73. 奇怪『蠱毒の廃迷宮』 その②
『――この地下迷宮はすでに死んでいる』
ケイシーのそんな発言から皆、自然と口数が減っていた。通常時よりも薄い魔素濃度。異様に出現数の少ない魔物擬〈ノンスター〉。確かに、今の状況を総合すると、その答えに辿り着くのは理解できる。
しかしこの地下迷宮は、浅層だけでも推定A級の脅威度であるとギルドから定められている。実際、過去に三組のB級冒険者パーティが二階層まで潜り、そして誰も帰還しなかったという話は有名だ。おそらく最終階層――いや、二階層時点でS級適正であると考えるのが妥当だろう。
ケイシーの推測を是とするならば、そんな地下迷宮を攻略した『S級相当の何者か』が存在する事になる。それが人間なのか。将又魔物〈モンスター〉なのかは、未だ推測の域から出ないところではあるが。
前者なのだとしたら、「誰にも動向を探られず地下迷宮に潜り、颯爽と攻略した恥ずかしがり屋の英雄」だが。もしも後者なのだとしたら、それは「脅威度S級相当のバケモノ」以外の何者でもない。どちらもあまり現実的ではないが、希望としては前者であって欲しいもんだ。
それから粛々と皆で歩き続けていると、広い空間へと出た。相変わらず洞窟内のため薄暗い。魔法使いであるカリスタやケイシー、フローラが魔法で灯りを灯してくれてはいるが、視認できる範囲はそれ程広くはなかった。天井は闇に覆われ、仄かに冷んやりした空気に少し身が震えた。
ここが地下二階層へと繋がるエリア――所謂、「ボスフロア」と呼ばれる空間だろう。もしこの地下迷宮が死んでいると言うのであれば、このフロアの魔物擬〈ノンスター〉もすでに消滅しているはずだ。
ここまで殆ど魔物擬〈ノンスター〉との戦闘もなく順調に進んでいたが、ここが第一の関門。気は緩められない。
そう内心気を引き締め直した時、前方を先をロッドで照らしていたフローラが急に足を止めた。
「何、これ…………」
前方を歩く彼女の表情は分からないが、その声色から絶句していることは十二分に伝わった。そして彼女が照らした先を俺も視認して、絶句した理由をすぐさま理解する。
彼女が照らした先、そこには一階建ての家を押し潰してしまえる程の巨大な蜘蛛、その死骸があった。腹を天に向けたままピクリとも動かない。腹部には何かに切り裂かれた様な傷も見える。おそらくそれが致命傷となったのだろう。
しかしこの巨大な蜘蛛のことは、地下迷宮について下調べをしていたため存在は知っていた。コイツこそ、蠱毒の地下迷宮の一階層目の"仮りの"フロアボス。
【溶壊大土蜘蛛〈ライシス・テラフォサ〉】
脅威度はA級適正。こんな巨体には見合わず、不意打ちを得意とする魔物擬〈ノンスター〉。自身の体重を支えられるほどの強靭な蜘蛛糸を用いてこのフロアを縦横無尽に跳ね回り、フロアの天井から『溶壊液』を用いた攻撃をしてくる。そして絶命時には、腹部に溜めた『溶壊液』を噴水の様に周囲に撒き散らすと言う。
この魔物擬〈ノンスター〉を相手するにあたり、最も注意すべき点。それは「『溶壊液』によって溶かされた肉体は、何をしようが治すことができない」という特性だ。どれほど高位の回復魔法も、身体欠損すら治す回復薬でも、この液に溶かされれば最後。その肉体を元の形に戻す術はない。
何より蜘蛛糸にもその『溶壊液』が染み込んでおり、殆ど視認できない程の細い糸が顔面に当たり失明した、という冒険者もいると言う話も耳にした。
そんな厄介極まりない蜘蛛が腹部を裂かれて死んでいるのだ。この傷跡と『溶壊液』の対処を考えると、遠距離から鋼か風魔法で遠距離から仕留めたのだろうか。見ようによっては、獣の引っ掻き痕の様にも見えるが、流石にそれは無理筋か。遠距離から斬撃を飛ばす様な技能を持っていれば、或いは魔物〈モンスター〉でも。
しかし、今はそんな事を悠長に考えていられる場合じゃない。この死骸はあまりに「不自然」すぎる。俺は不吉な予感を覚え、腰に携えた剣に手を携える。
そんな中、冒険者パーティ「日向の旅人」のリーダーであるイーサンが、悠長にその死骸へと歩み寄った。
「や、やっぱり、俺らが来る前に誰かが攻略しちゃったんですかね……?」
「――馬鹿ッ! 不用意にソイツに近づくなっ!」
俺は即座に剣を構えイーサンとその死骸の間に割って入った。元々「日向の旅人」をフォローするために、近くに位置取っていたのが功を奏した。
咄嗟にイーサンの首根っこを掴み、後方へと放り投げた。何が起こるか分かったもんじゃないんだ。なりふり構っていられない。
地下迷宮で生き絶えたものは、その死体は迷宮に吸収され養分となり完全に消滅する。残るのは装備品や持ち込んだアイテムのみだ。それはもちろん、この迷宮で生きている魔物擬〈ノンスター〉にも例外はない。
殺されてから然程時が経っていない可能性も考えられるが、『迷宮の中で、死骸が吸収されず残っている事』自体が不自然極まりないのだ。
俺はイーサンを引っ込めた後、再び眼前の巨大な死骸へと目を向けた。
「――やべぇかコレ」
目の前の光景に、俺は一瞬で死を覚悟した。
無数の子蜘蛛が巨大な蜘蛛の腹部の傷跡から、勢いよく飛び出して来ていた。体長はさっきの蟻やら蜂やらと同程度であるが、あまりに数が多すぎる。数千もの子蜘蛛が、まるで大波の様に俺に飛びかかってきていた。
「『風足』ッ!」
俺は咄嗟に、靴に仕込んでおいた風魔法を発動させる。瞬間、足裏から突風を発生させ俺も後方へと下がる。しかしダメ、距離はあまり離せていない。魔法の出力を抑えすぎた。
ここで俺が大きく下がれば、この数千の蜘蛛共は周囲の冒険者達へターゲットが向いてしまう。そして何より、今強力な風魔法なんて使ったが最後、風によって吹き飛んだ数千の子蜘蛛が宙を舞う可能性もがあったのだ。『溶壊液』に塗れた子蜘蛛の雨なんて降らせられない。
おそらく俺が庇わなければ、今頃イーサンは溶壊液塗れになっていたことだろうが、今の俺自身にもこれ以上の打開策がないのが困ったものだ。
しかし、俺がどうにかする必要はない。
幼い頃から一緒に冒険することを夢見続けてきた――そしてB級冒険者パーティとして堅実に活動を続けてきた俺達「風の共縁者」には何の問題はない。
「岩石壁〈アースウォール〉ッ!」
咄嗟にスージーの魔法が巨大な蜘蛛の死骸を包み込む様に、ドーム状に岩石の壁を生成し子蜘蛛を遮る。流石の魔法操作の技術だ。
「――っ火炎壁〈ファイヤーウォール〉ッ!」
そしてその岩石のを更に囲う様に、カリスタが炎のベールを重ねる。子蜘蛛の動きが案外俊敏で、数十匹は漏れ出していたため非常に助かる。
それに、俺ら「風の共縁者」はその名の通り、風魔法を得意とする冒険者でありそのほかの魔法はあまり得意ではない。二人も地属性や火属性の魔法なんて普段はあまり使わない。慣れていない属性での覚級魔法の無詠唱発動なんて、事前に構えていなければ不可能だ。きっと二人もあの死骸の気味の悪さに勘づいていたのだろう。
「ひっ……!」
その一方で、俺に放り投げられたイーサンは何が起きたのか理解し始めて徐々に顔を青くしていた。足腰は震えてしばらくは立てそうもなさそうだ。
このボスフロアまで「日向の旅人」を観察してきたのだが、正直経験と知識さえ身につければB級冒険者パーティとしてはやっていける実力は持っていると思う。しかし、C級から上がったばかりで経験が浅いと言うのがあまりにネックすぎる。
「腰抜かしてんなッ! まだ安心できねぇぞ!」
俺の怒鳴り声にイーサンはまだ唖然としたままだ。しかし、事前に共有していたこの地下迷宮の情報は頭に入っている様で、「日向の旅人」のパーティメンバーが咄嗟にイーサンを囲う様に体制を取った。悪くない判断だ。
そして周囲の「黒鉄の鎧」「白刃の集い」、そしてカーラにケイシーも変わらず臨戦体制を崩さず、唯一アーサーのみが悠然と佇んでいた。
蜘蛛の死骸は、おそらくただの目眩しにすぎない。この階層の「真のフロアボス」の姿が見えていないのがあまりに不気味すぎる。
【魔毒喰蛇〈オフィオファガス・トキシクス〉】
それが本来このフロアのボスと呼ばれている魔物擬〈ノンスター〉だ。その脅威度はA級適正。"一見の全長"は一般の大人の男と同程度で、更にその身体は一般の蛇と同程度に細い。それこそユグコットルの大森林内に生息している、「牙大蛇〈ファングスネイク〉」の数十分の一程にも満たないほどの大きさしかないのだ。
しかしそれは、技能によって身体を小さく見せているだけ。その身体は、技能『筋圧縮』によって圧縮された筋肉の塊。そいつの本来の全長は、「牙大蛇〈ファングスネーク〉」よりも長く、そして人を丸呑みできるほど太く逞しいと言う。
さっきの巨大な蜘蛛も恐ろしいが、『溶解液』にさえ注意していれば、B級冒険者でも討伐は難しくない。的は大きく、遠距離から魔法で攻撃すれば良いだけだ。
しかしその蛇は、『筋圧縮』の種がわかったところでその脅威は変わらない。圧縮された筋肉から繰り出される攻撃は、「血飢熊〈ブラッディベア〉」の力を遥かに上回るなんて話も聞いた。そんな魔物が素早く地面を這い回り、時に天井から降って来ることもあれば、時には岩壁の小さな穴から忍び寄って来ることもある。
相手は技能『隠密』持ちで、この暗闇に包まれた巨大なフロアは、奴にとって格好の狩場なのだ。巨大な蜘蛛が死んでいたとは言え、子蜘蛛が生きていた状況を察するに、まだこの地下迷宮は死にきっていない。まだ奴が生き残っている可能性は高い。
そう気を張っていた俺だが次の瞬間、俺の後方から天井に向けて勢いよく炎の魔法が放たれた。覚級魔法の炎弾〈ファイヤーボール〉。詠唱は聞こえなかったため無詠唱と思われるがそれにしてはその炎の球は大きく速く見えた。
炎の魔法を放ったのはケイシーだった。基本支援の魔法を得意とするのだが、流石ソロで活動しているだけはあると思う。
そして彼女の炎の球は、天井から落下して来ていた「ナニカ」を的確に射ぬいた。
「魔力探知をもとに試してみましたが、案外当たりますね。しかし私の炎弾〈ファイヤーボール〉でも仕留められたところを見るに、相当弱っていたみたいですね」
ケイシーは落下して来たそれに目をやると、少し得意げにしながら頬を掻く。落ちて来たのは黒焦げになった蛇の死骸。さっきの一撃ですでに死んでいるようだが、俺はそれに違和感を覚えた。
コイツの本来の姿は「牙大蛇〈ファングスネーク〉」と変わらない。技能によって体を縮めているだけなのだ。
つまり死んだ後は技能が解けて、元の大きさに戻らなければおかしいのだ。まぁそれも、薄くなった魔素濃度の影響なのかもしれない。それでもなんだろう。拭いきれない違和感が俺の心に確かに残っていた。
そんな思案する俺を傍目に、ケイシーの隣に一度っていたスージーがテンション高めにケイシーの手を掴んだ。
「ケイシーさんすごいです! 私の魔力探知では全く捉えられませんでしたよ! どうやったんです!?」
そう興奮気味になるスージーにケイシーは困った顔をしながらも首をゆっくりと降った。
「いえ、そんな大それた技術はありませんよ。実は私の探知魔法は少々改良していましてね。探知範囲と精度には自信があるんです。この探索に帰ったらでよければ、お教えしますよ」
「是非とも! お願いします!」
そう顔を綻ばせたスージーに、俺も少し和んでしまう。まだ蛇がこのフロアにいる可能性はあるが、天井から落ちて来た蛇を探知できるほどの精度を持つケイシーが警戒を解いているんだ。もう問題はないだろう。
しかしここでも俺は何故か、突っかかりを覚えた。
――探知範囲と精度には自信がある。
確かにそれは言うだけはあると思う。スージーの探知魔法にかからなかったのだから、相当な精度なのだ。
しかしそれなら、遥か上空の天井から落ちて来る蛇を捉えられて、なぜ「巨大な蜘蛛に潜んでいた数千匹の子蜘蛛の群を、探知できなかったのだろうか」。いや、意地の悪い、贅沢な言いがかりだと言う事は理解している。現にスージーもフローラも探知できなかったのだから、蛇を捉えてくれたのは非常にありがたい。
それにこの迷宮に入ってからと言うもの、ケイシーの様子が普段とは異なっているような気がする。あんな前のめりに発言したり、攻撃魔法を放ったりするような、積極的な魔法使いではなかったはずだ。まぁそれも、A級の地下迷宮探索、更にS級相当の化け物が潜んでるかもしれない事を考えるに、いつも通りを貫いている状況じゃないのも理解できるが。
俺の少し疑念の困った視線に勘付いたのか、ふと彼女と目が合った。彼女は少し困ったように首を傾げながらも、軽く微笑んだ。やはり考えすぎだったのだろうか。
それに今は、力を尽くしてくれた仲間を問い詰めてる場合でもない。今のままではおそらく、アーサーは二階層以降へ潜る選択をするだろう。本来依頼されていた「探索」ではなく「攻略」として、地下迷宮がおとなしくなった今だからこそ、最下層まで潜ると言い出すに違いない。
それをどうにか止めなければ、もうこの先俺らも「日向の旅人」をフォローしきれなくなる。俺はケイシーから視線を逸らして、未だ何も動じていないアーサーへと歩み寄った。
しかし、この時の俺は――いや誰も気付かなかった。
俺が視線を逸らした後、彼女の右目が一瞬緋色に染まり、そしてニタリと口角を上げていたことに。
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【関連話】
・26話:攻略『蠱毒の地下迷宮』 第一階層②




