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短編童話シリーズ

大人の境界線

作者: 八代 秀一

 小さな部屋に窓はない。

あるのは、撃ちっぱなしのコンクリート壁に貼り付いた安っぽいペンキのドアがひとつ。

その鈍色のドアノブに手を掛けた母親の背中を、幼い声が呼び止めた。


「ねぇ、ママ! 私も連れて行って」


 幼い少女が懸命にせがむ。

彼女にとっては、この小さな部屋が世界のすべて。

それゆえ、まだ見ぬ外の世界に興味津々なのだろう。


 けれども、振り返った母親の首は無情にも横に振られるばかりだった。


「駄目よ。このドアの向こうは大人の世界なの。貴女には、まだ早いわ」


「どうして?」


 不服そうに頬を膨らませる娘に、母親は優しく目を細めて、


「ドアの向こうには危険がいっぱいなの。知っている? 外の世界では鉄の塊が空を飛び、地を走るからくり細工が貴方を轢き殺そうと狙っているのよ。それに悪い狼たちが貴方を騙そうとそこら中で目を光らせているわ。だから、外に出るのは、大人になってからね」


 母親なりに噛み砕いて言って聞かせたつもりだったのだろう。

だが、無垢な少女にはそれでも難し過ぎたらしく、眉を顰め、小首を傾げながら聞き返す。


「大人になるって、どういうこと?」


「年をとって、心身ともに成熟するということよ」


 ピンヒールの爪先をトントンと鳴らし、ショルダーバックを背負い直して母親は言った。

胸元の開いた女性らしい服装、掻き揚げた髪から漂う香水の甘い匂い。

幼い少女の目に映る母親の姿は、確かに大人っぽい。

だが――、


「年をとったら、大人なの?」


「そうではないわ。良識を持って物事を正しく判断できるようになるってことよ」


「でも、大人も間違えるよ。嘘だってつくし、誤魔化したりもする。失敗だっていっぱいするもん。それに、人を騙すのも、人を殺すのも、みんな大人だよ」


 娘の指摘に母親は思わず言葉を詰まらせた。

確かにその通りだ。

が、それでも母親として何か言わなければという使命感に駆られたのだろう。


「…そうね。だから、つまり、なんていうのかな。大人になるっていうのは、誰にも迷惑をかけずに自分ひとりの力でちゃんと生きていけるってことなの」


すると、娘は細い肩を揺らし、ついには声を上げて笑い出した。


「それこそ嘘だよ。人は一人では生きていけないもん。だから、みんなで助け合って生きているんでしょ。私、知っているよ。人間はみんな不完全で、みんな出来損ない。だからママも、いなくなっちゃったパパの代わりを探しに行くんでしょ」


 返す言葉もなく、黙り込む母親。

そんな母親を見て娘が不安げに、ひと言。


「ねぇ、ママ? ママって本当に大人なの?」

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