78. 干渉『迷宮の王』
「…………あんた、今なんて――」
「ヴァイスさん。先が見えてきましたね」
俺の言葉を遮り、ケイシーは道の続く先へと指を刺した。遠方に見える薄い橙色の光。ただの洞窟であれば、こんな奥深くに自然の光が入り込むことはない。しかし生憎、ここは地下迷宮だ。迷宮内に滞留している魔素が光源を作り上げる、なんてことは珍しくない。
何だか上手くはぐらかされてしまったが、この場での数少ない味方である彼女を詮索する意味はない。俺は軽く頭を掻く。
岩壁に囲まれた狭い道を進み、俺達はやっとの事大きな空洞へと出た。道を抜けた先には、広大な湖が広がっていた。湖底すら見える程に透き通った水質。魔素によって微かに光を放つ水面。そんな湖に伸びる蛇の様な一本道。その景色は迷宮内とは思えない程に、穏やかで幻想的に思えた。
「綺麗な湖だな。ここが地下迷宮じゃなきゃ、観光スポットにでもなりそうだ」
「フンっ、雰囲気に騙されて警戒を解かないことね。今更休憩エリアだなんてあり得ないんだから」
俺の小言に、剣士カーラが軽く釘を刺す。
そもそも『迷宮内に休憩エリアが生成される』、なんて話は聞いたこともない。基本的に地下迷宮は深層に潜るにつれて、出現する魔物擬〈ノンスター〉の脅威度も上がっていく。自然にできる構造物なのだから、「休憩エリア」と言う人間都合の空間など存在するはずもないのだ。
つまり、この脅威なんて露ほども感じられないこの空間も、あの地獄の様な毒沼エリアよりも危険だと考えるのが妥当という事。あわよくば、このエリアも既に攻略済みでいてくれることを願うばかりだ。
何より、湖のエリアで魔毒を扱う魔物擬〈ノンスター〉に俺は、一つの心当たりがあった。もし俺が想像している魔物擬〈ノンスター〉がこの湖に潜んでいるのだとしたら、俺らは抵抗もできず全滅する。
誰一人として、生きて帰れないことだろう。
俺が内心で不安に呑み込まれていると、少し前方を歩いていたアーサーの足が止まった。
最早、コイツの事は仲間とも思っていないし、いつ俺らに刃を向けてくるのかも分からない存在。俺は一層警戒を強め、腰に携えている剣に手をかける。
しかし、アーサーは俺らのことなど気にも留めず、ただ遠方を見て呟いた。
「まさか、あの『暗殺魚』が……ッ」
この迷宮に立ち入ってから、初めて見せた動揺の姿だった。薄っすら声は震え、唖然とするしかないと言うのが声色からよく伝わる。
そしてその言葉は、俺の抱いていた恐れを決定づけるものだった。
俺もアーサーの視線の先――地底湖の中心に視線を移す。しかし間違っても、深くは立ち入ってはならない。まだ『ソイツ』が湖に存在するのだとしたら、この一本道に足を踏み入れること自体が、死を意味するのだから。
少し遠方の水面には、数匹の魚の死骸が浮いていた。遠方からでは詳細なサイズ感まで分からないが、おそらく人の子程の大きさはあるだろうか。
そしてこの魚の死骸。迷宮に吸収されるどころか、吸収されるその前兆すら見られない。これは相当に真新しい死骸なのか、または一階層目の時と同様に罠なのか。
この場にいる皆が足を止めていた。アーサーが口にした『暗殺魚』がどんな魔物擬〈ノンスター〉なのか、理解しているためだろう。
この長い沈黙を破ったのは、ケイシーだった。
「特徴的な口の形状。魔毒を扱う魚の魔物擬〈ノンスター〉。まさか、最終階層でもないこんなところで、しかもこんな形でお目にかかれるとは…………」
彼女は目を眇めて、水面に浮かぶ魚を見据えながら『ステータス』を使った。生きている対象には基本的に使えないこの魔法だが、死んだ対象ならば問題なく発動する。「種族」「名前」「技能」「能力」等々、その生物に刻まれた情報を見る魔法だ。
しかし、これ程距離が空いていてよく発動できるものだ。流石の魔法精度だと、感嘆する他ない。
彼女は『ステータス』を、皆が見える様に更に大きく表示させた。
――――――――――
種別:魔物擬〈ノンスター〉
種族:魔毒射魚〈トキシテス〉
技能:『圧水射』『魔毒生成』
――――――――――
その別名を「刹那の暗殺魚」。
紛れもないS級の魔物擬〈ノンスター〉。過去S級の地下迷宮の主として生成され、たった一匹で数多くのA級冒険者パーティを壊滅させたと言う、恐ろしい魔物擬〈ノンスター〉だ。
その魚に目をつけられたら最期。その魚は静かに、そして的確に標的の命を撃ち抜く。「水の槍が迫り来る」、と頭で理解した頃にはもう遅い。その瞬間には既に、標的の身体を貫いているのだから。
その魚の攻撃を視認する事は、A級の冒険者ですら難しいと言う。魔法により防御する隙すらもない。
素早く的確に、何者にも位置を覚らせず標的を亡き者にする。それは正しく『暗殺魚』の異名に相応しい。A級冒険者のアーサー・ベネットですら凌駕する、正真正銘のバケモノなのだ。
そしてこの場において何より恐ろしいのは、このS級の暗殺魚が六匹、既に何者かによって狩られている、その事実だ。
「アーサーさん、引き返すのなら今の内ですよ。いくら貴方でも、この数の『魔毒射魚〈トキシテス〉』を相手取れなかったでしょう?」
ケイシーは鋭い視線をアーサーへと向けた。相変わらず彼女はアーサーに対して、物おじする様子は見せない。アーサーは分かりやすく眉根を寄せる。
「ッ…………くだらん。この俺が、こんな雑魚ごときに手こずるとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい。これ以上、下手な口を挟むのなら斬るぞ」
相変わらずアーサーの威圧はとんでもなく重苦しいが、これがただの強がりだと言う事は、B級冒険者の俺達でも理解できた。アーサーはズカズカと、蛇の様な一本道へと足を踏み入れた。
ついて行かなければ、この男は俺らを斬り捨てるだろう。そしてついて行けば、最悪生き残っているS級の魔物擬〈ノンスター〉の餌食となる。
進んでも地獄。戻っても地獄。全くもって頭が痛い。
俺らはしばしば、アーサーの後に続いた。
しかし俺らの心配をよそに、湖の中腹辺りまで進んでも何も起こらない。さっきの毒沼エリアでもそうだ。何か起こるのだとしたら、この湖の中央か終わり際になるだろう。
俺達の逃げ道を完全に失わせるために。
「ッ……何かで射抜かれた痕。的確に一発で脳天を貫いてやがるぞッ…………こりゃ、何かの毛か?」
俺の少し後方を歩くエリオットが、魚の死骸を観察し戦慄している。S級の魔物がたった一撃で葬られている。それも一匹だけではなく、目視出来るだけでも五匹。
そして最も意味不明なのは、この魚の脳天を貫いているのが、矢でも魔法でもない――『獣の毛』という点だ。
正直、俺の持つ知識では何をどうやったらこんな芸当ができるのか、全く想像もつかない。
「まだ生き残りがいるなんて事は、ないと信じたいですが、ケイシーさん。探知魔法には何か、かかりますか?」
「…………少なくとも、私の探知できる範囲内には、いないですね。この地底湖、見てわかる通りかなり底が深く。流石にこのエリア全てを探知は流石の私でも……」
ルーファスの問いに対し、険しい表情で返すケイシー。確かに俺が傍目で見るだけでもこの湖、かなり底が深いことが窺える。更に水中での探知魔法というのも、色々と勝手は違うことだろう。
それに、この迷宮攻略に置いて彼女を頼りにしすぎている節はある。どうにかして、俺らも彼女の代わりに役に立ちたいところではあるが――――――――
『――――聞こ――いるか。どこまでも無謀で勇敢なニンゲン共よ』
それはあまりにも突然だった。
頭の中に一瞬ノイズが走ったかと思うと、太く重たい何かの『意思』が頭に流れ込む。頭が割れる様に痛み、吐き気に襲われる。身体がピリピリと痺れ、腰に携えている剣を抜き出すこともできなかった。
あまりの事態に俺は周囲を見回す。どうやらこの声が聞こえているのは、俺だけではないらしい。
「ッな、なんだ!? あ、頭の中に直接ッ……!」
「人間の言語を操る、魔物擬〈ノンスター〉ッ……? いや、これは『意思』? 精神干渉の一種……? いや、技能だとしてもここまではっきりと……ッ」
狼狽し立ち止まる俺達をまるで嘲笑うかの様な笑い声が、頭に響き渡る。
『――私欲に塗れ。弱者を切り捨て。恐怖と怒りに身も心も支配された哀れなニンゲン共。よくぞ、この奥地まで辿り着いてくれた』
どうやらこの意思の主は、俺らの動向をずっと見ていたらしい。そしてこれも推測でしかないが、おそらく『精神干渉が可能な領域に入り込んだ』ために、接触を図ってきたのだろう。だとしたらこの『意思』の主は何者なのか。順当に考えるのならば、この「蠱毒の地下迷宮」の主と考えるべきだろうか。
しかし思考がまとまらない。油断をしていると、一瞬で意識が持ってかれそうになる。
誰もこの『意思』に対して応える事が出来ないでいた。
『――間も無くしてこの迷宮は、死を迎える。生命の根源を失った迷宮で、王たる吾輩は、死を待つだけの存在となってしまった』
『生命の根源を失った』。つまりこの地下迷宮が既に何者かに攻略され、『魔石を失った』という事なのだろう。それに自身を『王』を語っていることから察するに、迷宮の主という俺の推測は遠からず当たっていそうだ
しかし、それならばやはり疑問が残る。
迷宮が攻略されたのにも関わらず何故、迷宮の主が生きているのか。そして今、いったい何を目的として俺たちに接触しているのか。
『――知りたいだろう? この迷宮で何が起こったのか。迷宮の外で、何が起こっているのか』
そんな俺の疑念を見透かした様な意思に、心身が強張る。今の意思を間に受けるならば、この迷宮の王は迷宮内だけではなく、迷宮外の状況すらも掌握しているという。そんなことが可能なのか。
普通ならば不可能だ。迷宮に生きる魔物擬〈ノンスター〉は、迷宮外で生き抜く事はできない。その体質は、人間が水中で一生を過ごすことができないことと同様に、どうすることもできない事実だ。
しかし今、俺達にしている様な『精神干渉』を用いれば、決して不可能な事ではないのかもしれない。いや更に言えば、もしこの迷宮の主が更に『高度な精神干渉の技能』か、または「能力」を有しているのならば、ユグコットルの大森林で起きている異変にも説明が――
「ッ貴様の目的はなんだ? 迷宮の王である貴様が、何故人間に手を貸そうとする?」
俺が沈思黙考している間に、アーサーは苛立ちを隠さずに言い放つ。アーサーですら頭を抑えていることから、この迷宮の王がS級相当の魔物擬〈ノンスター〉である事はら確実だろう。それもS級の中でも、相当な上澄みだ。
アーサーの反論に迷宮の王は、薄ら笑いの様な意思を俺らへと飛ばす。そして何故だが次の瞬間、頭の痛みが徐々に引いていった。
逆にそれが、嵐の前の静けさの様で不気味さを覚えた。
『――身の程をわきまえぬ、傲慢な漢よ。貴様らは吾輩に生かされているのだぞ。口を慎め』
「ッ湖底から三匹ッ! 皆さん構えて!!」
声を荒げてケイシーがそう言い放ったのと同時に、湖からの攻撃が開始した。
湖から水の槍が一発、俺に向かって発射される。
「ッ――!!」
反射的に剣を構えようとするが間に合わない。あまりに速すぎる。避けられない。魔法を構える時間も当然ない。
一瞬死を覚悟した俺だが、ここに来ての幸運――俺に迫る水の槍は、中途半端に構えた剣身によってなんとか防いだ。剣身から伝わる衝撃波に体が押され、湖に落ちそうになるのを踏ん張り堪える。
しかしその直後。
更にもう一発、湖から水の槍が迫っていた。そうだ。この魚の恐ろしいのは水の槍の『一撃必殺』ではない。
謂わば『七撃必殺』の水の槍。この七連撃に、A級冒険者達は命を奪われたのだ。
一発目の様な幸運は期待できないだろう。
今度こそ終わりだ。
そう確信した次の瞬間の事。
俺と水の槍の間に魔法障壁〈マジックシールド〉が間に構築された。
『――嗚呼、なんと脆弱で情けない生物であるか』
しかし、俺の眼前で魔法障壁〈マジックシールド〉は砕け散り、水の槍は俺の左腕に直撃する。あまりの痛みに顔が歪む。しかし、間に魔法障壁〈マジックシールド〉が入ってくれたおかげで、水の槍の軌道が変わりその威力は弱まっていた。本来ならきっと、心臓を撃ち抜かれていたことだろう。
大きく脈打つ心臓が耳に煩い。周囲の音すら聞き取りづらいが、誰かが湖に落ちた様な音は、ハッキリと聞き取れた。視界がチカチカして、周囲の様子もよく分からない。
そうだ。この魚は魔毒持ちだ。おそらく毒の影響だろうが、たった一発でここまでになるとは思わなかった。流石『暗殺魚』と言われるだけあって、ぬかりないもんだ。
荒くなる呼吸の中、更に追い打ちをかける様に再び激しい頭痛に襲われる。そして迷宮の王は、俺達を嘲笑し意志を続けた。
『――初めから貴様らに選択肢などないのだ。ここで何もなし得ず殺されたくなくば、吾輩の元へと来るが良い。この先で待っているぞ。『あの猫』の足元にも及ばん、弱者共よ』
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【関連話】
・28. 攻略『蠱毒の地下迷宮』 第二階層②
・31. 攻略『蠱毒の地下迷宮』 最終階層①
・32. 攻略『蠱毒の地下迷宮』 最終階層②




