第1話:雪の別れと、お調子者の神様
第1話:雪の別れと、お調子者の神様
窓の外は、音もなく降り積もる銀世界だった。
無機質な病室の空気を震わせるように、しんしんと雪が落ちていく。盆山茂――通称「盆ちゃん」は、ベッドの背を少しだけ起こし、白く霞む外の景色を眺めていた。
「……綺麗だな」
49歳。働き盛りを少し過ぎたあたりで宣告された病魔は、盆ちゃんの体力をじわじわと、だが確実に奪い去っていった。鏡を見るまでもなく、かつてのふっくらとした頬はこけ、肌は土気色に沈んでいる。
「お父さん、リンゴ剥けたよ。食べる?」
傍らでは、妻の和恵が努めて明るい声で笑っていた。その隣には、今年大学生になったばかりの長男。二人は一日の出来事をとりとめもなく話し、盆ちゃんの体調を気遣う。盆ちゃんもまた、呼吸の苦しさを悟られないよう、穏やかに言葉を返した。
やがて面会時間が終わり、家族が帰路につく。
「じゃあね、また明日。ゆっくり休むのよ」
「ああ。二人とも、気をつけて帰れよ」
手を振って見送る。病室のドアが閉まった瞬間、盆ちゃんは深く、長い溜息をついた。
――また明日。
その言葉が、今の自分にとってどれほど贅沢な約束か、盆ちゃんには分かっていた。指先の感覚が、少しずつ遠のいていく。痛みはない。ただ、どこまでも深い眠りへと誘われるような、不思議な静寂が全身を包み込んでいった。
(……良い人生、だったかな。ラノベみたいに、魔法が使えたり、自由に走り回れたりする世界に、ちょっとだけ行ってみたかったけど……)
最後に見たのは、窓の外、街灯に照らされてキラキラと光る雪の欠片だった。
盆山茂の意識は、そこで一度、完全に途絶えた。
――はずだった。
「おっ、起きた? 意外と早かったね、盆ちゃんさん」
不意に、軽薄とも取れるほど明るい声が耳に届いた。
盆ちゃんが目を開けると、そこは一面の真っ白な空間だった。病院の天井ではない。床も壁もなく、どこまでも続く純白の世界。そして目の前には、一人の男性が立っていた。
10代後半の少年のようにも、20代の青年のようにも見える、透き通った瞳。芸術品のように整った容姿に、どこか茶目っ気のある微笑。
「あ……これ、アレだ。俺がよく入院中に読んでた、ラノベ系のやつみたいだな……」
「察しがいいね! 初めまして、盆ちゃん。君たちが言うところの『神様』だよ。名前は、そうだね……アルシエルとでも名乗っておこうか」
アルシエルと名乗った神様は、宙に座るような仕草で、盆ちゃんに語りかけ始めた。
「単刀直入に言うよ。僕が管理している異世界、魔素が溢れちゃっててさ。数千年に一度、地球人の魂を『安定剤』として転生させる必要があるんだ。つまり、君にその大役をお願いしたいってわけ」
盆ちゃんは、49年間の社会経験をフル回転させた。これはチャンスだ。あの苦しい病床に戻ることはない。ならば、自分の望みを最大限にぶつけるべきだ。
「……分かりました。その話、快諾します。ただし、いくつか条件を……いえ、お願いをしてもいいですか?」
「おっ、交渉だね! いいよいいよ、君の人生は大変だったみたいだし。僕にできることなら何でも援助しちゃうよ」




