かい装飾の施された大きな扉があった。そこがこのエグザーダナ地区担当ギルドの中枢だった。
ノックの後、神官が先に入室する。
「神殿の者だ。先だって連絡した“渡り人”の登録に来た。」
入りなさい、と姿は見えないが、それなりに年の行った落ち着いた感じの女性の声が聞こえた。
「……え、子供?」
入室を促す声に従って入った私の耳に一番に飛び込んできたのは、挨拶でもなんでもなく、気の抜けたようなそんな言葉だった。どっしりと重そうな執務机の向こうにいる女性の目にも僅かながら驚きの色が見えた。だが、どうやら先の発言はその隣にいる秘書らしき若手の女性のもののようだ。既に連絡は言っていたはずなのだから、そこまで驚かなくてもいいと思うのだが。
「部下が失礼を。言い訳をしたくはないのですが、話には聞いていたものの、これは驚くな、という方が酷というものでしょう。」
奥の執務机から初老の女性が立ち上がって声を掛けてきた。彼女がギルド長なのであろう、落ち着いた雰囲気の、しかしそれだけではないだろうことを伺わせる独特の雰囲気の女性だ。
「御挨拶が遅くなり、申し訳ありません。エグザーダナギルド支部長のハーナン・エルドです。はじめまして、異界から参られし方。」
「はじめまして、“渡り人”アトルディアです。」
ギルド長からの挨拶に対し、未だ言い慣れぬ名を返す。当然、偽名である。というか、正確に言うならば字、名乗りの為の仮名というべきか。この世界、否、この国はかつて言霊信仰が盛んであっために、今尚その名残として真名信仰が強く残っている。そんな土地柄ゆえに、この国の出身者は本名を初対面の相手に教える事はまずないのだそうだ。
だが、どうやらこの支部長は異国の出身のようだ。恐らく先程の名乗りは字ではない。何故なら、通常字に姓がつくことはないからであり、また非常にシンプルな名であったからである。真名信仰の盛んなこの地の人々の名前は、字に限らず本名もまた自らを守護する神々や精霊の名を組み込むために、非常に派手派手しい名前なのだ。私が名乗った“アトルディア”もまた、そういった意味も込めて神殿から与えられた“渡り人”としての公の名である。純日本人が名乗るには似つかわしくない名だが、致し方ない。通り名は好きなように付けて良いと言われており、普段からそう呼ばれるわけではない事だけが救いである。
「アトルディア……ああ、町の北西にある滝の名ですね。元はそこに住む精霊の名だとも伝えられていますが。貴方はあの場に“渡ら”れたのですね。」
「はい。」
渡り人の名の多くは落ちた場所に由来するらしい。その土地土地の神々や精霊が私たちに加護を与えるからだとされている。私も例に漏れず、落とされてプカプカ浮いていたというその滝の名を与えられたのだ。その時の記憶は全くないので、どのような滝かは知らないが。元がその滝の精霊の名が由来であるから丁度良いだろう、とのことだ。そんな適当で良いのか、と思わなくもないが、神殿のお偉いさんがそう言ったのだからきっと良いのだろう。
それにしても、と彼女は続ける。
「先程部下の非礼を詫びたばかりではありますが……実年齢は二十二だと言われましたか。」
「はい、今はこんな形なので信じ難いでしょうが。」
「そうですね、“渡り人”が非成人である事はないと知っていなければ納得できなかったでしょう。それを分っていても、失礼を承知で申し上げれば十を越えているようには到底見受けられません。」
まるで幼子を見るかのような――実際彼女としてはそのようなものだったのだろう――柔らかい微笑を浮かべられてはなんとも言いようがなかった。
「……十歳以下、ですか。体感的には十二、三歳の頃とそう変わらないように感じているのですが。」
純粋な子供にしては早熟に見られるであろう苦笑を浮かべつつ、そこだけはしっかりと主張した。もはや異世界トリップのテンプレではあるが、この国の人たちの多くが地球でのコーカソイドに近い事からも、より幼く見られるだろう事は十二分に有り得ると予想してはいたが、人からはっきりそう言われると地味に堪えた……。
私だって、好きで子供になったわけではない……。望まぬ異世界トリップの上にガキ扱い……本気でイジケても良いだろうか?