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80. 憑依『余地のない交渉』


 何が起きたか理解できない。イーサンがテトラを刺した。これまで苦楽を共にして来たはずの仲間を、唯一信頼のおけるはずの仲間を、何の迷いもなく背後から刺し殺した。

 イーサンは更に剣を押し込む。テトラは驚愕の表情を浮かべながら吐血した。ピシャリと言う嫌な音が静寂に響く。

 


「…………どう……して…………」


 

 目を見開いたまま、テトラは振り返る。イーサンは怒りに顔を歪めたまま、テトラを刺した剣を引き抜いた。

 激しく飛び散る鮮血。イーサンの顔が返り血に濡れる。


 テトラはそのまま力無く倒れた。一見してわかる。この出血量では、もう回復魔法でも助からない。

 イーサンは怒りに深く呼吸していたが、冷静さを取り戻したのか、血溜まりに身を落したテトラを見て、身体を振るわせた。

 


「…………て、テトラ……? …………テトラァァァァッ!!」


 

 剣を投げ捨て、倒れる彼女を抱き起こす。しかしピクリとも動かない。目は見開いたまま、驚愕の顔で固まっていた。

 


 激しい慟哭が、虚しく迷宮に反響する。

 刺し殺したのは当の本人。だが明らかにあれは、イーサンの意思ではなかった。テトラは最後に言った。巨大な蜘蛛が迫っていると。そんなもの存在しないはずなのに。イーサンは彼女の言葉をそのまま受け取り、そして彼女を背後から刺した。

 おそらく、イーサンにはテトラが巨大な蜘蛛に見えていたのか、将又はたまた巨大な蜘蛛に襲われるテトラの姿を見たのか。それは傍目で見ていた俺らには全くわからない。

 

 迷宮の王は、相手の精神に干渉する術を持っている。幻覚を見せることぐらい容易いだろう。やはりあの蜂の大群はデコイか。しかしそうだとして、今俺が見ているものが現実かすらも分からなくなった。


 

 イーサンの慟哭が収まるまで、俺達は動くことができなかった。

 イーサンは体を丸め震えていたが、フラフラと上体を上げ立ち上がった。その目に光はない。ダラリと腕が揺れ、口から涎が垂れていた。



 イーサンは首をだらんと垂らし俺らを見回し、

 そして口角を吊り上げた。

 


「嗚呼、何と嘆かわしい事か。愛する者を自らの手で斬り捨ててしまうとは。彼女もさぞや、絶望した事だろう」



 口調から声のトーンまで明らかに変わっている。今目の前にいるのは、『日向の旅人』のリーダーのイーサンじゃない。人間でもない。

 

 間違いない。今、目の前にいるコイツこそ、『迷宮の王』だ。この野郎イーサンの精神を崩壊させ、肉体を奪いやがった。仲間を失い、生きることに絶望していたイーサンにずっと目をつけていたのか。

 

 

「白々しい、全て貴様が仕掛けた事だろう……成程。肉体までは再生成していなかったのか」


 

 アーサーはそう吐き捨てるように言い放つ。イーサンの皮をまとった迷宮の王は、ヤレヤレとでも言うように嘆息しながら首を振る。


 

「元の肉体があの通りでな。身体を再生させるよりも、人間の肉体を奪う方が効率が良かったのだ。彼には感謝しなければいけないな。名は確か、そう。イーサンと言ったか」



 感謝しているようには全く聞こえない。あるのは下等生物に対する嘲笑の心だけだ。

 しかしこの状況、どうすればいい? どうすればイーサンの肉体から、迷宮の王の魂を剥がせるんだ? 例え剥がせたとして、イーサンは元通りにになるのか。


 薄々分かっている。希望なんて持つだけ無駄なんだと。それでも万が一でも可能性があるならば、俺はそれを掴みたい。だってこんなの残酷すぎる。アーサーに誑かされたせいでこんな迷宮攻略に付き合わされ、仲間を失い、そして魔物擬〈ノンスター〉に肉体までも奪われた。こんな事許せるはずがない。許されちゃいけない。


 俺はイーサンに対し剣を構える。正直、あの肉体に斬りかかれる気はしていない。ただの牽制でしかない。

 


「人間の肉体ッ……わざわざ俺らをここに呼び寄せたのはそれが目的かッ」


「そうさなぁ。この肉体も目的の一つであるが、全てではない。吾輩――いや、俺にも色々と事情がありましてね。貴方達に一つ、頼み事をしたいと思っていたんですよ。人間である、貴方達にね」


 

 口調や声色が元のイーサンのものに近づいていく。剣を向けられても、余裕の顔は一切崩れない。俺がこの肉体に攻撃できるわけがないと、コイツもわかっているのだろう。

 身体に力が入る。目の前の迷宮の王をどうにかしてやりたい。そんな思いばかりが先行してしまう。救う手立てなんて、これっぽっちも思い浮かばない。

 こんな今だからこそ、冷静にならなきゃいけないとわかっている。分かっているのにダメだ。心の中に沸き立つ尋常じゃない怒りの感情は、そんな理性を粉微塵に打ち砕いてしまう。

 

 

「あまりふざけた事を抜かすなよッ! 『日向の旅人』達を殺し、更には肉体まで奪っておいて、今更真っ当な交渉ができると思ってるのか?!」

 


 声を荒げる俺に、迷宮の王はまるでゴミでも見るような視線を向けた。コイツからすれば今の俺なんて、リードに繋がれた子犬程度の脅威でしかないのだろう。

 迷宮の王は深く嘆息する。

 


「…………全く随分な言いがかりですねぇ。貴方達は俺に生かされ、ここまで辿り着いたんですよ? 始末しようと思えばいつでも出来たんです。『日向の旅人』だけに済ませてあげたことを感謝して欲しいぐらい――」

 

「――心月流一閃『瞬き』!!ッ――……ぐふッ?!」


 

 一瞬、何が起きたのか理解ができなかった。

 ただ大仰な身振り手振りで語るイーサンに、カーラが一瞬で距離を詰めた。そしてそのままイーサンの首へと剣を振った。B級冒険者の俺にも視認できない程に速い一振り。イーサンの肉体であることにも躊躇は見られなかった。

 


 しかし、その剣は全く通じていない。

 確かにイーサンの首にその剣は到達している。それなのに、薄皮の一枚程度しか斬れていない。魔法で防いだようにも思えない。

 

 カーラもその現実が信じられず一瞬、身体が硬直した。その隙を迷宮の王は見逃さず、カーラの腹部に鋭い蹴りを放った。

 カーラも回避を試みようとしたが間に合わない。彼女は後方に吹き飛ばされ、なんとか膝と片手を地につけて衝撃を抑え込む。

 

 明らかに元のイーサンでは不可能な芸当だった。迷宮の王は何事もなかったかのように、首をポキポキと鳴らした。


 

「……仲間の首を刎ねようとするなんて、全く酷い人だ。機嫌が悪ければ殺していたところですが、こんな所で貴方達と争い消耗する方が馬鹿らしい」


 

 徐々に再生する首の薄皮。血だって流れていない。

 カーラのあの一振りが通じなかったのなら、俺が何をしてもあの肉体には傷一つつけられない。圧倒的な力の差。俺達のことを敵とすら認識していない。沸き立っていた怒りの感情も、眼前の非常な現実に冷まされる。


 迷宮の王は自分の都合しか見えていないように、静かに語り始めた。


 

「貴方達は地上の異変を察知し、この迷宮に立ち入った。あの猪や熊の魔物の活動領域が広まったその原因が、この迷宮にあるんじゃないかと目をつけた。まぁ人間からしてみれば、それ以外にあの森で脅威となりうる存在なんてないんですから、順当な判断ですね」

 


 迷宮の王はニヒルな笑みを浮かべ言葉を続ける。

 


「貴方達に、真実を教えてあげましょう。ユグコットルの大森林が荒れているその原因。それは――――とある『猫』の仕業です」



「…………猫、だと?」


 

 予想だにしていなかった生物の名前に、アーサーすら声を漏らした。猫の魔物、か。確かにこれまでの痕跡を見れば納得できる点は多い。

 しかしユグコットルの大森林に生息する猫の魔物といえば『化猫』ぐらいだ。『化猫』と言えば強い固体でもB級。通常であればCからD級程度の魔物。常識的に考えてあり得ないと言わざる終えない。


 しかし迷宮に立ち入る前、この迷宮付近で化猫が探知魔法にかかったのを思い出す。それにアーサーは迷宮探索前にこうも言っていた。『茶柄の子猫を見かけたら殺さず捕獲しろ』と。

 繋がらないはずの点と点が結びつき線となっている。俺は内心息を呑んだ。


 

「ええ。それはそれは恐ろしく、凶暴な猫の魔物です。己の力を試すためだけに単身で迷宮に潜り込み、目に入る生物全てを遊び半分で殺し周り、魔石さえ奪ってくれた、クソ生意気な茶色の子猫です」


 

 初めて迷宮の王の顔が歪む。心底憎たらしく思うその表情は偽りとは思えない。しかし相手は精神に干渉してくる魔物擬〈ノンスター〉。どこまでが俺の意思なのか、しっかり理性を保っていなければ、辿る末路はイーサンと同じだろう。


 アーサーは至って冷静に、腕を組みながら迷宮の王を睨みつける。

 

 

「それこそ馬鹿みたいな話だな。そんな話を信じろと?」


「俺だって信じがたいんですよ、こんな現実。しかし、こんな嘘を言って俺に何の得があるんです? 外の世界を知らない魔物擬〈ノンスター〉の俺が、どうして野生の猫を陥れる必要があるというんです? …………それに貴方達も見たでしょ? 蜘蛛の腹を裂いた引っ掻き傷。毛で射抜かれたような魚の死体を」


 

 そう、痕跡だけ見れば否定はできない。この迷宮に獣が立ち入った事は確かなように思える。しかし納得しきれない。蜘蛛の腹を裂いたと言うが、そうなるとその猫はあの『溶壊液』を全身に浴びたことになる。回復魔法すら通用しないあの液体を浴びて生き残れたとでも? それに魚を毛で射抜くってなんだ。何をどうしたらそんなことができると言うんだ。

 それならまだ、俺たちを騙すために迷宮の王が作った偽りの痕跡と思う方が現実味がある。


 

 あまり反応が芳しくない俺達のことを眼中にもないように、恨み節たっぷりに迷宮の王は続けた。

 


「俺はね、あの猫に復讐したいんですよ。この迷宮を荒らし、殺してくれた憎たらしいあの猫に。魔物擬〈ノンスター〉としての肉体を捨て地上に出て、この手であの猫の首を落としてやりたいんです…………この森で起きている異変の元凶を探り、そして仕留めるのが貴方達の目的なのであれば、俺達の目的は一致しているはずですよね?」

 


 迷宮の王は自信たっぷりに言い放ってみせる。しかし俺からしてみれば「だからなんだ」と言う話だ。何の確証もない、いつ背中を刺されてもおかしくない魔物擬〈ノンスター〉に力を貸すなんて正気じゃない。結果的に行き着く先が猫の魔物だったとしても、この外道と手を取り合うなんてあり得ない。



 迷宮の王は、口角を更に吊り上げてこう続けた。

 

 

「もし俺を見逃してくれるのならば、帰りの道中の安全は保証しますし、森荒らしの元凶の討伐にも力を貸します。それ以降は今後一切、貴方達とは関わらないことを誓いましょう。いかがです? 決して悪い話ではないでしょう?」


 

 迷宮の王はその気になればいつでも、俺らを始末することできる。カーラの一撃を簡単に否してみせたことからも説得力がある。イーサンの肉体であっても、俺達に勝ち目はない。つまり俺達に残されているのは『迷宮の王の要求を聞き、全員で生還し猫の魔物の討伐へ向かう』か『迷宮の王にこの場で全員殺され、誰も事情を知らないまま迷宮の王を地上に解き放つ』か。


 この迷宮に来てからまともな選択を迫られたことがない気がする。それなら前者の方がマシとすら思える。迷宮の王の処理については地上に出てからでも間に合うし、迷宮外の方がイーサンを取り戻せる可能性だってある。

 いやダメだ。ここに来てから先延ばしの考えばかりじゃないか。その先延ばしの考えのせいで、こんな戻れないところまで来てしまっただろう。

 何か、何か他に手立てがあるか考えろ。


 

 そう俺が逡巡している間に、アーサーは深く息をついた。全員の視線がアーサーへと向く。

 

 

「…………そうだな。俺らが欠けず、生きて帰るにはそれしか手は無いんだろうな。この迷宮攻略の意義を見出すのであれば、これほど美味い話はない」

 


 無駄な犠牲を許容するぐらいならば、この要求を受けた方が良い。何より大切なのは情報を持ち帰ること。それはこの迷宮攻略のリーダーとしては当たり前の判断なのかもしれない。しかし、これでいいのか。地底湖のエリアから好き勝手されて、『日向の旅人』だって犠牲になっている。

 ただの意地でしかないのは分かってる。それでも、迷宮の王の要求を聞くことが、あまりに屈辱的に思えて仕方ない。


 迷宮の王はこれ見よがしに、アーサーへと歩み寄る。もはやイーサンの面影すらも残らないほどの、気味の悪い笑みを浮かべながら。

 


「そうでしょう? だからほら。俺と共に地上に戻りましょう。そして力を合わせ、人類に仇なす猫を共に討とうではありませんか! アーサー――ッ!?」



 その瞬間、イーサンの右腕が吹き飛んだ。

 アーサーが携えていた大剣を振り抜き、斬り飛ばしたのだ。



 カーラの一振りでは、薄皮一枚しか到達しなかった刃。だがアーサーにとって、相手の肉体の強度など関係しない。

 そうだ。これまであまり役に立たなかったから忘れていたが、この男はA級冒険者であり「能力者」だ。


 

 魔王軍幹部に所属する巨人の腕を引き千切ったと言う、常軌を逸した膂力りょりょく。そしてそんな男から放たれる、防御無視の必殺の一振り。



 技能『絶対切断』

 


 能力「超腕力」があって初めて実現可能とされる、空間すら歪める力任せの一振り。カーラーの一振りを防御もせずに受け切ったところ、硬さには自信があったのだろうが、今回ばかしは相手が悪かったようだ。

 これまでの行いは決して帳消しにはならないが、この男にも人間としての芯は通っているようだ。



 アーサーは距離を取ったイーサンを見下し言い放つ。



「あまり人間を舐めるなよ、生き物ですらない擬め。腐っても俺は冒険者だ。誰が魔物と交渉なぞするものか」



 イーサンから余裕の表情が消え失せる。

 相手はイーサンの身体を乗っ取ったばかり。うまく体を動かせるかの疑わしい。勝機は十二分にあるはずだ。

 しかしここまで来て、イーサンの魂を救う手立てを考えてしまう俺は、望みすぎなのだろうか。

 


 

最後までお読みいただきありがとうございます!


もし本作について「先が気になる!」「なんか面白いかも?」等思ってくださいましたら、『ブクマ』や下あたりにある『⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』にて評価をいただけましたら嬉しいです!


【関連話】

・29. 予兆『異変と探り』 その①

・40. 察知『不可解な魔物』

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