82. 魔女『ケイシー・バーネット』 その①
迷宮の王を辛くも討ち倒した俺達は、途中一階層に置いていた兵達と合流し、地上へと帰還した。
帰り道は実に平穏だった。最期に迷宮の王が迷宮全域から魔素を根こそぎかき集め、自身に取り込んだ事で、他の階層の魔物擬〈ノンスター〉達の生命維持が出来なくなったのだろう。帰りこそ死を覚悟していたから、こればかりは嬉しい誤算だ。
それに、迷宮の王を討ち倒した事による恩恵はそれだけではなかった。
魔物や魔物擬〈ノンスター〉を討伐時、その対象が秘めていた魔力は倒した者へと分配される。単に行き場をなくした魔力が近くにいる生物へと移るだけなのだが。
迷宮の王は迷宮全域から魔素をかき集めていたおかげで、その分配される魔力量もとんでも無かったのだ。
体内に渦巻く、溢れんばかりの魔力。それこそ昨日の自分の倍は強くなったんじゃないかと、そう錯覚してしまう程。
魔力は生命の根源だ。取り込むだけで、身体機能の上昇し身体的な疲労は回復する。魔法使いであれば、これまで魔力不足で使えなかった魔法が使える様になったりと、基本的には良い事尽くめなのである。
ただし急激に大量の魔力を取り込めば、それだけ身体に負荷はかかるし、変に気も昂ってしまう。その他の面々もその影響か、帰りは皆若干テンションがおかしくなっていた。
それこそ「この調子で迷宮の王を殺したとかいう猫の魔物も殺してしまうか!」なんて話が出る程だ。
良い加減にしろ。と寸前のところまで出かかったが、流石に抑えた。変に突っかかっても面倒になるだけ。俺はもう今後コイツらと関わるのはゴメンだし、例えまた脅されてもそんな依頼〈クエスト〉に同行する気は無い。流石にもうこのレベルの依頼〈クエスト〉なんて受けたくはなかった。
そして迷宮の王の首を刎ねた後のアーサーは、特に上機嫌だった。
いつもならそんな上機嫌な他の面々に苛つき、舌打ちでもしていそうな所だが、帰り道は終始穏やかだった。
「お前達にはこれからも期待している」だなんて漏らす程。いや、どの口が言えたものかと。これまでの道中、俺らを気にかけたこともなければ、捨て駒としか見ていなかったろうに。
しかし、もういいんだ。
今こうやって帰還できたのはアーサーのおかげでもある。アーサーがいなければ、誰も決定打ち込めずに全滅していた。それは紛れもない事実だ。
この国から離れ、金輪際関わりを断つ事を考えれば些細なことだ。
突っかかってやる程の余裕は、俺には残っていなかった。
***
「――全てが全て、偽りではないかと」
空は闇に染まり、虫の音と風に揺れる葉音だけが響く時間。月明かりも届かない森の中で、一人の魔法使いが身を潜め独り言を呟いていた。
「――はい、魔石の存在は確認できませんでした。『魔毒王百足〈スコルペンドラ・レックス〉』の死骸にも、偽装された形跡はありませんでしたが…………しかしそんなことあり得るのでしょうか? 何かお心当たりなどは?」
闇の中、その魔法使いは問いかけを投げる。誰もいないのだから問いを返せる人間はいない。それどころか、遠隔通話ができる様な魔法も展開していない。魔道具だって手にしていなかった。
しかし、彼女は神妙な面持ちを闇に隠しながら、密かに息を漏らした。
「――なるほど。茶トラ柄の子猫、ですか。流石です。これから私はどう動けば?」
何かを納得した様に、全てを委ねる様に彼女はまた闇へと問いかける。彼女以外の声は全く聞こえない。
しかし彼女は長い沈黙の後に、胸に手を当てながらゆったりと頭を下げた。
「――お心遣い感謝いたします"女王様"。しかし、あの男も無様ですね。自身の力を過信した挙句、最期には……………………はい。それでは改めて――」
彼女の声色が一瞬にして変わった。
これまで優秀な動きばかり見せてきた彼女だ。迷宮攻略でも探知魔法〈サーチ〉の精度は高かったし、バレるのは当たり前か。
彼女は深く嘆息すると、その体を俺らが潜む草むらへと向けた。
「…………盗み聞きとは、あまりお行儀が良ろしくありませんね。『風の共縁者』の皆さん」
初めから隠し通せるとは思ってない。
俺たち四人は揃って、彼女へと姿を現す。暗闇のせいで表情は見えづらいが、特に焦った様子は見えない。
俺は少々わざとらしく両手を上げて、無害をアピールをして見せる。
「いやすまね。そんなつもりなかったんだ。本当に申し訳ない。貴女が居なきゃ、迷宮から生きて帰れなかったから、最後に挨拶だけしようと思ってな。ありがとう、ケイシーさん」
軽い様子を見せる俺に、ケイシーは一切表情を動かさない。俺らがこの国を離れることは、迷宮帰りの時点で薄々感じ取っていたのだろう。
「やはり、旅立たれるのですね」
「……責めるか? 無責任な俺達を」
「いいえ。私もこれ以上、あの方々と付き合う気はないので。近い内に雲隠れをしようかと」
「だよな。もう付き合ってられるかってんだよ」
ここの周辺に住む人々には申し訳ないが、迷宮の王を殺した魔物の討伐なんてB級冒険者の領分じゃない。もし迷宮の王の言っていたことが真実であるならば、奴を殺したという猫の魔物は間違いなくS級。
B級冒険者パーティ『黒鉄の鎧』と『白刃の集い』、それにソロ活動のカーラとアーサーは乗り気な様だが、俺からすれば正気の沙汰とは思えなかった。
まぁ俺らがこれからしようしている事も、正気の沙汰ではないんだろうが。
俺は少し緊張しつつ、そっと唾を飲んだ。
「んでさ。ケイシーさん。あんたに聞きたいことがいくつかあるんだが、今時間いいか?」
「先程の『通信魔法』のことであれば、聞かなかったことにしていただけませんかね? 私も、善良な冒険者である貴方達を手にかけたくはないので」
手にかけると言うのは『記憶を消す』という事か。それとも『殺す』という事か。迷うまでもない。明らかに後者だ。
しかし、聞かれてはいけない事を聞かれたのにも関わらず、動揺すらしていない。笑顔がいつも通りなのも怖すぎる。
迷宮の脅威から逃れたって言うのに、気分は迷宮内にいる時と同様、全く生きた心地がしない。俺は背に冷や汗が垂れるのを感じながらも、しっかりと彼女の瞳を見据える。
「……迷宮であんな活躍したケイシーさんらしくないな。まぁいい、お国がどうとかの話は一端の冒険者の俺らには関係ない。それとは別の話だ」
俺らの聞き間違いでなければ、彼女は『女王』と話していた。明らかに『通信魔法』ではない、謎の通信技術でだ。どこの国との繋がりがあるのかは、彼女の出身からなんとなく察しているが、『今この時点で』深入りするのは厳禁だろう。
今、問いただそうとしているのはその話じゃない。
ケイシーは笑顔を崩さない。
彼女は口角を薄ら上げながら目を細めた。
「なるほど、良いでしょう。それであれば可能な限り、なんでも答えますよ」
「おう。それじゃあー、すまね。魔法に関しては専門外なんだ。スージーからいいか?」
想像ではもう少し渋られると思っていたが、何だか拍子抜けだ。
彼女だって理解しているはずだ。あれだけ不自然な行動ばかりして、あれだけ不用意な発言をしたんだ。心当たりがないはずがない。
スージーは少し不安そうに、俺に視線を向けた。俺も少し不安に思いながらも、しっかりと頷いて見せた。
もう引き返せないところまで立ち入ったんだ。進むしかないだろう。
「は、はい。まずケイシーさんの『探知魔法〈サーチ〉』について気になることがあったので。ただ、あんな命懸けの依頼〈クエスト〉の中で聞くのも違うかなって思って、黙っていたんですが」
スージーは鋭い眼差しをケイシーへと向けている。不安で身体が強張っているような気もするが、それは俺も変わらない。俺もケイシーの様子を観察し、『もしもの時』に備える。
「あの、二階層目の毒沼のフロアで、ケイシーさんはテトラさんに魔力を分け与えてあげましたよね?」
「? はい、とても苦しそうにされていたので。私、魔力量には自信があるんですよ。とは言え、あのフロアでは魔法も制限されていたので、それ以外あまりお役には立てませんでしたが」
「そうですよね。私もあの空間ではカリスタと力を合わせなかったら、まともに覚級魔法すら発動できませんでした」
あの時スージーとカリスタが力をあわせる事で何とか、覚級魔法の『大風圧〈ヘビーウィンド〉』を発動させる事ができた。
普段であれば無詠唱でも扱うことのできる魔法。それを二人ががかりじゃなきゃ発動できない程、あの環境の制限は厳しかったのだ。
ケイシーは小首を傾げ、余裕綽々に微笑みを浮かべ続けている。スージーは一層、身体を強張らせながらも、しっかりと一歩前へと踏み出した。
「でも、だとするとおかしいんですよ。ケイシーさんがテトラさんに魔力を分け与えた後、『日向の旅人』のマーカスさんが魔物擬〈ノンスター〉に襲われる寸前ですね…………貴女はどうやって、沼からの攻撃を察知したんですか?」
攻撃が仕掛けられる寸前にケイシーは言っていた「後方の毒沼から攻撃が来る」と。あの時は流石の探知精度だと舌を巻いたが、よくよく考えればおかしい。
あの毒沼フロアはそもそも魔法が使えず、技能の発動すら安定しなかった。それなのに、ケイシーの『探知魔法〈サーチ〉』は何事もなく機能していた。
「………………」
それでもケイシーは笑顔を崩さない。直上的に言い返したりもせず、スージーの次の発言を待っている様だった。何か期待している様な眼差しすら感じる。
スージーはそっと息を呑み、言葉を続ける。
「貴女の言った通り、あの空間ではろくに魔法は使えませんでした。でも確かに貴女は『攻撃される寸前に』皆に警戒を促したんです。それはとてもありがたいことではあったんですけど、魔法使いとしてはあまり釈然としないな、って…………」
全く動じないケイシーに、スージーの勢いが削がれてしまう。しかしそれを支える様に、カリスタがスージーの方にポンと手を置き、今度はカリスタが一歩前へと出た。
「探知魔法〈サーチ〉について言うなら、一階層目のボスフロアでもそうよね。貴女、どうしてあの巨大な蜘蛛の死骸に小蜘蛛が潜んでいる事を黙ってたの? 天井から落ちてくる蛇すら逸早く探知して討ち倒せる貴女が、ボスフロアに残る魔物擬〈ノンスター〉の死骸に警戒していなかったとは思えないのよね…………気がついていながら、共有しなかったのか。それとも貴女の扱う『探知魔法〈サーチ〉』には特定の条件があるのか。是非とも教えてもらいたいものね」
それは俺も気になっていた。
そもそも迷宮内で正しく探知魔法〈サーチ〉を働かせる事自体難度の高い事ではある。現に、カリスタやスージーの探知魔法〈サーチ〉にあの子蜘蛛はかかっていなかったからな。
しかし迷宮攻略全体を通して、あのケイシーがあれだけの子蜘蛛の群れを探知できなかったと言うのは、どうしても引っかかってしまう。
カリスタの勢いに続いて、フィリップも併せて前に出る。
「そもそもあの時に落ちてきた蛇、ありゃ本当に魔物擬〈ノンスター〉だったのか? 毒沼フロアでアーサーがあの蛇を斬り殺した時、奴の死骸は肥大化した。アイツは筋肉を圧縮する技能を持ってるからな。死ねば技能は効力を失い、肥大化するはずなんだよ。でもあんたが魔法で焼き殺した蛇は肥大化しなかった。そしてあの時、あの蛇の生きていた姿をアンタ以外に誰も見ていない……」
これも些細な事ではあるのだが、違和感としてはかなり大きい。迷宮内のボスフロアという場所で、地上の蛇が迷い込むことは『ある条件を除けば』あり得ない。そしてボスフロアに他種の蛇がいるなんて情報は無かった。
つまり可能性としては、ケイシーが地上の蛇の死骸を事前に用意していたか、その『ある条件』に該当していて地上の蛇が紛れ込んでいたか、の二つの線が濃厚なる。
一応どちらの場合にしろ理由は思いつかなくない。
ただし俺の予想が当たってたとしたら、どちらの場合でも絶対に本人は口を割らないだろう。
ケイシーは泰然自若、一切狼狽えた様子を見せない。彼女は小首を傾げながら、指で頬を掻いで見せた。
「何を言うのかと思えば、そんなこと私に言われても困りますよ。迷宮は未だ、謎多き空間です。筋肉を圧縮する技能を持たない蛇もいたかもしれませんし、探知魔法〈サーチ〉がうまく作動することも、しないこともあるでしょう。残念ですが貴方方のその質問に対する答えは、私には持ち得ていません」
「……まぁそれもそうだよな。全部たまたま噛み合ったり噛み合わなかったりしただけ、って言ってしまえるようなことではあるよな」
はぐらかされるのは想定内だ。とはいえここまで冷静でいられるとは思わなかったが。こうなれば仕方ない。最後の詰めは、これを提案した俺が責任持ってやるしかない。
彼女が何者なのかは分からない。でも、これだけははっきりさせないといけない。
彼女が人類に属するものか。そうじゃないのか。
俺は軽く首を鳴らして、ケイシーを睨みつける。
「だがたまたまで片付けるにしては、あまりにも不自然な事が多すぎるんだよ。アンタには本ッッッ当に世話になった。だから突き詰めてやることもないと思っていたが、あの迷宮の王と対峙して話が変わった」
これはさっきの『一階層目のボスフロアの蛇の真偽』の問題に繋がる。俺が思いついた二つの可能性の内の一つ。
それは『迷宮の王が地上の蛇を操り、俺らを観察していることを気がついた』という可能性だ。
迷宮の王はもとより操っていた地上の蛇から、俺達の様子を探っていた。そしてそれに気がついていたケイシーは、その蛇を討つタイミングを見計らっていた。それならばあのボスフロアに地上の蛇が入り込んだことや、殺された時に蛇が肥大化しなかったことにも説明がつく。
迷宮の王は『外の世界を知らない』と口走っていたが、その真偽こそ定かじゃない。
そもそも俺は森を荒らしたのも、あの迷宮の王である可能性の方が高いとすら思ってる。迷宮の王が言うような凶悪な猫の魔物がいたとしたなら、最初に犠牲になるのが迷宮の王であることが不自然すぎる。人間の犠牲者は未だ出ていないのなら、凶悪度合いで言えば迷宮の王の方が今のところは上だろう。
しかしこの件における重要な点は、森を荒らした元凶の話ではない。
「ケイシーさん。アンタ…………最初から、迷宮の王の事を知ってたな?」
俺の言葉に、ケイシーの眉がピクリと反応した。
そう。さっきの仮定は『一階層攻略の時点でケイシーが、迷宮の王が生物を操るチカラを持ってる事を知っている事』が前提にある。そして何より問題なのは、それを知っていて何故俺達に情報を共有しなかったのか。
その理由次第では、俺は彼女と敵対することにもなる。俺はそっと息を呑んで、密かに心を整えた。
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