Beautiful Days
昨年の春、一人のお客様が親に伴われ、D駅へと挨拶に来られた。彼女は、車椅子を利用されており、この春から一般大学生としてD駅最寄りの大学キャンパスに一人で通学をされる。その為、利用される電車の乗車時と降車時の介助のお手伝いを我々駅員にお願いされに来られたようだ。
元々、そのお話は、通学時に乗車される最寄り駅の方から事前にこちらの駅へと連絡があり、すでに各駅員にも話は伝えられていた。その為、駅としては何も問題なかったのだが、大学の入学式に伴い、丁寧にご挨拶に訪れて頂いたようだ。その際、親御さんの話によると、高校時代は電車通学ではなかった為、大学入学を期に一人で電車通学を始めるという事のよう。その為か、少々緊張ぎみで不安げな表情をされていたのが、彼女への最初の印象。何より、自分もこの駅の泊まり勤務に入ったばかりの頃だったので、彼女の事は特に強く印象に残っている。
車椅子介助のお手伝いは、例えば駅から乗車される場合、まずは降車駅に、乗車される列車の乗車位置、また発着時刻等を連絡。その後、「スロープ」と呼ばれる列車とホームの段差や隙間を無くす為の折りたたみ式の板を手に持ち、乗車する列車到着後、ホーム上にて車掌に車椅子の方が乗車される事、そして乗車が完了した事等を指示確認出来るよう、ワイヤレスの放送マイクも手に持つ。それら全ての車椅子介助の準備が整ったら、駅のホームに繋がるエレベーターをご利用頂いて、ホームへと向かう。そしてホーム乗車位置で到着時刻を共に待ち、電車が到着後、乗車の介助を行う。概ねそういった流れだ。
春先、入学された最初の頃は、まだ電車通学にも慣れていないためか、緊張した様子がこちらにまで伝わってきていた。そうした中、少しずつではあるが会話を交わすようになり、ある日、帰宅時に乗車される列車の到着をホームにて共に待っていると、
「お久しぶりです。」
後ろで介助をする自分に向け、彼女から声をかけられる。
「あれ?覚えてもらってました?」
確かに今月は、泊まりの勤務が少ない為、あまり会う機会がなかった。
「最近見かけないので、別の駅に移動されたのかなって思ってました。」
「実は、自分、普段はA駅で勤務してるんです。たまに今日みたいにこの駅に泊まりで来ることもあるんですよ。」
彼女にそう話すと、
「そうなんですね。じゃあ今日は『ラッキーな日』です。」
その彼女の言葉に、
「ん?どうして『ラッキーな日』なんです?」
自分が尋ねると、
「こうして車椅子に乗っていると、お手伝いしてもらっている時って、駅員さんの声が後ろから聞こえるじゃないですか?」
「はい。」
「その時、駅員さんの中で一番優しい声だから。だから介助してもらってて、一番安心するんです。」
それを聞いて、
「そうなんですね。怖くなくって良かったです。」
自分も素直に嬉しかった。そして、
「だから今日は『ラッキーな日』なんです。」
彼女はそう言って、にっこり微笑んだ。
それから数日後、
「いつも、ありがとうございます。」
乗車する電車の到着をいつものようにホームで一緒に待っていると、突然、彼女からお礼を言われる。
「いえいえ、こういう事も全部含めての駅員の仕事なんですから。気にしちゃダメです。」
自分はそう話し、彼女へ気にしないようにと伝える。そして、
「慣れましたか?」
自分も彼女に少し話しかける。
「少しずつ慣れてきました。みんな優しいし、大学も楽しいです。」
「駅員さんも大学には通われていたんですか?」
彼女に尋ねられ、
「一応通ってましたけど、自分は三流大学なんで比べると恥ずかしいですよ。」
すると、そんな事ないと首を横に振る彼女と互いに微笑み合う。そして彼女から、
「楽しかったですか?」
とそう聞かれて、
「どうだろう?サークル活動とかは、楽しかったかな。」
自分がそう話すと、
「どんなサークルに入られてたんですか?」
彼女からの質問に、
「恥ずかしいんですけど、音楽サークルに。」
それを聞いた彼女が驚いた表情で、
「えっ、もしかして楽器とか弾けるんですか?!」
と尋ねられて、
「ギターを少々。」
そう答えると、
「へぇー、意外です!すごい!」
「いやいや、コード弾きだけどね。」
興味を持ってくれたようなので、
「サークルとかは入らないの?」
自分が尋ねると、
「友達からは誘ってもらってるんですけど、正直、まだ迷っていて。」
彼女からその話を聞き、
「そっか。色んなサークルがあるから、一度体験入部とかしてみてもいいかもね。それで楽しかったら、そのまま続ければいいんだから。」
そう話すと、
「そっか、そうですよね。私も体験入部、してみようかな?」
夏頃になると、彼女にも一緒に帰られる友人が出来、その友人の数も一人から二人、二人から三人と人数も増え、いつしか男女複数人の友人達と一緒に帰宅される事も増えていった。すると以前、我々駅員が車椅子介助をする姿を見ておられたのであろうご友人が、
「今日は私と一緒に駅降りますから、駅員さんのお手伝いは大丈夫です!」
そう言って、駅員に代わって、率先して彼女の介助をして下さるご友人も増え、次第に彼女のお手伝いや会話をする機会も徐々に減っていった。
そんな秋頃、久しぶりに彼女がお一人で帰宅される日に車椅子介助のお手伝いをさせてもらう機会があり、一緒に駅のホームへと向かう。すると、ちょうど夕日が沈むタイミングで、ホーム上からは鮮やかな茜色の空が街へと広がっている。今日は、乗車位置が列車の先頭車両の為、丁度夕日の見えるベストな位置で静かに電車の到着を一緒に待っていた。すると、
「あの…。」
彼女が何か言いたそうにしている。
「どうかしました?」
「少しだけ、車椅子を夕日の方に向けてほしくて。」
彼女の声に、
「確かに。今日綺麗ですもんね。」
「はい。」
彼女の表情を見て、
「そうだ、せっかくだから、もう少し近くで見ませんか?」
彼女は驚いた表情で、
「いいんですか?」
そう言って自分に確認をする。身につけた腕時計の時刻を確認し、
「次の電車が来るまでには、まだ時間もありますし。大丈夫!自分がちゃんと後ろに付いてますから。」
それを聞いた彼女は、
「ありがとうございます。じゃあ、お願いします。」
笑顔でその提案を受けてくれた。
そのまま、今いる乗車位置から離れ、もう少しホームの端に近い場所へと移動し、介助をしていれば危険ではないラインの位置に止まって、二人で一緒に夕日を観ることに。
「うわぁー。本当に今日は綺麗ですね。」
自分が後ろからそう話すと、
「本当、綺麗。」
目の前に広がる茜色の夕焼け空を眺めつつ、彼女はおもむろに鞄から携帯を取り出し、この美しい景色を写真に撮る。その時浮かべた彼女のその微笑みを、自分は後ろから介助しながら側で見守っている。そして自分には、その時、はっきりと分かった事がある。
それは、今日の夕日も、この街の景色もとても綺麗だけれど、一番綺麗なのは、彼女の心なんだと。彼女は自分の境遇を一切悲観していない。いつも前だけを見据えている。自分には素敵な家族がいて、たくさんの友人がいて、今、こうして大学にも通えている。こんなに素晴らしく充実した日々を送れている事への感謝を夕日を見つめるその瞳から自分は感じ取ることが出来た。そして夕日に照らされた彼女の姿に、その表情に、自分が一番心を揺れ動かされていた。
再び、腕時計で時刻を確認し、
「そろそろ、戻りましょうか?」
自分がそう話すと、
「はい。ありがとうございます。」
彼女は満面の笑みで自分にお礼を言う。そして、はにかむ笑顔で前を見つめて、静かに囁くようにしてこう呟く。
「…やっぱり今日は、『ラッキーな日』です。」
冬頃、クリスマスも近くなり外も暗くなるのが早くなり始めた。
改札に来られた彼女は、男性の友人の方と今日は二人で帰られる様子。
「今日は、車椅子の介助はどうしましょうか?」
お二人に確認をすると、
「今日は自分も一緒に駅に降りるので、介助の方は大丈夫です。」
男性のご友人がそう言われたので、
「そうですか、わかりました。じゃあ、よろしくお願いします。」
自分が彼にそう話すと、
「あと…」
急に彼の表情が真剣になり、こちらを見つめて、
「これからは、僕が、彼女の送り迎えをするので!もう介助の方は、大丈夫なんで!」
その力強い彼の宣言を聞いて、自分が彼女に目で確認をすると、彼女は顔を赤くしながら小さく頷いた。その表情を見て、
「では、よろしくお願いします!」
自分も力強く、そして笑顔で彼にお願いした。
「いつも、ありがとうございました。」
改札口から見た二人の幸せそうな表情とその言葉を聞いて、いい人と出逢えたんだなぁと、なんだかこの胸がじんわり温かくなった。
その日から、自分が彼女のお手伝いをする事はなくなった。なんならこの駅で彼女を見かける事の方が少ない。彼女はきっと、
素晴らしい日々を「今」生きている。