75. 攻略『牙を剥く廃迷宮』 その②
「ッ――! 後方毒沼から何か来ますッ! みなさん注意をッ!」
ケイシーの危機迫る声が、迷宮内に響き渡った――それとほぼ同時。毒沼から薄桃色の太く長い舌のようなソレが、俺達へと差し迫る。それなりに素早く、何より気配が薄い。一瞬でも目を離せば、その不規則な挙動に絡め取られてしまいそうだ。
俺は一層警戒心を強め、握る剣に力を込める。体調が万全であったなら、軽く切り捨てられただろうが、今は体が毒に侵されている。いつも通りのパフォーマンスで迎え撃てる、なんて楽観はしない方が良いだろう。
しかしそれにしても、ケイシーの "探知魔法" はやはり、他の魔法使いとも一線を画す様だ。正直、彼女が探知してくれていなければ、最悪手遅れになるまで気が付かなかったかもしれない。
頬に汗が伝うのを実感しながら、俺は息を呑んだ。
空を這う蛇の様な挙動。予測は立てづらいが、標的にされているのは、おそらく「日向の旅人」の魔法使いテトラだろう。
確かに、この中で最も毒の影響を受け弱っていたのは彼女だ。毒沼からどうやってそれを感知したのかは分からないが、それなりに知能のある魔物擬〈ノンスター〉と推察できる。
しかし、来ると分かってさえいれば、C級冒険者でも対処可能なレベルの様にも思えた。これならB級に昇格したばかりの「日向の旅人」でも対処は可能なはず。ここは彼らに任せて、他は次の攻撃に備える方が先決だろう。
そして俺の希望通り、「日向の旅人」の剣士マーカスが彼女を庇う様に一歩踏み出し、迫り来る巨大な舌に向かって剣を振るった。タイミングは完璧。側から見ても、油断もなく鋭い剣筋の様に思えた。
彼の対応は完璧――のはずだった。
「ッこの程度! 対処できないスピードじゃなッ――……は?」
彼の剣の振り下ろした剣は、その肉を両断する――否、現実は違う。彼の剣は、舌に触れるとその表面を滑ってしまっていた。両断はもちろん、傷さえ与えられていない。舌の軌道を少し逸らした程度に留まった。攻撃を受け流す技能でも持っているのか、将又毒の効果で剣筋がブレてしまったのかは、今の俺たちには判別のしようはない。
流石にこんな挙動は予想していなかった。それは
他の皆も同様。A級冒険者であるアーサーですら一瞬、目を瞠った程だ。
当然、当事者であるマーカスが反応し切れるわけもなかった。
剣を振ったことで、彼の体制は崩れていた。そして同時に、巨大な舌はマーカスの剣が触れたことで、大きく挙動を変化させ――標的をテトラからマーカスへと移した。
――いいや違う。
最初からこの舌は、テトラを狙っていたわけじゃ無かったんだ。毒に侵されてる中で動ける生命を奴は狙っていた。彼女はそのための、単なる餌に過ぎなかったのだ。
舌の挙動スピードが明らかに増す。
そこから巨大な舌がマーカスの体に巻き付くのに一瞬もかからなかった。誰も、どうすることもできなかった。
「ッ……くっ、くるしっ……助け――」
ギリギリと強く締め付ける音と、毒によって彼の身体が焼け溶ける様な音が迷宮に響く。
間近でそれを見ていたテトラの膝は震えていた。今、この空間では魔法も使えない。彼女にはどうすることもできない。
咄嗟にイーサンがマーカスへと駆けた。その巨大な舌に対し上段に剣を構える。しかしもう手遅れなことは、この場にいる全員が理解していた。
「――ッマーカァァァスッ!!!」
「深追いするんじゃねぇッ! ックソッ……!!」
絶叫に近い声を上げたイーサンに、俺の声は届かなかった。彼は勢いよく剣を振り下ろす。
しかしもう手遅れだった。
イーサンが剣を振り下ろすより先に、無情にもその巨大な舌はマーカスを毒沼の底へと沈めた。
舌が襲って来てから、一秒足らず出来事だった。
もしも最初の標的にされたのが、カリスタかスージーだったのであれば、毒沼に引き摺り込まれていたのは間違いなく俺だった。今の挙動を初見で、更に毒に侵されている状況で予測なんてできるわけがない。
迷宮攻略での初めての犠牲者に、アーサー以外の皆が顔を青ざめた。更に絶望に顔を歪ませ動くことのできないイーサンとテトラ。しかし彼彼女らをフォローできる様な余裕は、俺達には無かった。
「死にたくなければ気を取られるなよ」
アーサーは冷徹に言い放つと、泥濘んだ足元へと剣を振り下ろした。一瞬、彼が何を切ったのか理解できなかったが、眼前で『肥大化した蛇』の姿を見て理解した。
そしてそれと同時に、俺達は足を踏み入れてはいけない場所にいるんだと、激しく実感し絶望した。
【魔毒喰蛇〈オフィオファガス・トキシクス〉】
肥大化したその死骸は間違いなく、一階層目のフロアボスだった。その蛇は身体を小さく見せてはいるが、その身体は圧縮された筋肉の塊。故に、その蛇は絶命すると圧縮された筋肉は解き放たれ、一瞬にして肥大化する。
アーサーは叩き切った肥大化した死骸を、沼地へと放り投げる。彼の尋常じゃない膂力は「能力」により強化されたものだ。まるで重さを感じさせない挙動。噂には聞いていたが、一瞬で力量の差を見せつけられた気分だ。
「ッオイオイ冗談キツいぜッ…………一階層のフロアボスが、ここじゃあ当たり前に湧いて出てくるって言うのかよッ……」
「黒鉄の鎧」のリーダーであるエリオットが、顔を歪ませながら呟く。その声は震えている。しかしそれを誰も笑うことも、揶揄うこともできない。この場にいるアーサー以外に、そんな余裕を持っている者などいなかった。
「ごめんなさいっ、ここじゃ私達、完全にお荷物だわ…………せめて魔法が使えない原因を特定しないと……ッ」
「いえ、今はそれより先に進むことを考えましょう! こんな場所で魔物擬〈ノンスター〉達を相手取るなんて不可能です! しかしこの状況は…………」
焦りを隠せなくなったカリスタに、ケイシーは比較的冷静に返した。しかしそんな彼女も、打開策は思い浮かんでいない様で、口元に手を当てながら眉根を寄せて逡巡していた。
俺達が焦燥に包まれる中、毒沼の狩人は決してその隙を見逃したりはしなかった。
アーサーが投げ捨てた蛇の死骸の毒沼から、また同じ様な巨大な舌が迫り来ていた。今度は初動とは異なり、既にマーカスを捉えた時の同スピード。
魔法は使えない。剣で迎え撃っても弾き返すことしかできない。対処方法が全く見えていない。あまりに絶望的な状況だった。
しかしそんな俺達の中に一人、その舌に向かって剣を構え前に踏み出した剣士がいた。
「――いいじゃない。上等よ。やってやろうじゃない! 一度で刃が通らないのなら、何度でも叩き込むまでよッ!!」
B級ソロで活動しているカーラが前に出る。その表情は何故か嬉々としている。そして腰を低く構え居合の姿勢をとる――そう、剣術だけならば彼女は、A級にすら引けを取らない実力者だ。
「心月流『一波』ッ!」
完全に間合いの外の距離間で彼女は剣を振うと、その斬撃の衝撃波は見事に舌を跳ね除けた。中距離射程の剣撃。普通ならばこれで終わってくれるんだろうが、やはり奴の巨大な舌には傷ひとつついていない。やはり魔法と同様、技能もその力を大きく失っている様だ。
魔法の絡まない技能でこれならば、やはり風魔法を用いる俺の技能は全く使い物にならないと見ていいだろうが。
ここに来て違和感。今俺たちを狙っている舌は、先の奴よりも挙動の精密性が明らかに劣っている様に感じられた。それが何故なのかは分からないが、個体差と片付けられる様なことなのか。いや、これが罠であろうがなかろうが、気を抜けない状況には変わりないが。
カーラは足元を警戒しながら、何度も『一波』によって舌を跳ね除け続ける。それでもやはり傷はつかない。
彼女の表情にも徐々に、苛立ちと焦りが滲み出始めていた。
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【関連話】
・27. 攻略『蠱毒の地下迷宮』 第二階層①




