⑧明けの日
飲み会での一件の後、富山さんと最初にお会いしたのは、お互いが泊まり勤務の「明け」で勤務終了時のA駅駅室内の廊下。その時は、すれ違いざまに朝の挨拶を交わす程度で、彼女は何らいつもと変わらぬ態度で自分と接してくれた為、ほっと胸をなで下ろす。
あの時、ホテル前での富山さんの様子は明らかにおかしかった。険しい表情で呼吸も荒く、少し、手や身体が小刻みに震えてもいた。自分にはあのホテルの中に潜む「何か」に彼女が怯えているようにさえ思えた。そして直感的に「何かがあったのでは?」とそう感じていた。
今回、一番後悔した事は、最初に自分が彼女に香りの話をしたせいで、色々とおかしな展開に進んでしまった事。本当にいらぬ事を彼女に聞いてしまったなと強く反省しながら、次に仕事をご一緒する時に、きちんと一度謝ろうと考えていた。
それから三日後、A駅で彼女と窓口業務が一緒になる機会があり、
「ご利用ありがとうございました。」
この日、富山さんが改札窓口に入り、自分が券売窓口に入る。
「あの、富山さん…」
「ありがとうございます。」
富山さんは、こちらの呼びかけには反応せず、改札を通られるお客様に対して一礼し、挨拶を続けられている。
「この間は、すいませんでした。」
自分がそう謝ると、彼女は沈黙の後、
「…何の事?」
こちらを一切見ずに覚えていないような素振りをする。
「いや、飲み会の日、自分が変な事を聞いたのが、そもそもの原因だったと思っていて。ずっと謝りたいと思ってたんです。」
彼女は、その言葉を聞くと、
「なんであんたが謝んの?そんな、謝んなくってもいいでしょ?」
こちらに視線を向けず、背中越しに話す彼女の姿を自分は見つめながら、
「けど…」
彼女はこちらを振り向き、
「勘違いしないでよね!私も酔ってたし、あんたも酔ってたの!だからあんな事を私に聞いてきたんでしょ?!もう、分かってるから。これでこの話は、もうお終い!いい?」
彼女はそう言って話を終わらせ、また改札の方へと体を向け直し、改札業務を続ける。
「…はい。」
自分もその一言だけ返事をして業務を続ける。窓口にまたしばらくの沈黙が続く。
「あの、富山さん。」
「……何?」
「富山さんから見た自分って、一体どんな風に映ってるんでしょうか?」
自分でも変な事を聞いていると思ったが、ふと聞いてみたくなった事を自然と彼女に話していた。
「何よ、急に?」
自分からの思いがけない質問に、彼女も困惑した表情で返答に困っている。
「同い年の後輩だから色々と気を遣わせてるのかなと思って。」
自分がそう話すと、
「それは無いよ。むしろズバズバ言いやすいくらいだから。」
彼女はそう話すと、考え込む仕草をしながら、
「…どう映ってるかかぁ…。んー……、ポンコツ?」
その一言で、窓口の張り詰めた空気が一気に緩み、お互いに少し微笑む。
「まぁ、やっぱそうですよね。ははは…。」
彼女は、改札口の方を見つめながら、
「けど、いい奴だよ…。うん。」
富山さんの言葉に、
「…ありがとうございます。」
少し、照れくさく感じる。
ここで、今日、休憩時間に考えていた「富山さんと仲直り大作戦!」を発動させる。
「あの…、富山さんのシフトって、今日が『泊まり』の明日が『明け』で、またその翌日が泊まり勤務ですよね?」
自分がそう話すと、彼女はしばらく黙り込み、
「んー、そうだけど。何?」
「実は自分も、明後日からD駅の泊まり勤務なんですけど、その『明け』の日って何か予定入ってます?」
「入ってないよ。だって帰って寝るだけだもん。」
「あの、帰りにちょっとだけ付き合ってもらえませんか?」
富山さんは、驚いた表情を見せ、
「どうした急に?熱でもある?」
「いや、富山さんにおすすめの場所があるんです!で、プラス、この間のお詫びというか。もちろん奢りますんで!」
それを聞いて、
「ふーん、宮島の奢りかぁ。悪くない話だから、じゃあ、考えとくね。」
と彼女からは前向きな返答を頂けた。
「ありがとうございます。お願いします。」
そして、その当日。
D駅での泊まり勤務「明け」の仕事が終わり、A駅へと戻ると、駅室内の富山さんの姿を探す。しかし、彼女の姿は見当たらず。本人も昨日、早く仕事が終われば一足先に着替えて、駅ホームベンチで座って待っていると話されていた。ただ、もし体調が悪ければ先に帰宅するとも話されていた為、駅ホームに行ってみないことにはまだわからない。駅ホームに着き、辺りを見渡して富山さんの姿を探す。すると、ホームのベンチに座っておられる富山さんの姿を発見。
「富山さん、お待たせしました!」
小走りに富山さんの方へと駆け寄る。富山さんは自分に気付くと、自身の座る横のスペースを手の平で軽く叩きながら、ここへ座るようにと自分へ促す。
「遅いんじゃない?」
そう話す富山さんの隣に座ると、
「お待たせしてすいません。」
彼女の圧に小声で謝る。
「で、何処に連れてってくれるわけ?安いランチは御免だよ。」
「あの、お食事をする前に先に行きたい場所がありまして。」
「えっ、お腹減ったよー?食べてから行こうよ?」
「取りあえず、行ってから考えましょ。」
しばらくして、ホームに到着した電車に二人で乗り込み、向かった先は、
「美術館?!あんたこういう趣味あるんだ?」
市内にある市立美術館。今、有名絵画の展示会が開催されている。
「いや、自分もこの仕事を始めてから行くようになって。駅に無料配布のパンフレット冊子があるじゃないですか?それを見て一度行ってみようと思いまして。」
「で、普段は一人で来るの?」
「はい。今日みたいに『明け』の日で少し疲れてる日に来るとパワーが貰える気がして。ほら、絵画って描いてる人の念っていうか、パワーが作品に宿ってる感じしません?そのパワーを全身に浴びに来るって感じなんですけど。」
「ふーん、私にはあんまり分からないけど、展示されてる作品は結構好みかも。印象派?」
「そうです!印象派!富山さんも詳しいじゃないですか!」
「…ってか、展示会場やパンフレットにもそう書いてあるもん。ゴッホは知ってる。あと、この作品も知ってる。」
「モネの『睡蓮』ですね。」
展示会を回り終え、美術館外のカフェテラスで二人ランチを食べる。
「あんた、めっちゃお洒落じゃん?」
「そうですか?」
そう言って辺りを見渡すと、テラスから望む小川には鴨が泳いでいる。
「こういう所に来てるってのが、意外過ぎ。」
そう言われ、
「大学時代、この美術館近くの図書館に通って、卒論の資料を漁ってまして。その時にもよくこの辺りには一人で来てたんですよ。」
そう話すと、
「ふーん。」
「じゃあさぁ?次は私の行きたい所に付いてきてよ?」
急な富山さんの提案に、カップに注がれたコーヒーを口にしながら、
「ええ、いいですけど。何処にです?」
自分がそう尋ねると、
「それは内緒だよ。ヒ、ミ、ツ。」
「はぁ。」
「よし!じゃあ、決まりね。」
少し面倒な事にはなったが、この日の「富山さんと仲直り大作戦!」はひとまず成功したもよう。富山さんも上機嫌で帰宅されていった。
そして翌月、
同じくお互いが泊まり勤務の「明け」の重なる日に、彼女の行きたいという場所へ仕事帰りに一緒に行く運びとなった。そして、彼女に連れられ、
「よーし!着いたよ!」
着いた先は、一昨年リニューアルオープンしたばかりの県内の水族館。その入り口前。
「富山さんも、らしくない場所じゃないですか?」
自分がそう話すと、
「何でよ?はい、行くよー!GoGoGoー!」
富山さんに腕を掴まれ、「明け」とは思えぬテンションの高さで、朝の水族館内を二人で巡る。
「わぁー、綺麗!ねぇ?このお魚さん可愛くない?」
「このクラゲさん可愛いよね?」
「あっちあっち!イルカさん、観に行こうよ!」
富山さんが、意外にも生き物を「さん」付けな事に驚いた。そしていつもはクールな印象なのにテンションが上がって、その言い方に全く気付かない様子やその楽しそうな表情が水槽に反射して意外とそれが可愛らしく映り、彼女にもこんな一面があるんだと少し驚いていた。すると、
「…何よ?」
「えっ?」
「さっきから変に静かに黙っててさ?あんた、楽しくないの?」
急に険しい表情で詰め寄られ、
「いや、もちろん楽しいですよ!楽しいんですけど、それ以上に富山さんがめっちゃテンションが高いから、少し驚いてるってだけです。」
それを聞いて、
「だって、楽しいもん!ずっと来たかったし。」
またニコニコと彼女に笑顔が戻る。
「よかったじゃないですか!僕も新しくなってからは初めて来たんで、楽しいですよ。水族館。」
自分がそう話すと彼女も更に上機嫌な様子で、
「…じゃあさ、また交互に月一ペースで行きたいところに行こうよ?」
「へっ?」
急な提案に思わず声が出てしまった。
「いや、けど悪いですよ?!忙しいし。そんなの富山さんが迷惑なんじゃないですか?」
そう言って、やんわりと断りを入れるが、
「全然迷惑じゃないよ。月一だもん。」
全く迷惑では無いらしい。むしろ富山さんの方が乗り気だ。そして、
「…じゃ来月は、『ポンタ』の番ね。」
「?」
「…ポンタ?」
「んー、じゃあ『ポンちゃん』の方がいい?」
何だか急にあだ名で呼ばれると、流石に戸惑う。
「あの…、どっちでも構いませんけど、それ、絶対“ポンコツ”からきてますよね?!その呼び方は?!」
自分がそう強く訴えると、彼女は何故か嬉しそうに微笑んで、
「んー、まぁ、いいじゃん!ね?ポンちゃん。」
この日を境に、富山さんの自分への呼び方が、「ポンちゃん」or「ポンタ」へとあだ名に変わった。




