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何の因果か異世界に来て、早一週間が経過した。因みにこの世界での一週間とは六日間のことで一ヶ月は二十四日間である。
まあ、それはどうでも良いが、何とか現状を把握し慣れてきたかな、といったところだ。異世界トリップものでは時たまあるバージョンだが、この世界は“渡り人”に慣れているようだ。“渡り人”って言うのは私のような異世界からやってきた人々の事らしい。
別名“マレビト”。
これはこの国、アウトラーシェン周辺でだけ通用する言い方らしく、あまり一般的ではないのだそうだ。
話が逸れたが、何でも、毎年或いは数年に一度何処かしらには“渡り人”が現れるのだとか。しかもこの国だけじゃなく、他の国でもそうらしい。恐らく、この世界全体で見れば数ヶ月周期で渡ってくる人がいるのではないかと、私を保護してくれた神官が教えてくれた。しかも、やってくるのは一つの世界に限らないらしい。私と同じように地球から来る人もいれば、別な世界から渡ってくる人もいるとのこと。人に近い種もいれば、所謂獣人やら竜のような生き物である事も。人種の坩堝やサラダボールなんて比ではない。
ある人はまるでゴミの集積場だ、と自嘲気味に言ったらしいが。
どうしてこんな事になっているのかは大分前に判明している。嘘か本当か定かではないが、かつて神託が下ったのだという。
曰く、この世界に必要でありそうな人材を見繕って集めているのだ、と。
世界で生まれた人たちも元を辿ればそうやって集められた人たちの子孫なんだとか。この神託を受けたのは特に信仰心が篤いというわけでもない、どこにでもいそうなおっさんで、神託を受けてからの開口一番の言葉が「余計なお世話だクソっ垂れ」だったと伝わっている。なんでも、神託が下る前年に新たにこの世界に落とされた竜によって最愛の息子を殺されたばかりだったとか。
神と人間の価値観は違う。人にとってはふざけたことでも、神にとってはこの世界が完成するのに必要な処置だったという事だろう。今でこそもっと積極的にこの世界に関わりを持っている神だけれど、このときはまだ意外と放置気味だったらしい。それにも拘らずこの話が信じられたのは、そのおっさんのように神なるものがもし実在するならば確実に恨んでいるだろう人々を中心にその神託が下ったからだ。一人が言っただけならただの戯言でも、証人が複数いれば信用される。多くの証言者がいながら、何故かその中には一人も聖職者がいなかった。それ故、なぜ自分に託宣を下さらなかったのかと嘆いた聖職者も多くいたとか。
私が思うに、信心の篤い聖職者に神託を下したところで信憑性が薄かったり、変に歪められてしまうと心配したんじゃないだろうか。どことなく、この世界の神様は人間臭い気がした。とにかく、それらの証言の数々は神殿に集められ、一冊の本としてまとめられた。今では世界中の誰もが知っている内容だが、世界は変われども噂とは人の口に膾炙されやすいものらしく、実は公にされてない神託があるだの、世界の終末の預言があるだの様々な都市伝説も合わせて広まっているらしい。
この手の噂を最初に広めたのはアメリカ人の“渡り人”ではないかな、と思ってたりするが、それは私の勝手な想像だ。でも、アメリカ人ってそういう政府陰謀系の都市伝説好きだよね。これも偏見かな?
まあ、伝聞が多くなったがそんな訳で“渡り人”たちはこの世界では当たり前の存在なのだ。だから、“渡り人”を迫害したり逆に優遇したりするような事はないが、普通に生活していこうと思えばそれほど困りはしないだけの制度作りはされていた。
“渡り人”が世界に必要な存在であると神から言われていることもあり、まずは何が出来るか、どのような知識や技術、能力を持っているかという事が調べられる。そこで特別なものを見出されれば、研究機関やら何やらで仕事につく事も出来るが、そういう人物はあまり多くはない。どうやら神と人とでは必要とするものが違うらしい。大抵はギルドにて自分のできる仕事を斡旋してもらう事となる。
そう、ギルドだ。
異世界トリップおよびファンタジー世界のファンが垂涎のギルドである。もしかしたらこの仕組みはゲームやラノベ好きな地球人が考えたんじゃないのか、と思うほどその手のギルドに良く似ている。間違っても、中世以後のヨーロッパでの商工会としてのギルドのあり方ではない。
何と言うか、分かりやすく現代の言葉に直すなら職業斡旋所…といってもハローワークではなく、人材派遣会社とでもいった感じだろうか。そうあれだ、一時期流行った「携帯ですぐ登録、週末には日雇いのバイト」というのとよく似ている。
ギルドに登録したら、自分が請けることの出来る仕事の候補の中からやりたいものを選んで仕事に行き、仕事が終了したらまたギルドに戻って報酬を得る。安定した生涯雇用(バブル崩壊以後有名無実となってはいるが)が当たり前だった現代日本人からすれば、職業に貴賤はないとはいうものの、日雇い労働者というのはかなり心理的抵抗のある職業である。というか、そうならないためにも大学まで苦労して通って、就職難が叫ばれる中、それでも頑張って内定を得て、何とか無事に卒業して、今日から初出勤!という日に異世界なんぞに落とされて、挙句に別段特出した能力もないようだから日雇い労働に甘んじろ、というのはハッキリ言って、神がいるのものなら極刑ものだと少なくとも私は思う。
それでも、生きてく為にはそれしか出来ない。この中世的世界、安定した雇用を得るにはコネと伝手が何よりの頼りなのだ。異世界からやってきたばかりの根無し草にそんなものはない。ギルドでコツコツと信用を溜め、誰か自分の能力を買ってくれる人を見つけるか、売り込んでいくしかない。
と、まあ。
異世界に落ちてきてから保護された神殿で、一週間くらい掛けて色々教えてもらったり調べられたりして現状を把握する事は出来た。短い時間ではあったが保護される期間は今日で終わり、明日からは私の身は神殿ではなくこの区域担当のギルド預かりになるらしい。結構無茶な話だと思うだろうが、これらは良くも悪くも私たちのためのことなのだそうだ。何も知らないまま放り出すわけには行かず、かといって長い時間保護してしまえば自立しこの世界に馴染む力をなくしてしまう。ある程度落ち着いて自分の状況を把握して、且つ自分で世界に踏み込んでいく力も持っている。その微妙なラインが凡そ一週間だったのだという。これは神々がある程度、順応性やある意味での図太さをもった人間を選別しているからこそできることらしい。つまり、この世界に来てしまった私はとっても図太い神経の持ち主だという事を証明されたようなものである。これを言われたときは流石に少なからずショックを受けた。もしかしたら、この世界に来てしまったということ以上のショックかもしれない。
……恐らく、こういうところこそが私が選ばれてしまった所以の一つなのだろう。
明日、朝になれば私は神殿の庇護下を離れ、異界の地で自ら歩く術を身に付けていかなければならなくなる。当分、心休まる日はないだろう。こういうときは体力温存に限る、とばかりに異界の夜に浸るまもなくさっさとベッドに潜り込む。新生活への多大なる不安と若干の好奇心と興奮を闇は飲み込み、夜は静かに更けていった。